2002(平成14)年9月の日記


9月30日(月)

 昨晩は遅かったけど5時前には起きることができ、例によって早く起きると逆にのんびりして6時49分の快速電車になる。昨日の疲れがまだ残ったまま、すでに日課になっている新宿駅構内のドトールで買ったコーヒーを片手にバイト先へ。

 2限の「農村社会学」では、映画「セプテンバー・イレブン」の一部を鑑賞。この映画の存在と内容の一部はNHKニュースで取り上げられているのを見たので知っていたけど、衝撃的だったのはメキシコのアレッサンドロ・ゴンザレス・イニヤリスク監督の作品。「フラッシュ映像と音だけの前衛的な作品」(by解説の筑紫哲也)で、11分9秒01の作品の大半が真っ暗に音だけという演出。音だけだとこれだけ実感を込めて伝えられるものか(ときおり入るフラッシュ映像ですら邪魔に感じた)と、アマチュアとはいえラジオ屋さんなだけにラジオのすごさを再認識してしまう。

 3・4限はあいているので新宿へ行ってみることにして研究室を出る。お弁当を持ってこなかったので外食にすることになり、どうしようかなと迷う。「めとき」は日・月・祝休みだから今日は休みだし、「てんや」は割引クーポンをプリントアウトし忘れたし、「松屋」や「神戸らんぷ亭」で食事というのも気がのらないなぁ、と思っていたところで「新そば」ののぼりが目に入り、そういえばこの店は幌加内産のそば粉を使ってるんだっけ、と、新大久保駅近くのそば処「近江屋」でざるそば(710円)。幌加内の新そばは「新そば祭り」で食べてきたばかりだけど、こうして東京のお店で食べるのもいい。幌加内で黒いツユのかかった温かいそばで食べたときは気づかなかったけど何かで色をつけているんじゃないのかと思ってしまうほどの新そば特有とかいう緑色のそばを食べ、味は幌加内高校のほうが美味しかったなと思いつつ、13時を過ぎて広い店内でひとりのんびりそば湯を味わいながら本を読む。これにお酒でも加われば風流だよなぁ。

 新宿ではTSUTAYAにも行こうと思っていたので歩いて行こうかなとも思ったけど、定期券があるのだし山手線に乗って新宿へ。今日の目的のひとつは耳栓を買うこと。研究室で本を読むのでも周囲がうるさすぎ、受験生のときにはJRバス関東がキヨスクで売っていた「耳良君(みよしくん)」(2対入り、200円)を愛用してたっけ、と思い出して最近キヨスクでは見かけないけど、最悪でも東急ハンズなら性能のいい耳栓くらいあるだろう、というわけ。とりあえず新南口にあるJR高速バス乗り場の「NEWDAYS」へ行ってみるものの、高速バス乗り場の売店のくせに耳栓ひとつ置いておらず、東急ハンズへ。受験生のころ、同級生のU田くんに「耳良君」を薦めたところ「ハンズで700円もした耳栓よりいい」とか言っていたのを思い出し、高いのは敬遠して「耳良君」に似た形で2対入りで携帯ケースつき550円のを購入。

 次はどこへ行こうかなと思ったところで眠くなり、新宿のタカシマヤタイムズスクエアといえば休憩用ベンチが大量にあることだよな、というわけで5階のソファでせっかくだから買ったばかりの耳栓をつけて居眠り。耳栓をつけてみると(僕の記憶にある)「耳良君」以上に静かになり、やっぱりケースつきとはいえ倍以上の値段しただけあった、と思うとともに、耳栓ってこんなに効果があるものなのかとびっくりもする。

 40分くらい寝て15時ごろになり、こんどはTSUTAYAへ。TSUTAYAの3階レンタルCDコーナーに来たところでトイレに行きたくなり、店員に場所を聞いたら「申し訳ありませんが、トイレはご用意してないんですよ〜」と言われてしまう。仮にあったところでこのテの店のトイレはたいしてきれいじゃないんだろうなと一旦外へ出てジャイアンツ優勝セール中の三越で用を足してから再びTSUTAYAへ。ず〜っとまえの葛飾エフエムで深夜に放送終了アナウンスのバックに流れていた曲(今でも使っているのだろうか?)はどれだろうな〜と、歌詞をうろ覚えながら少し覚えていたとはいえ、あとはアーティストが「135(いちさんご)」だというのしか知らなかったので、10枚くらいある「135」のアルバムから手当たり次第に借りるしかないんだろうか……と店に来るまで思っていたのが、実際は新品CDの店と違って中身の歌詞カードを見ることができてすぐにわかった。アルバム「THE BRAND-NEW DOWN」と、北海道にいたとき「コイブ」に置いてあってよく聴いていた「ETERNITY」を借りる。

 山手線で高田馬場へ出て馬場歩き。つぶれたと思っていた清風堂というパン屋はちゃんと営業していて、土曜日は休みだったのか臨時休業だったかしたのだろうか。三品で早めの夕食に大玉(480円)。食べているうちに物足りなくなってやっぱり赤玉にしておくんだったかなと思ってしまい、相変わらずの三品中毒である。5限は商研の「都市交通計画研究」。9号館の「指導室」と札が掲げてある教室に入ると理工の共通ゼミ室より小さい部屋でびっくり。さらに、教室にいる学生は僕を含めて2人だというのに拍子抜け。科目のタイトルからして、交通論の杉山ゼミの学生が来るんじゃないかと思っていたのだけど、もうひとりの学生に聞いたら杉山ゼミの学生ではないそう。事務所の人が出席簿を置いて行ったので見てみると、科目登録しているのがいま教室にいる2人だけで、さすがに驚いた。……専門の先生を2人で独占できるなんてなんてお買い得な授業、、、と想いは募る一方だけど先生はいつまでたってもやってこず、30分たってしまったので2人で事務所へ行くと、さっき出席簿を持ってきた職員の方が「そういえば原田先生は休講掲示出てなかったっけ」とか言い始め、掲示板を見ればしっかり休講掲示が出ており、だったら出席簿を持ってくるなよ〜、という感じで解散。

 16時50分の理工バスは行ってしまったのでガイド室に立ち寄って17時50分ので理工へ戻り、6限の「都市計画特論D」。

 それが終わって研究室へ一旦立ち寄ってから、昨日の疲れがまだ残るカラダでは明日が思いやられるので今日は早く帰って南船橋のスーパー銭湯へ行こう、と21時ごろに家に帰ればクルマがなく、こんな時間にクルマに乗ってるのは誰だ(これから自分で乗ろうとしているのに勝手な考えではある)と憤慨しながら家に入れば、玄関にスリッパが置いてある(=外出中)のは妹だけ。高校生の妹は当然ながら免許を持っていないのでおかしいなと母に聞いてみれば、タイヤの交換に出したとのこと。プシュ〜。


