Maserati 3200GT | |||
高速道路での運転を本当に 楽しく シャマルもタモーラも優しく迎える 懐の深さ 家族お出かけ快速車を演じながら 秘める力は・・・ |
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3200GTに試乗した | |||
98年式のギブリが納車されて約4ヶ月、楽しい毎日を送り続けていた頃、3200GT(6MT)試乗の誘いがあった。しかし、ビトゥルボ
Siを手放してから約8年、ずっとと気にしていたマセラティー、その最終形といえるギブリが手元にあるのに、今回フェラーリの手が入ったという全く形の違う3200GTには興味がなかった。でも、運転するチャンスはあまりないですよと担当の人から進められ、試乗させてもらうことになった。約束の日、ディーラーの前には横浜ナンバーで紺色の3200GTが待っていた。 左ハンドルのマニュアル車は、約2年ぶりの運転。みんなが見ている前でエンストはしたくないから慎重にペダル操作をする、しかしアクセルペダルの敏感さは初めての経験。スロットル・バイ・ワイヤということだが、「少しだけ回転をあげる」ということができない。まして試乗の日はあいにくの雨、高速も走らせてもらえたがこのときは何とかぶつけないようにと「動かした」だけ。試乗車を降りたときは緊張のあまり、膝が頼りなかったのを覚えている。帰りに運転する僕のギブリは「ふつうの車だ」と感じた。約6ヶ月後にAT車が発売され、このときにも試乗の連絡をもらったが試乗はしなかった。(Mar. 21, 1999) |
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Quattroporte Evoluzione Serie Specialeを契約したが | |||
ギブリが手元にきて約2年がたったころ、ついにクアトロポルテも最終のセリエ・スペチアーレが限定販売されると聞き、「最後の」とか「あと何台」とかに弱い僕は見もせず、ディーラー担当者とメールの交換だけで発表前の紺色V6のポルテを注文。(Oct 4, 2000) | |||
できるだけギブリの引き取り条件がいいようにと、先に引き取ってもらったので、納車まで3ヶ月間の空白期間ができてしまった。契約した後に初めて大阪輸入車ショウでみたポルテ、ラサールの時計はついているが、これとつや消しとなってしまったウッドとは何か変だぞ。後悔した。色々考えたが、やっぱり2ドアの車がほしい。手放してしまったギブリは我ながら最良のコンディションであったと思う。あれ以上のギブリは再び手に入らない。ポルテをキャンセルするとなるともう3200GTにしか進む道はなくなった。6MTはつらかったけどATならなんとかなるやろ、と。 ディーラーからコーンズに連絡したら、3200GT買うのならポルテのキャンセルは許す(ここがコーンズ)って。 |
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この3200GTに出会う | |||
思い始めるといてもたってもいられなくなる(これでポルテは失敗したというのに)から、翌日すぐにディーラーへ出かけた。色見本など見せてもらったが、そこに置いてあったシルバー/ボルドーの3200GT。ギブリと同じシルバーだけど内装の色が気に入った。いくら色見本を見ても本物じゃないとわからないから、「これでいいや」と思った。でも自分で「これがいいです」と言い直す。 | |||
「これでいいや」はこの3200GTに失礼だな。時計はアーモンド型が復活していたが以前の「妖しさ」を感じさせるものとは違っている。そしてこれが不評だったのか、少しずつ変化していて、そのときには3代目となっていたはず。 |
しかし、これには2代目のがついていた。「年式遅れかな」とも思ったのも「これでいいや」の一因。今となってはこの方が他のメーター類とバランスがとれているように思う。この日に契約する。(Jan. 6, 2001) | ||
納車の日 | |||
朝から雪混じりの天候。朝起きたときはがっかりしたが、土曜日の昼の仕事が終わる頃には、雨もやんだ。高速バスに乗り、神戸のディーラーに向かう。途中、対向車線に目をやり、3200GTを運転して帰る自分を想像し、思わずほほが緩む。一通りの説明を受け、ディーラーから前の国道2号線に出ようとするが、右斜め後方の確認が全くできないのに気づく。後輪も張り出していて、当時ETCもなかったから「高速の料金所ではやっちゃうだろうな」ってすぐに思った。後に現実化する。(Jan.
27, 2001) |
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デフの取り付け間違い | |||
納車時から気になっていたデフからの異音でクレームに出したところ、assy交換となった。ところでスピードメーターの表示が甘いような気がしていたので、各速度とその時の回転数を記録してあったのだが、デフ交換前・後で回転数がかなり違う。(同速度で回転数が低くなった)このことを話すと、コーンズが6MT用のデフをディーラーに送ってしまい、確認しないでそのまま取り付けちゃった!との返事(Mar.
