会津漫遊記
2003年9月14日−15日 坂下・小平
我々の釣行は、車のエンジンをかけた時点でも行き先が決まってない場合がある。
漠然といくつかの目的地が頭の中にあるのだが、それでもニュートラルな気分が大勢を占め、それはそれで結構楽しいひとときなのである。
今回も、そんな雰囲気の出発であった。
そんな中、思い至ったのは左の本だった。
高桑信一氏の著作「一期一会の渓」である。
日光出発が午前11時頃だったから、山の中に入るのは無理である。最初から民宿泊と決めていたから、渓の中に泊まる用意も無い。
それならば、八十里越えの一端を見てやろうと思い立った。
そうなれば、行く先は只見である。
鬼怒川温泉のイベントの仕事で今回は同行できない細谷氏とイベント会場で出発の挨拶(?)を済ませ、車は会津西街道をひた走ったのである。
只見に入ってすぐ本屋さんを発見する。
この一件はすでに知人のYUJIさんから情報を得ていたから、探しながら車を走らせていたのだ。
この本屋さんの名を「たもかく」という。詳しくはホームページを見てほしいのだが、この本屋さんに古本を持ち込むと森の一部の土地と交換してくれるというシステムである。
膨大な量の書籍やCD、レコードがあるらしいのだが、まだ、整理が付かないらしく雑然とした雰囲気である。
今、収集中の「釣りバカ日誌」を数冊求め、この店を出る。
次の目的地は「ただみ 川のものしり館」である。
これは、私の趣味の一つであるフィッシュカービングを見に行こうという魂胆だった。
たもかく全景

場所は「たもかく」の店員の方に聞いていたからすぐ分かった。
入場料300円を払って受付を済ますが、館内撮影禁止となっている。係の方に「どうしてもだめですか?」と聞くと
唇の前にヒトサシ指を当ててくれた。非公式な撮影許可が出たのだ。
入り口の傍らにある大岩魚の粘土細工は最初から「ここで撮影してください」とあるから、ここでは大手を振って撮影できる。いつものズダブクロからCoolpixを取り出し、電源をオンにする。すると、Cardという文字が点滅している。メモリーが挿入されてないというサインである。・・・・忘れてしまった。メモリーをだ。銀塩カメラでいえば、フィルムがないということだ。
しかし、今は坂下のCyber−Shot Uがある。今回の画像はすべてCyber−Shotで撮ったものである。

館内はけっこう広く、なかなかお目当てのフィッシュカービングの作品が見つからない。
しかし、本物の岩魚が泳ぐ水槽の近くにそれがあった。

ガラスのケース越しの画像のため、写りが良くない。
この作品は三重県の嶋田さん製作のものなのだが、製作者名もないし、これがフィッシュカービングであるという説明文も無い。ちょっと不当な扱いではないか?と思った。

こちらは水槽の中で泳ぐ本物の岩魚(約36cm)
「川のものしり館」を出て、十割そばを食べさせてくれるという「歳時記会館」に向かうが、そばは品切れ。
仕方なく、某食堂で遅めの昼食。坂下が日本そばを食べたが、これは美味くなかったらしい。私は無難にラーメンを選んで正解だったようだ。

さて、やっと本題に入ろうとしている。冒頭の高桑氏の著作との関連がここ八十里越番所の史跡なのである。
八十里越とは、ここ叶津から越後の吉ヶ平までの旧街道で、今では街道とは名ばかりの踏み跡に近い山道である。
佐藤れい子さんのHPによれば、
吉ケ平から福島県只見町へ通じる『八十里越え』は、天明の大飢饉を契機に、越後の塩、米などの生活物資を会津地方に輸送したり、農民の日光参詣や江戸へ至る重要な生活道路だった。また、戊辰戦争で河合継之助を軍事総督とする長岡藩は新政府軍によって落とされ、この八十里越えから会津へ敗走したといわれている歴史の道でもある。
ということである。
ただみ 川のものしり館
粘土細工の大岩魚
叶津〔かのうず〕番所(旧長谷部家住宅)

河合継之助はこの八十里越で「八十里 こしぬけ武士の 越す峠」と詠んで、その無念さを慨嘆したが、物資だけではなく、歴史も運んだ街道ということなのだろう。
そして、私も近い将来、この街道を旅してみたいと思う。
高桑氏のように裏街道の探索となると我々には荷が重過ぎる。体力の事ももちろんあるが、私はさておき他の二人の時間の余裕を考えると、これは不可能に近い。
それでも、裏街道の存在は私の興味をかき立てて止まない。

現在発行されている叶津番所のパンフレットによれば、会津藩で特に取り締まった定留物は、女、巣鷹、駒、蝋、漆、鉛、熊皮、紙の八品だったらしい。

旧五十嵐家住宅
旧五十嵐家住宅の内部
旧長谷部家住宅の囲炉裏
取り締まらねばならないということは、多分裏街道を使ってそれらの品々を運ぼうとした連中がいたに違いない。
そうした連中の健脚ぶりに思いを馳せながら、正規の八十里越を旅してみたいものだ。
さて、私たちはこの町に来ると「松屋」という民宿に泊まるのを常としている。しかし、今回は満員で泊まることが出来なくなってしまった。
それでも、どうにかなるもので「しばくら」という民宿が我々を受け入れてくれた。
15日の朝、庇から落ちる雨の雫の音で目が覚めた。
日光を出発する時には、大幽東の沢に入渓して、多分今季最後になるであろう釣りを楽しもうという計画だったのだが、坂下が沢靴を忘れてしまったのだ。
私のカメラのメモリーを忘れた事といい、困ったものである。
仕方なく、釣行先を舟岐川に変更する。
別に舟岐川を舐めているわけではなく、アプローチが簡単で、スニーカーで遡行しなければならない坂下には楽なはずである。

この舟岐川(黒沢)は、近年、林道の復旧工事が行われたために入渓がたやすくなってしまったこともあり、人も多いようだ。沢の中に足跡がたくさんある。
そのせいか、あまりいい釣りはできなかったが、雰囲気を味わいに来たようなものだから一応満足はできた。
早めに上がって、車に戻り、今季の釣りは終了。
我々にとって初めてといっていいくらいの、緊張感の皆無な旅になってしまったけれど、たまにはこんなのも結構楽しいぜ!!帰りの蕎麦屋も美味かったしネ。
※この後、9月21日に高桑信一氏のドキュメント「情熱大陸・頂上を捨てた登山家」がTBS系で放映されました。今回のこのページのテーマである「八十里越え」にも触れていましたから、ジャストのタイミングで「シテヤッタリ」です!
釣れなかったわけじゃないのです。

