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経済論文の作法

2000年

東洋大学 経済学部 専任講師(執筆当時) 上村敏之

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1.はじめに

 論文とは何であろうか。論文とは他人を説得するための手段である。すなわち、自らの主張を論理的に説明したいが為にまとめられた文章を論文という。良い論文は他人が読んでも極めて説得的に書かれているものである。自己満足で書かれた文章は到底論文とはいえない。そのため、論文には文章が読みやすいことが求められる。また、論文の作成には礼儀がある。礼儀を守らなければ、どんなに良い論文でも読まれない可能性がある。これはわれわれの生活でいう、「身だしなみ」のようなものかもしれない。つまり、論文の作成には、国語力と表現技術、さらに礼儀作法が要請される。特に、経済学のような人文社会学系の学問分野においては、論文における論理的な展開と表現力の豊かさを常に求められているといってもよい。ところが、これらの能力は無意識で備わるほど甘くはない。最初はかなり意識して「わかりやすい論文」を書く訓練を積まなければならない。

 このような問題意識により、本稿は経済論文の作成と作法について記述することを目的としている。本稿は経済論文を作成しなければならない大学生や大学院生を対象としている。すでに大学にて卒業論文を作成した方や、現在において論文を作成中の方もおられるかもしれない。中にはある程度の技術や作法を身につけている方もおられると思う。そんな方でも、自らの作法の確認し、本稿で展開される技術とあなたが会得してきた技術を比較検討し、さらに「わかりやすい論文」を目指すきっかけにしていただきたい。

 論文を書くものにとって、「わかりやすい論文」作りは永遠のテーマであり、その技術を常に向上しようという意識をもたねばならない。なぜなら、わかりにくい論文は自分の主張を読み手に伝えられないだけでなく、場合によっては誤解を招き、破棄されるという危険性をもっているからである。ただし、論文は当然ながら内容も命である。内容についてはあなたの発想と力量であることも忘れないで欲しい。また、本稿は日本語の経済論文を想定して書かれていることを付記しておく。

 本稿の構成は以下の通りである。2節では論文の骨格について考える。3節では文章の記述において意識すべきことに触れる。4節では論文の体裁について言及する。5節では「わかりやすい論文」に求められることを指摘する。最後の6節では論文の作成に当たっての筆者の見解について述べることでむすびとする。


2.論文の骨格

 本節では論文の骨格について考える。肉や内臓が論文の内容だとしたら、骨格はそれらを支える重要な役割を果たす。骨格がうまく定まらない場合は、論文の執筆者が論理展開における自己矛盾を抱えている可能性がある。そのため、骨格とは研究過程のすべてを表現する重要なものである。

2.1.構成を考える

 論文を書くにあたり、最初に決めるべきことは構成であろう。自分が研究してきた一通りの道筋を、論理的に並べてゆく作業である。あなたはどうしてそのテーマについて研究しようとしたのだろうか。これが問題意識である。そして、問題意識を解決した手法や論理を展開する。これが論文の主要な内容である。その後、新たに得られた知見や分析結果から、最初の問題意識が解決したかについて吟味する。これが大まかな構成の流れであろう。

 すなわち、

T.問題意識
U.考察や分析
V.新たに得られた知見や分析結果
W.問題意識が解決したか


というように、自らの研究の内容を分割してみよう。実は、ここでの構成とは、論文における節の基礎にもなりうる。節については次節で考察するが、その前に論文の内容と構成に関して重要な指摘をしておこう。

 まず、あなたの研究において事実である部分と主張である部分を明確にすることである。事実とは客観的に誰もが認める事象を指す。それに対して、主張とはあなた自身が考察や分析を行った結果として生じた見解である。すなわち、研究の流れとは事実の認識から始まって主張に到達する。「T.問題意識」とは事実から生じるものである場合が多い。当然ながら、「V.新たに得られた知見や分析結果」は主張に通じている。

 主張は感想と同じではない。主張は「U.考察や分析」を経て得られた結果なのである。小学生に感想文を書かせると何の論拠もなしに「○○と思いました」と書く場合が多い。しかし、「なぜその様に感じたのか」について論理的な解説を抜きにして、論文は成り立たない。このことが論文と感想文との決定的な違いである。

