王様が渡したのは『天下一菓子選手権』というものでした。
坂本氏が逃げ込んだ国で開催されている国内最大級の菓子職人選手権でした。
残念ながら日常会話に習熟していた坂本氏もこの国の文字には習熟していなかったためこの情報は見落としていました。

「この大会に合わせて、新しいお菓子を作りましょう。この国の人を驚かすような。」
王様は、そういって坂本氏にチョコを普通に最初から作るように依頼しました。
坂本氏はいわれるがままにチョコレートを作ります。刻んで溶かしてという通常の作業を行なっていると王様から待ったの声がかかります。
「ちょ、ちょっと待ってください。今何入れました?」
「う〜ん?いや、マイバースディに書いてあったおまじないだが。」
「は?」
「いや、バレンタイン占い特集に書いてあったおまじないだ。え〜、今回は好きな相手に送るチョコに自分の髪の毛を焼いてその粉末を入れるんだそうな。」
「!!!!!!!!!! ちょっと!そのボールに入っているチョコごと捨ててください! あんた!そんなもん人に売りつけてたんですか?」
「いや、これじゃないときもあったけど・・・」
「これが俺の国なら、あんたお縄です。道理でまずいわけだ・・・」
「なにを!恋する乙女のマジカルアイテムだ。この日に恋を決しなければならないんだぞ。神がかっても仕方ないではないか!それにカップル誕生率99%だぞ!」
「頼むから食べられるチョコを作ってください。そんなものが入っていたとは・・・」
王様、ぐったり。その後、しっかり監視して普通のチョコが誕生した。味見して、
「・・・普通ですね。」
「普通だな。」
「これじゃあ、天下はとれませんね。」
「とれないな・・・」
「だと思って、実は国を出奔するときに一つ土産を持ってきたんです。」
王様は荷物からなにやらごそごそと取り出します。
取り出したのはチョコの塊でした。
「これは王国秘伝、とかそういうのではなく、チョコの王国の科学局が研究の成果編み出したチョコレートです。世界中のどこにもまだで回っていません。あのチョコの王国でもまだ発表されていない一品です。これを使えば天下を取れますよ。」
「おお、す、すごいな。そんなの持ち出して大丈夫なのか?」
「チョコの王国での発表は3月です。この大会は2月ですから、まあ目と鼻の先ですね。いい前振りの宣伝効果になるんじゃないですか?だから絶対に天下を取ってくださいよ。取れなかったら大騒ぎですよ・・・」
「そうか!よし、がんばるぞ!」
坂本氏はそれから熱血でした。王様も今までのチョコの王様としての持てる限りの知識を持って坂本氏をサポートしました。それは激しくスパルタでした。期間が短いからといってビシバシと王様は指導していきました。時には血の汗、血の涙を流し、ひたすらチョコ作り。なにしろ指導者はチョコの王国の王様です。全てのチョコの秘密を握っているといっても過言でありません。王様も惜しみなくその技術を提供して二人して天下を取るために一心不乱に頑張りました。


