この沢は、1997年の6月に、細谷氏が一人で偵察にきたところ、取水堰堤の
下流で、尺上の魚を見たという報告をした事から始まった。
次の日、私と細谷氏は午前2時に日光を出発し、大幽沢に向けて車を走らせ
ていたのだ。

黒谷川本流に架かる青い橋を渡り、前日、偵察釣行に来た細谷氏の意見を
取り入れて川通しにイッキに取水堰堤まで上がる。
堰堤からは左岸にゼンマイ径があり、東の沢と西ノ沢の出合まで伸びている。

私は、とりあえず西の沢をテンカラで攻めてみることにし、細谷氏は餌で東の
沢を釣りあがる。
西の沢は、渓相も素晴らしく水量も充分なのだが、この時は毛鉤には魚の反
応は無かった。
出合まで戻り、東の沢の細谷氏を追う。
東の沢の出合の上流は、小滝の連続である。
細谷氏は途中で焚火で暖を取っており、餌釣りで小物を何匹か釣り上げたそ
うだ。私も餌釣りに変えようと、川虫を採り、細谷氏より先行する。小滝の連続
が終わると、平瀬に近くなり段差が少なくなる。
極小サイズが釣れてくるが、もちろんリリース。
私、この時まで、この東の沢の持つ爆発力を知らずにいた。

平瀬が終わり、段差が復活する辺りで細谷氏が追いついてきて、それからは
交互に釣り上がる事になるのだが、私は、川虫採りが面倒になり、再びテンカ
ラに替えて釣り上がったのだ。
すると、下流にいた細谷氏が叫んでいる。大物が来たのだ。
その一件は、深瀬の小さな巻き込みから出た。32センチの尺物であった。
そして、その場所は私が先ほど毛鉤を打ち込んだ場所でもある。
ここで、私も餌釣りに替えておけば良かったのである。ただ、毛鉤にも尺物と
思われる魚が来て、バラしてしまうという出来事があって、意地になったのだ。

細谷氏は、餌で快釣。泣き尺を次々と釣り上げ、ついに2匹目の尺上をものに
する。
ここに至って、私も毛鉤をあきらめ餌釣りに変更。すぐに中型を釣り上げるが、
これはプライドが許さずリリース。
そして、小さな淵に餌を投げ入れた途端、尺上がヒット、1度はバラすが、2度目
もそいつが餌を銜えてくれて、ようやく私も面目を保つことができた。
その後も、尺上こそ出なかったが泣き尺は面白いように釣れてリリース多数。

まさに夢のような一日であった。



6月21日 細谷・坂下・小平

この沢の話は、まだ続く。
我々は、一応三人組である。前回は私と細谷氏でいい思いをした。
坂下にも、あの夢のような経験をさせなければ、長年培われてきた友情にも
ヒビがはいるであろうということで、早速、連絡をした。
なになに、友情云々は屁理屈で、ただ単にもう一度、おいしい思いをしたかっ
ただけだろうと言う声が耳元で囁くが、とにかく、もう一度、大幽東の沢に行こ
うと、衆議が一致した。

20日、坂下が東京から日光に着くが、大変なことになっている。
台風7号が本土上陸。大谷川などは濁流である。
三人で昼食を食べながら、第1回全員協議会を開催するも、結論を出すに至
らず、第2回目を、夕方5時から「養老の滝」で開催することにし、一時解散。
「養老の滝」の協議会は、生ビールと酎ハイで盛り上がり、酔いが回れば、分
別を釣欲が押さえつけ、激しく吹き荒れている風も然程では無いと事実を捻じ
曲げ、第2回全員協議会は大幽沢無謀決死隊に急激な変貌を遂げたのだった。

