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● やさしくしないで。〜桂編〜  ●

俺、桂千太郎が、迷惑千万人間である坂本三四郎と再会し、紆余曲折の末、こうして同じ場所で同じ時間を過ごすまでになってから、すでに数ヶ月経った。

不遜な態度をとってしまうのは、自分の性格もあると思うが、俺だって誰彼構わずそういう態度で臨んでいる訳では決して無い。自分の評価を人に聞くと、基本的に、誠実・真面目・当たり柔らかetcといった言葉が返ってくることが多いし、自分としてもそういう気持ちで人には接しているつもりだ。

だがしかし、あの坂本さんと対していると、そんな自分が根っこから覆される気持ちになる。そもそも、何なんだ、あの根拠の無い自信は。次期将軍などというような立場で育たないと、あそこまでにはならないんじゃないのか。イヤたぶん、どこかの国の王子の方が謙虚かもしれない。そして唯我独尊のあの人は、今日も朝早くから、俺の事を電話で呼び出すのだ。

『遅いぞちたろー!貴様はともかく、私はおなかがすいて死にそうだそ!』

・・・・・・おなかがすいて死にそう、だなんて、アンタその辺の幼稚園児か!

そう一言、怒鳴りたい気持ちを、俺はかろうじて抑えた。もちろん言っても良かったのだが、そうなると電話口からどんな言葉が飛び出してくるのかわからない。耳が痛くなるだけである。それなら、実際に顔を見てから、自分の「冷静2割・残りは全部皮肉」さであの人を打ち負かす事に決めた。


「遅い!待ちくたびれたぞちたろー!」

チャイムの音を鳴らしたと共に、こちらにぶつかってくる勢いでドアが開き、その次の瞬間に仁王立ちのポーズを決めた坂本さんが顎を突き出して、顔に「怒ってます」シールを貼り付けこちらを睨んでいた。
「そんな事言われてもですね、おなかがすいたーなんて幼児みたいなことを言ってる人の為に、買い物もしてきたんですよ?待ちくたびれてるくらいなら、アンタ自分のことぐらいやってりゃいいでしょうに」
「自分のことぐらいやっとるわー!」
「人にご飯作らせといてですか?」
と、その時、ふと気がついた。玄関からリビング、キッチンに至るまで、どこも完璧に掃除され、冷蔵庫の中には、しっかり3食分ほどの食材が用意されている。当の本人である坂本さんも、シンプルながらちゃんとしたシャツを着込み、髪型もキチンとセットされているようなのだ。

「・・・?誰かお客様でもいらっしゃるんですか?」
「何故だ?お前以外は、今日は誰もこないぞ!」
「え、だって部屋の中も坂本さんも、今日はすごく綺麗になっているし、食材も沢山あるから・・・
俺、ご飯作ったらすぐ帰ったほうがいいのかと」
「なッ何を言う!私が美しいのもグルメなのもいつもの事だ!掃除だって時間があったからさくっと済ませただけだし、決してお前が来るからと思ったわけでは無い!だけど帰るな!」
ハアハアハアハア。俺はびっくりして、肩で息をする坂本さんを見下ろした。

・・・この人、まっかだな…

ふ、と自分の口元に笑みが上がってくるのを意識する。だが、そこで甘い顔を出来る程、俺は坂本さんに対する経験値が残念ながら無い。こういう時、内心では(可愛いなあ・・・)と思ってはいるのだが、それを表情と言葉にする事がどうしても出来ないのだ。

「本当に素直じゃないですね・・・」
俺も同じだけれど…と気がついてしまった事に対して、不甲斐なさが顔に出たのをカン違いして、すぐに坂本さんも噛み付いてくる。
「す、素直も何も無いだろう!とにかく私はハラぺコなんだ!すぐに料理にかかれ!」
「ハイハイ。」
そんなことに気が付いていたなんて、この人に知られたら、それこそ鬼の首を取った位の大騒ぎになるに違いないのだ。だからこそ、何も言ってやらない。そうして俺は、今日も何も言えずにいる。

冷蔵庫の中身を加えて、かなり豪華な朝飯を平らげた後、坂本さんは俺のことなどもう構わない、とでもいう様に、先日俺に買ってこさせた小説を読み始めた。
俺は、貯まりに貯まったHDDの中身を整理することにし、見逃していた映画をダビングしながら、ぼんやりと画面を眺めていたが、この所の残業続きが堪えたのか、いつしか俺は眠り込んでしまっていた。

眠りの底にあった意識が、ふッと浮上する。
…ああ、眼鏡をかけたままだったか…
坂本さんらしき人の手が、俺の顔からそっと眼鏡を外した事に気がついてはいたが、そのまま目を閉じたままでいた。すると、その外した眼鏡をテーブルの上に置いた音がし、そのままその人の気配も消えた。のだが、すぐにその気配が目の前に戻り、そして俺の上に、ふわっとブランケットが掛けられ、そして次の瞬間、優しい手がぽんぽん、と2回、ブランケットの上に置かれた。

(うわ・・・ッ)

かろうじて叫びだしたい衝動を全力で押さえ、なんとか寝たふりを通す事が出来たのは、自分でも奇跡に近いと思う。何だ何だなんなんだ一体!いつもの俺に対する攻撃性は、俺が目を閉じている時は臨時休業なのか?それとも、寝かしつけ実践実施中なのか?!俺はアンタと違って子供では無いぞ!イヤもしかして、これも何かの罠か?俺は何か試されてるのか?

ぐるぐると頭を訳のわからない事が巡り、もう、そこから俺は眠る事が出来なかった。

今までの人生の中で、誰とも付き合ったことが無いとは言えない。どちらかというと友人達に、「お前に声をかけてくる女の子のうち、誰かをこちらに回せ!」と言われた事もある。だが、そんな彼女達も、最後には自分から離れていった。残されたものは、
「桂くんって、思っていたよりも優しくなかった」「桂くんって、あたしが一番じゃないみたい」
という言葉だけだ。その時は、何を勝手な事を、と思っていたが、今、自分で振り返ってみると、確かに、彼女達に対する自分の態度に、気持ちが付いていなかったことは否めない。たぶんその時の俺は、自分に擦り寄ってくる彼女達の向こうに、決してこちらには振り返らない、その背中だけを見続けていたのだ。

なのに、今こうして、手をのばせばすぐに掴まえられる距離にいるその人とどうなったかというと、飽きもせず言い争いの毎日だ。時にうんざりする気持ちもあるが、ふと優しい手に触れられると、自分でもどうしていいものか、本当にわからなくなる。そして、わからなくなって離れる時もあれば、逆に、瞬時に湧き出る強い衝動に駆られる時もある。まだ、リミッターを越える瞬間は無いが、ある時、その衝動に自分が捕らわれて、目の前のこの人に自分が何をしてしまうのだろうかと、恐れる自分も同時にここにいる。

だから、やさしくしないで欲しい。
俺は、出来る事なら何でもしてあげたいと思うし、そうしていくと決めたのだから、アンタはそこで、いつでも無意味に威張っていてくれてればいい。そしたら俺も、そんなアンタを打ち負かせるように、いつでも守れるように、前に進んでいけるから。

そうして今日も、唐突に降りかかってきた優しい手の暖かさに惑わされないよう、いつ目覚めればいいのかタイミングを計りつつ、俺は、あの人へは届かない、自分の手を強く握り締めるのだ。


坂本編に続く

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