12月2日(火)

 あれま、毎月3、4回は日記を書こうと思っていたのに、
11月は1度書いただけで、いつのまにか12月になってしまいまひた……。 
 公演も続いているし、人形劇日記には事欠かない話題満載月でもあったはずなのに、
これじゃぁ日記の意味がないなと……。
 ということは、マメに更新している時は暇なのね、ってか……。

 今年は、不思議に次々と依頼先とスケジュールが合わず、うまく公演をこなせない雰囲気
が漂い、ふえぇ〜ん、公演数も公演先も減りそうだよ〜泣いちゃうよ〜!、と思ってましたが、
何度でも快く日程調整を
してくださる常連先に支えられ、なんと例年と同じ公演数となりそう
です。

 ……この日程調整というのは、ほんとアマチュアのわがままとしか言い様がないのですが、
それでも待っていて下さる公演先には、なんともお礼の言葉が見つかりません。
 暖かいお声がけに、そして何にも変え難いその最大のご支援にじ〜んと感謝しております。
 
 さて「アイスバード物語」も終盤を迎えました。
 来年の春からの入替え公演プログラムを、『来春より
上演〜!予告ぅ〜!』と貼りたいぞ!
と思うのですが、
年内は公演が優先となりそうで、いつになったら貼れるのか……。
 今は候補作品を並べている状態で、本日ひとつだけ作品を決定したところ。
 おもしろい小作品群と思っているのですが、
気持ちばっかりで、そうこうしてる間に製作期間
だけがどんどん、どんどん、そして、どんどん短くなっていく。ああぁ〜。
 

 次の日曜日、7日。
 いよいよ人形劇団テアトロ・ポックルの創立50周年記念公演の旭川公演があります。
 「こどもたちの小劇場」で取り上げてもらい、小ホールにて上演します。
 うちからは、あたしとYOちゃんが助っ人出演です。
 夏にプーク人形劇場で、そして道フェスで、上演した「ゆきおんな」ですが、いよいよ地元
公演となりました。

 日が近づくにつれ、日常の公演とはまた違う緊張感が出てきました。
 歴史のある劇団の20数年ぶりに再演される作品です。
 これが終るとまた、この人形達は箱にしまわれてしまうのでしょうか?
 長い年月の後にいつかまた舞台にのることがあるのか、それともこれきりなのか、それを思うと、
50年の所産と、そして過ぎて行く歴史にいろんな思いが交錯してしまう。
 いい公演になればと願っています。

12月11日(木)

 12月7日、人形劇団テアトロ・ポックルの創立50周年記念、旭川公演を迎えました。
 プーク人形劇場、名寄での道フェス、そして最終の文化会館小ホール公演。
 ついに地元本公演の日がやってきて、そして無事幕を閉じました。

 昨年の今時期に、文化会館自主事業「こどもたちの小劇場」公演で取り上げられるという
話が起き、年が明けると、思いがけないプーク人形劇場での上演の話が持ち上がり……
あれよあれよというまに、今年一年が過ぎていきました。

 この一年、ポックルという劇団を通じて、予想を超える数々の出会いが起き、
そして、旭川の人形劇の歴史を振り返ることとなりました。
 資料で、写真で、そして、先人達の言葉によって……。
 カラーの写真が歴史を遡るにつれて、モノクロに……セピアに変わっていく様は、
ノスタルジックながらも確かな証として、私の目に焼き付きました。

 50年という歴史は、長くもあり、また一瞬の出来事のようでもあり……
その時々、色鮮やかに息づいていただろうたくさんの思いが次々とオーバーラップする中で、
最後の小ホール公演の幕が開きました。
 この瞬間に立ち会えたこと、そして、ポックルではない私が「ゆきおんな」の人形を
持たせてもらったこと。
 何やら不思議な縁
(えにし)を感じています。

 私は大学時代も、人形劇をしていました。
 先輩であり最高の友人だったNが初演でも「ゆきおんな」の語りをしましたが、
20数年経って、今回は共に舞台に立つということにもなりました。
 あんなに一緒にいながら、学生時代は同じ人形芝居をしたこともなかったのに。
 本当に不思議な巡り合わせが用意されていました。
 時はかけめぐり、サークル会舘の稽古場の裸電球が脳裏に浮かび上がりもしました。
 
 今年のことだったのに、何故かもう懐かしいと感じるプーク人形劇場。
 最高のスタッフに囲まれ、暖かく見守られた暑い夏でした。
 ドンジャラ・プロジェクトの方々の、当初は突拍子もないと思われた企画がひとつひとつ
実現していく中で、確かな足跡が刻まれていくのを感じてきました。

 今回集うことになった地元人形劇人たち。
 劇団を越えて、M氏の倉庫の二階に幾度も幾度も通いました。
 解散するのが寂しいと感じるユニットとなりました。
 最年少のNaoちゃん、おばさんは、もっと会っていたいよ……。

 そして、うちの劇団員の全面的なバックアップに私自身感謝しています。
 地元公演のみだったら参加したかった者も多かっただろうに、東京公演までは行けないと
関われなかった面々が、最後の最後まで裏の仕事をしてくれました。
 闘病中の団員も公演には足を運んでくれ、こみあがる再会のひと幕もありました。

 
 今度はいつ、この箱から「ゆきおんな」の人形が姿を現わすのだろう。
 永遠の時が流れそうな気もして、上演後、慌ただしいバラシの中で、
じっと顔を見つめてしまいました。
 「おゆきさん」と皆が呼ぶ娘姿の人形と、白い着物の雪女を共に箱に
入れながら、どうしてもいたたまれなくなって、別の箱に入れていた
子ども達を、ひとつひとつくるんで、勝手に同じ箱にしまい入れました。
 物語の中では別れてしまうけれど、一緒の箱に入れたことで、
母としての悲しみだけは癒されるような気がしました……。
 


 9日。送って下さったプーク公演のビデオを、皆で自分達の稽古場でも見ました。
 編集構成の素晴らしさに感動しています。一生もののビデオとなりました。
 何度見ても胸の底から込み上げてくるのは、出会った人達の顔が次々と現れ、
ひとりひとりと熱い嬉しい思い出ができたからにほかありません。
 旭川の人形劇の歴史の原点で出会ったプークが、再び今を創る人達との出会いが起きた
ことを大事にしていきたいと願っています。
 そんな意味深いポックルの50周年となりました。


 昨日は、NHKの番組に「えりっこ」さんが生出演していました。
 札幌のよく知った人形劇人も次々と登場していました。

 うちは今日は、明日から1日おきにある公演の仕込みでした。
 余韻の漂う中で時は過ぎていくようです。
 平常業務となりました……。