9月29日(日)

 オープンキャンパスの日で、日曜日だけど8時ごろに家を出る。毎回、正門を入ってすぐの2号館前にテントが出ていたけど、あまりの人気ゆえにまずキャンパスツアーに参加してしまって肝腎の学部説明会や模擬講義などへ行かない受験生が多く出てしまっていて困る、とかで、今回は10号館前にキャンパスツアーのテントが出た。

 構内は大学オフィシャルの出店のほか、早稲田祭運営スタッフの新人が「『学生注目』やってみませんか〜」と受験生に語りかけては見本を見せて校歌や紺碧の空などを歌っていたりするのや、『早稲田乞食』の出店が目立つ。で、9月のオープンキャンパスは夏休み中に行われる7月のオープンキャンパスと違って地方の受験生があまりこないので、7月と比べてしまうと人影もまばら。午前中のツアーこそ定員の150人近い回もあったものの、あとは毎回50人程度で、早稲田祭の面々も拍子抜けの様子。今日は神宮球場で対法政戦が行われているので応援部のデモンストレーションもなく、構内は閑散。……プログラムを見ると学部説明会や模擬講義が集中している時間だったりして、そちらへ行ってしまっているのだろうと思うけど、オープンキャンパスの構内がこんなのでいいのかなという気はした。昼食はワセ弁で「マグロかつ弁当」の唐揚げ増し(380円)。ワセ弁のわりにはさっぱりしていておいしい。

 終了後、ミーティングを途中で退室して本八幡へ。局の人たちとで決起集会が開かれる。新浦安行きの京成バス(正確には子会社の京成トランジットバスだけど……面倒なので)がある時間に帰ろうと思っていたけど意外と長く続いて、結局南船橋経由で帰る。電車で帰れる程度にしか飲まなかったし、8月に買ってしまった回数券が消化できてよかった。


9月28日(土)

 土曜だけど、9時半からガイドのN須くんの最終チェックがあるので朝8時半に家を出て出勤。お昼過ぎに終わって、ワセ弁へ。いろいろ新メニューが出たりして迷うのだけど、結局唐揚げ弁当(400円……一部商品値下げの噂は本当だった。でもベスカラは従来通り430円)になってしまう。芸がないので「超」(100円増し。ご飯が「超大盛り」)にしてみる。

 14時ごろまでガイド室でまったりしてから、まだ雨が降ったりやんだりなのでアキバへ行くのはやめて新宿へ行くことにして馬場歩き。あの「ラーメンショップ 珍味」がついに「お食事処 珍味」とラーメン屋の看板を下ろしてモスバーガーやココイチのある辺りへ移転していたり、一風堂の向かいにもと相撲取りがやっているとかいう店がオープンしていたり、ずいぶん前に閉店した「どん亭」の跡に何やら店が入っていたり、リバティーの向かいにあったパン屋(名前失念)がどうやら閉店しているように見えたり、1ヵ月半もいないとこの街は移り変わりが激しいんだなと思い知る。

 新宿ではヨドバシカメラへ行って、念願の新しいキーボードを購入。マイクロソフトの「インターネットキーボードプロ」。税込み5040円也(20%ポイント還元で1008円分のポイントつき)。これで、月曜提出のレポート2通を気合入れて書かねば、、、とか思いつつ、帰宅して3時間ほど経過した今でもまったく手がついていなかったり。(^^;)


9月27日(金)

 バイト終了後、まずは理工事務所へ行って「他研究科聴講願」にハンコをもらう。ついでに、年度始めにもらった「年間行事日程」では今日のところに「前期科目成績発表(55号館大会議室)」と書いてあるので成績表をもらっていこうと思っていたら、事務所には「成績はWebで確認してください」という掲示があり、55号館の大会議室へ行ってみてもカギがかかっていた。

 理工生協で生協で本を注文したのちに理工バスで西早稲田へ行き、11号館の商学部事務所で商学研究科事務所の場所を聞いたら9号館と言われ、そちらで再びハンコをもらう。書類は2通あって、1通はそのまま商研に置いてきて、残り1通を再び理工事務所に提出するという手続き。

 11時半になったし、お昼を食べようと三品へ行ったらまだ開いておらず、「フクちゃん」でチーズメンチ(600円)。三品もそうだけど、このお店もご飯はジャーではなくて一度木製の“おひつ”に移してあって、そこらへんのチェーン店とは違う心遣いがうれしい。そのあと生協で『マスコミ就職読本1 入門編』(本体1500円)とNHKラジオの『英語リスニング入門 10月号』(本体333円)を購入。生協で1割引とはいえ、一度にたくさん買ってしまうと逆に読まないので難しいところ。……NHKのラジオ講座にいたっては、修理から引き取ってきたMDラジカセにはタイマーがついていないし、中1のころから使っているCDラジカセはすでにカセットの調子が怪しいし、それに(カセットの)ウォークマンはすでにラジオ部分しか使わないことにしているし、どうやってやるんだよ、、、という気がする。CDも売られているけど1505円。。。

 ガイド室でやっぱりまったりしてしまったあと、秋葉原へ。雨の降る中、ずいぶん前に見かけた某ゲームのサウンドトラックの中古がまだ売られていないかなと探しまわった挙げ句、結局新品しか見つけられず、本来の目的だったマウスやCD-Rの品定めもほとんどせずに帰る。……教訓、秋葉原は雨の日に来るものではない。

 CDの新品だったら生協かAmazon.co.jpで買えるし、生協なら15%引きだけど、このジャンルのゲームのサウンドトラックはJASRACマークがついてないことが多いので、そういう商品生協で扱うかどうかは微妙。とりあえず20%引きの時期に注文してみるか。

 19時半からのNHK「特報首都圏」のテーマは江ノ電。大体知っている内容で、映像で見られただけいいのかなという感じ。あと、ナレーションが田口トモロヲだったら「プロジェクトX」そのまんまじゃないか、という気もした。NHK教育の「ETV特集」は「NHKスペシャル」の予備軍みたいな番組らしいけど、「特報首都圏」もそんなのなのだろうか?


