『CHE・R・RY』

坂本氏編へ |

  桂氏編 byしむさん  

天気、と言っても、空にもいろんな色があると思う。
今日はくもり空、一面の灰色だ。

俺、桂千太郎は、いつもより少し大股・早足なのを自分で見下ろしつつ、ひとりで街を歩いていた。つ、と視線を空に向ける。
先程まではただただ憤りを感じていた。何にか?それはもちろんあの坂本さんに対してだ。

「そんなツラは見ていたくない。帰れ。」

今となってみれば、その台詞に辿りつくまでの大元が何だったのかもよくわからない。だがあの人が、今日も、人の顔を見た時から何かしら突っかかってくるものだから、その自分の向かってくる槍に対して、俺もすべて平等に楯突いておいた。人がそんな事を言っていたら、子供か、と思うだろうが、ツッコミどころ満載な人が目の前で毛を逆なでしていたら、確かにちゃんと指摘仕返さなければと思うものだ。

「わかりました。帰ります。」

後は無言・一直線。妙に頭が冴えていて、あの人と自分の間のドアが、静かにしかし確実に閉まった事を変に意識した。そうして俺は、今、ひとりで空を見上げている。
家を飛び出してくるくらいまでした自分にも辟易するし、何をしてるんだかな…とも思うが、今日の俺は、その問いに対する答えもこじつけも、何も浮かばない。
先程まではただただ憤りを感じていた。だが、今は、色にたとえるのなら、この空の色と同じ気分だ。


今日は一日、坂本さんの家で細々した事をさせられ、その後晩飯まで作らされて、と思っていたので、それ以外の予定は考えていなかった。家に帰ればたまった仕事もあるが、今はそれを片付ける気分にもならない。たまにはひとりの時間もいいか。そう思って、あてもなく目に付いた書店に寄ったり、小規模な展示会を覗いたりして、時間をつぶしつつ歩き回ってみた。だけれどもそのうち、何を見ても何を聴いても、常に頭の中でぐるぐる坂本さんの声が回っている事に気付き、内心舌打ちをする。

俺の「帰る」という一言を受けた瞬間の、あの人の眇められた目が頭にある。いつも人に容赦無く理不尽な言葉を浴びせるくせに、何で自分はそんな痛い顔をするのか。

確認もしていないが、実は確信していることがある。
あの人が俺の事をなんと言ったとしても、きっとあの人の中には「俺のいる場所」があると思う。好かれてる、とまでは言い切れないが(それも情けない話だが)、あの人が自分で言う程、そう悪く思われてはいない筈だ。
うぬぼれではない。あの人の目線や態度、言葉の端、さりげないふりをして緊張した背中にちょっとでも触れてみれば、そこからあの人の気持ちが手の平に落ちてくる。
だけれども、あの人自身はきっとわかってない。いや、気付かないふりをしているのだ。
こんなに近くにいる俺の事を、何とか理由付けしているようで、実は、俺を示すものを、わざと作らないようにしている。
だが逆に、自分の中での坂本さんは何なのか、と説明を求められたら、大きい声で、恋人です、と答えられるかといったらそれは、否、だ。もしもそんな事を本人の前で言ったら、あの人がどんな暴動を起こすかわからないし、今度目の前から逃げるのは坂本さんの方だろう。
それでも時々思う。そうやって理由を坂本さんにこじ付けているだけで、自分がそこから目をそらしているだけじゃないかと。でもそんな事は重々承知だ。再会する度に忘れられてきた、そんな事は今はどうでもいい。だけれども今の俺は、坂本さんの事を自分の傍から離したくは無いし、離れて欲しくはないのだ。坂本さんが自分の横にいる、その為に、俺は何も言わないその人に、自分も何も言わないし、何も聞かないでいる。


とにかく今日はあの人の事は無しだ、と無理矢理考え意識を変えるが、どうも釈然としない。ふっ、と灰色の空に向かって短いため息を吐き、家に帰る事にした。

少し歩を早め、家の近くにある公園を突っ切ろうとしたその時、ジャケットの内胸ポケットに入れていた携帯が震えた。取り出して送信者を見た俺は目を見張った。

そこに表示されていた名前は、[坂本三四郎] だった。

坂本さんと俺の間での数少ない共通点のひとつとして、「携帯メールが苦手」というものがある。家にいる事が多い坂本さんも、一応は携帯を持っている。が、俺の事を呼び出すにも、基本的に固定電話に手が伸びる事が多いらしく、直接それに向かって叫ぶ。PCは使うらしいが、携帯メールのあのちまちまさがどうも性に合わないらしい。それはまったく同感だし、電話をかければそれで話は済むので、だから今までアドレスは知っていても、お互いにメールを送る事は無かった。
そんな坂本さんからのメールが届いた。急いで開いてみると、そこにはタイトルも無く一言。

[私が悪かったという事にしておく。]

「ぶッ・・・!」
読んだ瞬間、素で吹いた。公園内、人が怪訝そうな顔をしてすれ違っていくが構わない。

あの坂本さんからの最初のメールが謝罪・・・しかも不本意さが剥き出し。

携帯を閉じ、肩を震わせつつ歩きだしたが、視線を上げた先、見つけた姿にすぐにまた足が止まった。少し花をつけ始めた大きな桜の樹がある。その樹の根元のベンチに、彼の姿があったのだ。

俺が坂本さんの家を飛び出してから数時間は経つ。彼が何を考え、いつからそこにいるのかはわからない。だけれども、この不本意メールが送信されるまでに、いろんな百面相を経ただろう事は想像に難くなかった。

この人も、何か祈るような時があるのだろうか。
携帯を握った手を自分の口元につけて、ひとり座っているその姿を見ていたら、自分の顔がゆるんできたのがわかったので、引き締めようと空を見やる。
愛しい、と思えるその人の上にうっすら桜色。その向こうのくもり空は、一面の銀色だ。

春先とはいえ、夕方が近づくにつれだんだん寒くなってきた。俺はその愛しい人を暖めるべく、どう部屋まで連れていこうかと、誘いの言葉を考えながら足を踏み出した。

おしまい。

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