ある作業工程をひたすら身体になじませるために反復練習を行なう坂本氏の菓子作りを見守る王様に
「やってみるか?」
と坂本氏が聞いてみる。もう長らくその作業を見守っているだけの状態だったので、暇なんじゃないかと気を遣ったのです。というよりは自分も飽きてきたというのも正直なところでしたが。
「やってもいいんですか?」
子供のように喜ぶ王様にチョコレートを刻む作業を任せて休憩する。最初は几帳面におっかなびっくりに刻んでいた王様もなれてきたのかリズミカルに楽しそうに削っている。
「たのしそうだな」
「ええ。見るのはもう何万回も見ましたが、実際にやってみるのって初めてなんです。」
「チョコの国の王様なのに?」
あの国では子供でもチョコを作る。
「チョコの王様は職人やら何やらを統括する存在でチョコを作る存在じゃないんだそうですよ。というのも8代目がチョコ作り好きが嵩じてチョコ職人をないがしろにする位自分の腕を上げてしまい、そのために内紛が起こったために王様はチョコを作ってはならないという条文が法律に付け加わってるんですよ。って、学校で習いませんでした?」
「あー、そういえばそんなんもあったな。(確か3点くらいの問題だったな。)すまん、すまん、今、王様とお前が結びついてなかったぞ。」
「まあ、正直国民にはどうでもいいことですからね。ただ、それで俺は皆と一緒にチョコの型作りもチョコクッキーも作れなかったし、哀れに思った友達から大量のチョコをもらう羽目になったし散々でしたよ。先生が、王様がかわいそうだから、皆で一人一個王様のために作りましょー、って。あんな食べきれないって・・・」
「王様のくせに散々だな・・・」
「でも今作れそうですし。ね、俺も一個作ってみていいですか?あんだけ見たんですから再現してみたい。」
キラキラキラキラしています。子供のおねだりにも似ていて、私ももっと練習しないと、などとはとてもいえませんでした。もう好きなだけやれ、というと嬉しそうに作り、
「はい、坂本さん。口開けて。」
「お、できたのか?」
「ええ、味見味見。」
といって口に放り込んできます。
甘い。
「うむ。上手にできているぞ。」
「そうですか?それはよかった。」
すごくほっとしたように笑う王様の顔は素直な子供のようで、こんな顔で笑うこともあるんだなあなどと坂本氏はちょっと意外に思いました。


「できた!」
「完成ですね。」
何日も何日も改良を加えて作ったお菓子はオーソドックスなチョコでした。
口に含めばハッピーになるような後味はすっきりとしている夢のようなチョコでした。
この軽さを出すのにものすごく苦労したのです。
大人から子供まで誰にでも楽しめるチョコ。それはチョコの王国の真骨頂ともいうべき出来でした。
「これなら天下一菓子大会の審査員も驚きますね。申し分ない。」
「うん。私もそう思う。ほんと王様の尽力なくしては作ることが出来ない代物だった。ありがとう。」
坂本氏は手を差し出します。
その手を握り返し、
「いや、あなたのパティシェとしての技量が十二分に発揮された成果ですよ。」
「そうかあ〜?そうでもないと思うがな。いや、そうかも。」
と調子に乗るので互いに打ち解けたように笑いあいます。
「で、王様はこれからどうするんだ?王様でなくなった後は?」
いつも聞こうと思って聞きづらく聞き出せなかった事柄でした
「う〜ん。とりあえずこれで心残りもなくなったし、どっかで整形手術でも受けて新しい人生に乗り出しますかね。」
「整形手術!?する必要ないくらい男前なのに?もったいないなあ。」
「はははは。まあ、グローバルで顔が知れ渡ってますから、このままの顔じゃ何も出来ないですからね。この顔のまま、落ちぶれてたら国に迷惑がかかりますし。」
「まあ、そうか・・・」
しばし坂本氏は考え込みます。意を決して坂本氏は提案します。
「なあ、このままずっとここにいたらどうだ?王様一人くらい匿ったってたいしたことないぞ。」
「ありがたい提案ですけど、坂本さん、振った男に優しくしないほうがいいですよ。うっかりしがみついてしまいそうですから。」
う・・・そうだった、すっかり忘れていたという顔をしている坂本氏に笑いかけます。
「まあ気持ちだけありがたく。大丈夫ですよ。国税を使って脳みそにいろんな教育詰め込みましたし、ずっと王様やっているから経験値ありますし。ちょっと温室育ちなのが自分でも心配ですが、頭悪くないから狡猾にやりますよ。心配しないで下さい。・・・金がなくても出来る錬金術とか知ってますしね。」
「なに!?そんな便利な技があるなら私にも一口かませろ!」
「ははははは。馬鹿なこと言っていないで、あなたは天下一菓子選手権で優勝することだけ考えなさい。正しい世界で通用するタイトルを取るのが人生の正しい道ですよ。」
「まあ、それもそうだな。」
「それにしても、あなたが作った特別なチョコだからといって特に輝くわけでもないんですね。あなたが作ったチョコが全て本命チョコになるかと思ったんですが。」
「う〜ん?」
「いや、輝いてないんで。ああ、おいしそうじゃないとかそんなんじゃないですよ。ただ、最初にもらったあのチョコはすごく俺には輝いて見えたんですよ。」
「ああ、あのチョコレートはな、私が心を込めて作ったんだ。」
「・・・心を込めて?」
「そうだ。世界一の本命チョコレートだ。ずっと王様のことを考えて全身全霊で作ったんだ。」
うまくできてただろ?といって自慢げに笑う人は、それを聞いている人の目が輝いているのを見逃しています。
「・・・俺のことを思って作ってくれたんですか?」
機嫌よく反射的に、ああそうだと返事を返そうとしたが、ふいに手をとられていることに気づき言葉が止まる。
空気が変わっている。
真摯ともいえる眼差しの王様がこちらを見つめています。
「坂本さん・・・」
呼びかけられても返事ができません。
何かを応えないといけない。
何を?
あの本命チョコレートは腕試しだ。最初に王様にも言ったように作ったのは本当の気持ちを込めた本命チョコレートだが、あれは偽物だ。王様に思いを伝えたくて作ったチョコレートではない。特に王様を釣り上げたかったわけでもないのだ。本命チョコパティシエの名を世界に轟かせたかっただけだ。世界中の乙女が自分のチョコを求めにやってきて、世界中のカップルが自分のチョコを縁に結びつく。これほど尊い仕事があるだろうか。自分にはこの仕事が一番大事で、たまたまこの王様が本命チョコを募集していたというのと本命チョコだと診断する目を持っていたという条件が自分にとって都合がよかっただけだ。たまたまだ。