06. 2001) 本国にもAT用のデフの在庫はなく、生産ラインから抜いて交換の手配をするため、数ヶ月必要となるとのこと。この状態でももちろんギブリ以上の速さだし、数ヶ月すればファイナルギア比を下げたのと同じ効果(暴力的加速)が味わえるのだから、後に楽しみが残ると考えた。(Mar. 10, 2001) |
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右後輪の悲劇 | |||
納車の当日から感じていたのだが、やってしまった。 | |||
料金所でおじさんが出てきてくれるのを気の毒に感じ、ブースの方に寄せすぎ右後輪のホイールをガリガリ!新品への交換14万円、リペア品7万円。またやりそうなのでもちろんリペア品にする。もちろん再塗装しているが、全くわからない。 同時にACのコントロールパネル付近からの異音があり、コントロールユニット交換も同時に行った。(May 30, 2001) |
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長調可マフラー? | |||
左側のマフラーがどうも出っ張ってきたような気がする。明らかに伸びてきている!想像できたことだが、5月にデフがやっと本来のものとなった時に閉め忘れがあったようで、非番だった担当メカがあわてて駆けつけた。このメカニックは後にラチェットレンチ、エンジンルーム内置き忘れ事件あり。(Jun.
17, 2001) |
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左側側面より |
左マフラー上から | 右マフラー上から | |
5台の3200GT | |||
3200GTのホームページを開設されている「Mittang」さんのお誘いで、5台の3200GTが集合。色々と楽しいお話しを聞いた後、名神吹田から西宮までの間を5台で激走。このようなスピードを維持しながら連続走行したのはもちろんはじめて。この後、普段の平均速度は20%増しとなった。(Aug.
2, 2001) |
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TAKEさんのシャマル | |||
マセラティーのホームページを開設されている「とんぼ」さんのオフ会が新居浜で開かれ参加。早く到着したので手前のPAで時間をつぶしていると真っ赤なシャマルが雨の中、水しぶきを上げながら通過したのが見えた。このときのシャマルのリアについている大きめのトライデントが目に焼き付いた。オフ会昼食会場は何とビール工場。ただ飲み。写真はシャマル・166・3200GT (Sep. 30, 2001) |
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たくさんのSZ/RZ(ES30)と | |||
シャマルの他にRZ(ES30)をお持ちのTAKEさんから、淡路で開かれるオフ会にどうぞとのお誘いをいただいた。関係ないのに、のこのこと出かけた。全く面識のないまた、僕よりずっと若い人たちなのに人たちなのに、 | |||
車のことでは昔からの知り合いのように話せる。Awajian(淡路島人のこと!)が3名もいたのは驚き。SZ/RZを連ねた写真は圧巻。(Oct.
13, 2001) |
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GPSレーダー探知機の台座とETC | |||
ETCを取り付けた。何か優越感を感じる料金所の通過。(5 Apr.2002) こんなに楽しい高速環境を味わっているのだから、何ととしても維持したい。これの妨げになるのは、言うまでもなく「覆面」を含めた「当局」のお仕事。先述した3200GTのHPを運営しているMittangさんのおすすめカーロケ+GPSレーダー探知機を購入した。でも、この美しい3200GTの内装には何とも・・・。 |
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メーターナセル左側にちょうどいいスペースがあり、ここに何とかならんかな。と周りを見回すと、娘の工作用「紙ねんど」。これでくぼみに台座を作り、レーダー探知機を乗せ、両面テープで固定。かなり満足なできあがりとなった。 (Feb. 18, 2002) |
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浜名湖でミーティング | |||
「Mittang」さん主催3200GTのオフ会が浜名湖で行われる。このため土曜の午後、同じ3200GT乗りのNさんと神戸で合流。「今日は爆走なしよ!」って言いながら、いい調子で走ってたら覆面パトを追い越してしまい、なりふり構わずの急ブレーキで助かる。ホテルで3200GTを駐車する時、ラジエーターのカバーを縁石にぶつけてしまった。機能的な障害はない。この時の幹事のNAさんが後々、旧友が所有する青いAR-SZを購入するとは夢にも思わなかった。11台の3200GTだけが集まった様子は壮観の一言。宿泊したホテルもよく、幹事さんのおかげ、「ウナギパイ」のおみやげまでいただき、ありがとうございました。でも本物の「うなぎ」食べるのを忘れていた。(May.
