トントンと弾んだ音が窓の外へ流れていく。
「♪・・・♪♪・・・」
鼻歌を口ずさみ、明日への期待を抱きながら小夜美は料理を続ける。
そこには装飾された重箱が広げられていた。段数にして4つ。
「あ・・・」
長い髪を揺らしながら小夜美は手を止め、気づいたように戸棚に向かう。戸棚から出た物は半透明の弁当箱。
水ですすいだあと、重箱の横に並べながら不意に考える。
・・・でも変よね。智也君が私にこんなこと頼むなんて。前はタバスコプリンとか入れられたらたまらないからって断ってたのに。
「ま、ご飯ちゃんと食べてないのかもね・・・」
止めた手がまたあわただしく動き始める。
窓から吹き込んだ夜風には桜の花びらが混じっていた。
LOVERS
「とぉーもぉーちゃぁぁぁぁぁぁん!!!」
朝の青空へ元気の良い声が響き渡る。
「このままだとぉ!遅刻だよぉぉぉ!!!」
もちろん叫ぶ対象は青空ではなくその真下、智也の部屋に他ならないのだが。 唯笑は力いっぱいに叫ぶ。
「だぁぁぁぁ!!うるさいぞ!!少し黙ったらどうだぁ!!!」
窓から何千何万と見た幼馴染の顔が飛び出た。
「あ、やっと起きた」
「ああ、これでもかって言うくらい最悪の目覚めだったけどな」
「何よ~、人が親切に遅刻しないように起こしてあげてるんじゃない!」
唯笑は叫んだ勢いで智也の嫌味に反論する。
「もう少し起こし方の手段を選べよ!近所迷惑だろ!ただでさえここら辺は家と家との間の区間が狭いんだから」
「でも智ちゃんチャイム鳴らしたくらいで起きないでしょ」
「・・・」
図星だった。智也はこれまでチャイムだけで起きたためしがない。それは起こしに来る唯笑が一番良く知っていた。
「早く早くぅ!遅れるよぉ!ほら、さっさと着替えて!!」
「わあってるよ!!だから静かに待ってろ!!!」
・・・これじゃあ、学校ある時と変わんないよ。
唯笑は心の中でつぶやいた。
距離が縮まってからというもの、今の繰り返しのような日々が続いていた。そう、2人が付き合い始めてからは・・・。
唯笑の後ろを親子連れが通り過ぎる。父と母2に手をつながれ、暖かい笑みを浮かべる小さな女の子。
母の手の弁当箱のような箱が行き場所を物語っていた。
唯笑はその3人を笑顔で見送る。自分たちと同じだよ・・・と。
「ふぅ・・・ったく、朝からバタバタさせやがって・・・」
寝癖もちゃんと治まっていない頭をがりがりとかきながら智也が玄関から出てくる。
「仕方ないじゃない、遅れるよりはマシだとおもってよぉ」
「まあ、そうだな。ところで・・・」
智也は唯笑の目を直視して言葉を続ける。
「??」
唯笑はそんな智也の顔を久しぶりに見たような気がした。
「スケッチブック、持ってくればよかった・・・」
ぼそっと独り言を吐く。
「こんなに綺麗なのに・・・」
目を閉じればこの風景が絵になるような気がしたが、それは所詮、空想に過ぎない。みなもは今のうちにこの風景を忘れまいとじっと目を凝らしていた。
幸い、レイアウトはこの待ち合わせ場所で満足したので、じっと風景を頭に焼き付けることだけに集中できる。
自分にせまる、足音に気づかずに・・・。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・伊吹さん」
「きゃっ・・・って、双海さんじゃないですか・・・びっくりした」
みなもの目の前にはやや灰色がかった髪をなびかせた少女が立っていた。
「すみません、驚かしてしまったようですね」
そう言いながら視線を上に上げる。落ちるピンクと青空をバックにしたその姿はあまりにもよく映えすぎていた。
・・・綺麗
みなもはあまりにその1シーンが完璧すぎて見入ってしまう。唖然・・・だろうか。
「・・・・・・」
「・・・あの、何か?」
「・・・・・・」
「伊吹さんっ」
少し強い口調でみなもの名を呼ぶ詩音。
「・・・えっ?」
「どうしたんですか?ずっと私の方ばかり見て・・・」
「あっ・・・えっ、そ、その・・・双海さん、綺麗だなぁ・・・って」
突然のみなもの激白に少し戸惑ってしまうものの・・・
「ありがとうございます。でも、やはり綺麗なのはこの桜の花のほうではないですか?」
