東工大に入学するまでの宅浪、仮面浪人体験記です。

現役時代

進学校に入学してからどの大学を目指すかということは全く考えていなかった。しかし、高校2年の後期あたりから「東大」を目指そうと決意し赤本を買った。高校3年の6月までは部活動があってなかなか受験勉強ができなかった。このときはまだ時間があるしどうにかなるだろうと思っていた。そして、部活動を引退し受験勉強を始めた。このころからZ会の通信添削(ハイレベルコース数学)を始めた。採点されて返ってきた答案は3〜5割ほどの得点しかとれておらず焦りを感じた。そして、勝負の夏休みが来た。しかし、計画を立てて勉強していなかったため、好きな科目ばかり勉強してしまっていた。8月になり東大模試を受けた。結果は全然できていなかった。夏休みに時間をかけて勉強したはずの数学さえも点数が悪かった。9月になり志望校を東工大にした。だが、全国模試の東工大の判定はよくなかった。センター試験が近づくにつれ焦りが増し、無理な勉強計画を立てて夜遅くまで勉強した。今思えばこれがまずかった。そして、年が明けセンター試験を迎えた。センター試験国語に不安があった。国語は過去問で6割ほどの点数しかとれていなかったのだ。試験が終わり、自己採点をした。結果は国語が140点で全教科の得点率は83%だった。この年は問題が簡単だったため、この得点率でセンターリサーチの判定はCだった。とても落ち込んだ。私大を受けたり、勉強したりしているうちに2月の東工大前期試験を迎えた。このとき、後期試験は出願していなかったので、不合格だったらすでに合格していた私大に行くつもりだった。まず数学の試験。自分にとってどれも難しく、途中で眠くなるほどであった。このとき、すでに不合格の3文字が頭に浮かんだ。そして、英語、物理、化学の試験。自分の力不足を痛感した。合格発表の日。予想通り不合格であった。不完全燃焼な感じがし、日に日に悔しさがつのっていった。親には不合格だったら私大に行くと言っていたが、浪人したいという気持ちをそれとなく打ち明かした。親もなんとなく理解してくれ浪人することにした。とても親不孝者だと思った。親に迷惑をあまりかけたくなかったので、予備校には通わず自宅での受験勉強で挑むことになった。

宅浪時代

高校卒業後、自宅での浪人生活がスタートした。自分の勉強のやり方が悪いということをすでに自覚していたので、受験勉強のやり方が載っている本を読んだ。そして、東大を第1志望として各教科の基本的な部分の確認から始めた。月刊誌「大学への数学」を年間購読し、数学の面白さを感じながら問題を解いた。しかし、時が経つにつれ生活のリズムは崩れ、合格したいという気持ちも薄れていった。8月、浪人後初めての模試「東大オープン」を受けた。結果はまたしてもよいものではなかった。自分の学力を考え再び東工大に志望校を変えた。11月、東工大実践模試を受けた。判定は4類がC、2類がBという散々なものだった。だんだん自信を失っていった。年が明け、センター試験を迎えた。国語の準備不足は明らかだった。国語の出来は当然最悪だった。センターリサーチで判定してみると、自分の得点は4類のボーダーラインから30点近く離れていた。個別試験での逆転を信じ、東工大に出願することにした。併願先としては、早稲田大学を選んだ。ただ1校だ。併願先を1校しか選ばなかったことで家族からは心配された。その頃勉強もはかどっておらず、今考えれば、危険な選択であったと思う。ホテルがとれなかったので、早稲田大学の試験日当日、新幹線で大学へと向かった。電車が遅れ試験開始の10分前くらいに会場へと着いた。1時間目数学。問題冊子がホチキスで閉じられていたので余白が使いづらかったが、比較的よくできた。2時間目理科。時間を気にしながら解いていったが、時間が足りず化学の記述部分がほとんど埋められなかった。3時間目英語。早稲田の英語は問題はすべて英語で書かれているので、速読力がない自分にはうんざりする。解くスピードを意識しながらセンター試験の感覚で解いていった。根拠はなかったができている気がした。事実、自己採点してみるとよくできていた。自分の中で早稲田に合格しているだろうという気持ちを持ちつつも不安な思いで東工大前期入試を受けた。またしても数学でつまずき、落ち込んだ状況で残りの科目を受験した。帰りの電車の中で不合格という3文字が頭に浮かんだ。帰宅後、自分では不合格と思いながらも親に「できなかった」ということは決して言えなかった。そして、東工大試験日2日目は早稲田の合格発表であったので、電話して合否を確認した。合格していた。とりあえず進学先が確保できて安心した。翌日、東工大後期入試に向けて勉強を開始した。しかし、勉強に集中できなかった、燃え尽きた感があった。3月。前期日程の合格発表。結果は不合格。翌日、後期試験を受けに東京へと向かった。小論文対策などしておらず受かる気がしなかった。数学、英語、物理はそこそこできたが小論文がうまく書けなかった。3月下旬の合格発表。やはり不合格であった。正直、早稲田には行くつもりがなかったので、早稲田しか進学先がなくなり2浪か早稲田かで迷った。自分がダメになりそうで嫌だったので悔いが残りながらも早稲田への進学を決めた。4月、早稲田大学へと入学した。

