思い出は、時に甘美、時に苦い。
何がしかの教訓を得られるやもしれないし、
同じ過ちを繰り返すかもしれない。
夏の思い出。
夕飯を食べに行こうと出かけたのに、こうしてかき氷を食べている。
なんだかしらないが、今年の夏のノルマを達成していないからだそうだ。
夕飯食べ終わってからにしようと提案してみたが、食べたい店が、7時半までらしい。
こうと言い出したら、頑固一徹、やり遂げるまで意地でもやり通す人なので、いまさら横でチャチャを入れて、機嫌を損ねるほうが後々まで響いて厄介なため、まあとりあえず、その言葉に従って夕飯前にカキ氷を食べに行った。
ラストオーダーが7時のところを7時に飛び込み、とりあえず宇治金時を頼んでいる。特に食べたいわけではなかったが、俺はいらない、というとえらく気にするので、同じものを頼んだ。
が、物が出てきて、一気に後悔した。でかい・・・でかすぎる。このあととても夕飯を食べる気にならないくらいでかい。
氷にお茶をかけて、餡を下にしいているだけに1000円越え、というのではあまりに客からの苦情が多くなると判断したのか、とにかくでかい。まあ、氷の値段なんてたかが知れているし、いくらでかくしても店的にはどこも痛まないのだろうが。
俺が若干というか、かなりげんなりしているところ、あの人は目をきらきらさせて氷の山を崩すのに熱中している。
よほど好きらしい。
まあ、喜んでるからいいか・・・
そういえば、かき氷なんて食べるのは随分久しぶりだ。
昔はよく、夏には千覚に作ってやってた。
なんでかしらないが、カキ氷シロップは体に悪いからということで、買ってもらえず、かといって、何にもかけないで氷を食べさせるという味気ないことができようはずもなく、子供心に色々考えて作っていた。
最初はカルピス。お中元で届くのでそのままかけて食べた。その次が、ヤクルト。乳酸系のものが氷にあうと思い、牛乳をかけてみたが、甘みがなく失敗。ヨーグルトをかけたり色々してみたが、夏にはあわなかった。
そうした甘いものがないと、仕方がないので、麦茶を凍らせて、そのままカキ氷を作ったり、かき氷に麦茶をかけたり、色々した。
麦茶のやつは千覚には不評だったが、俺は甘くないので結構好きだったな。
でもあるとき、母さんが、麦茶の容器に、そうめん用のめんつゆを入れていたことに気づかずに、上にかけて食べたときには二人とも死んだ。そういえば、あれ以来、千覚がおびえて、かき氷を作るのをやめたんだっけ。
そんな話をあの人がカキ氷を攻略している間につらつらしてみた。
時々千覚の話をすると、えらく興味津々というか、うらやましそうな顔をする。
兄弟がいないせいか、物珍しいようだ。いればいたで、兄の威厳を保つための努力やら、親からお兄ちゃんの責任を押し付けられたりして、あまりいいこともない気もするが、やはり、いなかったらそれはそれで、ものすごく寂しいだろうな。
そんなことを思うと、この人にもちょっとお兄ちゃん気分を味あわせてあげたいような気がして、兄弟の昔の失敗やら、楽しかったことを話してみたりする。
すると、ときどき、最初に今日見せたかき氷を見るときのような、きらきらした眼で俺のほうを見てくれるのだ。
お店の人が、閉店の時間を告げに各テーブルを回っている。
あの人はほぼ完食している。
俺のは・・・苔色の水溜りができている。完食するにはでかすぎた。
とりあえず会計を済ませて外に出る。
暖かい。
店はいる前は、暑い、蒸し暑いと文句をぶーぶーたれていたが、店を一歩出ると、とても暖かい。やっと人心地ついた。
時折、よその店からえらく冷たい冷気が吹きつけてくる。いつもは涼しいとそちらの店に吸い寄せられるが、このときばかりは逆に恨めしい。
さて、夕飯はどこの店にしようかと、候補を頭に浮かべつつ、何が食べたいか聞こうと振り向いたら、なんだか、微妙な顔をしている。
腹持ちが・・・といいだした。