「そ、そんなことはないですよ!確かに桜の花も綺麗ですけど、双海さんの方が綺麗です・・・」
最後の方は聞こえづらかった。
「伊吹さん」
「は、はいっ!?」
「また、桜の木をバックにして絵を描いてはくれませんか?」
みなもの眼をまっすぐと見据えた詩音は驚くべき提案をぶつける。
「・・・へっ?」
「去年の夏に桜の木をバックにして描いたじゃありませんか。次は満開の桜をバックにして描いてみませんか?もちろん、私をモデルにしてもらえると嬉しいのですが」
「・・・・・・」
しばらくの沈黙。
「だめ・・・でしょうか?」
「いえいえいえいえいえいえいえいえいえいえ!!!そんなことありませんっ!!嬉しいです!双海さんがこんな事言ってくれるなんてっ!!」
みなもは少し興奮気味に答える。
「それでは・・・」
「はい、私でよければいつでもOKです!明日にでも描き始めましょうよ!」
満弁の笑み、今のみなもは正にそれだった。
久しぶりの集まりにかおるの胸はときめいていた。最近の集まりといえば・・・詩音の誕生日の時である。
友達と集まり、語り合い、笑いあうこと、それはかおるの中で1番の楽しみである。
それはこの土地に引っ越してから、一回り大きくなっていた。
しかし、何よりかおるを動かしている中心の物事はこの花見に信が久しぶりに顔を出すということである。
少しの、自覚はありながらも、あたりにも自分にも悟られることはないように振舞うというのはさすがはかおる、と言ったところだろう。
桜の花が目に入った頃、見覚えのあるような背中が見える。
・・・あの人
駆け出すかおる。空気を花吹雪ごと切りながら走り抜ける。その背中はどんどん大きくなる。
「稲穂クンっ!!」
背中に声をかけてみる。もしビンゴなら信のことだ、必ず振り向くことだろう。
「ん・・・」
小さな声を発しながら背中が後ろに回っていく。
「あっ・・・音羽さん!」
「やっ!久しぶりっ、稲穂クン」
「ああ・・・ホント、久しぶりだなぁ、音羽さん」
・・・なんだろ・・・変な感じ
その背の持ち主は間違いなく稲穂信その人だ。 が、何故か高校時代の信ではないような・・・違和感がかおるの中で生まれていた。
こんな短時間で人はこんなに変わるんだろうか。
「稲穂クン・・・老けた?」
つい自分の思っていることとは正反対のことを口走る。
「えっ!マジ?俺、高校辞めて老けたのか?そうなのか音羽さん!?」
「いや・・・私に聞かれても困るけど・・・」
歩き始めながら答える。
できれば今の顔は、見られたくなかった、と思う。
「んまぁ、社会に出たら色々苦労するじゃない?」
「そうだといいんだが・・・後でみんなにも聞いてみるか・・・」
ははっ、と笑って答えて見せた。もう大丈夫だ。
「ところで、稲穂クン、インド行きはどうなってるの?」
「これからだよ、これから。まだ朝凪荘に入ったばっかりだしさ、トモヤとゆっくりやっていくさ・・・」
「そっか、まだまだ・・・なんだね」
「そ、まだまだなんだ」
「とにかく、今日はみんなでパ~っと過ごそうよっ」
信の顔を覗き込み、笑顔で声をかけた。
「ねっ!」
景気付けの一発。
イカンいかん、何をしんみりしてんだか・・・私は。
「ああ、そうだな久しぶりだもんな・・・」
笑顔が自然に出てきた。それが出来て・・・良かった。
みんなで大きなブルーシートの上に座ったのは10時ごろだった。予定通りの進行に詩音は少々驚いていた。
今までこんなことは1度としてなかった。誰かが遅刻をしたり、ドタキャンしたりと前例ができなかったからだ。
しかし、そんな驚きもひとたび集まってしまうとすぐに消えてしまった。
「でも、日本の桜を愛でる習慣というのは今もなお、続いているのですね・・・」
感嘆の声を上げる詩音。
「まあ、桜は綺麗だものね」
小夜美に言わせれば、日本の何百年と続いた文化もこの一言で一掃だ。
「でも、今日は良かったですよね・・・晴れてるし」
みなもは桜の雲で見えない空を見上げながら呟く。
「まあ、俺が抜かりのないように毎日天気予報をチェックしておいたからな」
