「チョコレイト・ディスコ」

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「チョコレイト・ディスコ」

『こちらデパ地下も、明日のバレンタインを控え、揺れに揺れております!』

TVの中でレポーターが混雑するデパートの地下にわざわざ入り込み、もみくちゃにされながらそう叫ぶのを見て、正直なんなんだと思った。地下が揺れに揺れるなんて、一体どういう表現なんだ。
まあでも、あの混雑ぶりに飲み込まれたらそんな感じかもな、と思いながら、自分の手に持っている段ボールを見た。

それは先程、ぴんぽーんとインターフォンを鳴らした黒猫が、にゃーにゃーと届けてくれたものだ。
品名は、「京都のお茶屋さんの抹茶チョコレート」である。

そう、明日はバレンタイン。そんなお菓子業界と小売業界の戦略に乗ってやることもないのだが、今まで過ごしてきた2月14日は、なんとなくやつからの視線を感じるような感じないようなええいはっきり欲しいなら欲しいと言え!という日だったので、今年はそんな恨めしいような目で見られるのはまっぴらだという事で、ネットの中をうろうろし、お手頃価格なのに美味しそうなものを見つけ、自分も楽しみたい気持ち半分でチョコレートを注文してみたのだ。
いい大人の男があんなデパ地下なんて行けるわけないしな、とネットという文明の力に感謝しつつ、さて、中身はどんなものかな?とわくわくしながら開けてみたその時、玄関から、ただいま帰りました、という千太郎の声がした。

そうだ、今日は早く帰ってくると言っていたのだった!と、わたわたと箱をしまいこみ、リビングで身構えてやつを待ったが、一向に姿を現さない。おかしいなと思って玄関の方を覗くと、玄関先で座り込んでいる背中があった。

「ちたろー・・・どうした?」
「あ、いえ、ちょっと疲れて…大丈夫です、只今帰りました」
そう言って勝手に人の頭にキスをするのにびっくりしたと同時に、チョコレートを隠したその内緒の気持ちの焦りも出て、千太郎の胸に手をついて飛びのいてしまった。その時、足元に置いてあった千太郎のバッグも蹴飛ばしてしまい、ばたん、という音がしてバッグが倒れ、中身が外に飛び出してきた。

「うわッ、すまんちたろー!大丈夫か携帯…と?」

バッグの中から、携帯などと一緒に、綺麗なパープルの色合いのラッピングの箱が飛び出してきた。なんだなんだこれはもしかして、

「ちたろーお前、どこかの女性が本命だから抜けがけして前日に渡してしまえでもらってきたとかそういうものじゃないだろうな!」

はあ?と疲れた顔がまぬけ面に変わった。そして、私の足元に落ちている箱に目をやり、一瞬顔をしかめた。
その顔!やはり!と思ってまた口を開こうとしたその時、千太郎がそれを拾い上げ、私に向って差し出した。

「あのですね、今ここで渡しちゃうのは不本意なんですけれども、何かアホな事を言われる前に渡しますね。・・・ハイ、これは坂本さんへです」
「なにッ、という事は、どこかの女性が本命だから前日にでも恥ずかしくて私に渡せなくてお前に…ッ」
「 ち・が・い・ま・す 」

一言一言強く区切られた言葉と、ずいっと近寄ってきた千太郎の顔に、私の台詞が一気に消された。頭の上に???を飛ばしていると、千太郎が私の手を取り、そこにそっとラッピングされた箱を乗せた。

「今日は相手先から早く出られて帰ろうと思った時、デパートの前を通ったんですよ。そしたら、バレンタインフェアだってあってアンタの顔が浮かんで、ちょっと覗いてみるかなと思ったんです。そしたら地下がものすごい事になっていて、あんなに女性ばかりの塊を見たのは初めてだってくらいで、その波に流されて出口から遠く離れた所にこの色のラッピングがあってそれで…」
「私に買っていこうと思ったと?そういうことか?」

疲れた顔がそうです、とうなずいた。聞くと、その女性ばかりの塊の中で、千太郎はどうやら店員と間違われたりして散々だったらしい。ああ確かに、バレンタイン前のデパ地下にスーツで生真面目な顔のやつがいたら店員だと思うかもしれないな。
デパ地下は揺れていたか?と聞くと、揺れに揺れてました、とレポーターと同じ事を言う。
どこどこのチョコはどの位置にあるかなんて知りませんよ、とぼやきながら、首の後ろを押さえている姿をみたら笑いがこみあげてきた。そしてそのまま黒猫の段ボールを取りに行き、ソファーでのびている千太郎の前にドンと置いた。

「疲れている時は甘いものがいいだろう?」

段ボールと私の顔を見比べている千太郎に向って、笑って言った。

これはお前へ、だからな。

おしまい。

*「ラブ・ショコラ」より前の年と思って下さい。


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