そりゃ空腹時にしゃかりきでかき氷なんぞを食べれば、当然の結末だ。それにこの人は結構食べ物にあたりやすい。
仕方がないので、人ごみを避けたガードレールのところによっかかり、回復するのを待ってみる。
うなりつつも、悪いと思っているのか、時々謝る声がする。
別に夕飯なんてどうでもいいが、おなかの調子が悪いのははやくよくなってほしいと思うので、しゃがみこんで座ってしまっている横に腰を下ろして、背中をさすってやる。
たくさんの人が前を通り過ぎていく。
足早に過ぎ去る人、ショーウィンドーに見とれて、足元がおぼつかなくなる人、信号待ちにつかまる人。
どこから来たのか、どこに向かうのか。
そんな人たちに、ここでしゃがみこんでいる俺達の姿はどう映るのか。
まだ宵の口だというのに、酔っ払ってしまった人を介抱するようにでも見えるのだろうか。
そういえば、この人は、この前出かけたときにも食べ物にあたっていた。
昼ごはんにイタ飯を食べたときのサラダにかかっていたオリーブオイルにあたったらしい。
食事が終わってから、映画を見たのだが、しばらくトイレの住人になって戻ってこなかった。
えらく見たがっていた、フランスの芸術映画で、俺としては、もっとわかりやすい娯楽物のほうがよかったが、映画館には映画を見る他にも色々な楽しみ方があるので、まあ、ムーディーな映画でもいいかと思っていたが、それはあの人が横にいての話だ。
延々と続くまったりとした映像美の、山も谷もない、ジュテームでモナムールな世界は、えらく眠気を誘う。
だから、ようやっとトイレの住人から復帰したあの人に話の筋を聞かれても、曖昧模糊としたことしか答えられず、えらく憤慨された。
そういわれてもな。特に興味がないのに、情感重視でストーリーがない映画の内容など説明できるものではない。
どちらかというと、映画を見に来たのではなく、映画を見に来るカップルのシュチュエーションを楽しみたかっただけに、こちらとしても憤慨である。映画を見ている坂本さんを見たり、手を握ったりしたかったんだけどな。
そんなことがあったにもかかわらず、この人は懲りずに次でかけたときも、イタ飯屋に入りたがった。そのときは、昼間だというのにワインを飲み、
「酒で胃にコーティングするから大丈夫だ。」
といいきっていたが、やはり、オリーブオイルにあたっていた。どうも、あたりやすい銘柄がレストランで使われるポピュラーなものらしい。いっそのこと、銘柄を聞いておいて、店で頼むたびにどこのを使っているか確認したほうが効率がいいのでは、と思うくらいのあたりっぷりだ。あたりながらも、
「酒の神様よりも、オイルのほうが強いなんて・・・」
とぶつぶつ言っていた。そういわれてみると、この人が当たるのは昼のご飯時ばかりで、夕飯のときにおなかを壊したという話はあまり聞かない。夜は酒を飲んでいるため、確かにコーティングされているのかもしれないが、昼には酒の神様は効果がなかったらしい。
俺が知る限りのこの人のあたった物ヒストリーは、オリーブ油以外では、牡蠣・てんぷらのごま油・パフェの生クリーム・濃いコーヒー・ファーストキッチンのハンバーガーなどだ。俺が目撃している分はこれだけだが、きっとそれ以外にもあると思われる。
そうして、この人がトイレの住人になっているときは、よくデパートで見かける、彼女を待っている所在のない彼氏のように、トイレの前で待っている気にもならず、そこいらでぶらぶらしている。こういうとき携帯は便利だ。
最初の頃、こうして何かに当たるというのを隠したがって、気がつくと脂汗をかいていたり、真っ青になっていたり、急に急用を思い出したといって、ばっくれられたりしたものだ。そのたびに、デートをすっぽかされるわけだから、俺としても釈然としないというか、なにかあの人の気に食わないことをしたのでは、と不安になるしで、もやもやするは、煮詰まるしで、問い詰めたのだ。
