Baby Crusing Love

  しむしむさんよりいただきました遠距離喧嘩センサカ  

腹が立つ。

なんだ、何なんだあいつは!
いつもしれっとした人を小馬鹿にしたような顔して、ついでに口を開けばそれこそ私の言う事を全部否定してひっくり返すようなことを言って、最後の最後には「アンタもしょーもない人ですね」って毎回毎回性懲りもなく言いおって、それがお決まりの台詞の締めか?何だそれは?

あいつは私のことを幸せにするためにいるのだろう?

と頭に血が上ったまま大阪を後にし、東京の自分のマンションに帰ってきた。
こまめに緒方くんが風を通しに部屋に入ってくれているようだが(高杉も?そんなのは知らん)、やはり人のいない部屋というものはあっという間に荒むものだと感じた。空気がひんやりしている。
エアコンを入れ、風呂もお湯を張り、ベッドに布団を出し直し、お気に入りのワインをひとりで開けた。

なんだ、ひとりでいることってこんなに気楽だったのか。

この所、あの仏頂面をずっと見させられていたので、この空間に自分一人だけでいるという事と、何をしても誰にも、一番はあいつにも小言を喰らわないという事に少し浮かれる。

もうこのまま東京にいるかな・・・

天井を見上げてソファーにもたれながら口に出して言ってみる。
そうだ、そうしたらあいつも私のいない淋しさで泣きを入れてくるだろう。
でも決してすぐには帰ってやらん。あいつも少しは反省して素直になってみるがいい。
そしたら許してやらんこともないのにな。

そうしてそのまま数日が過ぎた。


・・・あいつ、本当にこのまま何にも言ってこないのか。

浮かれた独り暮らしは最初の2日くらいまでだった。3日目くらいの時、ものを探していて無意識にあいつの名前を呼んでしまった時から何かが変わった。ええい、忌々しい、いいからそこから、
私から離れろ。

電話も鳴らない。メールもこない。まあ当然だろう、私だって何もしていない。
でも、本当にこのままなのか?そこで気が付いた。これはもしや遠距離ナントカで自然消滅とかいうやつじゃないのか?いやややや、何を考えたのだ私は、遠距離ナントカというものは恋人同士が陥るものだろう、私とあいつの間にそんな甘いものは無い、無いに決まってる、というか無いといま私が決めた。
それでもそんな甘いものは無くとも、私と同居している身であるあいつは、私が勝手に出てきたことに対してこのまま無反応を決め込むのか?そう思ったらまた腹が立ってきた。あいつが何を考えているのか、時々心底解らなくなる。そして時々心底イラつく。ここはあいつが頭を下げてくるべきところだろう?

腹立ちまぎれに手にしていた携帯をソファーの上に投げつけてしまった。その衝撃で携帯が目をさましたように光を点す。はっとして手を添え見てみるが着信の点灯では無かった。

・・・なんでこんなに私がイライラせねばならんのだ。

ある一定の時間が過ぎ携帯の光が消えた。それと共に自分の怒りも沈んできた気がした。


こうなったいきさつは何だったかな…と今更ながらに思う。だが、考えても考えても最初の理由が思い当たらない。決定的にあいつが悪い!という理由に絞って探してみるが、思いつくのはあいつのちょっと困った様に眉を寄せる顔だけだった。

待てよ、怒っているのはいつも私だけか?

あれあれおかしいぞ、と思う。自分の頭の中にあったものは、いつもあいつが私に勝手なことばかり言うからそれが嫌味で悔しくて、だった筈だ。でも思い起こしてみると、いつも声を荒げていたのは…たぶん私だ。
ちょっと待て。私はいつも何を言っていただろうか。そしてあいつに何をしてやっていたのだろうか。

その時自分が、いま本当にひとりでいるんだなとぽつり思った。

最近まで考えたことも無かったが、誰かと一緒に居続けるというのは、その相手に対して自分の気持ちを差し出し続けることと同じなんだと思う。相手に何かを求めるのなら、それと同じかそれ以上のことを自分がまずするべきなのだと。だけれども、毎日一緒にいて毎日喧嘩して、いつしかそんな事はだんだんと忘れていってしまうもので、身勝手な要望ばかりが大きく膨らんで、こうしてあげるべきだった思いがいつのまにか、こうしてもらうべきになってきていた。それが今の私だ。