6, 2002) |
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4人乗りでグランドツーリング | |||
冗談のつもりが、秋山さんの主催する「ベラマキ関東」の忘年会へ4人でおじゃますることになった。運転は京都で再び大学生となった?Sさんにお任せし、後席でビールをプシュッ!港北PAでKさんのお出迎えを受け、栃木県小山市まで走り続ける。 | 会場のトスカーナ | AR 1300GTAJ | |
帰りは東京の旧友が新しく手に入れたGTA1300Jを見るために、東京プリンスホテルに向かう。駐車場には何とカウンタックが10台ほどと珍しい車のも何台かいて楽しかった。昼過ぎ東京を出発。京都には6時頃到着(Sさんはアドレナリン枯渇しないの?って運転)食事後22時頃うちに到着、徳島まで帰るTさんを見送った。3200GTの後席は広く、大人でも十分長距離のツーリングに使える。Tさんは「セルシオはいらんな」といっていた。(Nov. 25, 2002) | |||
色とりどりのカウンタック |
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タイヤ交換 | |||
最近3200GTのハンドルが直進時でも少し左に切った状態になっているのが気になっていた。ディーラーで見てもらうと、外側は結構山が残っているのに内側はスリッック状態。外側からだけ見ていたので気がつかなかった。タイヤ交換の時にはP-Zeroから「オヤヂ車用」といわれようが、ブリジストンのレグノGR7000にしようと思っていた.。タイヤ交換後の感想は、とにかく静かでP-Zeroのようにシビアでないということ。轍が目立つ淡路の高速道路でもハンドルにしがみつかなくてもいい。友人たちからは「ええっ、レグノ!」って馬鹿にされるけど満足。止まってのぞき込まれるとやっぱりちょっと。(Dec.
15, 2002) |
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高速走行中ボンネットが開いたら? | |||
名古屋の右ハン3200GTにお乗りのSさんが、関空までこられるということから始まり、今日は和歌山でミニオフとなった。和歌山まで2時間弱でいける。途中の関空から阪和道までの取付け道路で思い切り踏み込んだら250km/hまで伸びた。ところがここでエンジンフードの警告灯(半ドアの警告灯と同類のもの)が突然点灯、びっくりしてアクセルをゆるめたら消えたがここでおしまい。もう少し伸びそうな気がしたけど。前方ひねり10回転、着地失敗炎上だろうな。(Jan.
13, 2003) |
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バーストに気がつかず | |||
シャマルのバッテリーあがりのため3200GTのトランクにそのバッテリーを乗せ、オイル交換を兼ねてディーラーに向かった。気分良く160km付近を多用しつつ明石大橋にさしかけた時、突然後方から大きな何かの破裂音!、ルームミラーで後方を見ても白煙とか何もなく、バースト?でも普通に走る。停めて確認しようとも思ったが、橋の上だから停めるわけにもいかず、そのまま???状態で六甲山を経由してディーラーについた。なんと左後輪がペチャンコ!ホイールもダメかもわからない。この状態で高速・山道運転してもパンクに気づかない自分にかなり「へこんだ」。結局ホイールは大丈夫でタイヤ交換のみ(Mar.
5, 2003) |
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仙仁温泉 | |||
毎年行われている野球部同窓会。今回は長野のHくんが世話人、須坂市の洞窟風呂で有名になった仙仁温泉で開かれることになった。途中、最近蓼科に別荘を購入されたSさんが会いに来てくれ、車山高原で食事。信州は楽しい道がたくさんあってうらやましい。総走行距離は帰りの恵那山トンネルの中で30,000kmをついに越えた。(Sep.
15, 2003) |
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TVR | |||
冷やかしのつもりでショウルームへTVR車を見に行った。そのときは別の車が展示されていたが、後日試乗できたタモーラがほしくなってしまった。このためにシャマルを手放すことに決定する。 |
前々から3200GTとシャマルの二者択一を考えていたけど、踏み切れなかった。3200GTが快適高速家族お出かけグルマとなっていることから、当然といえば当然の選択。(Oct. 23, 2003) | ||
車検 | |||
年末にV6ポルテに置き去られ、ちょっとしぼんでいたが、その加速の不調はノックセンサーが原因と判明、元の力が蘇った。右ヘッドライトのレンズのずれは何と修理不能で本体ごと交換。また内部にボディー色が着色させているので本国取り寄せになる。今の状態では車検は通らず、本国からの部品が来るまでは、他車(紺色)クレーム交換で修理場に転がっていたヘッドランプで車検を通す。友人からは「レーシーでかっこいい」とも「場末のスナックのママ」とも言われた。タイミングベルト交換はもう少し先(40,000km)でいいとのこと。(Jan.