9月26日(木)

 今日はやっと6時前に起きられた。しかし、早く起きると逆にのんびりするもので、駅のところまで歩いたところで6時38分の快速電車が行ってしまうのが見えて、あっ、と思う。6時40分の各駅停車で座って行く。

 バイト先では鉄道雑誌を大量にもらって帰りは大荷物に。今日は特に何もないので秋葉原でも行こうにもバイトが終わるのが9時では早すぎるし、なんてところにいろいろやることがあって会社を出たのは9時40分で、10時開店のお店に行くにはちょうどいいなぁなんて時間だけど、荷物が重いのでまっすぐ帰ることにする。

 そろそろ30日提出のレポート2通を書かないとな〜なんて思いつつ、洗濯をしたり新聞を読んだり昼寝をしたり。クレジットカードの請求書が届いたので、夕方になって郵便局へその分の貯金をしに行き、ついでに100円ショップや有隣堂、セブンイレブン、ユニマートに立ち寄る。100円ショップではプラスチックのカゴを購入。旅行先で温泉に入ったときに自分の石けんとかシャンプーとかを入れるカゴを持ってきている人が多くて、洗面器が洗い場ごとに1つしか置いてないところでは洗面器に入れて置いておくなんていう芸当がしにくいので、帰ったら買っておこうと思っていた。有隣堂では月刊「サイゾー」とか「SAPIO」などを立ち読み。本屋へ行くたびにあの本ほしいなとかこれ読みたいなとか思うので買ってきてしまえばいいのだけど、生協で買えば1割引だから……なんて思っているうちに忘れてしまうのが常。生協の存在があるだけでこれでは、本の価格が自由になったら大変そう。1割引といったって、680円の雑誌でも60円引き(なんと10円未満の割引額は切り捨て)にしかならないのだし、買ってしまうべきなのかなという気もする。セブンイレブンではカラーコピーしようと思っていたものがあるにもかかわらずすっかり忘れて『モーニング』を立ち読みしただけに終わり、ユニマートでは現像した写真を受け取る。14本も現像したので8000円かかってしまう。9月分のお小遣い(23歳にもなって家計にお金を入れるどころかお小遣いをもらっているというのも変ではあるけれど)は20日に帰ってきてからもらったのに、残りがもう7000円を切ってしまった。こづかい帳をつけているとはいえ、高校生のころは毎月末に項目別にいくら使ったのかをまとめたりしていたのが、いまは残額がどれだけかを何日かに一回計算して財布の中身と合っているかを確かめるだけになっているから、こづかい帳のつけ方をまた元に戻したほうがよさそう。

 今日は21時ごろには寝てしまおうと思っていたのだけど、メールをチェックしていたら8月12日〜20日のメールでなくなっているのがあるのに気づき、ぷららのメール保管期間が1ヶ月しかないのを思い出し、InterLinkで受信しておいたのをコピーしたりしているうちに22時半になってしまう。


9月25日(水)

 今日は6時起床。……なんとかお風呂に入って、温泉卵をごはんにかけたのと味噌汁をかきこんで出かける。

 今日も新宿駅のドトールでコーヒーを買ってバイト。終了後は、研究室で先生が開く会合の手伝いがあると聞いていたので、こちらも約1ヵ月半ぶりに研究室へ。以前は少し顔を出さなかっただけで僕の机には隣の4年生の机からどんどんモノが流れてきて大変だったのだけど、行ってみれば驚くほどきれい。きれいにこしたことはないのでありがたく使う。

 そういえばサンダルは持って帰っちゃったんだっけ、これからは寒くなるから急須とか湯飲みや魔法瓶(研究室にはなぜかコンロとヤカンはあるのに電気ポットがない)があったほうがいいなぁ、等々考えながらメールを見たら、今日の会合とやらは17時から。これだったらいったん家に帰るんだったかなとも一瞬思ったけど、研究室に置きっぱなしにしてある研究科要項(学部でいう『学部要項』)もいまなら手元にあることだし、後期の時間割を検討することにする。

 前期の科目登録では結構やみくもに登録してしまった面もあったし、あれから教員の専修免許を取るのをやめたりもしたので、時間割は大改造になった。先生のアドバイスで商学部(or 商学研究科)の講義を取ろうというわけで、商学部や商学研究科のサイトや講義要項検索などとにらめっこしながら検討。ちょうどそのときテレビ局が研究室の取材に来ていて、先輩方が向こうのほうでパソコンでのシミュレーションか何かを説明していたと思ったら、いつの間にかM1の机が並んでいるところにもカメラがやってきて何やら撮影していった。研究室の風景とかいう感じだったのだろうけれど、そのときいたM1は僕だけで、しかも研究していたのではなくてPCを必死の形相で見つめながら時間割をあれこれ考えているだけだったんだけどよかったのかなという気がする。

 Webだけでは分からないこともあったので事務所に行って詳細な科目登録の仕方などを聞いてみると、わざわざ商学研究科に電話で聞いてくれるなど、こちらがびっくりするほど丁寧に教えてくれた。学部生だったら「商学部事務所へ行って聞いてください」くらい言われるはずで、学部生と院生ではここまで違うものかと思ってしまう。……院生の場合は科目登録申請にも指導教授の印が必要(=教授と相談して登録科目を決める)だから、やはり先生の威光か。

 14時半ごろにA木くんがやってきて、生協がビールを持ってくるのでと言われて55号館にあるモビリティ研究室へ。生協が持ってきたビールを冷蔵庫に詰めながら、こんなに広い部屋を名誉教授と講師とその学生(早稲田の学生ではない)に使わせておくなんて、何考えてるんだろうか……とは恐れ多くて言えないけれど(とかいってここでは書いてたりする)ふと思ってしまう。

 再び部屋に戻ったりして16時半ごろにモビリティ研究室と同じフロアにある「サロン」にプロジェクターのセッティングに行く。17時頃には三洋電機の方や早稲田大学事業部の方や応化の逢坂先生や電気の若尾先生やウチの大聖先生や草鹿先生が集まって会合が始まる。あの事業部の人はどこかで見たことあるなぁと思っていたら、機械科の大先輩の人で5月のオリエンテーションのときに来ていた人。お茶を運んだりしているときに話を聞きかじっていると、どうも本庄プロジェクトの話で、事業部の人の名刺には「調査部」と書いてあったのを思い出し、(株)早稲田大学事業部は単に印刷業や喫茶店経営をやっているだけではないのか、と知る。

 17時半ごろにレストラン「大都会」の人がやってきて料理を置いていき、18時半ごろにセットする。さーて僕は何を食べに行こうかなぁと考えていたら、先生が「君達も食べたら」と言ってくれたのでご相伴に預かる。A木くんはなぜか遠慮してモビリティ研究室へ行ってしまう。……逢坂先生の秘書がワインを何本か持ってきて、どうも話を聞いていると逢坂先生はヨーロッパなどに行ったときにいくつか欲しいのを見つけると日本に帰って半年に1回ほどまとめて買うのだそう。秘書がいるのもすごいし、大量にワインを所蔵しているというのも、いかにも大学教授だよなぁという感じ。。。いつだったかの『ラストニュース』という弘兼憲史の漫画で、取材しに行った評論家が秘書を雇っていないのを見て主人公のディレクターか何か言っていたのを思い出さないでもない。