「お前には悪いが、あれは偽本命チョコだ。」
「あのときは確かに偽本命チョコだったかもしれませんね。でも、今は?」

今は?
先ほど二人で完成させたチョコを見る。
このチョコレートが世に出れば、おそらく世間を席巻できるだろう。
チョコの王国の王様が惜しげもなく秘伝の技術を提供してくれたからできた一品だ。
作るまでにかなりのスパルタ特訓を強いられたが、今にしてみればこの短期間でここまでの技術にまで導いた指導力はかなりの手腕だ。自分の才能に自信がないなどということはないが、このチョコはこの王様なしでは完成しなかっただろう。
王様には非常に感謝している。
が、今王様が聞きたいのはそんな通り一遍の感謝の言葉ではないだろう。
この数日間で王様のことをいろいろ知った。あの偽本命チョコを作ったとき以上に。
意外にぼんやりしていることも、結構気さくに笑うことも。メディアに流れる堅く賢そうでちょっと冷たそうに見える、乙女がキャーキャー騒ぎそうな整った外見がこんなにいろんな表情を見せるとは知らなかった。自信に満ち溢れているように思われた態度の裏に繊細で遠慮がちさが隠れているのも知らなかった。
あのまま流されるようにして結婚していたら、もっと早くにそれを知っていたのだろうか。
では、今また心を込めて、王様のためだけにこのレシピでチョコを作ったら本命チョコが放つという光を放つのだろうか。

坂本氏が胸の内を整理するのを見守っていた王様は、
「坂本さん・・・」
といって握っている坂本氏の指の先に口づけを落とした。
すぐに離れていったが、触れられたところが熱くしびれている。
その感覚にやけどでもしたかのように感じて、王様の手を払いのける。やったあとに、しまったと思ったのは、王様の顔が悲しそうに伏せられてしまったためだ。
すまん、驚いただけだ、と坂本氏が慌てて言い訳しようと口を開きかけたところで邪魔が入った。