17, 2004) |
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新体制 | |||
タモーラが車庫に納まり、今後は3200GTとタモーラの二台体制となる。シャマルを迎え、次にタモーラに入れ替わっても、その隣で3200GTは「舞い上がる」オーナーを静かに見ている。奥に見える黄色いバイクはDucati。数年間、車庫のお留守番になっている。(Apr. 3, 2004) | |||
ご機嫌ナナメ? | ||||
車検も過ぎ、安定していた3200GT。いつでも足車とは言わないけど、短距離でも気持ちよく走ってくれていた3200GT。車検も過ぎ、そろそろ「円熟期」かと思っていた最中のこと。、大阪での会合に出かけ、そのあと帰りの高速を気持ちよく(安全に?)走るために懇親会のビールを我慢。阪神高速神戸線では「やっぱりエエなあ」と気分爽快。明石大橋を渡り、淡路島に入ったころに「なんか変な音」が聞こえる。高速を降りてからは加速中は聞こえないが、信号待ちなどでアイドリング時やアクセルを一定にしての走行中にエンジンの回転数とは関係ない連続音。これはラジエーターファンの音?でもいくら今年が暑いとはいえこれまでこんな音は聞いたことがない。???で翌日ディーラーの担当者に「明日乗っていきますからよろしく」って連絡したら、「乗って来ちゃダメ、絶対安静。キャリアカーでとりに行く」とのこと。色々と友人からも「きっとタイミングベルトで○○○万コース」とか脅かされていたけど。 結局はブローバイガスの逆流防止バルブが十分に開かなくなったため、ヒトの病気で言えば「心臓の弁狭窄症による心雑音」かな。ある人からは「お腹にガスが溜まってたのね」っていわれた。とにかく、6,000円あまりの部品交換で解決した。同時に延び延びになっていた、もう半年を超えた「パンダ目」のヘッドライトが元に戻った。やっぱり「同色」の方が上品だと思う。サービスのヒトから紺色のヘッドランプはいらないか?っていわれたが、ちょっと迷ったけどお断りした。 マセラティーという車。油断をしたらやはり何かある。でも今回は他の車にうつつをぬかすオーナーに対しての「ジャブ」程度かなあ。 |
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← やっぱりこれより こっちの方が → 上品です |
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このあと早い夏休みをとり、信州方面へのツーリングでは、いつもの軽快かつ豪快な走りを見せてくれた。これまではあまり意識していなかったが、他車助手席女性からの注目度がかなり高いみたい。ちょっと嬉しい。 | この3日間を快走で答えてくれた3200GTをまだきれいにしていないのがかわいそうだと、きのう東京では39.5℃を記録した猛暑の中、立ちくらみを感じながら洗車。フロント回りには飛び石による小傷がたくさん。これも勲章。(Jul. 21, 2004) |
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六甲山と新たなシャマラー | ||||
夏が終わらないうちに六甲山でジンギスカンを楽しもうと、とんぼさんの掲示板で参加者を募集。あいにくお盆明けのためか、皆さん忙しくこじんまりと、でも存分に味わった。天気は写真のように少しかすんでいたが眼下に広がる大阪湾が見渡せた。 | ||||
今回、お仕事の都合でジンギスカンには間に合わなかったが、最近赤シャマルを手に入れられたKさんに会いに六甲山を下り六甲アイランドへ向かう。我々の到着を待っていたのは深紅の極上コンディションの1台。前のオーナーさんがとても大切にされていたのを譲り受けたとのこと。これを見てしまうと、以前僕が持っていたシャマルはとても並べられない。また、お話しは長くできなかったけどKさんのシャマルに対する愛情がうかがい知れた。そしてこのシャマルが目に入った途端、懐かしさがこみ上げてきた。むこうに見えるのは僕の3200GT。(Aug. 22, 2004) |
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再発見 | ||||
休日の午後、タモーラがきてからこの毒にやられたオーナーに、最近放りっぱなしにされている3200GTを動かした。いつもの道を走るが、こんな荒れた路面、マンホールのフタを乗り越えたときも軽くいなし、こんなに快適だったかなと思い直す。高速に入り、アクセルを軽く踏み込むと、もちろん前を行く車は瞬く間にバックミラーで小さくなり、スピードメーターは感覚以上の数値を指している。緊張感とか怖さとかが希薄で、まさにGTを名乗るだけのことはあるなあと再認識した。高速を降り、いつも向かう「うずしおライン」でもタモーラのような緊張感はない。しかし、スピードメーターはたぶん3200GTの方が高いところを維持したままコーナーを通過しているようだ。3200GTのシートはソファーみたいな形なのにコーナーでのホールド感も僕にはいい。 | ||||
感覚ではタモーラの方が何割も速く走っているように感じるが、実際のところはもちろんドライバーの技量によるのだけど・・・。スポーツモードにするとASRの作動する閾値が上がることを今更ではあるが気がついた。でもお節介過ぎるABSが関与する程度は同じみたい。短時間だったが、色々と再発見した午後だった。これも比較する車があってのこと。マセラティー、確かに英国のやんちゃな車の後塵を拝したままで甘んじているはずがない。 | ||||
「ホテル・アナガ」 いつものコース近くにある、誰に紹介しても恥ずかしくないリゾートホテル。再発見のうれしさでちょっとお茶でもと立ち寄りかけたが、「この服装では」と思い直し、ホテル玄関から離れたエントランスで写真を撮っただけ。向こう側には大鳴門橋がかすんで見えている。10数年前にはここから四国に向けてフェリーボートが出ていた懐かしいところ。(Sep.