 19時半過ぎには三洋電機の人も帰り、研究室に残っている人を呼んで残りの食事を片付けてもらい、食器やらプロジェクターを片付けて21時には終了。商学研究科の科目登録は明後日までで、次に先生をつかまえられるのはいつになるのか分からないので、お酒が入ってはいたものの先生に他研究科の科目登録申請用紙にハンコをもらう。履修を考えているのは「都市交通計画研究」(原田講師)と「交通経済研究」(杉山教授)で、後者は工研の「都市基盤施設特論」と時間がかぶるし、シラバスを見ても難しそうな経済学の話みたいだし、前者だけにしておこうかなと思っていたのに、先生から杉山先生の科目は取るように言われてしまう。「最初の授業のときに、理工の大聖研から来ましたって言っておいてね」と言うふしから、どうも杉山先生とのパイプ役をつとめさせるのが狙いなのかなといった感じがする(杉山先生は大聖先生が主宰している「モビリティ研究会」のメンバーだけど、杉山ゼミにいる鉄研の後輩に聞いたら知らないと言われたし)。……パイプ役にやってきた学生が劣等生では何考えてんだと思われてしまうことは必至で、いきなり院生レベルの経済学とはいえ、センター試験の政治経済でダテに90点は取ってないぞ(何年前の話だか…)と自分に言い聞かせる。


9月24日(火)

 約1ヶ月半ぶりにバイト復帰の日。……だというのに起きてみれば6時15分で、お風呂に入る間もなくあわてて歯をみがいて適当に昨日の残りの巻き寿司を口に放りこんで家を出る。さすがにこれでは体が持たないので新浦安駅前のローソンで森永ダース(ホワイト)とカロリーメイト(2本入り)を購入、なんとか6時38分の快速電車に間に合う。森永ダースのホワイトは冬季限定のはずなのだけど、北海道にいたころからすでに店頭に並んでいて、北海道は一足早いんだろうかと思っていたけどそういうわけでもなかった。まだ半袖で歩いているというのにもう冬季限定商品にお目にかかるとは、どうりで一年が過ぎてゆくのが早いわけで。

 新宿駅のドトールでアイスコーヒーでも買って、、、と思いかけたところでカゼをひいているのを思い出し、ブレンドコーヒーにする。いざ某鉄道会社本社広報部へ足を踏み入れ、「久しぶり」と言われたりしたのちに、果たして自分の仕事はあるんだろうかと心配していたら、連休明けで4日分の新聞が届いていたからか、仕事は普段通りに。……1ヶ月半の間、バイトなしで仕事がきちんとまわっていたはずなのに、なぜだろう。。。

 バイトが終わっていったん家に帰り、夕方5時半ごろになって早い夕食を食べて早稲田へ。運営スタッフの広報・企画局のミーティングは19時から、と言われていたのが始まったのは案の定19時40分ごろ。延々と学生会館が閉まるまで続いて、家に帰ったのは23時半。このまま起きていてホームページの更新でもしようかなと思ったけど、久々に「ラジオ深夜便」を聴きながら0時半には床についた。


9月23日(月・

 7時ごろ起きてお風呂に入ろうと思ったら、まだ父が帰ってきていない。先に入ってしまうとそういうときに限って帰ってきていろいろ言われるので入らないで8時過ぎまで待っていても、逆にこういうときは帰ってくる気配がなく、ケータイにかけると珍しく出て「あー、入っていいよ」という返事。……風呂に入るのにも親父に伺いをたてなきゃいけないのか、と言われそうだけれど、休日の日でも仕事だったりするので仕事の支障になっては、いつだったかの『少年アシベ』に出ていたような「父親の不幸は自分の不幸」になりかねないので、ある程度は納得していたりする。

 風呂から上がって洗濯なんかをして、10時半ごろ家を出る。本当はさっさと9時ごろに家を出て10時には玉社に着いていたいなぁと思っていたのだけど、結局こうなる。東京駅から山手線で品川・大崎をぐるっとまわって目黒に行くのも時間かかりそうだと思って、日比谷駅から都営三田線で目黒に向かう。JRなら代々木からの乗り越しになって150円なのが210円もかかったるけど、三田(≒田町)から目黒までショートカットしているし電車も東急線へ直通するし60円の急行料金と思えば安いもんだと考えていたら、ちょうど武蔵小杉行きが出たばかりで白金高輪行きは6分後。しかも、白金高輪でも南北線からの武蔵小杉行きが来るまで5分くらい待たされたので、これだったらJRで行くんだったなと憤慨する。

 不動前駅徒歩1分のところにある我が母校に正門から足を踏み入れ、パンフレット……にしてはしょぼすぎる、印刷室で刷ったような冊子(どうも切らしてしまったらしい)を受け取り、さっそく2階の鉄道研究部の会場へ。どうも毎年レベルが下がっているような気がするなぁと思うのだけど、やっぱり模型製作の場所や置き場所が確保できないのが大きいのだろうか。かつては消防署に内緒で夏は使っていないボイラー室で製作・保管していて、普通の教室を使うのと違って製作するたびに運び出したり片付けなくてよいので短い休み時間でも少しずつ製作できたのだけど、さすがに難しくなった。それに、夏休み中の製作も、生徒が来ている間は顧問の先生もいなければならず、その辺りで夏休み中の製作もあまりままならないという事情もありそう。

 展示はすぐ見終わってしまったので職員室に顔を出すと忙しそうだったので、この2日間だけ鉄研の荷物置き場になっているという51R(=5年1組――中高一貫なので高校2年が「5年」――の意)教室をのぞくと、僕が部長のときの新入部員だったT内がいた。すでに卒業して成蹊大学の学生とのこと。早いもんである。ちょうどそのころ同級のY村から電話があってそろそろ到着すると聞いて、彼の到着を待って昼食へ。もと実行委員の総務副部門長兼学友会(=生徒会)の会計委員長としては模擬店で購入して売り上げに貢献したいところだったけど、その心配が要らないほど喫茶・販売部門は大盛況だったので、外へ行っていろんな店ができたりなくなったりしているのを見てから、僕が玉社生のころによく行っていた中華料理の「錦」で。そのころにはT内の代が何人か集まって僕とY村を含めて総勢6人になっており、意外にもこの店は初めてという面々が少なくなかった。僕のお勧めは日替わり定食(この日はレバニラ炒め。700円+消費税……玉社生当時は税込680円だった)だったけどみんながそれを頼むので、僕はマーボナス定食の大盛(780円+130円+消費税)。