「ようやく見つけましたよ!!!」
急に開けられた扉からは、ぞろぞろとたくさんの衛兵、そして先頭に王冠を被った少年。王様はその集団を見て、即座に坂本氏を背後にかばう形で前に出ます。
「千覚・・・なんでお前がここに」
「何でじゃないですよ、兄さん。こんなもの急に押し付けられたって、僕だって困ります。」
そういって、被っていた王冠を王様に押し付けます。
「ほんと、いらないですから。まだ僕だって勉強途中だし、兄さんみたいに英才教育受けてたわけじゃないんですから。もう、僕、どうしていいのか・・・」
ほんとうに困っていたようで泣きながら訴える弟に、厳しく王様は答えます。
「千覚。男がそうやすやす涙を見せるんじゃない。もう、国の統治はお前に委譲されたんだ。お前が国王だ。しっかりしろ。大丈夫だ。ちゃんとお前を支えてくれるブレーンはそのまま残っているし、なにしろ国民はみんな勤勉だ。お前が心配しないといけないことはチョコの食べ過ぎの鼻血と糖尿病の心配くらいだ。」
「・・・・兄さん、そんな心配ばかりしてたんですか?」
こっくりと王様はうなづいた。
「まあ、いいです。兄さん、仮に僕が王位を継いだとしても重大な問題が残っているんです。」
「なんだ?そんな重要な案件は残してこなかったと思うが。」
「何言ってるんですか!ものすごい重大なのが残ってますよ。兄さんがこの方に差し上げた指輪がないと、僕は結婚することもできないんですよ!!!」
坂本氏が王様に貰った指輪はお妃様が代々継ぐものです。これが国王の結婚の証であり、それがないことにはお妃と認められないのです。また、「死が互いを分かつまで」はずれないという魔法がかかっているため、途中で気が変わったからといって指輪がはずれたりなどはしないのです。
「兄さん、僕達の国は愛の国です。愛の国の国王が生涯独身などということはありえません。兄さんが残してくれたブレーンは、結婚できないのが前提ならば、対外的に愛の狩人で売り出そうなんていいだす始末です。僕はそんな政策にのっとって薄利多売な愛を演じられるような大人じゃありませんよ!!!僕だって、これはという人と結婚したいんですから。」
「・・・・・・すまない。」
「謝るくらいなら、この王冠、貰ってください。」
「それはだめだ。俺にはもう資格がない。」
「兄さん!!!」
「すまない」
謝る王様がもう一度決めたことを撤回しないのは明らかでした。
「わかりました。」
何かを決めた千覚氏も毅然とした態度で宣言します。
「わかりました。王位は僕がそのまま継ぎます。ただし、坂本さんは貰っていきますよ。」
何を言っているんだと王様が返事をする間もなく、坂本氏は衛兵に拘束されてしまいます。
「わわわわわ・・・なんで私が捕まるのだ〜」
「千覚!!!馬鹿なことはよせ!」
「馬鹿なことじゃないですよ。解決するにはこれしかありません。指輪は一つ。持っている人ごと回収すればいいじゃないですか。」
そう宣言した千覚氏の目は据わっている。
兄弟喧嘩の規模が大きすぎると坂本氏の顔色が青ざめます。そんなものは私をはさまずにどうかよそでやってくれと訴えたいが屈強の男達につかまれているため思うに果たせない。
「お前、国王がそんなに横暴でいいと思ってるのか?」
「それを兄さんが言うんですか?無理やり坂本さんに指輪はめたのは兄さんじゃないですか。全ての問題はそこから始まってます。」
「〜〜〜〜〜!!!」