12, 2004) |
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R371〜花園村〜R480 rally Japan もどき |
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S.C.C.2回目のツーリング。今回は朝から絵に描いたような、雲ひとつない快晴だ。16日午前の仕事は「うわの空」で終え、小学生の遠足のように2日前の晩から用意したバックと、今回のために購入した「手ぶれ防止」機構付きデジカメを持って、集合場所の緑パーキングに早めに到着。しばらくすると996カレラ4SのS氏が登場。僕と同じくちょっと興奮気味。そしてこれまた同じく、手早く午前の仕事を切り上げた996ターボのH氏も揃い、3台で神戸淡路鳴門自動車道を北上する。かなり早いペースで明石大橋も通過し、阪神高速神戸線摩耶インターを降りたところでマツダロードスターのF君と合流、住吉浜から阪神高速湾岸線・阪和道などと通り、南紀白浜に夕刻到着。 |
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白浜空港を目の前にするホテルに宿泊。ここのホテルの自慢はナナメに上下するエレベーター。通常経験しない方向への「G」を感じる。入浴の後、和食レストランで楽しいひとときを過ごした。その後、F君の部屋に場所を移し、お酒と山のような「おつまみ&おやつ」うだうだと同じ事を話してるのにそれが楽しい。でも「おつまみ&おやつ」は朝にはなくなっていたらしい。 |
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出発前にルート検索中 | ||||
迷い込んだ道が結構楽しかったりして |
2日目は龍神スカイライン。先頭を走る僕は道に迷い、ナビ付きのF君に交代する。しかしこの道は景色もよく天気も最良だったが、季節的に家族連れの車やバイクが多く、延々と観光バスの後を追う事になる。 | これが本当の高野・龍神スカイライン |
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そうそう、10台以上の「ハコスカ」のグループや、CB400fourのグループもいてみんなそれぞれに楽しそうだった。でも僕らは「今回のコースはもうひとつかな」って思いはじめていた。スカイラインの終点、混雑した高野山の町中を少々迷い、ほんとにこんな道あるの?って感じのR371に入る。 | ||||
「狭い!」この道は曲がりくねったおそらく幅4m弱の道。これを約15kmほど進んだ。今年、北海道帯広で開催されたrally
Japanもどきの走り方で走破。よくまあ4台とも無傷で通過できたものだと後でみんなで感心した。花園村に入る。ここからはR480で有田川に沿った、先ほどよりは道幅の広い道をカレラ4Sのリアウイングがはじめて一般道でせり上がったというペースで20数km。今回のハイライトはここだった。先頭を走ったF君、よくぞ楽しませてくれました。僕は先頭を走りたくない。 |
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このあとは湯浅御坊道路の吉備ICから、阪和道・阪神高速を通り、最後は京橋SAで最後の休憩。前と同じく、休憩時の話は尽きない。色々な人から「何で4人で4台でいくの?」って聞かれるけどそうじゃない。目的は運転することで1台でワイワイ行くことではない。神戸でF君と別れ、淡路縦貫道をいつもの様に走り帰宅。前回の湯原ツーリングと同様、ほどよい疲れを感じながら、うとうと。手に持った携帯を床に落とした音で目が覚めた。 あのスピードでは「手ぶれ防止」機能付きデジカメは何も役立たなかったことを追記しておく。ブレブレで大きく見せる写真がない。 |
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唯一、3200GTが写っている写真。前の湯原のようにみんな、「はじけて」いる。(Oct.
