今は昔。
京の都に評判の人形師がおりました。
名を坂本三四郎という若い人形師はたくさんの注文が舞い込みながらも弟子を取らずに一人でできるだけの仕事をのみ請け負ってやっていました。というのもこの人形師、本人は至って気さくではありましたがプライドも高く、人形の出来に余人の手が入るのを嫌ったのです。

ある日、坂本氏のところに嫁入り雛の製作依頼がやってきました。
春が来たら祝言を挙げる姫が結婚して末永く仲良く暮らせるようにと姫のご両親からの依頼でした。その折に結婚する二人に似せて作って欲しいという要請にも坂本氏は二つ返事で頷きました。人に似せて作るなど坂本氏にとってみれば造作もないことでしたから。

人形の頭部を作るときに使う紙を望んだ色が出ないからと自分で漉いて作っているときに戸を叩く音がします。集中できるようにとわざわざ人里離れた場所を選んだ庵でしたから、人が尋ねてくるのはまれです。物売りかとややぶっきらぼうに戸を開けると若い公達が立っています。

「・・・人形師のお宅ですか?」
相手は何か戸惑うように確認してきます。
「・・・そうだが、なんだ貴様は。物売りには見えんし・・・」
「失礼いたしました。先だって、あなたに嫁入り雛を依頼された方にこちらに伺うよういわれてやってまいりました。・・・男雛をこの顔に似せて作っていただきたく」
・・・こいつが結婚するという姫の相手か。
じろじろとぶしつけなまなざしで相手を観察しましたが、涼やかなまなざし、すらりとした立ち姿にケチのつけようがありません。値踏みを終えた坂本氏は男を庵の中に招きます。物珍しそうに工房となっている庵の中を眺める男に茶の一つも出さずに、そこに座れと言い置いて対面に座ります。灯りは蝋燭一本だけ灯された薄暗い室内で坂本氏は無言で男の顔を凝視します。しばらく正面から見たあと、おもむろに近づき男の顔に手をかけぐぃっと上に向かせ、目を閉じるようにいいました。怪訝な色を浮かべながらも言われるがまま目を閉じる男の周りをしばらくぐるぐる回ると坂本氏はまたもとの対面に座りました。
きっとすばらしい人形が出来るだろう、そういってもう帰るように促す坂本氏に男は一つだけその人形を作る際に頼みたいことがあると言い出しました。
男の願いは人形は実際よりも9つほど若く作って欲しいというものでした。理由を問うとまだ年若い姫ですから姫に合わせてというので結構年の差カップルなのかと坂本氏は納得しました。

男が帰ってから、早速坂本氏は人形の作成に取り掛かります。
頭部にする芯に土台の紙を幾重にも張り合わせて成形しながら男の顔を思い浮かべます。息を詰めて慎重に顔を描きいれ頭部を完成させました。見事な出来栄えで、その人形を見れば十人が十人、モデルの男にたどり着けるだろうというくらい精巧でした。それは今日、坂本氏があった男そのままの出来栄えでした。似せることを追うあまりに、坂本氏は男に頼まれた実際よりも若く作って欲しいという依頼をすっかり失念していました。作り終えても全くそのことを思い出さず、生き写しとでもいうべき美しい出来栄えに満足して、坂本氏は眠りにつきました。

次の日の朝、目が覚めると昨日作業台の上に絹に包んで置いておいたはずの人形の頭部が枕元に落ちていました。落ちるようには置いておかなかったはずなのですが。不思議に思いながら台にきちんと布に包んで置いておき、その日は身体の軸を作りました。
その日の次の日の朝も、作業台に置いておいたはずの人形が枕元に落ちていました。
あまり上手に出来たから、魂を持って夜になると出歩くのかもしれない。
人形師にしてみれば、魂のこもる人形を手がけることは見果てぬ夢の一つであり、坂本氏はまさかな、と思いつつもこの美しい人形が魂を持ったらどんなにすばらしいだろうかとその白い人形の面をそっと撫で付けました。他の仕事は横に置き、その日は男雛の衣装を重ね、人形を完成させました。

その日の晩のことです。
胸苦しさを感じて目を覚ますと、誰かが身体を覆っているのを感じます。
身体を乾いた手、撫で回されるように感じ、はっとして追いやろうとしましたが身体がしびれてしまって動きません。灯りのない部屋は暗闇深く、夜明けがくるまでは目を開けているのか閉じているのか自分でもわかりません。何?と誰?が頭の中で錯綜しますが思うに任せません。
そうこうしているうちに身体の共鳴する場所に触れられ、揺さぶられると、ちょっと待て何なんだ一体・・・冷静に考えるよりも、そのまま身をゆだねたい夢うつつの選択には意志など介入しないのか欲求には正直に従うべきか夢だと信じられればそうだろう、そんな坂本氏の葛藤は本人の頭の中に止まり、事態は進行していきます。熱を感じさせない乾いた指に熱量を感じることも肉の重みを感じることもなく、かといって身体が何も反応しないわけでもなく。影もわからぬものに何度も追い上げられては舞い上がり、気がつけばあれは夢であったと片付けるには日の本で見る身体には何もなかったとはいいがたい跡が残り、傍らには落ちないように台に据えつけたはずの人形がまた枕元に落ちていました。しみ一つない美しい面の人形を手に持ちながら、夢にしては生々しすぎではないだろうかといぶかしみますが、この人形が元であるとも証明も出来ず。日が出てしまえば、夜に苛まれた記憶も薄らぎ、気のせいであったと坂本氏はその件を飲み込んでしまいました。