 最後に、事実である問題意識と主張である結果を照らし合わせ、「W.問題意識が解決したか」を整理してみよう。うまく最初の問題意識が解決するように主張できるならば、あなたの研究は論文としてまとめるのに値しているであろう。

 次節以降では、以上の研究の流れを論文としてまとめる際に考えるべき点と技術について述べよう。


2.2.節を考える

 簡単にいうと、節とは論文の中のサブタイトルである。経済論文に見られる節の基本的形式は以下のような形をとる場合が多い。

(例1) 1.はじめに
     2.分析手法
     3.分析結果
     4.おわりに
     参考文献

先の「T.構成を考える」においては研究内容を分解した。上の(例1)はこのときの構成の分類形式と変わりがないが、「4.おわりに」には論文の要約を簡単にまとめることと、残された問題点を指摘することが多い。(例1)をバリエーションとして多くの形式が考えられる。たとえば、自分の研究に関連する既存研究の紹介(サーベイ)について記述する場合、

(例2) 1.はじめに
     2.既存研究
     3.分析手法
     4.分析結果
     5.おわりに
     参考文献

といった形もあり得るだろう。ただし、サーベイが分量的に多くなければ、「1.はじめに」で簡単に触れる場合もあるし、脚注として処理することもある。また、節をさらに「小節」に分割することもありえるだろう。たとえば実証分析でデータの解説をする場合、

(例3) 1.はじめに
     2.分析
      2.1.手法
      2.2.データ
     3.分析結果
     4.おわりに
     参考文献

という形式も考えられる。すなわち、多くの論文が以上のような形式を採用していることを考慮しつつ、自分の主張を述べやすいように節を並べればよい。ただし、節の分割を決定する際に最優先すべきなのは、やはり論文の読みやすさである。これは、論文全体のバランスにも関連することでもある。また、参考文献については後述される。


2.3.タイトルを考える

 本稿では「2.2.節を考える」の後に「2.3.タイトルを考える」をもってきたが、必ずしもこの順序にこだわる必要はないであろう。場合によっては、タイトルが論文作成の最後に決まるときもあるし、研究をはじめる前にすでに決定していることもありえるからである。タイトルは論文の命ともいえるので、慎重に命名する必要がある。一流のコピーライターになったつもりで、自分の研究を端的に短い言葉で表現してみよう。

 重要なのは、研究分野におけるキーワードを必ずタイトルにいれておくことである。換言すれば、専門家から見てどのようなことを研究した論文なのかが一言でわかるような言葉を意味している。その論文が公刊された場合、コンピュータによるキーワード検索の結果としてあなたの論文が出てこないことがないように、タイトルにはキーワードが不可欠である。

 さらに、余力があるならば、自分の論文のオリジナリティがわかるようなタイトルをつけることが望ましい。論文のオリジナリティとは、過去の既存研究でなされていないことが自分の論文の中に織り込まれていることを意味し、すなわち論文の「売り」となる部分である。同じ分野の専門家が見た場合、タイトルだけでその論文の価値がわかるようになればよい。

 このため、キーワードとして採用したいのは、問題意識の対象となる言葉、分析手法、利用したデータといったものである。これらをうまく組み合わせることで、タイトルを作成することができる。また、問題意識をメインタイトル、オリジナリティのキーワードをサブタイトルとして、タイトルに多くの情報をもたせることもできる。このようなことをするのは、あまりにも平凡なメインタイトルの場合、サブタイトルで差別化を図れるからでもある。

 一方、自分の主張を強く述べたい場合、主張をそのままタイトルにするという場合もある。たとえば、「○○とは何か?」「××にせよ」といった類である。論文としてはジャーナリステックな印象を与えてしまいがちなので、若手の研究者がつけるタイトルとしてはやや避けられる傾向がある。そのため、メインタイトルとは別に、サブタイトルとしてこのような主張をいれることもある。

 同様に、節のタイトルやサブタイトルについても、内容がわかるように命名することが望ましいだろう。さて、ここまでは論文の骨格について論じてきた。いよいよ以下からは文章の記述について論じることになる。

