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浮谷東次郎(1942〜1965)について

Who's TOJIRO UKIYA?

浮谷東次郎は1960年代に活躍したレーシング・ドライバーです。裕福な家庭と素晴しい家族に恵まれた彼はその環境に甘えることをよしとせず、東京〜大阪の50ccのオートバイでの旅やアメリカ留学など常に自分自身の可能性への挑戦を行い、自らのアイデンティティを確立していきました。 その彼の生き方は一言でいうとアグレッシブ!思ったことは即実行!恋でもレースでも、だめもとで、不屈の魂でなしとげてしまいます。 例えば、親友、本田博俊氏(現「無限」社長)との出会いは彼がホンダの創業者、本田宗一郎氏に「お宅の息子さんと友達になりたい」と手紙を出した事から始まっていきます。

彼の生涯の夢は勉強したい人であれば誰でも入れる大学を設立することでした。その資金を稼ぐためにもっとも手っ取り早かった「レーサー」という職業を選んだといわれています。だからといって、手は抜くことはもちろんありません。卓越したテクニック、集中力、努力といった本人の才能と良きライバル、仲間達という環境が彼を短期間で日本のトップレーサーに育てました。船橋サーキットでの大逆転レースなどその走りは多くのファンを魅了し、今では伝説となっています。

海外でのレース参戦を翌年に、またトヨタが東次郎の為に作ったともいわれる名車「トヨタ2000GT」の発表を間近に控えていた1965年8月20日、突然の不幸が彼を襲います。鈴鹿サーキットで練習中、コース上にでてきた二人の人間を避けるため、自分自身は照明灯に衝突して死亡してしまいます。

彼の母親はよく「人を殺すか、自分が死ぬかのとっさの時は自分の死を選べ」と言っていたそうです。享年23歳でした。しかし彼の熱いスピリットはこれからもずっと生き続けるでしょう。「無限」の本田博俊氏や 「童夢」の林ミノル氏ら、現在も第1線で活躍する東次郎のレース仲間のなかに。そして常に自分自身の可能性に挑戦し続ける、ぼく達の心のなかに。

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