なぜだか抜けないトゲがある。

刺さったトゲは見当たらず、ただ何とはなしに刺さっている場所が痛む。

トゲを抜きたいのか、それともただ痛みから逃れたいだけなのか。

それさえもわからずに、ただトゲのありかを探している。











As close as possible











大学を卒業してから、知り合いの設計事務所に就職した。

大学の専攻がその方面だということもあって、割合すぐに仕事にもなれた。最初は若いということで,使いっぱしりとして関東近郊を駆けずり回ったが、今は少しずつ設計の仕事も任されるようになってきた。順調といえば、順調。学生のときのように、むやみやたらな長い休みはなくなり、土日祝日・盆暮れの休みだけになったが、特に彼女がいるわけでもないので、休みがないという不満もないし、休みをとってくれとかわいいわがままを言われることもない。たまの休みには部屋の片づけをしたり、趣味の美術館めぐりをしてすごしていたりする。

趣味の美術館めぐりというと、特に中の美術品に興味があるわけではないのだ。美術品を収めている建築に興味があって、つい足を運んでしまう。最初は建てられた年代など、学生時代に習った授業を思い起こして分類したりする。ローマの建築を模したもの、バロック様式。

それにあきると、建ぺい率を計算してみたり、間取りを頭の中で書き出して、設計図を作ってみる。その一連の作業を終えると、あとは、ただボーっと、それらを眺める。採光や空間にこだわった静かに時の止まった建物の中に、世界から集まった美しい品々がじっと鎮座している。金や銀、漆の黒。じっとガラスの中にしまわれて、きらきら光る。しだいにそれらの美しい品々が空間に浮かびだして、一体になって語りだしてくるようだ。美しい建物に美しい品々。あっという間に魅了されて時間がたってしまう。そんなこんなしてると、ひとつの部屋にずーっと立ち続けていることもざらにある。あまり人が多い展示会のときに行くと、そういった楽しみが少なくなるので、人のあまり来ない常設展に行ったりする。学生のときと違って何がつらいかといえば、平日に美術館にいけなくなったことだ。社会人の常とは申せども、そればかりは残念だ。



しかし、社会人になって何が変わったといえば、遊びに行くことが激減したということだ。

収入は学生時代に比べると遥かに増えたが、それを使う暇がなくなる。学生時代の友達も仕事であわただしいのか、メールで近況のやり取りをしたり、週末にのみに行ったりするくらいで、海に山に、ということは少なくなった。昔はスポーツ系のサークルに入っていたくらいなので、体を動かすことは好きだが、近頃はあまりこれといって何かしている訳でないので、体がなまっていけない。ジムに通ってそろそろ体に活を入れたほうがいいのかもしない。家と会社の往復。これが比喩でないのが社会人の生活だけに、それ以外のものを見つけて、やり通すのはなかなか気合と根性がいる。金はあるが時間と誠意を時間単位で売っているので、それ以外に残された個人の時間が、仕事のための静養にあてられ、その他のことがないがしろにされたり、後ろにやられたりする。そうやって個人の時間がだんだん規模縮小されていくのだ。



そういえば今日、高杉先輩に偶然会った。

高杉先輩に会うのは先輩が大学を卒業して以来だから、4年ぶりだ。いかにもバリバリ仕事のできる誠実なエリートサラリーマンといった感じだ。さぞかし社内の女の子達がさざめいているに違いない。学生時代も、結構な数の女の子が眼をハートにして、先輩目的にサークルに入ったり、講義をとったりするのを目撃したものだ。そんな風に群がる女の子をそつなく、かつ、さりげなくかわしたりさばいたりする手腕はなかなかすごかった。仮に同じ立場になったとしても、ああも華麗には振舞えないに違いない。高杉先輩の場合、なんとなく育ちのよさがよくあらわれていて、何をやってもいやみがない。好感度の調査をしたら、きっといつも上位にランクインするに違いない。積もる話もあったが、仕事中ということもあって時間があまりなかったので、とりあえず名刺交換だけして別れた。別れ際にあの人のことを聞いてみた。



あの人とは、坂本三四郎という高杉先輩の同級生かつ、親友のことである。

はっきりいって俺とは特に親しいということもない。学年も離れていたし、サークルや委員会で一緒になったこともあったが、仲のいい先輩・後輩ということにもならなかった。関係的には何も表す言葉がない。学校が中・高・大と一緒だったから、同窓という言葉で表すしかないのかもしれない。

もし、さきほどの高杉先輩のように街角で偶然あの人に出くわしたとしても、本当の意味で今日のように穏やかに昔を懐かしんで、近況報告したりということにはきっとならないだろう。

なぜなら、あの人は何度俺が自己紹介しても、都合よく話をあわせるだけで、決して覚えようとはしなかったのだ。

だからもし街角であったとしても、気づかずに俺がする説明、『学生の頃、サークルで一緒でした。』という言葉にだけうなずいて、懐かしいとしたり顔で言うに違いない。

俺はそんなあの人をひたすら腹ただしいと思うのだ。



どうして名前も覚えてくれないような人のことを忘れられないのか。

それはあの人が、俺に刺さったままになっているトゲだからだ。

そのトゲを抜くために、若い頃は随分努力をしたものだ。

あの人の通っている学校に追いかけて入学したりもした。でもその努力もあの人がアメリカに留学したところで、水泡に帰してしまった。きっと高杉先輩に聞けばどこにいるのか教えてもらえただろうが、なぜかそれがためらわれてしまった。自分を覚えてくれない人を追い駆けるというのはなかなか根気がいるものである。その頃ちょうど就職やら何やらで身辺がごたごたしていたし、仮にアメリカまで追いかけて行って何が変わるというのだろうか。結局、俺が学生時代にあの人を追いかけていた当初の目的は、子供の頃に弟の千覚が見つからないのを一緒に探してもらい、助けてもらったときに言い損ねた御礼をいうことと、あの人に会いたがっていた弟をあの人に会わせたい、という思いだけだった。

あの頃の俺の計画では、あの人と先輩・後輩と呼べるような親しい仲になったときに、それとなく紹介しようと思っていたのだ。

が、あの人はいつまでたっても俺のことは覚えてくれなかった・・・

俺の顔はそんなにおぼえられないような特徴のないものだろうか?

逆に、へのへのもへじだったほうが、あの人は面白がって覚えてくれたに違いない。

そうして、当初の目的から次第にあの人に覚えてもらうに趣旨がスライドしていったのだが、成果は上がらず、正直お礼を言いたいという気持ちよりも、何で覚えてくれないかとなじりたい気持ちのほうが強くなってきてしまったのだ。

だから、アメリカに行ったということを風の便りに聞いても、もういっそ、あの人のことはすっぱり忘れるチャンスではないか、と思ったのだ。

子供の頃のお礼は、将来開かれる同窓会に出席したときに、いつか言うチャンスが来るかもしれない。

同窓会という、誰もが昔を懐かしむときならば、名前を覚えていない後輩からの話にもきっと素直に耳を傾けて、そんなこともあったと語り合うことができるかもしれない。

そうしたら、笑いながら、いつもお礼を言うチャンスを狙っていたのに、先輩、俺のこと覚えてくれなくて・・・というように、笑い話にできるかもしれない。

そうして、時というやさしいヴェールが、すべてを覆ってくれることに期待して、俺はあの人のことを忘れようとした。

実際それは成功していたのだが、高杉先輩から聞いた一言でその努力も無駄になってしまった。

つづく。(すみません、しばらくストップ中です。)