3.文章の記述

 文章の記述には国語力が不可欠である。また、論理的な展開や洒落た言い回しには表現力が必要である 。これらの技術を向上させるのは、意識をしつつ経験をすることしかない。この節では、国語力や表現力がそれほどなくとも、どのような意識で文章を書けば「わかりやすい論文」に到達するのかについて考えたい。

3.1.読み手は誰か

 あなたの論文の読み手は誰だろうか。これは文章を記述する際に必ず考えなければならない事柄である。つまり、読み手がどの程度の知識をもっていると想定するのかである。学問というものは、学術性を保つために、多くの専門的な用語や知識を要求するものである。あなたはある専門分野について研究しているいわゆる専門家であるが、ひょっとすると読み手の方はあなたほど知識がないかも知れない。逆に、あなたよりも専門家の方に読んでいただく論文の場合もある。このように、読み手の想定の違いによっては、全く異なる表現の論文ができあがることになる。

 経済学を全く知らない人がわかるように書かれた論文と、専門家がわかるように書かれた論文とは全く異なってしまうだろう。どの水準で論文を書くべきなのだろうか。この判断は価値判断を含んでいるために一義的に決定できる問題ではない。人によっては、「小中学生にもわかるような文章を書くべきだ」となるし、「専門論文なのだからその分野の専門家だけがわかればよい」となる場合もある。また、前者のようなわかりやすさを追求すればするほど、文章量が多くなるため、論文の紙面が限られている場合は後者のようなスタンスが採用される場合が多い。

 これでは、どのような水準で論文を書くべきかが明らかにならないため、やや独断的ではあるが、ひとつの価値判断を提供することにする。つまり、前者のわかりやすさと後者の専門性を双方とも保つ折衷案である。まず、読み手は学部教科書レベルの経済学の知識をもっている人をひとまず考える。基本的にはこのレベルを想定し、最初の問題意識と最後に言及する分析結果の要約については比較的易しさを追求して記述する。つぎに、分析手法などについては紙面の都合を考える。分量が限られていない場合、できるだけ易しさを維持するが、限られている場合は専門的な表現にならざるを得ない。この場合はなるべく脚注において解説を補足する文章や既存研究を紹介することで対応する。これにより、専門外の読み手でも分析手法がわからなくても、論文の問題意識と分析結果だけは伝わるように意識して論文を書くのである。

 また、あなたの論文がどのような雑誌または本に掲載されるのかにも、書き手に要求される水準が異なってくることになる。たとえば、経済学を知らない一般の方々が読むような雑誌に掲載される場合に専門用語を説明なしに使うのはあまりにも不親切である。逆に、専門家しか読まない本に経済学を学んだ人なら当然ながら知っているような事実をだらだら書くことも好ましくない。

 ここで提示した方法がベストとはいえない。あなたはあなた自身の姿勢を見つけるべきである。ここで指摘したいことは、読み手が誰であるかについて、意識して論文を書くということである。


3.2.文章表現で注意すべきこと

 論文は自分が研究してきた成果を報告する手段である。しかし、場合によってはうまく主張を伝えることができなかったり、誤解されたりしてしまうこともありえる。論文では文章だけで自分のいいたいことを伝達しなければならない。そのために必要な技術について箇条書きにして解説してゆこう。

・一つの文には主語と述語があること
 これは当たり前のように聞こえるが、それほど厳密に守られているわけではない。日本語は主語を省略しても通じる言語であり、このような省略する形態が文章でもまかり通ることが多い。論文は論理的な展開を要求されるものであるから、主語と述語の関係を一文一文チェックする必要がある。特に、長い文(センテンス)においてこの関係がわかりにくくなることが多い。その場合、なるべく短い文に区切り、主述を明確にすることが望ましい。

・修飾語と被修飾語の関係が明確であること
 主語と述語の関係と同様、一文一文において修飾語がどの言葉にかかっているのかをチェックすべきである。先と同じように、長い文には気をつけねばならない。文を書くことに慣れていない人ほど、長い文を書く傾向があり、概してわかりにくいものとなる。長い文を書いてもわかりやすく書ける人は、相当に文章を書く修行を積んだ人である。初心者はなるべく短く文をまとめてゆくことを意識しよう。また、修飾語の連続、たとえば「○○の××の□□の◇◇」といった表現も避けなければならない。