仮面浪人時代

入学当初、仮面浪人しようとは考えていなかった。しかし、早稲田で満足していたわけではなかった。時が経つにつれ、早稲田の悪い面ばかりに目がいった。また、早稲田の自由な校風についていけなかった。 そして、1年浪人して向上させた学力に自信があったのか、自分が東工大に落ちたのが信じられなかった。学力的には合格できるラインまで達しているという確信が自分にはあったのだ。 5月のゴールデンウィークあたりから仮面浪人を意識し始めた。しまっておいた参考書や問題集を引っ張りだしページをペラペラとめくった。一種の5月病であったのかもしれない。 大型連休も終わり大学に行きたくなかったが、講義には真面目に出た。まわりの人は自分が仮面浪人しようと考えているなんて気づかなかったと思う。実際、大学で受験勉強はしていなかった。夏休み。お金を稼いで自分のパソコンを買おうと思い、派遣で働いた。受験勉強どころではないくらい、仕事がハードだった。夏休みの終わりが近づくにつれセンター試験に出願するかどうするかで迷った。正直、早稲田でもいいかなという気持ちがこの頃にはあったからだ。しかし、早稲田で知り合った友達が出願したのを知り自分も出願することにした。友達にも早稲田で満足できない部分がどこかにあったのだろうか…大学が始まり、大学の勉強と並行して受験勉強を始めた。受験勉強といっても忘れていたことを思い出す程度のものだった。年が明けると、まず成人式というイベントがあった。自分の描いたような人生を歩めていない自分が嫌であり、そんな自分で同級生とは会いたくなかった。しかし、成人式に出席した。親のためにという部分が大きかった。でも、同窓会には出なかった。(今思えば、出ておけばよかったなと思う) その1週間後、センター試験を迎えた。センター試験の翌日から大学の試験週間となるのでセンター対策はほとんどしていなかった。結果は東大だと厳しく、東工大(4類)だとボーダーラインに3点くらい足りない程度の位置につけていた。結局、東工大に出願した。不合格だったら、早稲田にいるつもりだったので前期日程にだけ出願した。2月は過去問中心の勉強をし、東工大入試を迎えた。1日目。受験経験が豊富なためか、それとも不合格でも居場所があるためか、とてもリラックスして試験を受けられた。数学は3完できたような気がし合格を確信した。その日、東工大に通う友達の家に泊めてもらった。リラックスして試験を受けた方がいいよというアドバイスをもらった。自分もそのアドバイスには共感できた。2日目。物理、化学ともに出来はいまいちであったが、それほどひどい感じもしなかった。試験終了後、合格という2文字が初めて頭に浮かんだ。合格発表が楽しみだった。3月の合格発表。結果は合格していた。外面ではどうするか悩んでいるように見せつつも、内面では悩んでいなかった。すなわち、早稲田を退学した。頑張ってとった実験を含む50単位近くを捨てたのだ。それほど受験勉強していなかった1年間、これだったら1浪で合格できていたはずだと思った。受験で成功するには「計画性、精神、自己分析」が重要であると、この時実感した。