休日の都心とは逆の、郊外からの列車に乗ってくる人は少なく、降り立った駅は、いつもの自分のうちの駅だというのに、降りる人の数は、えらく少ない。

ホームからエスカレーターの下り方向に乗ろうと足を進める。

他愛のないことを話しながら。

すると、横並びに並んで立っていたのに、急に回り込んで、一段下の、私の前の段に千太郎は移動した。

後ろから足早に降りる客に気を遣ったらしい。

その客が過ぎ去ると、他には人影が見えない。

そういえば千太郎に切符を預けていたことに思い至り、声を掛けた。

つかの間会話が途絶えていたため、千太郎が

「なんですか?」

と、こちらを振り向いた、その目線が、いつもより頭ひとつ分低く、その分、私のほうを見上げることになるためか、上目遣いになっている。

その目線が、なんとなく、なんとなく新鮮だったので、そのまま、覆いかぶさるようにキスをひとつ。

「え・・・」

と、いって、口を押さえて、真っ赤になったのをみたら、えらくかわいいなあ、と思う。

何か千太郎が言い出す前に、今回はエスカレーターの終点がやってきたため、体が若干後ろ向きになっていた千太郎は、そのまま、流れに任せて、わわっと転びそうになっていた。(それも慌ててて面白かわいかったな。)

まあ、転ばなかったから、運動神経がよくてよかったな。

おしまい。





地震で乱れたダイヤは、晩になっても修正されずに、次の電車を知らせる電光板は、行き先は消えたまま、ただの時計の役割しか果たしていない。

来る電車、来る電車に真っ黒になるくらい人が詰められていて、とても、自分と、このホームに溢れている人が乗れるわけはない、そう思うのに、後ろから押される勢いに流されて、はからずしも車中の人に。

乗り込む際に、みんなが一定方向を、例えばお茶碗を片すときの様に、同じ方向を向いて、整然と乗り込めば、特に問題はない。

問題がある場合は、洗濯機の中に放り込まれたように、方向が定まらず、いろんな向きをみんなが向いているときだ。

当然、このくらいの混雑になると、四面楚歌。体の至るところに知らない人の体が貼り付いてくる。これが、若くてかわいいおねえさんなら、たいていの男は役得だと、そう感じる場合も多々あろうが、ぶつかるのが、体ではなくてかばんの場合は、正直ありがたくないと、皆人思うところだろう。

が、今日の洗濯機電車は一味違う。

一緒に乗り込んだあの人も巻き込んで、車両中ごろまで押しやられ、気がついてみれば、あの人が胸の中。向かい合わせ。後は周りの勢いで、隙間がないくらい。

腕が上がれば、抱きしめるのだが・・・

四面楚歌ならぬ、三面楚歌。

とは申せども、この状態では、周りから押されれば押されるほど、幸せが深まるのだ。

この、指一本も動かせない状態にくたびれたのか、諦めたように、肩口に頭を預けてくる。それに便乗して、あの人の反対側の開いた肩口に頭を乗せるふりをして、髪の中に鼻面を埋める。

まあ、気づかれない程度に、ね。

そうして、しばらく、ありがたくも苦しい混雑に身をゆだねて、駅に着くまで揺られていようと、目を閉じた。



おしまい。(2003.10.15)



















カップルの、生活形態がかちあっているときは、互いに幸せだ。

苦楽を共にするのに、説明はいらない。

例えば、高杉氏・緒方氏のカップルのように、互いにサラリーマン・営業職だったりすると、言わなくても、互いの環境やら心情をすぐに理解することができる。

ましてや、式部氏・堤氏のように、職場も一緒、職種も一緒となると、互いに助け合うこともできる。

が、不幸なことに、桂氏・坂本氏のペアは、致命的に、その相互理解からは程遠い。

桂氏の不幸は、社会経験を持たない人を相手に選んでしまったことが多分に起因する。

例えば、昼間の仕事でMAXまで働いてきたとすると、うちに帰るときはたいていのエネルギーは、消費されており、消耗している。

それなのに、うちにかえると、元気一杯の坂本氏が待っているわけだ。

最初のうちはいいが、次第に気力が続かなくなってくる。

こうしたバイオリズムのずれが、多分に、互いの意思疎通を阻むのだ。

こうなると、でてくるのが、世間一般の、

「結婚したら、なんか冷たい」

という、お定まりの痴話げんかである。

正直、桂氏にしてみれば、冷たい冷たくないも、ない。疲れているだけだ。

坂本氏にしてみれば、なんか感じわるっ、だし、なかなかに互いの溝は深いのである。

ほんとは喧嘩なんぞはしたくないのに、なんとなく互いに険悪で、トゲトゲしながらご飯なぞ食べていると、だんだん哀しくなっていけない。

一生懸命働いてきた日の最後が、いっとう好きな人の険悪な顔では、やはりやりきれないのだ。

仲直りしたいけれど、こうした険悪になった原因が、なんだかはっきりしない。(←ちゃんとかまってないだけです。)