・接続詞の乱用を避けること
 ところが、なるべく短い文を書こうとすると、初心者は一つ一つの文を接続詞でつなげようとする。たとえば、小学生に文章を書かせると「○○でした。そして、××になりました。だから、□□と思いました。でも、◇◇です。」というようになることが多いのではないだろうか。あまりにも不自然であると感じるであろう。実際、私たちが話す会話で接続語はほとんど出てこない。接続詞は非常に便利であるが、乱用すると読み手に不快感を与えてしまう結果となる。

・指示語の乱用を避けること
 指示語とはいわゆる「こそあど」言葉である。容易にわかると思うが、指示語とは書き手が言葉を省略する手段であるから、指示語の乱用は読み手の思考を疲れさせる。われわれの目的は「わかりやすい論文」を書くことにあるので、指示語は意識してなるべく使わないようにする必要がある。

・同一用語と同一表現の乱用を避けること
 同じ言葉や表現が繰り返し出てくると、読み手に退屈感を与えてしまう。たとえば、「レベル」と「水準」と「程度」、「スタンス」と「姿勢」と「方針」などといったような同義語を使うことで、同一用語の乱用を意識的に避ける方法である。また、「○○は××であるかもしれない。しかし、○○は△△かもしれない。」という文章では、「かもしれない」が連続する。「○○は××である可能性がある。しかし、○○は△△であることも指摘できるだろう。」のように表現方法を変えるのが適切である。しかし、繰り返される言葉が重要なキーワードである場合はこの限りではないことを付け加えておく。また、西暦(元号)を使うなら西暦(元号)で統一するといった、統一すべき表現も存在することにも注意しよう。

・口語を使わない
 ある意味では当たり前のことであるが、文語と口語の境界が曖昧な言葉については、このルールが完全に守られているとはいえない。たとえば「よって」⇒「したがって」、「もうひとつは」⇒「いまひとつは」である。

・ひらがな表記にする
 漢字での表記は文章として堅いイメージを読み手に持たせることがある。程度はあるものの、場合によっては漢字表記よりも意識的にひらがな表記にするほうが読み手を疲れさせないことがある。以下の例はやや主観的になるが、たとえば、「概ね」⇒「おおむね」、「方が」⇒「ほうが」、「下で(基で)」⇒「もとで」、「扱う」⇒「あつかう」、「等」⇒「など」、「例えば」⇒「たとえば」、「出来る」⇒「できる」、「従って」⇒「したがって」などが挙げられる。

 以上である。文章の表現力だけで主張を述べる必要があるということを逆に考えれば、主張が曖昧ならば文章も不明確にならざるを得ないことを最後に指摘しておこう。あなたの文章表現がまずいならば、あなた自身の主張の論理的構造に欠陥があると考えられても仕方がない。


4.論文の体裁

 あなたの論文の内容がどんなに素晴らしくても、論文としての形式が整っていなければおそらく読み手の気分を損ねるであろう。明らかに論文作成には作法があり、体裁を整えることが礼儀なのである。ご自身の論文の内容に自信がある気が強いあなたは「何をくだらないことにこだわっているのだ」とおっしゃるかも知れない。しかし、論文が一人前の論文として認められるには、それなりの形態が必要なのである。これは、社交界に出るならばそれなりの格好(正装)をしなければならないことと同じようなものであろう。この節では論文における最低限の「おしゃれ」について考えてみたい。具体的には脚注、参考文献と引用文献を挙げることにする。

4.1.脚注

 論文には脚注をつけるのが普通である。本文の文章の脚注をつけたい箇所に番号を打ち、注意点として付記しておきたいときなどに用いる手法である。具体的には、論理展開において本論と内容が異なるものの、他に指摘したいことがある場合に用いられる。先述したように、サーベイを簡単に済ませる方法や、専門知識の補完として採用されることも多い。しかし、脚注を多くつければ論文らしくなるというものでもない。また、脚注で用いる文章はなるべく短いほうがよいであろう。

