秋の気配。



風に乗って、甘い香りが漂ってくる。

その甘い香りに身を任せようと、そっと目を閉じるが、そう思ったときには儚く、風に散らされてしまっている。

仕事場に行く道すがらに、秋になると金木犀の花が咲く。

朝と晩に必ず通るこの道で、そっと一瞬だけ香るこの花を毎年楽しみにしているのだ。



甘い香り。

このところ、ひきつけられてやまない香りがある。

あの人のそばに行くたびに。

でも、それも同じように儚く一瞬で掻き消えてしまい、その香りも嘘であったかのようにどこにも見当たらなくなってしまうのだ。

だから、その香りの震源を確かめてみたいと、そう強く思わずにはいられない。

例えば、その髪におもうさま鼻面をうずめてみたり、肌と服の間で温められた空気をそっと襟元に顔を埋めて嗅いでみたいと。



もしできるのなら、そっとその香りに身を任せて、甘く漂いたいと。

そう思いながら、一瞬だけ薫る香りを聞き分けるように目を閉じるのだ。



おしまい。















バラとセンサカ。



よく香る花が好きだ。

胸いっぱいに、匂いをかぎたい。

匂いがうつるまで、そのそばに佇んでいたい。

じっと眼をつむって。

あんまり、花を鼻だけで楽しむので、鼻の先が花びらの固さや柔らかさに一家言持つようになってしまった。

だから、こうして、季節が巡りくると、バラの咲く庭園にやってくる。

いつもは家族にも言わず、一人でこっそり来て、そっと楽しんでいたけれど、今年は二人。

この人が、こんな風に俺の楽しみに付き合ってくれるような日がこようとは。

天気は秋晴れ、花の匂いはかぐわしい。

匂いに誘われるように、花から花へ、そぞろ歩き。

この時期の幸せを満喫するのだ。



すると、

「お前、全然花見てないんだなあ。こんなにきれいなのに。」

と、あきれたようにいってくる。

目は、すぐ隣に、花よりも他に目を奪われているものがあるので、とはさすがにいえずに、

「花の美しさは、写真でも楽しめますが、匂いだけはこの時期にならないと楽しめませんから。」

といって、とりわけよく香る花を勧めてみる。

そうして、花の香りを目を閉じて堪能しているその横顔を眺めながら、この自分だけの花を楽しむのに、目だけではなく、鼻で堪能する日がくるのかなあ、と、ぼんやり考えるのだ。



おしまい。(2003.11.8)





































春の楽しみは、花。

暖かくなれば、いっせいに様々な花が咲く。

色とりどりの花々は、春の香りを漂わせる。

空気に暖められた香りは甘く。

それらを一つ一つ確かめて歩くのが、春の楽しみ。







世界に一つだけの花を。











ハクション、クシュン、ズズズズズ・・・

「あ゛ー、ざがもちょさん・・・ちり紙とってぐだちゃい・・・」

下を向くと、鼻がたれてくるのか桂氏は天を仰いでしまっている。

目はなみだ目。

先ほどからクシャミの連続。坂本氏はすばやく1枚とって手渡してやり、箱は好きなだけ自分で取れるようにそばにおいてやっている。

「ああ、鼻は詰まって息はできないし、目は痒いし・・・なんか寝た気がしません。(鼻かみつつ)あー、もう杉の木切って廻りたい。もしくは全部焼却したい。なんであんな木植えたんだ・・・たまらん。もう・・・」

などと言う桂氏は、今年に入って急に花粉症になってしまった模様。春が始まったばかりだというのに、すでに末期的な症状+精神状態になっている。

その見るからに悲惨な状態に、坂本氏は花粉症は風邪じゃないから移らないよな、というか絶対になりたくないな花粉症などと考えていた。

それでも桂氏のいない日中には、まじめにみのもんたの番組の花粉症対策を見てみたり、アレルギーの本を読んでみたりなど坂本氏も色々がんばっているのだ。

ある日などはふと横を見てみると、血が出るまで目をこすり続けており、その常軌を逸した手の動きの速さは何かに乗り移られたかと思うほどだ。そんなことされると、そばにいても心配になってしまって本当に落ち着かないのだ。

そのため、洗面桶にお湯を張って蒸気を顔に当てさせてみたり、鼻洗浄させたり、花粉症に効くという食品を食べさせてみたりと色々しているのだ。



休みの日に、天気がいいので二人で近所に散歩に出かけた。

もちろん桂氏は完全防備でだ。

時々、桂氏がぶらぶらと近所をよそのうちの庭先の花を覗きながら散歩しているのに付き合って歩く。いつもルートが違うのは、季節ごとに、どこの花がどの時期に咲くかを把握しているのか、行く先々に必ず花があり、時折、庭で丹精している人に話しかけたりなどしているところからかなりその行動を続けているのがうかがい知れる。