こうするべきこうしてもらうべき。そう考えながら前だけを見て勝手に歩いてきた私の道筋は、私たちが元々辿ろうとしたものとは外れてきていた事に気付く。そうした結果、いま私はひとりでこんな場所にいる。
千太郎から遠く離れて。

東京と大阪。
その距離はきっと、私が作った心の距離だ。

背中を何か冷たいものが走り、先程投げ出した携帯を手に取り、すぐに千太郎の番号を呼び出した。1コール。
それを聞いたとたん、急に怖くなって通話を切ってしまった。何をしてるんだ私は。悪質な迷惑行為と同じじゃないか。でも怖い。自分から勝手に離れてきたくせに今更何を言えばいいのかわからない。それに、あいつだって何にも言ってこないじゃないか。きっと呆れてる。きっともう、あいつが笑いかけてきてくれる事は無いのかもしれない。きっともう、
あの腕に包まれる事は無いのかもしれない。

寒くもないのに、自分の両腕で自分の身体をかき抱いた。

その時、自分の腕と一緒に抱え込んでいた携帯が震えた。びくっとして見ると着信で、そこには千太郎の名前が表示されていた。通話ボタンを間違えて電源を落としそうになりながらもなんとか携帯を耳にあてると、そこから千太郎の声がした。

「坂本さんですか?俺、千太郎です。先程電話くれましたよね?」
「せんたろ・・・」

千太郎だ。千太郎の声だ。鼓動がせく感じになり身体全体に響く。千太郎何で、電話、今どこから。

「坂本さん?聞こえてます?」

そこでやっとはっとして携帯を持ち直す。それと同時に、声を聞いたらなんだか安堵の気持ちと共に、怒りにも似た強い気持ちも湧き上がってきた。

「坂本さ」
「千太郎、お前いつもと同じ声で話しているが、私に対して何か言いたいこととか無いのか?」
「…言いたいこと、ですか?」
「そうだ、今回は私が勝手に、その、飛び出してきたものだが、それでお前が思う事は無いのか?ずっと離れていても何も言ってこないし、まあ私も何も連絡もしていなかったから同じだけれども、でも私は、ずっと」

少し間が空いた。

「…坂本さんは、俺に何か言いたいことはありますか?」
「言いたいことなんて…」

否定の言葉のようだが内心は逆で、言いたかった事、言わなければならないと思っていた事が渦を巻いてしまって、急には言葉が出てこなかった。さっきまで何を考えていたのだ私は?何か、何か言わなければ。

「千太郎は、」
「ハイ、俺は?何ですか?」

ひとりで考えていたことがその時すべて飛んだ。自分の中に残っている気持ちは何だろう?それを考える間もなく、言葉が口をついて出ていた。

「千太郎は、私の事を見てなきゃ駄目だ。千太郎には何でも言えるのだしお前もそれを聞いてなきゃ駄目なんだ。確かに私も我儘が過ぎたと思う、けれども、私だって誰彼構わず我儘を言う訳ではないんだ、千太郎だから、千太郎だから言えるってことくらい、お前はわかっていなきゃ駄目なんだ!」

少しの間、自分のつく息だけが聞こえた。携帯からの沈黙が耳に痛い。どうすればいいのだ、たまには譲ってやろうと思っていた筈なのに、結局は子供じみた言葉しか出てこなかった。

その時、玄関でチャイムがなった。そんな、今は駄目だ、誰が来ても出れない。
そう思っていると、そのチャイムが聞こえたのか千太郎が言った。

「電話はこのままで、ドアを開けて下さい」
「え、…わかった、ちょっとそのまま待っているのだぞ?切るのではないぞ!」

携帯を握ったまま、とにかく来客に対応してしまおうとインターフォンにも出ずにドアを開けた。

「どちらさま、…!」

そこには千太郎が携帯を耳に当てたまま立っていた。
携帯からと同じ声が耳に届いた。

「そういうことは、本人の顔をちゃんと見て言わなきゃ駄目ですよ」
「せんたろ ・・・ッ」

さっきまで感じていた遠い距離は、あとたったの一歩になっていた。
千太郎が携帯を持つ手を一度下ろし、再度、こちらに向けて両手を広げた。
その最後の距離も、今、ゼロになる。

おしまい。
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