依頼をしてきた姫の両親から雛人形のためにくるようにと連絡がまいりました。
来てはみたけれど、直接顔を見るのは・・・などと難色を示し始めるのでそれでは瓜二つの人形など作れないと告げると御簾は取り払われ、幼い姫、かわいらしい顔が現れます。人の前に現れるのも落ち着かないのか節目がちに幼い顔に緊張の影が差しているのが美しく、坂本氏は束の間、ああ、あの人形のつがいとなる人は斯様に美しくか弱くかわいらしいのだと常の人形を作るための観察ではなく、美しく儚いものに対しての憧憬を抱きます。
この姫の形を作り、あの人形と並べてみたい。
人形師の仕事してはこの上ない題材の対となった二人にやりがい、探究心を感じましたがその人形が出来上がる頃にはこの二人が本当に並ぶのだ、ということを実感として受け入れがく、その人形を作り出す自分の手のひらをじっと見つめてしまいました。

その姫を思い浮かべながら、紙を芯に巻きつけ整形し頭部を作り始めます。
お似合いだ。絵に描いたような雛人形だ。
その完成図を思い浮かべながら、どうしようもなく気持ちが重くなりました。
筆をとり、女雛の顔を書き入れようとしましたが手がふるえ、そのまま筆は置いてしまいました。

その夜、また人に覆われている気配で目が覚めました。
昨日よりも意志がクリアーで夢うつつに流されることもなく、意志ある動きに静止をかけます。すると沈黙のうちに何かの声が聞こえます。

「約束を・・・・」

約束?
何の約束をしていたか。
身体を優しく撫で付けられながら、坂本氏は思い返します。
納期は桜が咲く頃だったはず・・・そんなことを思いながらあの男雛のモデルの男の玲瓏とした冴えた月のような横顔を思い出します。何もかも見透かされそうな気がして、目を閉じるようにとあのときに言った。静かに閉じられた瞳、自分で閉じろといっておきながら閉じられたあとはもう一度その目の色がみたい、また開いて欲しいとそんなことを考えていたからか、あの男との会話はあまり思い出せない。
ただの人形のモデルだったはずなのに。
押しのけるつもりで上げた腕は押さえつけられ、唇重ねられれば、人に感じる熱も湿度もなく感じられるのはひたすらにひたむきな想いだけ。それに夢中になって応えながら、納期が来るまでに男雛に娶わせる女雛を作ることが出来るのかとこのとき初めて不安になりました。

顔を書き入れないまま、女雛の胴体、衣装を作り上げているうちに日は一日と春に近づき、姫の両親からもそろそろ人形をという催促の声が何度かかかりました。あとは目と鼻と口を描き入れるだけです。それが出来ずにその度にはぐらかしたのは、夜に訪れる気配が絶えなかったせいでしょうか。訪れるたびに「約束を・・・」とつぶやく声に、それ以外の声も聞きたいものだと昼には自分の作った人形に語りかけます。これは困った病にかかった・・・そう坂本氏がひとりごちていると庵にまた誰か訪れる人がおりました。

「ごめんください」
加冠を済ませたばかりといった面持ちの年若い公達です。どこかで見たことのある顔にも見えます。どこだったかと返事もせずにぶしつけに眺めると、怯えたのか聞いてもいないのに自己紹介を始めます。先日訪れた男の弟だというので改めて顔をよく見ると確かに血のつながったもの特有のよく似た気配が漂います。だからといって弟がなぜ訪れるのかと不思議に思っていると、この庵を訪れた後から兄が目を覚まさないというのです。何か知らないかと強く尋ねられ、坂本氏は工房の台の上に並べてある男雛と女雛を見やります。

ああ、あれが姫のご両親から依頼のあった雛人形ですね。

そう年の若い公達が人形の出来の良し悪しをためつすがめつしているのにも、その人形に触らないでくれと言い出したいのを何度も押さえます。

この男雛は兄さんによく似ていますね。そっくりだ。
兄は人形を年若く作るように言っていなかったですか?

僕と兄はそっくりですから・・・
そうつぶやいた公達の言葉に約束をといっていた男の声が重なります。

「君が姫と結婚するのか?」
こくりとはにかむように頷かれるのを見て、坂本氏はきっとすぐに君のお兄さんは目を覚ますだろうと頼もしく笑います。笑いながら、ささっと書かれていなかった女雛に顔を書き入れ、新たに若い公達の顔をよくよく見てから男雛の面を作り上げ、今ある男雛の頭と挿げ替えました。

幸せに!
そう人形師に嫁入り雛を託されて背中を押して見送られた年若い公達は訳もわからずに人形のお礼を述べて帰ります。背中が見えなくなるまで見送ってから、庵の中に戻ります。首だけになってしまった人形を手のひらで転がします。

・・・本来ならば、壊すべきなんだろうが。

しばらく考えた後に、また坂本氏は違う人形を作り始めます。
慎重に顔を書き終えた人形と新たに身体を作った人形を二つつがいにして並べます。
新しく作った自分に似せた人形とその横に並ぶ人形の出来栄えに、ようやくしっくりした心持になりました。

それ以降、坂本氏の元に正体のわからないものが夜に訪れることはなくなりました。
代わりに、正体のわかった公達が頻繁に坂本氏の庵を訪れるようになったのは、飾り棚に置かれた一年中飾られている雛人形の他は知る者もいなかったということです。


おしまい。