21日早朝、大幽沢の入渓点に着いた我々は、準備を済ませ出発した。
雨は小降りになっているが、やはり、黒谷川は濁流となって流れている。
13日は川通しに取水堰堤まで進んだが、この日はそれは無理。
工事用の径を行くことにする。
すると、我々より先行していた単独遡行者が引き返してくる。この増水では、単
独では無理と判断したらしい。
工事用径とゼンマイ径を使い東の沢と西ノ沢出合に着くが、いつもは膝下位の
徒渉が難しい状況である。
仕方がないので、ザイルで確保しながら、やっとの思いで対岸に渡る。
ただ、この頃から少しずつ減水し始めたような気がしていた。
東の沢に入り、早速竿を出す。
前回は小滝の続く東の沢の入り口は、細谷氏が釣り、サイズが小さいものしか
釣れなかったそうだが、今回は違う。第一投で坂下が良型を釣り上げたのだ。

小雨は相変わらず降り続いているが、水の濁りが次第におさまり減水傾向に
ある。
魚の出はすごいもので、沢の中に餌を入れれば、つぎの瞬間には竿が立って
いるといった状態である。
釣師のホラがまた始まったと、思われるかもしれないが、この日の大幽東の沢
の魚は狂気に包まれたように我々の竿の先端に付いた餌を目掛けて突進し
たのだ。
試しにテンカラに替えてみる。
13日は餌釣りの細谷氏が圧倒的な勝利を収めたが、今回はテンカラにも良く
反応して毛鉤にも食い付いてくる。

これを機に、この大幽沢は我々のホームグランドとも言うべき川になるのだが、
このような大釣りはこの2週に渡る体験が最初で最後。
この年の秋、三人揃ってこの大幽東の沢を訪れたが、渓はヒッソリと沈黙に包
まれていたのだ。

このホームページを作成するにあたって、今まで書き溜めておいた「山渓ノート」
なるものを参考にしているのだが、面白い事に気が付いた。
私達は今、然程釣果というものには拘らなくなってしまったが、それはいつから
なのだろうと考えていた。漠然とした中でそうなったのか、なにかキッカケがあっ
たのか分からないでいた。
そして、この大幽沢のページを作成していて、その疑問の答えが見つかった。
そうこの大幽沢だったのだ。
この2週に渡る大釣りが転機になったのだ。
まるで憑き物が落ちるように、釣果の持ち帰りに無関心になったのだと思う。
矛盾しているようだが、間違いはない。
それが証拠に、我が「山渓ノート」から獲物の団体写真が姿を消すのだ。
右の画像が団体写真の最後になった。
我が家の冷凍庫の中から、渓の魚が姿を消したのだ。
思えば、釣果を誇りたいがためだけに、魚を持ち帰り、「リリースはこの3倍ね」
などとホザイテイタ時期が結構長かった。その後、持ち帰られた魚達はどうな
るかというと冷凍庫の中にひっそりと安置されるだけなのだ。

沢辺にテン場を設える時、その酒宴のための肴に数匹の岩魚を供す。それで
充分なのだ。
辺りに自生する山菜も少しだけいただく。

そういえば、この福島では、我が栃木県人の評判が最悪である。
山菜採りに来て根こそぎ持っていく奴がいるという。そればかりか、他人の家に
干してあるゼンマイを持っていった栃木県人がいるという。これはもう犯罪である。
「欲ったかり」という言葉通りの所業で、同県人とはいえ弁護の余地もない。

しかしだよ、いくらそういう栃木県人が多いからといって、入渓点に止めてあった
私の車のタイヤそれも前輪2本とも千枚通しで穴を開けパンクさせてもいいという
理屈にはならんと思うのだが、どうだろう?

この夢のような釣りに、水を差されるというか、熱湯を掛けられたような残念な
出来事もあったが、「ナンチャネ、ナンチャネ」と言いながら、黒谷の集落にある
修理屋さんで直してもらい、無事、家に帰り着いたのだ。


1997年6月13日・6月21日

6月13日  小平・細谷

黒谷川に架かる橋

大幽東の沢・西の沢出合(左が東の沢)

32センチ

この日は名人になった細谷氏(13日)

尺上を上げた私

13日の釣果

21日

21日の釣果

黒谷川支流大幽東の沢

黒谷川支流大幽東ノ沢
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