 いずれにせよ、ここでも重要なのは、読み手が読みやすいように補助する手段として脚注を使うということである。この観点を忘れてしまえば、脚注のもつ本来の機能を失うことになるであろう。

 また、脚注にはいわゆる「脚注」と「文末脚注」がある。「脚注」とは論文の各ページの下に当該ページの脚注がつく方式であり、「文末脚注」とは論文の最後にまとめて脚注がつく方式である。多くのワープロソフトはこれらを選択できるようになっている。私的な意見であるが、「文末脚注」よりも「脚注」のほうが読みやすさを考えればベターであると思える。一般的にどちらの形態が望ましいかということはいえない。個人の好き嫌いによるところが大きいであろう。論文の場合は「脚注」、本の場合は「文末脚注」による形式が多いようである。


4.2.参考文献と引用文献

 参考文献は論文の最後にまとめて掲げるのが通常である。引用文献とは、論文から文章をそのまま引用する方式である。既存研究を参考にして自分の論文に掲載するのであるから、礼儀をわきまえるのが当然である。

 まず、参考文献は以下のような形式で掲載する必要がある。発行年は西暦の場合が多い。ここでは、本、論文、本に掲載されている論文、訳書(外国文献)の順に例を挙げている。

・日本語文献の場合
著者名(発行年)『書名』発行所.
著者名(発行年)「論文名」『雑誌名』第○巻第×号、ページ、(発行所).
著者名(発行年)「論文名」編者名『書名』所収、ページ、発行所.

(実例)
林宜嗣(1995)『地方分権の経済学』日本評論社.
橋本恭之・上村敏之(1997)「村山税制改革と消費税複数税率化の評価:一般均衡モデルによるシミュレーション」『日本経済研究』第34号、pp.35-60、日本経済研究センター.
山本栄一(1991)、「大都市財政」貝塚啓明他編『地方時代の財政』所収、pp.151-184、有斐閣.

・外国文献の場合
著者名(発行年), 書名, 発行所.
著者名(発行年), 論文タイトル, 雑誌名, No.○, ページ.
著者名(発行年), 論文タイトル, in 編者名 ed., 書名, ページ.
著書名(発行年), 書名, 発行所, (訳者名(訳書発行年)『訳書名』発行所).

(実例)
Auerbach,A. and L.J.Kotlikoff(1987), Dynamic Fiscal Policy, Cambridge.
Barro,R.J.(1974), Are Government Bonds Net Wealth?, Journal of Political Economy86, pp.1095-1117.
Modigliani.F and R.Brumberg(1954), Utility Analysis and the Consumption Function: An interpretation of cross-section data, in K.Kurihara, ed., Post-Keynesian Economics, Rutgers University Press, pp.388-436.
Maddala, G.S. (1988), Intoroduction to Econometrics, Macmillan(和合肇訳(1992)『計量経済分析の方法』マグロウヒル.)

 外国文献の場合の書名と雑誌名はイタリック(斜体)もしくはJournal of Political Economyのように下線を引いて記載する必要がある。参考文献が論文中に登場する場合は、著者名(発行年)を書くことで表現する。具体的には「上村(1999)を参照せよ。」というように記述する。ここはあくまで一例であるから、具体的には実際の学術論文を参考にして欲しい。

 つぎに、論文において既存研究の文章をそのまま引用する場合は引用文献として掲げる必要がある。この場合、引用した文章は、日本語なら「 」、外国語なら" "といった引用符で必ず区切る必要がある。区切らなければ、「盗作」ということにもなりかねないので注意しよう。また、引用した文章には脚注などをつけて、どの部分を引用したかについて詳細に記述すべきである。たとえば、「上村(2000)10ページより引用した。」というように明確に示す必要がある。