「でもそれってあんまり苦労してないわよね」
「ぐ・・・」
「・・・もしかして、稲穂クン暇だったの?」
「ぐぐ・・・」
冗談交じりの小夜美とかおるの言葉を真に受ける信。そんなやり取りも皆にとっては久しぶりの感覚だった。懐かしい思い出に帰ったような高揚感。そんな感覚がなんとも心地よい。
「智ちゃん、小夜美さんのお弁当おいしいねぇ」
異常な速さで口に物を含みながら尋ねる少女。
「ああ、小夜美さんのダシまきマジで美味い」
それを負けじと口に物を詰め込みながら答える青年。
しかしペース的には、はるかに少女の方が速い。
「智也ぁ~!!てめー、俺たちの分も残しやがれ!!!」
獣のような2人を当然のように信は抗議する。だが、今の唯笑には他の花見客の雑談にしか聞こえていない。
「ボケかぁ!!俺はちゃんとみんなの分は残してるぞ!文句あるなら唯笑に言え!」
「ふえっ?何で?」
無邪気に笑った小悪魔は次の料理に箸をつけた。みんな食べないの?と付け加えて。
・・・・・・結局小夜美の弁当はほとんど唯笑に食い荒らされてしまった。
全てが一段落着いたあと、すでに朝からの客はいなくなり、昼からの客に入れ替わった頃、午後3時をさしていた。
「そうそう、智也君、これ頼まれてた物なんだけど・・・」
そう言いながら空いた鞄から一つの箱をとりだした。
「ああ、ありがとうございます、小夜美さん」
もちろんこの面子がそんな謎の箱に興味を持たないわけがない。
「なんなの?その弁当箱・・・もしかして、まだ食べる気?」
かおるが当然のように質問をぶつける。
「いや、そうじゃないんだが・・・ちょっとな」
「作ってくれって言っても智也君、私にも理由教えてくれないのよ。あっ、中身は今日の弁当の中身と一緒よ」
「それは・・・公表しなきゃいけないだろ、智也ぁ」
「私も、その弁当箱気になります」
周りから謎の解明の声があがる。
「・・・じゃ、俺は帰るから・・・」
弁当箱を持ち、早々と立ち去ろうとする智也。もちろん、見逃してくれるわけがない。
「ちょっと待ちなさい、智也君」
小夜美は絶妙なタイミングで裾をもって智也の移動を抑える。
「何なんですか?智也さん」
「そうよ、言いなさいよ」
「あっ・・・えー・・・」
歯切れの悪い智也。その横で何故か下にうつむく唯笑。
「みなさんっ」
少し勢いのついた声が響く。
「三上さんが言いたくないのであれば、無理に聞くことはないんじゃありませんか?」
「でもね?詩音ちゃん、気にならない?」
「まあ、気にはならないといえば嘘になりますが、この場合は三上さんの意見を尊重するべきだと思います。三上さんは言いたくないからそうやって困っているのでしょう?だったら、無理に聞くことはないと思います」
・・・詩音ちゃんは全部気づいてる。
詩音の言葉を聞いた唯笑には直感的に解ることができた。
「詩音ちゃん、アリガトッ!!智ちゃん、早く行こうよ!」
「えッ・・・あ、ああ」
何が何だか解らない間、智也は走ることを強制されていた。唯笑に手を引かれて・・・ただ、目の前の背中を追いかけて。
「今坂さんッ!よろしく言っといてくださいねッ!!」
詩音の声が、桜に混じって聞こえてきた。
2人は花屋に寄って、電車に乗って歩いて・・・やってきた。
「唯笑、やっぱり桜の花のほうが良かったか?」
「うん・・・でもやっぱり木を折っちゃうのはだめだよ・・・だからこれ」
花束を目の前にやって微笑む。
小高い丘、一つの墓が無造作に設置されてた。
「な、花見だからこの花びらと花束で勘弁してくれな彩花」
ポケットから公園で集めた花びらを散らす智也。傾いた紅い日の中をはらはらと流れる花びら。唯笑はずっと黙って見守っていた。
「あ・・・あとこれ」
鞄に入れてあった弁当箱を取り出す。
「今日、俺たちが食ったのと同じヤツだ。これで、お前も一緒だからな」
智也は手を合わせる。
「彩ちゃんならきっと・・・喜んでくれるよ。詩音ちゃんもよろしくって言ってたし・・・」
唯笑もそう呟き、智也にならう。
「ああ・・・そうだな、唯笑・・・彩花」
・・・自分の目の前に置かれた弁当と花びら。
そう・・・私は・・・一人じゃない。
END