17, 2004) |
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あわやガリガリ | ||||
「もみじ」をもとめて、2週間前に訪ねた有馬温泉に再び向かう。平日のため目的地近くの駐車場に入れられたが、アプローチは狭く急な登り坂。出庫の際、下りで左に直角に曲がろうとするが、右前端が確認できず、左側に寄せすぎた。左ミラーで気づいた時には、左後ろフェンダーアーチのフレア部分とコンクリート壁に隙間が見えない!慌てて止まり、リバースに入れるが、急な下り坂なので頼りない3200GTのサイドブレーキではそのままガリガリ進んでいってしまう。 |
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なんとヒール&トゥで何とかバックでき、切り抜けられた。後で思えば左足でブレーキ踏めたのに。このことはVWポロの人が一部始終見ていたと思う。カッコワル。駐車場を出た最初の交差点を曲がってから確かめに行くと、少しだけだがペイントが剥がれたみたい。これくらいですんでよかった。あの時、もう少しでも進んでいたら今頃は「暗い」だろうな。コンパウンドと「カラーなんとか」という車庫に転がっていたケミカル品ででほとんどわからなくなった。 今年の「紅葉」は何度も来た台風による塩害のためか、色づく前に枯れ落ちてしまうのかもしれない。そういえば毎年見事な近所の「イチョウ」も。 (Nov. 17, 2004) |
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同じ場所で | ||||
今年の「もみじ」巡りの最後は、昨年シャマルで訪れた高雄へ3200GTで出かけた。同じ場所に停め、同じ角度で撮影したつもりだったが・・・。 (Nov. 23, 2004) |
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流血? | ||||
白煙が上がる |
ポトポトと | この後も広がる | ||
日曜日の朝、起きた頃から「今日は3200GTを動かそう」って思っていた。いつものコースから、今日は高速に入ったらエスプリがいて、追いかけたらボクスターがいて「今日は楽しいな」と思っていたら、その先に白のムルシエラゴ。もしかしたらと思い、何とか追いつくとやっぱり高知ナンバーだった。高知ナンバーの白ムルシなんてそんなにいないでしょ。 ここからが「あほ」。ムルシが「すっ」と加速したのでこちらは「がばっ」と底までアクセルを踏み込んだけど、当然追いつけない。後ろからはテスタ?512?(私は区別できないんです)に迫られ、豪快音とともにあっという間に前方で小さくなってしまった。ここでやっと冷静になり、高速を降りたものの、信号待ちで白煙に包まれた。「どこか漏れとるぅ〜」 ゆっくりと車庫に帰りボンネットをあけると、写真ではよくわからないが、エンジンの後方バルクヘッド付近から白煙が上がっており、同下部にポトポトと「おもらし」。性状はさらっとしていて色は褐色、って言うかウエスで拭いたらまったく血液みたいに見えた。車庫の中は焦げ臭くなり、うっすらと霞がかかったようになってしまった。ディーラーに連絡したら、「動かさないでください、取りに行きますから」って。ATFかな?それともパワステオイル? 馬鹿なことをしたと猛反省。3200GTはもっと優雅に走らせないと・・・。 ところで、馬・牛の人たちはしょっちゅうミーティングしてるのかな? (Jan. 16, 2005) |
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4年目を迎える | ||||
オイル漏れのため入院していた3200GT、今日引き取ってきた。おとといで納車後4年を経過した。あれもこれも欲しい僕にしては長い方だと思うし、今のところ乗り換えの気持ちも起こらない。今回のオイル漏れはATFで、A/Tケースのフランジナットというのが緩み、シールから漏れが生じたとのこと。安価な部品の交換のみで済んだ。しかし、4年4万キロでタイミングベルト交換を勧められていたのでしてもらったが、おきまりのウォーターポンプはにじみ程度の漏れで、これ以上ひどくなった例はないとのことだったので、交換保留にした。 もう一つ、もう1年近く前からごく低速の走行時に「ギシギシ」となにかこすれているような音が聞こえていた。これは右リアサスの堅さ調整に関係するアクチュエーター・ブロックからの音だとかで、要交換。でも機能的には問題なしとのお話だったので。こちらも交換保留した。ちゃんと治さなかったことが心残りだけど、最近、車以外にもいろいろな物が壊れていて(壊していて)何かと物入り。金額を聞いてちょっと引いてしまった。 帰りの高速走行は何とも快適で、3200GTに乗るたびに「これに乗っていて、ほかに何が必要?」って思ってしまう。レーダー搭載パトが時々構えている41.9kpに近づいた時、最近では自然に検挙時非免停速度まで落とすようになっているが、やはり今日もいた。S500(600?)さん、ご愁傷様です。 (Jan. 29, 2005) |
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タイヤ選びとベルト交換 | ||||
車庫でリア周りの泥はねを拭いていたら、タイヤの溝が残り寂しくなっているのに気づいた。そういえば、前回交換時から15,000kmぐらいになる。元々はピレリのP-zeroだったが、前回は他の車で好印象だったブリジストンのレグノにした。車仲間からは「オヤジタイヤ」と馬鹿にされたけど、今でもよかったと思っている。何しろP-zeroは轍では大きくハンドルを取られ、まっすぐ走らなかったから3200GT自体の評価のマイナスとなっていた。さて、次はどれにするか?もちろんレグノでいいのだけど、別のも試してみたい。最近気になっているのはトーヨータイヤのPROXES