 最後に、論文中に登場しない参考文献については、参考文献リストからはずすべきであろう。参考文献に掲げるならば、論文において言及することが望ましいといえる。


5.わかりやすい論文へ

 さて、ここまでの作業をクリアーすれば、あなたの論文としての形態はひとまず整っていると考えられる。これまでは論文の部分的な記述方法に関心があったので、論文の一つ一つのパーツについての作法を考えてきた。部分的に見た場合に、たとえば文章における一文一文が完璧に書かれているとしても、論文を全体像としてとらえるならば、全く魅力がないということも大いにあり得る。この節では論文としての全体像を捕まえることで、よりわかりやすい論文を指向する方法を検討する。


5.1.論理構造のチェック

 自分の論文を読み返してみて、論理構造がおかしくないだろうか。論理展開が矛盾している場合は、研究内容に問題があるといわざるを得ない。研究内容が問題意識から始まり、分析から論理的に結果を導き出しているならば、作り替える必要があるのは骨格のうちの構造であろう。この場合は最初の手続きに戻り、論理的に研究の流れを分割する作業から始める必要がある。

 また、同じ論理を繰り返していないかどうかもチェックすべきである。一度使った論理展開を二度も三度も繰り返すのは、紙面の無駄でもあるし、読み手からも飽きられてしまう。よく、紙面を稼ぐために卒業論文などで同じ内容を違う言葉を使って繰り返す学部大学生がいるが、まさにこのケースである。教科書を書く場合はこのような手法を使うこともあり得るが、論文における論理展開は一度きりで明確に行えばそれで十分である。

 それでは、具体的に論理構造のチェックはどのようになされるべきだろうか。以下では具体的手法について述べてゆこう。

 第一に、節ごとの区切りにおいてあなたが論文で言いたいことを簡潔にまとめることができるであろうか。つまり、「はじめに」では何を訴え、「考察や分析」ではどのような手法で論理を展開し、「分析結果」ではどんな結果を導き出したのかを要約してみよう。要約が論理的な展開をもつならば節同士の論理構造はうまく成立しているといえる。

 第二に、節の中の段落同士に対しても同様の要約をつけてゆこう。要約をつけられない段落は無意味な段落である可能性が高く、同じ内容の要約をせざるを得ない段落が2個以上ある場合は、どちらかの段落が不必要である。論文において、このような論理の繰り返しはなるべく避ける必要がある。

 また、論理展開を補助する手法として有効なのは「第一に」「第二に」といった整理の仕方である。本稿のこれまでの記述でもみられるように、接続詞でつなぐよりも論理をうまく整理することができるので、読み手に対しても易しく内容を展開できることが利点である。論文を書く際に、箇条書きで掲げられるような事柄については、このようにまとめられて記述されることが多い。


5.2.バランスのチェック

 論文におけるバランスとは、つぎのようなレベルのものである。

・論文全体
・節
・段落


 第一に、論文全体のバランスとは、全体的に文章量が多すぎないか、脚注が多すぎないか、参考文献が少なすぎないか、図表が多すぎないか、タイトルと内容が一致しているか、といったものである。適正なバランスについて述べることは難しいので、他の論文を多く参照することで自らの感覚を磨かれたい。

 第二に、節のバランスとは、節同士の文章量である。たとえば、「はじめに」のほうが「分析結果」よりも多いような頭でっかちとかいったもの、「おわりに」が他の節よりも大きいような状態はバランスが悪いといわざるを得ない。どのようなバランスが望ましいのかを述べることは難しいが、一般的に「はじめに」と「おわりに」はコンパクトにするほうがよいであろう。他の節に関しては一つの節だけが異様に突出して大きくなるようなことがないようにする。どうしてもバランスがとれない場合は、節の構成を変える、脚注を利用する、などの手法によってバランスの良い論文を目指すことになる。

 ここで、節同士の接続において若干の技術がある。たとえば、「本節では○○について述べた。次節では××について言及する。」といったように、節のまとめの言葉とつぎの節の内容を若干触れることで読み手の読解を助けることができる。また、「はじめに」の最後の段落において、「本稿の構成は以下の通りである。2節は○○について述べる。3節は○○について解説する。・・・」のように全体像をあらかじめ提示することで、論文の見通しをあらかじめ述べる方法もある。

