「ポリリズム」

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「ポリリズム」

事故にあってから少し前までの間、昔の自分に戻っていたらしい。

少年の頃のお前は可愛かったぞー、とあの人が事あるごとに言うのが少し癪に障る。そんなこと言ったって、昔は昔、今は今。
今あなたの横にいるのは誰ですか、と問うと、その人は、お前に決まっているだろう?とさらりと返してきた。それがまた気に入らない気持ちになって、つい黙り込んだ。

話を聞くと、ここにいた昔の自分というのは、自我という一定のテンポの中にこの人の存在が混ざりこんできた時期だったと思う。とても不調和。だけど自分とはまったく違う歩調に吸い寄せられていった自分。
ほんの少しの自分の気持ちが、恋の始まりだったとは気付けなかった時期。あの衝動が巡り巡って、今こうしているなんて、あの時の自分はどう思ったのだろう。今の自分だって、あの反動が嘘みたいだと思うのに。

だいじょうぶ、という言葉と共に、頭の上からぽんぽんと掌が乗せられた。
やめて下さい、もう子供じゃないんですから、とその手から逃れると、その人は座っている俺の目線に合わせるようにして顔を近づけてきた。

私はひとつ決めたんだ。

何をですか?という意味を込めて見上げると、その人が柔らかく笑って言った。

あの時の事で未だに思い出せない部分はあるけれども、でもきっとあの時のお前と今のお前の気持ちはずっと同じで、ずっと繰り返されてるものなんだとわかったんだ。だから、そのお前の大事な想いを無駄にしないようにしていくんだって、私はそう決めたんだ。

その人の胸に額を寄せたら、頭の後ろに掌が添えられた。心臓の上、たぶん自分とは違うリズム、でも、自分と沿わせて同じ時を刻んでいけたらと思う。

好きです。

あの時わからなかった気持ちを今の俺が繰り返す。それはその人の唇で受け入れられた。

おしまい。

*ポリリズムとは
「複数のリズムが同時進行で演奏されること」です。


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