 満腹になって再び玉社へ戻り、鉄道研究部の顧問のY本先生のところへ行くと、先生が当時の写真をいろいろ見せてくれ、盛りあがる。僕の中1のときの写真が2枚もあり、こんなに素直そうな子だったのかと感慨にふけり、せっかくなのでローソンでカラーコピーをさせてもらった。ほかにも懐かしい面々の顔や、去年の教育実習でもお世話になった先生方にも顔を見せ、15時ごろ玉社を出る。

 今度は南北線で飯田橋へ行きたい……っていうときにやってきたのは三田線直通だったけど、今回は白金高輪での乗り換えがスムーズだったので及第点。東西線で早稲田へ出て向かう先は新学生会館内で開かれている、「新生早稲田祭したくスタッフ」(早稲田祭運営スタッフにあらず)のスタッフ総会。今日で解散させるための総会で、最後の質疑応答、最後の議場封鎖、最後の議決を経て解散が決まる。定足数やら何やらという単語そのものもなつかしい。18時ごろから庄八で最後のしたく飲み。


9月22日(日)

 7時ごろ起きて、PCの電源を入れて普段通り顔を洗ったり歯をみがいたりメールのチェックをしたりしたものの、やはり気分が悪くて寝ていることに。両親から、そんなになるまで呑むなんてバカだ、と言われる。……呑まされたとはいえ、毅然と断らない自分にも原因があるので、仕方がない。

 こういうときはどんどん水分を取ってアルコールを外に出すしかないので、買い置いてあったアクエリアスの500mlペットボトルを2本あけて、カゼも治っていないのでひたすら苦しむ。そういえばK田は朝の新聞切り抜きのバイトを紹介してほしいなどと言っていたが、こんな目に遭わされて誰が紹介するか、くそ〜、などと、そんなことを考えているうちに再び寝てしまい、15時ごろに起きてトイレに行ったらだいぶ楽になった。

 本当は輝玉祭は今日のうちに行っておきたかったけど、もう行ったところで着くころには終わる時間だし、普段出入りしていた掲示板の1か月分のログを読んだりして過ごした。夕食はお好み焼き。やっぱり山奥にいるより海の幸がおいしい。


9月21日(土)

 11時過ぎに家を出る。近所のユニマートで写真を現像に出そうとしたら、「当店は10月7日をもちまして閉店の運びとなりました」なんていうポスターが貼ってあって、ユニマートを運営している会社がいくつかの店舗をマルエツに売却するという話は北海道で購読していた日経流通で読んでいたけど、売却しなかった店舗は閉店とは思い至らなかった。

 用紙に記入していたら現像所の人がちょうど取りに来て、浦安市内では大三角通りの「福太郎」という店でも取次ぎをしているという話を聞く。プリント代込みで現像料590円(税別)は僕が知っている中では最安値だったので、その店も含めてまたいろいろ探さなくちゃないけなくなりそう。

 銀行で1ヶ月の間に振り込まれたバイト代を引き出して郵便局で貯金し、電車に乗って早稲田へ。広報局のミーティングは12時からという話だったけど、12時半に着いたらまだ始まっておらず、相変わらず。新学生会館では全然お客さんが入っていなかったモスバーガーが撤退して今日からロッテリアが開店しており、ピュアチーズバーガーセット(税込み350円……ロッテリアのWebサイトでは300円なのだが)と「ふるタコ」(100円)で昼ご飯。ミーティングの前にステカン(=捨て看?)を片付けるので食べ終わったら正門へ行ってもらえます? と言われて行ってみたけど誰もおらず、ミーティングも始まる気配がないので鉄研の例会に顔を出してみる。帰り際にA川くんから「今晩あいてます?」と言われ、どうもK田が僕の帰還祝いとA川くんの留年確定記念と称して呑むらしいと聞く。

 再び戻ったけどミーティングはまだ始まる気配がなく、ガイド室で16時ごろまでいてまた戻るとやっと始まっていた。

 本当は帰りに秋葉原で修理に出していたMDラジカセを受け取って帰ろうと思っていたのだけど、K田もK内も美深まで来てくれたのだから呑みも付き合ってやるかーとなると、また馬場に戻ってこざるを得ず、ミーティングは17時で中座していったん秋葉原へ。K田から電話があって「そのまま帰る気かよ、首に縄つけるぞこのやろー」と言われ、行く気が少し失せたものの、秋葉原でMDラジカセを受け取り、なくしたり壊すといけないので東京駅でコインロッカーに入れ、QBハウスで髪を切ってから再び馬場へ移動して。松屋で牛めし並(セール中で240円)を食べてから「だるま」へ。

 「あ、ホントに来た」とか言われるとふざけんなと思うのだけど、だるまではK田やK内やK藤さんやA川との5人で22時頃までいて、本当はこれで帰るつもりだったけど2次会の「素材屋」もつきあう。23時も20分くらい過ぎて、0時になったらコインロッカーの日付が変わってまた300円かかってしまうではないかと思って帰ると言い出すと、「帰るんなら呑んでけー」と言われて焼酎をずいぶん飲まされて、さらに不幸にも1000円札を持っていなかったのでいくら置いていくかでまたもめて、解放された頃には時計は23時45分。フラフラになりながら新宿で乗り換えた中央線の車内でもどしてしまう。(ごめんなさい)

 とっくに0時を過ぎており、小銭もなかったので東京駅の改札口で両替してもらってロッカーへ行ってみれば、そのままMDラジカセを取り出すことができて変だなと思って上に書いてある細かい注意事項を見たら、日付が変わるのは午前2時と書いてあった。萎える。

 やっとの思いで乗った京葉線の終電の車内でも吐いてしまい、一番後ろの車両だったので気づいた車掌が新聞紙をかけにきた(本当にごめんなさい)。。。挙げ句の果てに南船橋まで寝過ごしてしまい、歩いて帰れる状態ではなかったのと、千葉方面だったら迎えに行けると言っていた母の言葉を思い出して、迎えに来てもらう。本当に申し訳ないし、ママに迎えに来てもらうなど、恥だよなとも思う。

 ……今日の呑み代は5000円。


9月20日(金)

 ちょうど今日から彼岸入りなので午前中に祖父の墓参りを済ませ、お昼ごはんを食べてからタクシーで新発田駅まで。来るときは中央タクシーで深夜2割増でも640円だったのに、今日の新発田タクシーは800円。どちらも小型車で、今日のは迎車料金100円が含まれているとは言ってもここまで料金の差が著しいとびっくりする。