 第三に、段落におけるバランスとは、段落同士の文章量である。ある段落は10行もあるのに、つぎの段落は3行しかないというのは、あまりにもアンバランスである。この場合は10行ある段落を区切って2つの段落にしてしまうなどの対策が必要となる。例外として、わざとある段落の文章量を少なくして、読み手の注意を喚起する手法がある。この技術はバランスの良い段落構成が他の部分において守られているならば効力を発揮することになる。


5.3.最終チェック

 いよいよ最終チェックの段階までやってきた。最終チェックは以下の手続きを踏むことになる。

(1)論文をプリントアウトする
(2)自分で音読する
(3)人に読んでもらう


 「(1)論文をプリントアウトする」ことが必要なのは、コンピュータなどのワープロで論文を書いて画面上でいくらチェックしていても、プリントアウトすればいまだカバーしきれていない間違いが見つかる場合が多いからである。プリントアウトすれば全体的な視点から論文を眺めることができ、部分的にしか表示されないモニターから見た論文とは異なった立場でチェックすることができる。

 「(2)自分で音読する」は必ずやってほしい。これで文章の表現チェックも完璧となる。また、句読点「、」が必要な文、不必要な文が音読することで感覚的にわかる。これは、アメリカ人が冠詞「a」「the」をつける際に、音読して確認することと同じである。同様に、日本人は「、」をつける感覚を自然に身につけている。音読することで意味が切れる部分に「、」をつけることが必要である。

 「(3)人に読んでもらう」はできるならやっていただきたい。学生ならば自分の指導教授を捕まえて読んでいただくこともできる。他人が読んで理解できるならば、論文としては一応完成といってもよいであろう。


6.おわりに

 本稿では経済論文の作成と作法について記述してきた。論文の書き方について言及しているのに、本稿の文章がたどたどしいとあなたが感じたならば、それは筆者の修行が足らないことに尽きるのでご勘弁を願いたい。しかし、筆者の真にいいたいことは伝わっていると思う。

 筆者はこれまでに修士課程の大学院生が書いた修士論文を多く見てきた。そこで、常に問題だと感じたのは、乏しい論理的展開、稚拙な文章表現、文章のツメの甘さが随所にみられることである。ただし、これは絶望的なことではない。なぜなら、このような技術的な問題は、本人の努力による経験によってほとんどカバーできるからである。

 多くの場合、授業をはじめとした論文を書くプロセスにおいて問題点が浮き彫りにされ、論文としての作法や体裁も洗練されたものになってゆく様を筆者は見てきた。ただし、正反対にほとんど改善されなかった学生もいた。この両者の違いはどこにあるのかは、おそらく論文を書くにあたってどれだけ明確な問題意識をもっているかに依存している。問題意識がしっかりしている学生は、はじめにできあがった論文における表現が稚拙でも、報告を重ねているうちに洗練されたものになってゆく。逆の場合はいつまでも変化がない。

 特に、経済学は経済学的な分析技術を要請することが多く、問題意識よりも技術の取得に躍起になる学生(特に大学院生)が多い。どちらが大切なのかについては、どちらも重要だと一応答えておくが、良い論文が書ける必要条件としては、良い問題意識をもつことだと思う。問題意識はどのようにして培われるのかについては非常に難しいため、ここでは言及を避けよう。

 「わかりやすい論文」を書くことは経済学を研究するものにとっては永遠のテーマである。著名なマクロ経済学者であるN.Gregory Mankiwの教科書"Macroeconomics"の訳書『マクロ経済学』東洋経済新報社に、マンキューの基本原則6ヶ条"My Rules of Thumb"が紹介されている。その第5条が「上手に書くこと」である。

 筆者も、「わかりやすい論文」を書く訓練が、経済学を分析すること同じレベルで重要であることを強調したい。論文を書く訓練を積むことで、論理的な思考が磨かれ、論文を授業や研究会で報告することでプレゼンテーション能力が高められるという教育的作用を忘れてはいけない。このような訓練は残念ながら高等学校教育でフォローされていない。したがって、特に文系大学の大学教育や大学院教育において適切な論文作成の指導は重要であり、論文作成に当たって学生諸君は「わかりやすい論文」を意識することが必要なのである。


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