「坂本さん、ほんとにこんなことに巻き込んで悪いと思いますが、僕も一国を任されることになるなんて思ってもみなかったんです。とても一人ではこの重責に耐えられそうもありません。あなたがいれば、僕はとても心強いです。どうか一緒に来てもらえないでしょうか?」
ひざまずいて坂本氏の腕をとり、手の甲に口付けしようとしました。
あわてて坂本氏はその手を振り解く。
今日は求婚されるのは2人目だ。
なんとモテモテな日だろうか。
しかも元国王と現国王だ。
「すまんが断る」
どう考えても指輪狙いだ。返せるものならのしをつけて返すが、あいにく外れない。これ以上巻き込まれるのならば・・・と坂本氏は提案する。
「いっそのこと外科手術でもするか?乗り気じゃないが・・・すぐにくっつければくっつくらしいじゃないか。一度切り離したらはずれるかもしれないし。私はこの指輪、正直これ以上巻き込まれるなら手放したいぞ。」
「馬鹿なこと言わないで下さい!!!あなたの指を切るなんて・・・切ってくっつけたからといって、元通りに動くわけないじゃないですか。その天才的な菓子職人の手腕を捨てるつもりですか!?」
王様激怒。
「千覚、お前もお前だ! 馬鹿なこと言うんじゃない!」
「馬鹿なことって何ですか。兄さん、僕は本気ですよ。選択肢がないんですから。それに僕だって、ほんとうに坂本さんのこと好きです!」
千覚氏は、王様の結婚が決まったときに坂本氏に引き合わされたときにその美しさに一目ぼれしていた。そのときは兄の相手だからとその思いは兄の幸せを祈ることで封印したが、兄が全てを放擲したことによって復活したチャンスに俄然いろんなものに火がついた。だいたい、望めば手に届くところに欲しいものがあるというのにたたらを踏むことはない。
「坂本さん、どうか僕と一緒に来てください。」
そういってじりじりと迫ってくる。坂本氏はその剣幕に恐れをなして青ざめているし、王様は千覚氏が坂本氏に接近しないように追いやろうとします。
「邪魔しないで下さい、兄さん。だいたい、僕は不思議だったんです。こんなものがあるのに、何で兄さんが使わなかったのか」
そういって取り出したのは、チョコの王国の王様に伝わる秘薬である惚れ薬でした。
「さあ、坂本さん、口を開けてください。一口飲めば僕のことが好きになってますよ。」
衛兵に無理やり口をこじ開けられそうになるのを必死で口を一文字にして坂本氏は抵抗する。
「お前には王としての誇りがないのか。そんなものを使って得た愛など無意味じゃないか。そんなこともお前はわからないのか?」
「兄さんはロマンチストなんですね・・・そのせいで国を追われ、王位を失い、愛を得ることもできない。僕には十分勉強になりました。同じ轍は踏みたくありません。」
「やめろ!千覚!」
「やめません。さあ、坂本さん・・・」
瓶の口を坂本氏の口に押し付け無理やり飲ませようとします。首を振って拒もうとしますが、がっちり衛兵に頭を押さえつけられている。坂本氏は唯一自由になる目で王様に助けを求めます。が、王様もがっちり衛兵に押さえられているため動けない。死に物狂いで奥歯をかみ締めるが、鼻をつままれることで息ができなくなる。ぐっと我慢していたが、体中が酸素を求めてこめかみががんがんしてくる。
いやだ、絶対そんなもの飲みたくない!
意識がそうでも、体は生存のために必要なものを求めて口を開こうとする。
もうだめだ・・・がまんできない。