 新発田12時55分の新潟行きはE127系。東北地方の701系に似た、越後線ではすっかり見なれた新型ローカル型電車だけど、小さいころから115系などで乗り慣れた白新線で乗ると違和感がある。

 新潟で乗り継いだ「MAXあさひ318号」の指定券は1階席。何回か2階建て新幹線の2階席には乗ったことがあったけど、少し目線が高くなる程度で、東海道線の2階建て電車でも1階席のほうが走っているときの線路やらポイントやらが目の前に見えて楽しいし、新幹線なら時速240キロで走る線路が目の前に展開して大迫力だろうなと思ってあえて指定した……のだけど、窓が小さすぎるうえに結構上のほうについていたので目線は思ったほど低くなく、たいしたことなし。在来線並みに窓を取りつけたら普通の人なら恐怖感を感じてしまうからなのだろう。それに午後に南へ向かう新幹線で右側の席だったので西日が強くて結局ブラインドを降ろすはめに。あとは1階席から見えるものといえば新幹線名物の高い壁くらいなもので、駅のホームも大宮以外は全部左側だし、じゃぁ1階席のメリットってなんなのさーと座席の背を倒したら意外に倒れるので、これかなと思ってトイレに立ったついでに2階席へ行って試してみたけど別に変わりなし。東海道・山陽新幹線の「グランドひかり」の1階席は2&2シートだったりしてそれなりに差別化が図られているのだけど、JR東日本の場合は自由席で2階席は3列+3列でリクライニングしないけど1階席なら指定席同様に2列+3列で肘掛けもあるしリクライニングする、というだけで、指定席なら外が見えるぶん2階席のほうがよさそう。

 新潟を発車してすぐ車掌がまわってきたけど乗客が座っている席を確認するだけで車内改札はなし。いいのかなと思っていたら車掌が今までのとは違う端末機を持っているのに気づき、話に聞いていた、自動改札で入場すればそのデータが車掌の端末に伝わって車掌はその席に乗客がちゃんと座っているかをチェックするだけでいい、というシステムかと想像していたら、燕三条を発車したところで「自動改札を入られた指定席のお客さまには車内改札を省略しております」というアナウンスがあった。……アナウンスといえば、JR東日本管内の新幹線の自動放送の声がフジテレビの堺正幸アナウンサーの声だというのはずいぶん有名な話だけど、こんな話し方だったかなぁという気もする。

 この電車は新潟県内は越後湯沢まで全部停まるのにそのあとは大宮までノンストップという変わった電車で、越後湯沢を出てしまえば、ブラインドを閉めてInterLinkを広げていたこともあってかあっという間に大宮。ウチの大学も関わっているとかいう例の本庄駅の場所も分からず。大宮で京浜東北線に乗り換えて南浦和で武蔵野線に乗れば東京駅ほど歩かなくていいんだよなーとか思うと、もう首都圏かという感じだけど、まだあと30分は新幹線だからいちおう旅気分。……E127系でVVVFの音を聞いて、新幹線に乗った時点ですでにもうほとんど家の近くで電車に乗っているような感覚でもあるけれど。

 大宮を出て埼京線と平走し、西日暮里で地下にもぐり、上野を出て地上に出ると秋葉原辺りの古びた高架線が目に入って、神田でいつも乗っている中央線が見えると、もう東京駅。東京か……何もかも懐かしい、、、(^^;)。車が多い通りを車窓に見ても、オープンしたばかりの丸ビルを見ても、東京駅のホームに降りて人だらけのコンコースに出ても、もう何とも思わない。やっぱり僕の地元は首都圏なのだ(残念ながら東京ではなくて千葉なのだけど)。


9月19日(木)

 今日一日は新発田滞在。8時ごろにごはんを食べて、ヒマなので座敷に置いてあった「コスモドクター」とかいう怪しげな電気治療器に座りながら13時過ぎまでうとうと。昼ごはんを食べて付近を散歩してみる。たしか駅までの道に古本屋が2軒とセブンイレブンがあったはず……と思っていたら、古本屋1軒とセブンイレブンが見当たらない。アーケード街は平日の昼間だというのにシャッターの降りている店が多く、北海道みたいに過疎化しているわけでもないのだから、極度な中心部の衰退である。門内研の呑み会に来ていたOBが「日本の地方都市はすでに充分なコンパクトシティになっている」と言っていたけど、とんでもない。

 北海道で名寄の駅前がひどく衰退していたのは都市部(主に札幌圏)への人口流出による名寄市周辺全体の衰退によるところが大きい(若干離れたところにいわゆる郊外型ショッピングセンターができたこともあるが、駅から歩いていけなくもない距離である)し、これまで関心を持っていた過疎地問題はもうどうでもいいやという気持ちになったことでもあるし、帰ったら大聖先生から本庄のプロジェクトの話(夏休み前までは逆にたいして関心を持っていなかった)を詳しく聞いてみようと思う。

 夜は近くに住んでいる伯母2人を交えての夕食で、カゼ気味だったこともあって適当に話に混じっていたら、話が大学院生活のことになったあたりでどうも適当な大学院生活を送っていると思われたらしく、いろいろ言われてしまう。


9月18日(水)

 朝6時に起きて露天風呂へ入りに行く。このユースは内風呂は普通のお湯だけど、露天風呂は温泉。ただ、露天風呂には洗い場がないので1回は内風呂に入っておく必要がある。ときおり遠くを通りすぎる電車や貨物列車を見ながら40分くらいだらだらと浸かって戻ったらちょうど7時。朝食とともに新聞にも目を通し、談話室で8時15分からのNHKドラマ。見終わるころにはほとんどの人が出発してしまっていた。

 11時過ぎの電車に乗るつもりでいたのを早めて9時14分の電車に乗ることにし、荷物をまとめてネパール人夫妻のスタッフに挨拶をして出発。駅ではちょうど今朝で仕事を終えて下り電車に乗ってまたどこかへ旅立つという名古屋出身のヘルパーさんに会い、僕は上り電車に。予定より1本早い電車なので、八戸で乗り継いだ電車を金田一温泉で下車。傘はユースに置いてきてしまったのに、またひどい雨。駅から温泉街までは「車で3分」の距離で、駅構内はおろか駅前にも傘を売っていそうな店はない。簡易委託のおじさんに聞くと傘を貸してくれ、歩いていくことに。僕が歩き始めると、駅前に停まっていたタクシーは動き出してどこかへ行ってしまった。