CT-01、このPROXESという銘柄、海外で評価が高くタモーラについてくるはずだったが、何かの事情でグッドイヤー・イーグルF1になっていた。これの国内販売版で快適仕様(パターンからそう思う)がCT-01。3200GTは今回もグリップ重視じゃなく、「オヤジ」と言われようが、「快適性」で選ぼうと思っている。たくさんカタログをもらってきた。これも楽しみのひとつ。 以前から高速走行時、アクセルを離したときにエンジンルームから「ゴゥー」というこもるような音がしていた。先日の点検で色々なところを調整・交換してもらったが、本日運転してみるとこの音が消失している。今回タイミングベルトを交換したが、まさかここからの音ではあるまい。そうだとぞっとする。きっとその他のベルト類の調整でこもり音が消えたのだろう。 そうそう、今日はランエボVIIがご用になっていた。高速で捕まっている人って、きっとパトカーの中で赤い紙をもらっているんだろうな。この後のことを想像するとお気の毒としか言いようがない。 (Feb. 9, 2005) |
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車高短ならぬ・・・ | ||||
今日、出かけた先の駐車場に停めてあった3200GTに近づくと、なんかヘン。こんなにリアタイヤとフェンダーの間に隙間があったかなぁ。なんかかっこうわるい。前の写真を探してみるけど、ここに注目して撮った写真はなくて比較できない。でも、左の写真のようにタイヤとフェンダーの上下の隙間が前後の隙間より広いのは・・・。 |
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サスがへたって自然にシャコタンになるのはわかるが、逆に高くなるのは???タイヤもそろそろ交換しなきゃならないけど、目立つほどタイヤ径は小さくならないでしょ。 そういえばこの前の点検で、リアショックの硬さを調整するアクチエーターの異常で、ここをさわっているなあ。3200GTのショックは元々車高調らしいから、今度入庫したときに落としてもらおう。そういえば、前にマフラーが後方に伸びてきたことがあったよね。 (Feb. 26, 2005) |
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シャコタン化計画 | ||||
上にも書いてあるように、ホイルアーチとタイヤとの間隔の広さが気になって仕方がない。このためにディーラーの方に相談したら、ある程度の調整は可能であるとのことなので、タイヤ交換も兼ねて今日入院。 | ||||
写真はこの間隔を計測しているところ。前輪(写真左)では5cm、後輪(写真右)は6cmだった。サービスの人に見せると「こりゃ広い!」って言ってたから、できあがりが楽しみ。ブリジストンとレグノの文字がばっちり写っているが、今回のタイヤはやっぱりオヤヂ系だがトーヨータイヤの新しいブランド、PROXES
CT01というのを選んだ。同時に前回先送りにしておいた、リアショックのアクチエーター・ブロックというのをやっぱり交換することにした。同部からの異音(ギシギシ音)がひどくなってきたため。でもその部品代がタイヤ4本と変わらないみたい。 (Mar. 27, 2005) |
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2回目のタイヤ交換 | ||||
今回装着したPROXESというタイヤ。見た目には何の変哲もなく、サイドには細いスリットが入っていて、見るまでにオヤヂ仕様。少ししか走っていないので、その実力は不明。 | ||||
しかし、高速道路を走った限りでは、レグノと同等の静粛性とそれ以上の直進性安定性を感じた。快適性重視の選択でよかったと思っている。 |
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リアからの「ギシギシ」という異音は、ショックのアクチエーターからではなく、ショックそのものからと判明。このためこれの交換となった。 今回楽しみにしていたのは、前述のようにリアタイヤとフェンダーアーチの隙間が気になり、車高調整をしてもらったこと。どのようになっているのか? サービスの人の話では、前輪2cm/後輪3cmほど短縮させたとのことだった.。これはきっとショック自体の長さかな。上記の方法で今回も実測してみると、前輪1cm/後輪3.5cmのダウン。もちろんタイヤ交換で特にリアタイヤの山が増えた影響もあるかもしれない。で、ちょっと尻下がり気味? でも、断然かっこよくなったと思う。少し走っただけだけど、この程度なら段差などそれほど気にしなくていいようだ。 (Apr. 14, 2005) |
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車高短化計画終了 | ||||
最近のこのページには、タイヤとホイールの写真ばかり。前回の車高調整は、少し後ろ側が下がりすぎたようなので、後ろを上げてもらった。前輪はこれ以上純正のサスでは下がらないとのことだった。 タイヤ上端からフェンダーアーチまでの距離 前輪:5cm→ 4 cm→ 4 cm 後輪:6cm→2.5cm→4.5cm 後ろが0.5cm広くて、希望通りとなった。同時に行ったホイルバランスの再調整により、ステアリングに伝わる震動が減少し、快適なクルージングが出来るようになった。 革内装の車で避けられないのが、革同士のきしみ音。今回はフッ素何とか(教えてもらったけど失念)処理をシートにしてもらったら激減した。これはとても有効だと思う。 |
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僕がお世話になっているディーラー、サービス担当者はメンテナンスの状況を、逐一報告してくれ、プロの意見を述べてくれる。ありがたい。 |
