壇の浦

源氏(げんじ)平氏(へいし)最後(さいご)決戦(けっせん)(だん)(うら)で行われました。
 源義経(みなもとのよしつね)平氏を追いつめ、
平氏一族
(へいしいちぞく)
はことごとくを投げて(ほろ)びました。
このとき
平氏総大将平知盛(そうだいしょうたいらのとももり)水死(すいし)しましたが、
知盛(とももり)霊魂(れいこん)はその(うら)みをらすべく亡霊(ぼうれい)になります。

 その後、義経(よしつね)頼朝(よりとも)不仲(ふなか)になり、頼朝義経追討(よしつねついとう)(へい)をあげました。
義経頼朝との(たたか)いをさけるため武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)妻静御前(つましずかごぜん)(とも)(みやこ)(おち)ちをします。
東国(とうごく)に向かう途中、海路大物(かいろだいもつ)(うら)にさしかかったとき、
知盛(とももり)亡霊(ぼうれい)出現一行を悩まします。
日頃
(ひごろ)
から信心(しんじん)する石清水八幡(いわしみずはちまん)のご加護(かご)弁慶(べんけい)(とな)える法華経(ほっけきょう)のご功徳(くどく)によって
知盛
亡霊退散(たいさん)させます。

そして、義経(よしつね)静御前(しずかごぜん)れて東国(とうごく)に向かうのです。