 道に迷いながら30分ほどかかって温泉街に着く直前にJRバスに追い越され、しまった、これに乗ればよかったんだ、と思ってももう遅い。帰りにちょうどよさそうなのは温泉センター11時58分発があるけど、金田一温泉駅12時06分発の電車に乗るので、心もとない。広々とした天井の高い湯舟に20分くらい浸かって出る。今朝の温泉で湯冷めしてしまったのかとうとうカゼ気味になってしまい、こんどは体が冷えないうちに服を着たら汗だくに。綿なのであとで体を冷やしてしまいそう。

 今度は道に迷わずに駅に戻り、11月限りになるJR線のキップを購入して12時06分発の電車に乗る。ちょうど電車がホームに入ってきたところで、あのJRバスが駅前に入ってきて女性が駅に飛びこんできた。……これだと交差点の信号によっては乗り遅れたかもなぁと、乗らなくてよかったと思うことにする。

 JR線としてのこの区間は今回が乗り納めになるに違いないというのに車内では爆睡。盛岡では昼食に駅そばを食べる。天ぷらそばに玉子で410円。東北地方の駅そばは大半が伯養軒で、ここのそばはたいしてうまくないという印象で、ここ数回は東北に来ても食べていなかったのだけど、今回はそこそこおいしく感じる。もう仁宇布の住民からすっかり旅人(=千葉県浦安市在住)になって、これまでにないほど純粋に旅を楽しんでいるのだろうかと思う。

 盛岡で田沢湖線に乗り換え、大曲で1時間ほど待ち時間がある予定だったけど、大曲には特に何もなさそうなので予定の一本前の横手ゆきでとりあえず横手へ先行。何度か駅ネした横手では少し早い夕食にラーメンを食べる。500円。次の新庄ゆきは最初は高校生で混んでいたものの湯沢を過ぎて院内に着くころにはすっかりガラガラで、ロングシートに横になって新庄までまた爆睡。新幹線の終点になった新庄で陸羽西線に乗り継ぎ、余目で羽越本線に乗り換え。もう外は真っ暗で、寝るしかやることがない。こうして夜のガラガラな列車にぼけーっと乗っていると、中学・高校生のころにJR完乗を目指してひたすら乗っていたころを思いだす。

 羽越本線では交換列車が遅れて15分ほど遅れ、村上で5分乗り継ぎなので心配したものの、村上までには遅れを回復してすんなり「ムーンライトえちご」に乗り継ぎ。このまま乗っていれば明日の朝には新宿だけど、これは新発田で降り、タクシーで祖母の家へ。さすがに疲れたので軽くお風呂に入ってさっさと寝る。


9月17日(火)

 22時台に寝たけど暑苦しくて目が覚め、窓を開ける。隣で寝ている同室者のいびきがうるさくてなかなか寝つけないままずいぶん長い時間が過ぎて時計を見たらまだ3時。

 5時ごろに起きてお風呂に入ったり荷物をまとめたり。相部屋なのであまり派手にやることができず、個室だったらテレビもある程度の音量で見られるのになぁと。チェックアウトは7時からで、市電の始発も7時12分発なので、7時になると同時にユースを出る。なんとか低床車をつかまえて乗りたいので、ユース最寄りの宝来町ではなく十字街まで歩いて30分くらい待つ。しかしやってくるのは在来型ばかりで、あきらめて函館駅前まで電車に乗ったら函館駅前電停でちょうど新型の低床車が向こうからやってくるところだった。……あわてて反対側のホームへ行くとその電車は函館駅前折り返しで、十字街で待っていたら来なかったことになり、運がいい。折り返しの駒沢車庫ゆきにひと駅、松風町まで新型に乗り、電停前のセイコーマートで朝食を調達して再び市電で函館駅前に戻る。

 函館8時04分発の「海峡2号」の見学専用車に乗ると結構乗っている。3日の間にずいぶん売れたんだなと思ったけど、僕を含めて3人を残してあとは吉岡海底で降りていった。竜飛海底で下車すると、3人の乗客のほかにスタッフが5人くらいゾロゾロといっしょに下車。列車が行ってしまい、ガイド役のスタッフ1人以外の人もどこかへ行ってしまい、見学開始。下り「日本海」を見送って延々と通路を歩き、重厚な扉を2枚抜けてさらに歩いて地上ゆきのケーブルカーに乗る。竜飛海底駅見学コースは地上にある青函トンネル記念館見学も含まれていて、しかもこのケーブルカーはちゃんと「鉄道要覧」に載っているのでちゃっかりケーブルカーも完乗できちゃったりするのである。

 まずは記念館に入ったところで1時間半ほど自由時間になり、館内を見学。青函トンネルが技術の粋を結集して造られたことは非常によく分かったのだけど、いまは貨物輸送においてこそ動脈のひとつになっているとはいえ、やはり主力はトラック輸送で津軽海峡はフェリーで抜けてしまうのが一般的だし、旅客ではガラガラの快速「海峡」と、わずかな本数の特急「はつかり」(昨日のFMいるかで流していた空席情報では満席の列車もあるようだったけど)に急行「はまなす」が細々と走っているに過ぎない。商学部の杉山教授(交通論)の試験問題か何かで「青函トンネル利用法で最善のものを述べよ」というのがあり、正解は「今すぐ使用するのをやめてトンネルにフタをする」だったそうだから、複雑な思いである。「プロジェクトX」にも取り上げられたこのトンネルが日の目を見るのは北海道新幹線が走り始めるまで待たねばならないのだろうけれど、そんなものはいつのことやら、という状況でもある。それにしてもこのトンネルを造るのにかかったであろう莫大な費用はいったいどこから出たのだろうか。

 晴れていれば竜飛岬にも行けたのにねーというガイド役のおじさんとともに再びケーブルカーに乗って竜飛海底駅に戻り、12時25分発の快速「海峡」に乗車。今日は連休が終わって最初の平日だったからか3人しかいなかったけど、普段は20人ほど見学者がいるそうで、詳細はまだ決まっていないものの12月から快速「海峡」が運行をやめて特急「白鳥」になってからも見学そのものは継続するとのこと。

 青森に13時27分着、乗り換えはあわただしく31分発の特急「はつかり18号」に乗り継ぎ。昼ごはんを買いそびれ、竜飛の記念館で何か買ってくるんだったなぁと我慢する。手元にはセイコーマートのジャスミン茶が2本だけか……と思ったら車内販売がちゃんと乗務していた。一戸駅の駅弁とかいう「ロースカツ弁当」を購入。820円。……添加物を一切使用していませんとうたっているなら納得するのだけど、そうでないのならコンビニ弁当で充分だよなぁという値段。