いつものことだが、桂氏は花が咲いていると匂いを嗅ごうと鼻を寄せる。もうその姿には慣れっこの坂本氏だったが、今日の桂氏のマスクをしたまま鼻を寄せている姿は見慣れていなかった。

永年の習慣よ、恐るべし。

そのマスクは、坂本氏が厳選して購入した、新製品のウィルス・花粉を99.9%カットする新素材のものだ。おそらく匂いもカットされるに違いない。ましてや、常時鼻づまり王なのだから、どんなに肺活量がすごかろうとも匂いなど感じないに違いない。自分でもその愚にすぐに気づいたようで、マスクを外して匂いを嗅ごうと試みたが、すぐにクシャミ・鼻水、そして涙。



「ああ。俺の春の楽しみが。これだけが楽しみなのに。ああ・・・」



などと、人のうちの庭先で泣きながらいわれた日には、アホらしいとは思うのだが哀れの含有量が多くなる。











その晩、坂本氏は空気清浄機の前でくつろいでいる桂氏に風呂上りの自分の頭を突き出した。



「好きなだけ嗅いでいいぞ。」



ホカホカの坂本氏の頭からはフローラル系シャンプーの匂いが漂っている。

さすがにうちの中はクリーンにしているため症状が治まっている桂氏は、ようやくこうして春の匂いを存分に堪能することができたのである。











おしまい。





























ハナ系センサカ。まだまだ花粉症。



今年の花粉は良質だ。

いつものジャブを繰り返すように小出しではなく、ストレートパンチをいつも繰り出されているような、ハードなものである。ずっしり重い。お菓子に例えるなら月餅か。

なんにしろ、この時期はつらい。

桂氏は苦しんでいた。花粉に。ほぼ生きることを放棄したいと思い始めている模様。そのうち、この時期に花粉を振りまく木々を軒並み燃やして新聞沙汰になる日も近いのではないかと思わせる。が、多くの花粉症患者からは英雄扱いに違いない。まあ、彼には愛する人がいるので、そんな破滅的な行動を取るわけがないのだが、なんにしろかなりへこんでいた。

坂本氏もこの件では悩んでいた。坂本氏は幸い花粉症を患っていない。ようやく迎えた春の日差しも彼にはめでたく幸せな春の気分で一杯だ。しかし、横には春を呪う人間が一人。最も謳歌していた人間がこれから毎年春になると呪詛を述べるかと思うと気が滅入る。早く花粉症の特効薬が開発されないかと願うばかりだ。が、ほんとうに坂本氏が悩んでいたことはそんなことではない。

悩み、それは、珍しく坂本氏はその気になっていたのだ。どんな気だ、それを聞く事なかれ。春なのだから仕方がない。

が、お相手の桂氏は生命活動を現在ほとんど全て生存に使っている状態だったため、それ以外の活動については二の次・三の次である。彼の五感の全ては、痒い・息ができない・苦しい・不快だということでふさがれているのだから。

そんな訳で、坂本氏はどうしたものか、と悩んでいるのである。この前、それとなく気づいてもらえんものかと見つめていたのだが、埒が明かず、しかたがないので珍しく坂本氏のほうからチューなぞしてみたところ、

「息ができません・・・」

といって拒まれた。鼻で息ができないから仕方がないが。坂本氏からのチューなど、本当に5本の指くらいで数えられるほどの椿事であり、その希少さからいえばもちろん喰らいつくようにしておかしくない事態だったが、残念ながら桂氏は病んでいた。生きて春を乗り切ることに主眼を置いているために、他のことは全て保留。

おそらく、春が過ぎ去れば坂本氏の気も変わると思われるため、桂氏にとって見れば非常に本当に断腸の想いではあろうが。

双方にとって、今年の春はえらく悩ましかったのである。



おしまい。































バラ園でセンサカ。
(人というものの行動パターンは案外一定・・・俺だけか・・・)



そっと匂いを嗅ぐ度に鼻を寄せる、そんな姿はいつものことだ。

もう見慣れた相手の行動。

花という花の匂いを記憶しようというのだろうか。

その姿はまさに犬だ。



今日も今日とて、来てみれば予想にたがわぬ行動をしている。

面白いからその姿を写真に収めてみようと携帯を取り出す。

携帯の画面には実際とは異なるデジカメ特有のちょっとぶれた動きをする画像が映っている。

目をつむり、花に顔を寄せていく。

いつも後ろからしか、いや、そこまでまじまじと見たことがなかった。



まるで花にキスしているみたいだな。



むー・・・

その唇が捧げられるのは私だけではなかったのか?