「千覚、やめなさい。皆のもの、その手を離して、その人を解放しろ」
王様が威厳のある声で指示を出す。その凛とした響きに坂本氏を拘束していた衛兵は反射的に手を離しました。長年、この声に従ってきたのですから。
「なんでやめるんだ。つづけなさい」
千覚氏がそう指示を出すが誰も動きません。
「なんで・・・僕が王様なのに・・・」
王様は、泣きたそうに顔をゆがめる千覚氏の肩に手を乗せて二三度優しくたたきました。
「千覚・・・これでわかっただろ?無理強いすれば誰も従わないんだ。道理と心に従うような正しい指示を出さないと人というのはついてきてくれないんだ。お前はこれからよき王になるようにそのことを学ばないといけない。」
「兄さん・・・」
「指輪は、お前の元に必ず戻すから、坂本さんのことはあきらめろ。今回のことでずいぶんこの人には迷惑をかけたから、国や俺たち兄弟のことからも自由にしないと。わかるな?」
「・・・はい。」
「それでいい。では、千覚、少し俺はこの人と話があるから外に出て待っててくれ。すぐに終わるから。」
千覚氏は衛兵を引き連れて外に出ました。
部屋の中には王様と坂本氏の二人きりとなりました。

「怪我はありませんか?」
「いや、大丈夫だ。」
「すみませんでした。迷惑かけて」
「ほんとだぞ・・・寿命がかなり縮まった。」
本当にくたびれたようにため息をつく坂本氏に首から下げていた十字架を王様は渡しました。
「いろいろあった慰謝料です。売れば、あなたの作った借金も返せるくらいにはなると思います。」
手のひらに載せられた十字架には大きな青い石が中央に据えられています。これを売れば家一軒くらいにはなりそうだ。
「おい、こんなんもらえないぞ」
「受け取ってください。これは亡き母がくれたもので、唯一俺のものといえるものです。他のものは国のものですから渡すことはできませんが。」
といって、坂本氏の手にぎゅっと握らせます。その手をとったまま、
「坂本さん、その指輪は国に従属する代物ですから、返してもらわないといけません。はずれたら、すみませんが千覚のやつに渡してやってください。」
「返すのはいいが、どうやって?はずれないぞ」
「大丈夫です。もうしばらくしたらはずせます。必ず、渡してやってください。」
「そんなに簡単にはずせる方法があるんなら、最初からやれ!!!」
怒りだす坂本氏ににっこり笑いかけます。
透き通るような笑いだ。
坂本氏は妙な胸騒ぎを覚えます。
「では、坂本さん、お元気で。あなたの幸せをいつも祈っています。」
さようなら、と頬にキスを一つ残して、裏口の扉から出て行ってしまう。
止める間もなく行ってしまったので、坂本氏は呆然である。
先ほどからの急展開に頭と体が連動しない。
あれほど自分を煩わせた指輪はもうしばらくするとはずれるらしい。
この指輪を返せば元通りの生活に戻れる。
あの国にはさすがに戻れないかもしれないが。
あの国以外の国で一旗上げられるチョコは完成している。
貰った十字架で借金の返済もできる。
人生の帳尻はこれ以上ないくらいプラスに転じているというのに、この胸に残るもやもやしたものは・・・
あれだけ人のことを振り回しておいて、さようならの一言で全てを終わりにするつもりなんだろうか。
ずいぶん自分勝手で、独り決めしすぎじゃないか?
・・・人の気も知らないで。

扉がノックされて、千覚氏が入ってきます。
「兄さん、そろそろいいですか?」
「ああ、王様ならさっき裏口から出て行ったが。」
「出て行った?どこに・・・」
確かに坂本氏しかいない部屋を確認すると千覚氏は慌てて王様を手分けして探すように衛兵に指示を出します。
「坂本さん、兄さんはどこに行くか言っていませんでしたか?」
「いや、特には何も。ただ、指輪がもうすぐしたらはずれるから君に渡して欲しいといっていたが・・・」
「・・・もうすぐはずれる・・・・」
千覚氏の顔色が真っ青を通り越して真っ白になってしまいます。
今にも倒れそうなその様子に坂本氏は手を貸して椅子に座らせます。
「おい、大丈夫か?」
首を激しく振りながら、ああ・・・僕のせいだ、なんてことだ・・・兄さん・・・などとしくしく泣きつつ繰り返し身を縮こまらせるその背中を撫でさすってやりながら坂本氏は考えます。
指輪がもうすぐはずれる?
あれほど繰り返しはずれないといわれ、本当にはずれなかった指輪が。
そういわれれば言っていた。最初から。

死が互いを分かつまで・・・

自分の指にはまっている指輪をみてみると、あれほどしっかり指にとけこむかのようにはまっていた指輪が心持ち緩んでいるように感じる。急いで根元まで戻したが、すぐに第二関節くらいのところまで戻ってしまう。何度も何度もやったがどんどん指から抜け出そうとしているようです。
やめろ、はずれるな!
あんなにはずれて欲しいと願っていたが。
それにこんな結末が待っているなんて思いも寄らなかった。
頼むからはずれないでくれ。ずっとはまっててくれてかまわないから。
祈るような気持ちで何度も何度も押し戻したが、ついに指からはずれ、硬い音を立てて床に落ちた。





街は黒いリボンで飾られていました。
今日は王様の葬儀です。
実情を伏せて、しばらく遊説の旅に出ていると対外的にはされていた王様が遊説先で帰らぬ人となってしまったのです。王様は国民からも深く愛されており、結婚ドタキャン事件などで失笑を買いましたが、それも面白い話の一つだと思っていた国民はいたくその死を悲しみました。
愛すべき賢き貴い方はもういない。
国民は礼服の白い衣装に黒いリボンを結び、街中に白い花を飾りました。王様の棺が安置される廟までさみしくないようにと街道に集まり、その棺が通るのを待っていました。