もし、ここで、坂本氏が喧嘩を売ってきたとしたら、軽く受け流せる気力がない。

言葉を選ばずにぶつけてしまうか、傷つけることをいわないように黙り込むか、そんなことくらいしかできそうにない。

かといって、どちらも、坂本氏の機嫌を直したり、関係を改善させるのには、寄与しないのだ。

だから、そんなときは、いつもワンパターンといいつつも、正直に、坂本氏のそばに近寄って行って、肩に頭を乗せて、

「疲れました。」

といって、甘えてしまうのだ。

そうすると、坂本氏は、仕方ないな、という心持になるのか、そっと、癒すように、頭をなでてくれたりするのだ。



おしまい。(2003.11.4)

















新妻・坂本さんの日々。今日は浮気疑惑の巻でございます。





千太郎のシャツに、口紅がついていた。

背中というか肩の辺りにしっかり。くっきり。

普通に、おねえさんの唇に塗られているのを見るときは、今年の秋の色か、などと眺めやっていたが、こうして、シャツのところについているとなると、話は違ってくる。

早く洗わないと、どんどん落ちが悪くなる、と思っても洗う気が起きず、放置。

何をしても手につかず、何をして一日を送ったのか思い出せない。



桂氏が戻るやいなや、例のシャツを眼前に突きつける。

「なんだ、これは!!!」

「へ・・・俺のシャツ、みたいですが」

帰ってきた早々のけんか腰に若干及び腰になっている。

言い逃れは許さないとばかりに畳み掛ける。

「お前な・・・これが目に入らぬか!!!」

水戸黄門の印籠のように掲げてみるが、助さんも格さんも出てこない。

掲げられているのも、葵の御紋ではなく、おねえちゃんの唇の形。

ははーっ、と、桂氏がしなくてもこの場合は責められないだろう。

「あー、そういや、昨日、朝の電車のホームで、前がつまって、急に止まったときに、後ろからぶつかられた気が。そのときのかも。」

と、桂氏が過去を回想しつつ、答えると、

「なんでこの時期に、上着脱ぐことがあるんだ!!!」

などといってくるので、その勢いに押されて、いや、電車の中暑いから、上着脱いで持ってて、などともごもごつぶやく羽目になる。

桂氏の弁明は、おそらくそのままの意味で、頭の冷えている部分では納得がいったが、なんとなくおさまりつかない部分がざわつく。

一度向けた怒りの矛先は、なかなか引っ込めづらいものなのだ。

手放した手綱をもう一度取り直すことは叶わず、心の冷静な部分では、おいおい、ちょっと待て、などと、自分に声をかけるのも聞こえるが、そのままの勢いで坂本氏は、

「もう、お前なんて知らない!!!うちに帰れ!」

といって、自室の扉を勢いよく、バタンと力のままに閉じた。

残された桂氏、一人、ぽつんと。



なんか、坂本さんが妬いてくれてる・・・



などという余裕は、残念ながら桂氏にはまだ存在しない。

ただ、家庭内危機が、たかだか口紅のついたシャツ一枚のために起こっているということだけは実感するのである。

恐るべし、朝のラッシュ。



もしかして、むちゃくちゃ、家庭の危機? 崩壊の危機?

うちに帰れっていったって、ここが自分のうちだと思っているのに、どこに帰れというのか。なんか、自分のしたことじゃないことで、いきなり三行半。

ここで、理不尽な、と怒り炸裂でもすれば、容易にさようならへの構図が出来上がってしまうことは考えなくてもわかる。

あわくって、なりふりかまわず、坂本氏の扉をたたきまくる。

「坂本さん、ちょっと、でてきてください。」

ガンガンガンガンガンガンガン。

壊れるくらいの勢いで。

「出てこないと、この扉、叩き壊します!!! (まじ100%)」

効果音が「ガン」から「ガコッ」に替わるまでに時間はかからなかった。

桂氏、破壊作業に入る。なにしろ、職業柄、解体作業については、それなりの知識があり、ましてや、力も並大抵ではないのだ。

あわくったのは、坂本氏だ。扉一枚といえども、ずいぶん選びに選んだ一枚なのだ。

壊されてはたまらないと、天の岩戸になりかかっていた扉をやにわにあける。

まさか開くとは思っておらず、蹴り上げた桂氏の足は空転、坂本氏を蹴り上げなかった運動神経は、ほめられることだが、その勢いは相殺できずに、そのまま、坂本氏を巻き込んで、床に倒れこむ。

わ、とも、うお、ともいう、悲鳴と苦鳴と苦情が交じり合い、しばし沈黙。



そのまま、これ幸いと、坂本氏を押さえ込みながら、桂氏は、

「怒ってます?」

と聞いてみる。

坂本氏にすれば、正直言って、今はもう、桂氏に対して怒っているとか、疑惑を抱いているとかそんな気持ちはない。

自分の気持ちをもてあましているのだ。

返答に困って、黙っていると、桂氏は、先ほどのシャツを拾い上げ、そのまま、丸めてゴミ箱にさようならした。

「おい、ちょっとまて。何捨ててるんだ。」

「いや、なんか喧嘩するのもなんですし、原因から根絶しようかと。」

・・・ていうか、証拠隠滅というんじゃないのか、と坂本氏が思いかけて、何か言い募ろうとする前に、桂氏がさえぎるように、

「信じてください。俺は、やましいことは、何一つしてないです!!!

