決算で総決算。
いつも帳尻が合っていれば、いいのですが、
なぜかいつも合わないものなのです。
愛の総決算。
坂本氏が朗らかに、友人である高杉氏のうちに遊びに行った折、大の大人が雁首そろえて円を描いて丸くなっていた。
なにやらごそごそひそひそやっている。
一種異様な光景である。
さして楽しそうにも見えなかったが、仲間はずれにされるのが嫌いな坂本氏は、みんなが何に夢中になっているのか、頭越しに見ようとした。
すると、今までえらく小声で議論を交わしていたようなのに、坂本氏が現れたとなると、みんないっせいに、ヘンな踊りを踊り始めたり、怪しげな体操を始めて、
「いやあ、今日はいい天気だなあ、坂本さんも一緒にどうです?」
「ほんと、緒方君の言うとおりだ。気持ちいいなあ。」
などと声をかけてきたが、外は台風で結構荒れている。
何か隠し事をされていると坂本氏でなくても気づく不自然さである。
みんながパスをし合って、隠そうとしている紙をさっと奪い取った。
そこにはひたすら数字の羅列。決して大の大人が見ていて楽しいものとは思えない。(預金通帳の残高やら株相場の増減なら別だが。)
「なんだ、これは・・・」
しばらくじっと見たが、坂本氏には意味がわからない。
すると、高杉氏が桂氏のほうを見て、了承を取ってから、
「それは、桂君のバランスシートだよ。」
と告げた。
あるときから、愛も数値化したい、という世間の要請が高まったためか、はたまた、荒れる家庭の崩壊をとどめるためか、愛のバランスシート作成が義務付けられたのだ。坂本氏は、その法案が可決された折には、海外にいたため情報が遅れていたのかもしれない。
とにかく、政府は、愛を数値化するシステムの開発に成功、そのセンサーに引っかかったもの(愛を胸に抱えている人)は、半期に一度バランスシートを作成、監査にチェックしてもらわないといけないのである。
桂氏の帳簿には、愛の不動在庫がたくさん計上されていた。
高杉氏や緒方氏に言わせると、よくもまあ、ここまで表立って明らかにならずにきたものだと感心するやらあきれるやらである。
式部氏に言わせると、年月が勝手に利息をつける、ということらしい。経験者の言は重い。
桂氏は、うなだれながら、
「自分でも気づかないうちにいとしさが降り積もっていたようで、もう俺の胸の倉庫の中にしまっておけなくなってきました。」
と告白した。
だからといって、この在庫量は尋常ではない。だいたい、3ヶ月動きがなかったら、不動在庫と認定される。
桂氏の場合、11年の長きにわたっているわけだから、その在庫量も半端ではない。
が、よくよく在庫表を見ると、あまり古いものは在庫されていない。
・一緒に学校の帰り、駅まで帰った。
・委員会が一緒だった。
・体育祭で同じチームだった。
・クラスが上がって座った机が、坂本さんが使っていたのだった。→「坂本参上!」と彫刻してあった。
みんなその在庫表を見て黙り込んでしまった。桂氏の青春時代の思い出のなんと切ないことか。
しかも、それらの在庫は、たいてい、坂本氏に忘れられているというダメージで相殺されており、えらく淡く、セピア色になっている。
みんな自分の青春時代を思い出したのか、遠い目になっている。
中には、学校生活で思い出を共有し、今でも共有し続けているカップルは、
「高校生のときの式部君はほんとうにすてきでしたねえ。」
「堤さんにあったとき、運命の出会いだと思いました。」
と手を握り合い、いまだ青春の日々続行中である。
それを見ながら、
「僕も緒方君の学生の頃に会いたかったなあ。」
「俺も高杉さんの制服姿見てみたかったです。」
というので、昔のアルバムを取り出してみたりしている。
こうした何らかの形で思い出を共有・交換できるカップルには、愛の不動在庫は発生しないのである。
なにが、桂氏の不動在庫になっているか、よくよくみてみると、ある時期から急に増えているのがよくわかる。
日付で言うなら、坂本氏が、
「幸せにしてみろ」
発言をしたあたりからである。グラフで示すと、右肩上がりに、ほぼ垂直ともいっていいくらいの伸びである。前年比でいうと、500%をはるかに越えている。あっという間にここから在庫が膨れ上がり、需要と供給のバランスが明らかに崩れている。
「まずいよ、桂君。これだけあると、在庫、償却しきれないよ。今はリサイクル法もあるから、なまなかに廃棄もできないし。」
「そうだな。しかも、これは坂本用にカスタマイズしてあるから、そこいらのお姉さん達に配って歩くわけにもいかない。」
「海にばら撒いてきたらどうよ」
「だめですよ、式部くん。いまどきは海洋投棄にえらくきびしいですから、ばら撒いているのばれたらお縄ですよ。」
喧々諤々である。
だいたい売り上げなくして、過剰在庫を溜め込んでいるこの状態は正常な経営状態ではないのである。体質の抜本的改革がどうあっても必要であり、おそらく、今回の監査の際にもこの点が、必ず追及されること請け合いである。最悪、倒産。よくて再生法である。
「もう、あなたを好きなのやめていいですか?」