当然のことながら、その理由を言いたがらずにお茶を濁そうとしていたが、納得できる結論がでないことにはこちらとしても引き下がれない。というか、付き合い始めているのかどうかもいまいち不明なのに、急に冷たくされて、別れの予感?と思い込んでしまったため、問い詰める手段も手加減なしである。
まあ、どんな手段を使ったかは、さすがに俺もあまり大きな声ではいえないので想像に任せるが、ようやっとあの人の口を割ったわけである。
それで、ただの腹痛が原因と知って、えらくほっとするやら、何でそんなこと黙っているのかと思った次第だが、無理やり口を割らされたほうは怒り心頭である。しばらくは、なだめすかしたり、ご機嫌をとったりで大変だった。
はー、はやく、穏やかに会話できるようになるといいんだが、互いに頭に血が上りやすいときているからな。
とりあえず、それ以降は、腹痛を隠さずに、その場で言うようになったが、いったらいったで、落ち着かないから、先に帰れ、などひと悶着。結局、
「具合の悪い人を放置して帰るなんて、心配でできません。」
という言葉に、あの人が折れて、今に至る。
正直言って、あの人がおなかを壊すなどというのは、今ではデートイベントの中に組み込まれているので、いまさら驚くに値しない。
胃薬、整腸剤、腹痛止め等、いまでは、常備。
逆に、昼に出かけて、特に何もなかったりすると、拍子抜けするくらいだ。
だいたい、どんなにひどく当たったとしても、次にはすっかり忘れて、新たに挑戦する。典型的な、のど元過ぎると熱さ忘れるタイプだ。それに加えて、好きな物を食べておなかを壊すなら本望だと思っている節がある。ましてや、おなかを壊す危険があったとしても、残す、というコマンドがないらしく、たいてい全て食べきろうと努力している。完全なおなかを壊す悪循環である。
背中というか、腰の辺りをさすりつつも、今日は、外で夕飯を食べるのは諦めて、うちに帰ったほうがいいかも、と算段する。
何も無理して外食する必要はない。
また、次の約束をすればいいのだ。
とりあえず、動けるくらいまでに回復するのを待って、そう提案してみた。
うちに帰ると、トイレの住人になるでもなく、リビングのところにごろっと横になっている。
あたる、というよりも、腹が冷えて体調が悪くなったようだ。
勝手知ったる人のうちとばかりに、寝室から、毛布を持ってきて、毛布をかけながら、うしろから抱きしめるようにして、おなかの辺りに手を置いてみる。
そっと毛布の上からなでると、こそばいからやめろ、という抗議の声があがる。
背中越しにみえる耳が真っ赤になっている。
先ほどよりはずっと具合がよくなっているらしい。よかった。
おかゆかうどんか、何か消化のいいもの。胃にやさしく、暖かいもの。
そんなことを考えつつも、背中越しじゃなくて、向かい合って抱きしめられたらいいのに、と思わずにはいられない。
まあ、おなかにおいている手を「やめろ!」と言ってつねりあげられることなく、そのままに、なでる手を許容してもらえているだけでもたいした進歩かと。
あんまり近づいていないようで、こういうときには、ずいぶん近づくことができていることに気づくのだ。
一足飛びに、全てを飛び越えてみたいと、時々衝動に駆られたりするが、実際にそうしてみたらご破算だ。
だから、境界線がどのくらいの位置に存在するのか、測量を時々行なってみたりする。
その測量方法に問題があるかどうかは、そのときの坂本さん次第だが。
しかし、この人の腹、どうやったら強くなるのか。同じものを食べていても、俺はぜんぜん平気なんだが。
新婚旅行は、アジア圏はだめだろうなあ、とぼんやり考える。
腹痛が起きなさそうな国ってどこだろうか。
まさか、自分の背後でそんな計画が練られているとは思いつきもしないのか、寝入っている気配がする。
相手に意識がないのをいいことに、一際ぎゅっと抱きしめると、
「はらへったー」
と寝言でつぶやく声がした。
おしまい。