王宮では王様が棺に横たわっていました。
花に埋もれています。
服毒による死らしい。
らしいというのも、千覚氏が王様の身体に何かされるのを拒んだからです。外傷がないならそれしかない、という消去法でした。
その姿はただ眠っているだけのように見えました。
坂本氏は千覚氏に別れの挨拶をしたいと頼んでこの場に入れてもらいました。
兄さんも喜びます、といって少し離れた場所まで下がってくれました。
横たわる王様に
「あの指輪は確かに千覚君に返したぞ。貰った十字架は売らずに大事にする。借金は自分の手で返せるからな。まあ、心配するな。」
そういって一回言葉を切ります。
そっと王様の髪の毛をなでてみます。

最初に触ったのが、最後になるのか。

思ったよりも柔らかい感触を忘れないように何度か撫でつけます。
それから、持ってきたものを王様の胸の上に置きました。
「チョコを作ってきた。あの日二人で完成させたレシピのチョコだ。天下一菓子選手権でも最優秀賞を取れたぞ。どこに出しても恥ずかしくない立派なチョコだが、このレシピは今日を限りに封印する。お前のためだけのチョコだ。これは本当に本当の坂本三四郎様の本命チョコだ。冥途の土産にもっていけ。」

さようなら、
そういって坂本氏は王様にキスをしました。
これが最後だと。

すると驚いたことにパッチリと王様は目を開きました。
「・・・これは一体・・・」
さっぱり自分が置かれた状況がわからないで花の棺から身を起こした王様に坂本氏は抱きつきます。しっかりと。
千覚氏も城の人々も驚いて駆け寄ってきます。
王様は泣きじゃくる坂本氏の背中を撫でる。
事情はわからないが葬式の只中で自分が主役だということがわかりました。
少しずつ状況が見えてくると、記憶も戻ってきます。

そうだ、指輪をはずすために秘薬を飲んだのだ。
必ず死に至るが、愛によって復活することができるという秘薬を。
どうせ死ぬのなら、幸せな夢を見ながら眠りにつきたいと思ったのだ。
愛する人からの口づけで覚める夢を・・・
愛による復活など自分にはないと思っていたのに・・・

ふと目を転じると身体の脇に何か輝くものが置いてあることに気がつきます。
これは本命チョコが放つ輝きだ。
本命鑑定眼を持つ王様にだけ見える輝きだ。

「坂本さん、このチョコ、俺宛ですか?」
そう王様が尋ねると、坂本氏はこっくりと首を縦に振ります。
王様はいつまでも泣き止まないその涙を唇で掬い取り、囁きます。「ね、坂本さん、このチョコ本当に本命チョコですか?」
しゃくりあげるように泣きながら何度もうなづくのに、
「本当に、本当?」
などとくどいくらい聞くので、坂本氏もいつもの調子で
「本当に本命チョコって言ってるだろ!この馬鹿が!何度も聞くな!」
と怒鳴りつけます。ようやくそれを聞いて安心したのか、
「愛しています。あなただけを。ずっと。」
と愛の告白をしました。
私もだ、と王様にだけ聞こえるくらいの声で返事を返されたと同時に王様は坂本氏に深く口づけをしました。

王宮中はこの事態を息を呑んで見守っていたが、二人がまとまったと見て取るや一変して大歓声。千覚氏は、自分のかぶっている王冠を王様に戻しました。街中に伝令が走り、街を覆っていた黒いリボンは白いリボンに取り替えられ、服に結ばれた黒いリボンは引き出しにしまわれました。葬儀のために来ていた僧侶は、そのまま婚姻のための儀礼を行なうこととなり、各国から葬儀に参列にきていた人は一転して結婚式に参列することになった急展開に驚くことしきりでした。が、みんなこの奇跡のような一日に立ち会えたことに興奮していました。こんなことは一生あってもなかなかお目にかかれることではありませんから。
そのあとは、先日作られた婚姻の衣装に身を包んだ王様と坂本氏が祭壇に並び、坂本氏は再度あの指輪をはめてもらい、終生の愛を神様の前で誓い合ったのでした。

チョコの国は愛の王国。
愛によって結ばれた二人によって守られる王国で、国民も王様も坂本氏も幸せに暮らしたそうな。






めでたし、めでたし!