そう、桂氏は坂本氏に尋ねた。
そういわれると、坂本氏は、ふいっと横を向いて、
「それはお前の勝手だ。好きにしたらいい。」
と答えた。いっそそっけないくらいだ。
だいたい坂本氏にしてみれば、勝手に製造されて、在庫があるから引き取れと脅しをかけられているようなものである。
とくに、発注したわけでもないのに、そんなもの引き取る義理はない、というのが表立っての論旨である。
そんな坂本氏の口にださない思いを桂氏はいつものことながらはっきり理解しているため、
「そうですね・・・」
とさみしそうにつぶやいた。
桂氏に残されている道は、在庫をすっかりなくし、新たな道を歩くか、在庫を坂本氏に押し付けて帳簿をきれいにするかである。すでに、坂本氏は在庫の引取りを拒んでいるため、桂氏に残されている道は、在庫を焼却処分するというものである。
なんらかの処理をしなければ、監査に引っかかってしまう。
かといって、愛を押し売りする、というのも、桂氏にはできない。だいたい見込みがなければ、製造されなかったはずなのに、たった一言で、あおられて、ときめき続けてしまったのだから、相手の不用意な一言を責めることはできても、その言葉を言質に取って在庫を引き取ってもらうことは、拡大解釈だと、きっと裁判を起こしても勝てないに違いない。もし、仮に勝てたとしても、誰が自分の愛をそうまでして押し付けたいと思うだろうか。
まあ、実りのない、受け取り手のない愛をこれ以上製造するのもわびしいと、いっそすっぱりと行こうとばかりに、桂氏は、
「緒方さん、廃棄業者を紹介してもらえますか?」
と声をかけた。
「全部、さようならするのかい?桂君」
「はい。もう仕方ありません。これ以上続けても、傷が深まるばかりです。」
みんなで桂氏の周りに集まって慰める言葉もなく立ち尽くしている。
坂本氏はまたえらく阻害された気分になった。いたたまれない。
なんだ、私が悪者なのか、と坂本氏は胸の中でつぶやいた。
正直言って、桂氏の先ほどの台詞は青天の霹靂である。
「好きなのやめていいか」などときかれて、「やめるな!」といえる坂本氏ではない。
かといって、穏便に引き止める方法など知らないのである。いっそ無理に懇願でも押し売りしてくれたほうが、坂本氏としてはよほど受け取りやすいのだが、そんなことは彼のプライドが許せない。
離れていこうとする桂氏に対して、なんと言葉をかけていいのか、坂本氏は選び出せないのだ。
「坂本。お前の損益計算書見せてみろ。」
と高杉氏に言われたが、桂氏は何のことやらわからない。
「損益計算書???」
はとが豆鉄砲食らった顔である。
その顔を見てみんなある可能性に気がついた。
「お前・・・もしかして帳簿つけてないのか?」
「まずいですよ、坂本さん!愛の総決算は近いというのに、帳簿をつけていないとなると、監査に引っかかる以前の話ですよ!」
帳簿?愛の総決算?監査?
だいたい最初から坂本氏は、話の意味がわかっていなかった。
「この様子だと、貸借対照表も作成してないな。」
「やばいですね・・・」
それから、ぜんぜん状況のわかっていない坂本氏は放っておいて、みんなで坂本氏の帳簿作成に全力を注いだ。
が、要領を得ない坂本氏からの聞き込み調査は難航を極め、それぞれに適合した勘定科目に振り分けるのにえらく時間がかかった。
それ以上に、棚卸の作業には尋常でない手間がかかった。整理していないうえに、在庫管理をまったくしていなかったからだ。
一通りの作業が終わってから、高杉氏は、坂本氏にあるものをわたして、これからはちゃんと自分で帳簿をつけるように言い渡した。
「愛ラブ経理君」
そうパッケージに書いてあった・・・
そうして、みんなで坂本氏の帳簿を検討した結果、
「桂君、とりあえず坂本に買い取ってもらって、在庫のほうは預かりにしておけばいいんじゃないかな」
「そうですね。まあ、ある程度坂本さんの倉庫に空きがあるみたいなので、移せるだけ移して、あとはおいおい出荷していくことにします。」
「ちょっとまて、勝手に話を進めるな。だいたい、私にはこの表の見方がわからんのだが」
そう坂本氏がいうので、桂氏は、にっこり笑って、
「そのうちわかるようになりますよ。」
といって、坂本氏にペンを渡して、売買契約書と覚書にサインをさせた。
坂本氏は知らない。
坂本氏のバランスシートの結果が、桂氏にある程度の希望を持たせる結果を示していることを。
そして、桂氏が最終的に狙っているのが、高杉氏・緒方氏、式部氏・堤氏のように、出来上がったカップルのようにバランスシートを1つにする、ということである。バランスシートがひとつになれば、在庫管理も容易であり、損益も出しやすいのである。いちいち合算しなくてもいい。
愛を流動ではなく、固定に。愛の資産運用を。
そんな計画がなされているとは知らずに、とりあえず、桂氏が離れていくことにならずにすんで、人知れずほっと胸をなでおろしている坂本氏であった。そのあとには、無理やり押し売りされたものに対する対価支払いが待っているとは、やはり坂本氏は知らないのであった。
おしまい。