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ひどい渋滞にも負けない | ||||
最高に天気のよかった今年のゴールデン・ウイーク。伊豆方面に向かったが、ひどい渋滞に巻き込まれた。ブレーキペダルを踏む右足の裏がしびれたのは初めての出来事。3日間で約1,300kmほど走行したが、2日目はたったの130kmだけ、でもこの間、7時間以上はずっと運転席にいた。そしてこの時の燃費は3km/L程度だったと思われる。渋滞で有名な東伊豆のR135、逆方向だからと甘く見ていた。もちろん1・3日目も部分的にではあるが、渋滞の中を走る。こんな渋滞の中、3200GTは大丈夫かなあと心配になるが、今のような気温では水温計はピタリ90℃で大丈夫。時々アイドリングが不安定になるが、少し走る(渋滞の中、ゆっくりと動く)と安定するのを繰り返えした。 帰りの東名・名神、車は多いものの快走出来る。しかしおうおうに、追い抜き車線の車列を先導するミニバン。前が空いていようが、走行車線に戻る気はないらしい。100km/h程度で流れていても、前述R135の渋滞よりストレスを感じた。 |
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写真は熱海から三島に向かう道路沿いにあるソーセージ屋さん。昨年も立ち寄ったけど、今回も多量に買い込む。 |
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Route 306 | ||||
以前、箱根方面へ出かけた時、名神の一宮JCTと小牧JCT間が混雑、通過に「2時間以上」と表示されていた。この時は大垣ICで降りてR258をとおり東名阪の東桑名IC→名古屋高速→東名名古屋と走り、とてもうまく渋滞をかわせたことがある。 今回、もう少し手前から渋滞しているとの表示があった。この前のことを思い出し、よく地図を見ずに、もっと手前の彦根で高速を降りた。そしてR306から桑名ICへの道を選択した。あとで気がついたが、この道は鈴鹿山脈を越えている。つまりクネクネの山路で、各コーナーには地元の走り屋さんが来るのだろう濃いタイヤ後が多く残っている。ひとりでとばすのには最高に楽しい(楽しそうな)ワインディング・ロード。しかし、今回は家族連れ。前のようにはうまくいかずに時間もかかってしまった。別の機会にもう一度走ってみたい。 (May 3〜5, 2005) |
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神戸へ帰らせた 3200GT | ||||
写真は布製の車載工具入れフラップ裏にある刺繍、昨日初めて気がついた。ここには「Modena」の文字が、やっぱりこの車はモデナから来ていた。 | ||||
タモーラの「毒」にやられたわけではないと言いたいが、そうかもしれない。 タイヤ交換の機会に、元々車高調のサスが入っているのだから、いじってみようと、ディーラーのメカにお願いして、ちょっと車高を落としてみた。格好はとてもよくなった。が、柔らかすぎる。タイヤの選択を間違ったのは確かだが、これもタモーラと比べてしまうからかもしれない。しかし、これだけではない。いろいろと思うこともあり、逆に別れにためらいがあるうちに手放すことにした。 |
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3200GTは最後のツインターボ・マセラティー。'89年に初めてbiturbo Siに乗り、マセラティーに魅せられたが、度重なるトラブルに辛抱出来ず手放した。その後は色々な車に乗ったが、いつも気になっていたマセラティー。'98年にGhibliで復活、その後3200GTとシャマルを手にいれ、有頂天だった。 | ||||
今ではそのツインターボ・マセラティーは現行モデルにはない。だから、ずっと3200GTにとの気持ちが強かったのだけれども・・・。昨日からの自分の気持ちがわからない。午後、テールランプの形状をいま一度、目に焼き付けた。そして神戸のディーラーへ3200GTを帰すために最後の運転。一匹のムシもボディーにつけたくなかったので、観光バスにも追い越されながらの速度で走る。垂水トンネルでは、アクセルを底まで踏んだ。登りにもかかわらず、軽々220km/hオーバー。左側の車は後方に飛んでいく。4年4ヶ月の衰えは全く見られない。写真はディーラーの手前でオドメーターを記録。一緒に走った
41,571km。 |
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ありがとう3200GT、この言葉は正直な気持ち。 後悔するかもしれない。 |
(May 28, 2005) |
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ディーラーからの最終案内 | ||||
手放してから2ヶ月以上たった8月初旬に、知人から「あの3200GT、ディーラーのショールームにいたよ」って連絡をもらった。これを聞いたときは正直複雑な気持ちで、もうすでに誰かの手に渡っているものと思っていた。そして、その直後に手元に残ったTVRを壊してしまい、心のどこかに「神戸にいる3200GTを取り戻してもいいんじゃないか」って気持ちがあった。ぐずぐずしていたところ、今日、ディーラーの方から、「あの3200GTは先日、四国の方が買われました」って連絡をもらった。ほっとする気持ち、ちょっと淋しい気持ちが交錯する。でもこれで吹っ切れた。 月並みだけど、可愛がってもらえよ。 (Aug. 20, 2005) |
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