『ゲンミツに』

 無情にも、主審のストライクのコールが球場に響き渡る。
 ネクストバッターズボックスに跪いていた田島は、巣山が倒れたのを見守ったまま静かに立ち上がった。

 9回表。1点ビハインド。二死二、三塁。

 バッターにとって、とてつもなく痺れる場面であり、けれども田島にとっては、とてつもなくわくわくする場面でもあった。

「たじまくん!! がんばれーーー!!」

 湧き上がる歓声の中、三橋の甲高い声が集中力を高める田島の耳に響いた。
 必死の形相で、懸命に、純粋に、勝利を願う三橋の表情を愛おしむように、田島は軽くウインクした。

 “俺が決める──”

 竹刀を持つようにバットを握り締め、気合を入れなおす。これまでの4打席で、桐青のピッチャーの球筋はほぼ見切っていた。あとは、いかにしてあのシンカーを打つか──

 打席の土を足でならし、足場を固める。肩幅に足を開き、顔の近くでバットを構える。特に意識することのない、ただ集中した結果が故の自然なバッティングフォームだ。

 三塁側の怒号のような応援が次第に小さくなる。肌を打つ小雨の感覚が次第に遠のいていく。キャッチャーのサインを覗き込んでいた高瀬が軽く頷き、セットポジションに入った。

 “──来い!”

 高瀬が大きく振りかぶって投げる。そのモーションに合わせて、田島は鋭いスイングで振りぬいた。

「ファールボール!」

 軽い金属音を残し、ボールはバックネット後方へと消えた。初球は外角高めのストレート。グンと迫り来るような、伸びのある勢いは健在だ。

 だがストレートだけなら、田島には打ち込む自信があった。おそらく桐青のバッテリーもそれはわかっているだろう。今のストレートはいわば見せ球だ。

 両の手に、ボールをミートした時にバットから伝わったズンとした感触がまだ残っている。全身を興奮で震え上がらせるような荒々しい感触。それがさらに田島を燃え上がらせる。さらに集中力を高めてくれる。気分が高揚し、これこそが野球の醍醐味なんだと田島は無意識に感じ取っていた。

 第2球。

 表情を変えないまま高瀬が投げる。降りしきる雨を切り裂くように、真ん中からグンと外角へボールが逃げ落ちる。小気味いいミットの音と共に、審判のコールが高らかに響き渡った。

「トーライッ!」

 どっと湧き起こる歓声。外野が一段と騒がしくなった。

 “──シンカー……”

 左打者から見ると、外角低目へ逃げるように落ちていく球種、シンカー。

 高校生離れしたその落差と切れ味で、高瀬は桐青のエースへと登りつめた。そのシンカーを、田島は前の打席では、空振りの三振に切って取られている。高瀬の気迫に負けてしまったとも言えるが、技術的な問題として、自分のリーチでは高瀬のシンカーに対応できないという問題に、田島は本能的に気づいていた。

 “よし!”

 けれども、今のボールの軌道を見て、田島にはとっさに思い浮かんだ考えがあった。

 ツーストライクノーボール。絶体絶命な場面で、田島の視線は変わらずに高瀬の表情を、グローブを、そこから投げ出されるであろうボールの軌道を捉えるべく、じっと凝視する。

 高瀬がセットポジションに入り、一塁ランナーを横目に左足を上げた。クォーター気味に振り下ろされる右腕が大きくしなる。放たれたボールがうなるように田島へとめがけて襲い掛かってきた。

 田島がバットを振り下ろす。ブレーキのかかったボールが、揺れ動きながら外角へと曲がり落ちていく──

 “ここ!”

 まさに神業ともいえるバッティングだった。

 バットの遠心力を利用し、グリップエンドから右手の小指と薬指をずらしたのだ。わずかながらリーチが伸び、小さな身体を目いっぱい外よりに傾けて、田島は渾身の力を込めてバットを振りぬいた。

「うお!!!」

 鈍い金属音が響き渡り、その衝撃と共に田島はバッターボックスに崩れ落ちた。だが、田島のチームへの想い、勝利への執念、バッターのプライドを乗せて放たれた白球は、鋭角に左翼方向へと伸びていく。

「レフト!!!」

 桐青ナインの悲鳴に似た一声が乱れ飛ぶ。

 懸命に起き上がりながら、田島はその打球を祈るように追った。桐青のレフトを守る松永が背走する。弧を描く打球のラインと、松永が背走するライン、それがクロスしようとする寸前、一瞬早くボールがその頭を越え雨で湿った芝生の上へと落ちた。

 三塁側の歓声。一塁側の悲鳴。

 同点のランナー阿部に続いて、逆転のランナー泉もホームインする。

 5-4。

 田島の一打がチームに奇跡を起こした。

「うしゃーーー!!!」

 一塁ベース上で、派手に拳を突き上げる。プレイヤーとして最高の瞬間。バッターとして最高の喜び。その小さな身体ではとても抑えきれない衝動を爆発させるようなガッツポーズだった。

 そして──

「ナイバッチ、田島!」
「おお!」

 栄口からヘルメットを受け取りながら、そっと田島は三塁ベンチを見やった。

 当然のように喜びで荒れ狂うベンチ内。その中にあいつがいる。いつものようにキョドりながら、それでも嬉しさを隠し切れない笑顔がそこにはあった。

 三橋と目が合う。

 一瞬目をそらそうとして、それでも思い直したのかすぐに視線が戻って、一瞬の間の後、三橋はニヒッと笑った。

 ドクンと胸の鼓動が高まる。

 “そういやこの試合、三橋にはドキドキさせられっぱなしだよな。何なんだろう?”

 そう思いながら、三橋に負けないくらいの満面の笑みを、田島は一塁ベース上で見せてみせた。

【Postscript】
正直なところ、田島は何を考えてるのか想像するのが難しくて、書くのも難しかったですorz でも、田島のまっすぐな性格は本当あこがれますねー。にしても、バット振りながらグリップずらすって、田島はどんだけ天才なのか?