これからもその予定は全くありません。信じてもらえるためなら、なんでもします!」

という。

そういう桂氏の余裕のなさに、なんとなく、自分が年長者だったことを思い出して、余裕を取り戻す。

そして、にやっと、なにか思いついたことを顔にそのまま表しながら、

「じゃ、遠慮なく」

といって、桂氏のシャツのボタンをどんどんはずしていき、肩をはだけさせると、そこに思いっきり、キスマークではない、歯形をぐわしっと、つける。

「いでででででで」

と、桂氏が声を上げるのを笑って眺めながら、ゴミ箱から先ほどのシャツを拾い出し、

「ま、身の潔白晴らしたいなら、そのシャツ、買ってきたときより、白くしろよ。」

といって、桂氏に向かって投げつける。

坂本氏は、機嫌よさそうに、そうして、全くしていなかった食事の準備にようやく取り掛かり始めたのだった。

そんな、坂本氏をつけられた歯がたのあたりをなでながら、やれやれ、どうやら第何次目かの家庭危機を今回も無事に乗り越えられたと、ほっと一息つく、桂氏だった。

寿命が、若干縮んでしまったことは否めないが、幸せがよりいっそう深まったようなので、収支はトントンか。

その後、歯形が消えそうになるたびに、どうもつけられていたようだが、真偽のほどは定かではありません。



おしまい。(2003.11.11)



















携帯でセンサカ話。



雨がふっているので仕方なくさした傘が、ビルの谷間の突風にあおられて、飛びそうになるのを無理やり力で押しとめると、傘の骨が曲がる。

そんな感じで強引に荒れる仕事を力技でねじ伏せて、今は帰宅の電車の中。

お客様のわがままは、最初のうちはひかえめで、話が最終段階に来ると急に暴君になるのはいつものことだ。それが、予想の範囲内の修正の効くことならば、OK。土台からのやり直しなら、NGだ。

今日は限りなく、OKなNGで、今までの全ての労力が、説得し切れなかったというだけで、さようなら。日本語は難しく、頑迷な人の心を解きほぐすのには、向いていないらしい。

そんなことを地下鉄の、駅と駅との間のトンネルの壁をみながら考える。扉の窓に自分のくたびれた顔が映る。

楽しいことを考えようと、もうすぐボーナス、そして年末調整、あとは年末年始の休暇、といろいろ呪文を唱えるが、胸にわだかまるものは、うちに着くまでに容易に消えてくれそうにはない。

重く、ため息を一つ。窓に額を寄せて、映る自分と見つめ合う。



まずい・・・この顔では帰れない。



心配させる。

そう思い、自分相手に笑顔の練習を試みるが、薄気味悪い。

ますます、下気味になっているところで、ポケットから着信を告げる振動が発生する。



メールだ。

開く。

何か動いている。

次第に、映像が見えてきた。



あの人の顔だ。



得意そうな、うれしそうな顔だ。

映像の下に、

「新しく買った携帯は、動画付だ!」

とテロップになって流れる。

よほど嬉しかったらしい。

あまりよくない映りで、顔もぼんやりしているというのに、ひどく喜んでいる勢いが伝わってくる。

その最後のテロップに、



「早く帰ってこーい!」



と書いてあった。

それを見たら、もう笑顔の練習も必要なくなった。





おしまい。(2003.12.2)

































仲良く外出篇。



今日はよく晴れていて暖かい。

いわゆる外出日和だ。

「坂本さん、その荷物持ちますよ。」

電車から降りて、改札へ向かう道すがらそういいつつ、すでに荷物を坂本氏から自然に取ってしまう。

「いや、重くないから大丈夫だが・・・」

そういいつつも、なんか千太郎やさしいな、などと坂本氏は思っており、桂氏の株価は上昇傾向にあった。

が、桂氏にとっての実情は、手をつなぎたいのに互いの間にある荷物が邪魔だっただけなのだ。ジェントルマンを気取ったわけではない。

まあ、はからずしも好感度が上がっていたため、そのあとすぐに人目のあるところで手をつないでも文句も言われずに済んだのだから、結果オーライといえよう。



おしまい。(2004.2.22)