陳 羣
魏の陳羣、有名です。世界的に歴史の分野で有名。当然中国なんで中国史。
参謀というのか・・・政治家に近いですね。
「九品官人法」という言葉は聞いたことがあると思います。必ず中国史で出てくるし教科書にも載っています。
それを作った張本人がこの人です。今回のメインはこれ、「九品官人法」。法律のお勉強です(笑)
では九品官人法とはどういうものか。階級を巡査から警視監までのように”一品官から九品官”まで9つに分けたもの。
この当時の中国は村などで尊敬されていた人物などを「彼なら立派な国のお役人になれる。」と村人たちが国に推薦していた、いわゆる郷挙里選という制度が採用されていた。郷挙里選・・・これも覚えましたね〜。
この郷挙里選という役人登用制度は隋の時代に科挙制度(今でいう選挙)というのができるまで採用されていました。
科挙・・・これも覚えましたね〜(笑)
その郷挙里制で推薦された人物の才能に応じて二品官〜九品官まで分けて採用していた。五品官から上で採用されることはまずなく、たいがいは六品官〜九品官で採用されていた。分かりやすく言えば、警部補〜巡査の間で採用ということですね。これが九品官人法。
で、陳羣自体の話に戻ります。陳羣の祖父、父なども有名人物で世間からも名士と言われていた。つまり陳羣は名門の家柄の人物。まだ郷挙里選制度が採用されていた時代なので陳羣はどこにも仕えていない。そしてついに陳羣にお呼びがかかる。推薦人はあの魏の名参謀、荀ケ。
陳羣は曹操配下のキャリア官僚として働く。が、これと言って功績はない。
功績もろくにないくせになぜ陳羣は曹操に気に入られたのか・・・。それは曹操の跡継ぎとして期待されていた曹丕を補佐していたから。曹丕も陳羣に対しては絶対的な信用を持っていた。
後に曹操が死んで曹丕が跡を継ぐと長年準備してきた「九品官人法」を発表。曹丕とも仲がよかったのですぐに法律施行に踏み切ることができた。
この功績で尚書令へ昇進、さらに鎮軍大将軍へと昇進、と面白いように昇進を繰り返す。
曹丕亡きあと曹叡が跡を継ぎ、ついに三公の一つ司空まで上り詰める。
と、陳羣の巻でした。・・・って、なにも面白くない(笑)
面白くないのでちょっと他の話を。
陳羣、曹操配下として働いてただけじゃないんですね。その前にどこかの配下として働いてたんです。分かった人はちょっぴりすごい。
そう、曹操のライバルの劉備。実は陳羣、曹操の前は劉備の配下だったんです。
劉備が徐州の太守になろうとしていたとき陳羣は一人反対した。「袁術の勢力は強大で、いま太守となれば紛争が起こる。さらに化け物の呂布に背後を襲われたら全て終わってしまう。」と大反対をした。が、劉備は意見無視。
かくして劉備は徐州太守となり、袁術軍と戦争、さらに呂布軍も襲撃。おもしろいように予想的中(笑)
この人じゃダメだわヽ( ´ー`)ノ。陳羣あっさり劉備を見限って去っていった・・・。
本当のところは、曹操に敗れた呂布が徐州の劉備を頼って来て劉備はかくまってあげる。その後、袁術軍が来たとき劉備軍は袁術軍と対峙。その隙に呂布が劉備を裏切って徐州を奪ったという感じなので、陳羣の予想とはちょっと違うんだけどね。
陳羣の予想は、袁術に攻められ、さらに呂布も攻めてきたら大変なことになる、という話だったから。
どちらにせよこの当時の劉備は軍師・参謀クラスの目だった人物が配下にいなかったので、陳羣のようなこれほど有能な人物がそのまま劉備配下だったなら・・・。蜀ファンとしては残念・・・。
後に曹操配下として働き、曹真が蜀遠征に出るとき「無意味な出陣はやめましょう。」と、大反対した人物が一人。それがこの陳羣。
陳羣を振り切り勇ましく出陣するが、案の定なんの成果もなく撤退。
おまけに負けた悔しさから曹真は屈辱感が積もり積もって死亡。何しに行ったんだ・・・。
ちなみに日本で従三位や従二位などの官職に藤原道長や源頼朝がなっていますが、この官職の由来は「九品官人法」が日本に伝わって日本風の名前にアレンジされ呼ばれています。
陳羣の「九品官人法」は日本にも影響していたんですね。
さらに警察、軍隊、自衛隊等々でも現在も九階級に分けられ、外国でも軍隊は少尉〜大将まで九つの階級に分かれています。「九品官人法」は世界中で現在でも利用されています。
なんか・・・NH○っぽくて暗いな、今回の話は(笑)
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