晴れ渡る青い空。

風薫る五月。

甘く漂うバラの香り。

そんな周囲のムードとは一線を画す人が一人。

自分の恋人がそんな心境になっているとは思いも寄らない桂氏は、まだうららかな休暇を満喫中である。



花と私のどっちをとるのだ!



などと坂本氏が言い出すのか。

今日もこのカップルから目が離せません・・・



おしまい。(2005.5.21)



                           

















酒でセンサカinバラ園。



酒類販売免許の関係で大きなスーパーではビールが売られていない。たくさん並ぶビールと思しき缶は発泡酒で大豆やらなにやら色々言っているが、真の酒飲みは自分の愛する酒の神様が宿る酒しか飲まないものである。通常。干上がれば、酒と名のつくものは何でもいいと手を出すだろうが、干上がっていない折はやはり自分の酒を求めて彷徨うものである。

桂千太郎氏はそんな訳でスーパーの棚の前でしばし考え込んでしまった。

これから向かうバラ園の道すがらに酒を売っている店はない。

運良くバラ園で販売されていればよいが、なかった場合が悲惨だ。

この天気のいいピクニック日和。芝生の上で食べる昼ごはんには彩りが必要だ。

暑い日にはビールだ。ビールに限る。

が、ここには発泡酒しか置かれていない。

これはビールじゃない・・・

などと、酒を全く嗜まない人にはどれも一緒に思えるだろうし、そのこだわりは永遠にわからないだろうこと真剣に考え込む。

輸入ビールなら置いてある。ギネス・バドワイザー・・・

乗り気じゃない。

舶来の酒は外人の味覚に合致するように作られている。

日本の風土に合わせて作られた酒を飲みたい。

せめて好きじゃないメーカーでもいい、ビールと名のつくもので国産。

なんでないんだ・・・と裏の棚やら隣のコーナーに足を伸ばすが冷凍食品やら牛乳のゾーンになってしまう。

行ったり来たりするがどこにも見当たらず。

仕方なしにとなりのチューハイの棚を眺めるが、いかにも甘そうだ。

こんなもの、飲めたもんじゃない。

ああ、こんなに酒は売っているのに買える酒がない。

そんな贅沢な煩悶を繰り広げていると横から、

「・・・日が暮れるぞ。まだ決まらないのか?」

あきれたように坂本氏が声をかけてくる。

「ビールが売ってなくって・・・」

「あきらめろ。まあ、うまくすればバラ園で売ってるんじゃないか?ほら、もう行くぞ。」

すでにすばやくレジを済ませていた坂本氏はさっさと目的地に向かって歩き始めている。

こんなことなら買っておくのだったと思うのも後の祭りであり、実際の祭り(酒盛り)が始まる前にすでに後悔しているのだ。酒飲みとは因果なものである・・・



バラ園の芝生のところには家族連れやカップルがピクニックでたくさん来ている。思い思いシートを広げている。

「はー・・・売ってなかった・・・」

以前は多少の不健全を受け入れていたバラ園もついに健全な行楽地にと変貌を遂げたのか、一縷の望みを託していた桂氏の夢は費えた。

「残念だったな。今日はこれで我慢しろ。」

坂本氏が取り出したのはスパークリングワインで、針金で栓が留めてある。

手馴れたしぐさで針金をほどいていく。栓抜きなしで開けられるタイプのコルクは軽く栓を動かせば抜けるので、坂本氏は軽く栓を動かした。すると、ポーンと高い音を立てて、空高くコルクが飛んでいってしまう。しばしそのコルクの軌跡を追った視線の動きのままの状態で首をめぐらせると、空の青さが目にしみる。



「よく飛びましたね」

「飛ばすつもりはなかったんだが。歩いているときに振りすぎたか・・・」



よく冷えたスパークリングワインはのどに冷たく、栓などあってもあとで用を果たすことはない。杯を重ねれば、次第にご機嫌になり次第にまぶたが重くなり、そのまま芝生にごろりと横になる。すっかり満足して横に座る人に身を寄せて、あとで膝枕などを要求してみようかと考える。

よい天気に大好きな人との休日。

これ以上望むものなど何もない、と思いつつも、ここにビールがあれば最高だったのになあと未練がましく思う桂氏でありました。



おしまい。(2005.5.24)