 「スーパー北斗」に乗っていたときも、快速「海峡」に乗っていたときも感じたのだけど、ずっと車ばかりに乗っている生活をしていたからか、シートベルトをしないで揺れる車内に座っているのはどうも落ち着かない。それだけ鉄道が安全な乗り物だということなのであって、ベルトで座席にしばりつけられていないと落ち着かないだなんてただの変態さんではないか(^^;;;)。

 三沢に着くとひどい雨。とりあえずコインロッカー(中型なのに200円)に大きい荷物を預けて、駅前にあるコンビニ「オレンジハート」でビニール傘を購入。三沢駅前郵便局を履修して、十和田観光電鉄の電車に乗ったところで、替えのフィルムやら録音機材やらを大きなカバンに入れたままロッカーにしまってしまったことを思い出し、どうせ200円なので取りに戻る。今夜の宿、カワヨグリーンユースホステルは夕食がないので時間には余裕があり、次の電車にすることにする。キップにはハサミが入っていたけど駅員さんに言ったら次の電車でもOKにしてくれた。なかなかの雰囲気があることで有名な電鉄三沢駅のなかをいろいろ見ていると、21・22日に十和田観光電鉄80周年記念行事のポスターが目に入った。いろいろやるようだけど、「9月末を持って廃止となるJR連絡乗車券を発売します」と書いてあるのに気づき、「はつかり」を降りるときに「十和田観光電鉄十和田市ゆきは駅前電車のりばから14時49分の連絡です」と珍しく会社線のアナウンスをしていたのは、連絡運輸がまだ残っていたからなのか、と思い至る。

 15時32分発の十和田市ゆきに乗り、録音開始。ところが途中の三農高前で高校生が大勢乗ってきて騒がしくなるわ、マイクのそばで貧乏ゆすりをするわで台なし。帰りにやりなおすことにし、十和田市に着いたらとうてつダイエーの中にある100円ショップでMDを購入。どんなに遅くても18時48分発の三沢ゆきに乗れればよいので余裕があり、まず同じ建物の中にある東一番町郵便局で風景印を履修。貯金は中3の春休みに訪れたときに履修済み。確か、近くにモスバーガーがあったはずだが、とダイエーの館内案内図を見ても載っておらず、電話帳と地図で確認すると少し離れたところにあると判明。まずは十和田観光電鉄の旧十和田市駅(いまでも本社と車庫がある)を見にいくものの、何両かの小型機関車と3400系が1両置いてあるだけで拍子抜け。近くにあった古本屋を冷やかし、スーパーのなかにあるモスバーガー十和田東二番町店へ。

 十和田市駅へ戻ってダイエーで買い物したりしたあと、せっかくなので向山までの連絡乗車券を買って18時48分発の三沢ゆきに乗る。こんどは東急グリーンに塗り戻された電車。10月辺りから同じ東急からやってきた7700型など(すでに七百駅に置いてあった)に置き換えられることになっている。

 三沢では7分乗り換えなので不安だったものの取り越し苦労に終わって、向山駅からの道は暗くて何度か水たまりに足を突っ込んでしまったりしたものの、無事カワヨグリーンユースホステルに到着。さっそく20時からお茶の時間で、途中お風呂に入ったりしながら23時の消灯までしゃべったり。ニュースでは日朝首脳会談の詳報が。


9月16日(月・

 朝起きて、朝食。9時ごろ「ゆきのおと」を出て和田さんとS子さんに和寒駅まで送ってもらう。「Y生さんショックが癒えるまでは北海道には来ないかもなぁ」と言ったら、S子さんが「北海道でついた傷は北海道で癒してください」「また別なところでヘルパーでもやったらどうですか?」と言ってくれ、そうかもしれないなとふと思った。……その一方で、別に場数を踏んでまでヘルパーの道を極めるのも、うーん、どうだかなー、という気もした。今回の1ヶ月で、あれこれ手を出さないことが僕には必要なんじゃないのかな、と思ったので。

 9時31分発の旭川ゆき快速「なよろ4号」はキハ40。昨日は2つの列車ともキハ54で、キハ54にも次第に味が出てきてはいるけど、キハ40は車内に入ったとたんに、いいなぁ、と思ってしまう。我ながら鉄である。旭川で乗り換えた特急「ライラック6号」もいい。ずっと普通列車の旅ばかりしていると、特急に乗るのが少し新鮮。指定券をとっておいたけど、座席は新千歳空港に直通していた当時のままのUシートで快適。「スーパーホワイトアロー」のUシートと違ってコンセントはついていないけど、Interlinkを広げて3日分の日記をつけたり。旭川を発車すると「鉄道唱歌」のチャイムが流れ、感激してしまう自分にやっぱり自分は鉄道マニアで、旅人なんだなと思う。

 札幌に到着してコンコースへ降りると、人の多さというか、活気に少し……いや、かなり圧倒される。これはまるで空港の国際線ターミナルで、気分は海外旅行である。ずっと前に書いたかもしれないけど、やっぱり都会が新鮮に映る。札幌には何度も来ていて、これまではなんとも思っていなかったのだけど、1ヶ月の間、名寄まで行けば大都会、のような場所で過ごしていたのがやっぱり効いているのだろうか。……180万都市の札幌でこれでは、首都圏に戻ったときどうするのさ、と不安になると同時に、徐々に東京に近づくなかで慣れてしまわずに新鮮な目で東京を見てみたいなとも思う。それと、まだあの人のことを考えてんのか、とも思うものの、小樽と仁宇布の二重生活で週の半分は札幌圏にいるY生さんは、そりゃー、仁宇布にいれば強いわな、とふと思った。……じゃぁ、この1ヶ月で僕が弱くなったのか、というと、う〜ん、どうなのだろう。強いとか弱いとかいう次元じゃなくて、少し素直になったのかなという気がするその一方で、都市で生き残っていくためには自分を強く主張すること……自分のいいようにまわりを動かすとかそういうのではなくて、ダメなものははっきりダメと断るということ……も必要なのかなということも少なからずY生さんから学んだのかもしれない。「来なきゃよかったとは思っていない」というののひとつはこうした面においてなんだろうと今は思っている。

 札幌の駅そばはあまりおいしくないという印象を持っていたけど、380円の天そばを食べると、久々にそばを食べているなぁという気分になる。べつに1ヶ月間そばを口にしていなかったわけじゃないし、幌加内の新そば祭りにだって行っているのに、やっぱり、旅をしているという気分がそう感じさせるのだろうか。

 12時22分発の「スーパー北斗6号」は、発車間際に入線してきて車内も落ち着かないうちに発車。9両編成という、道内でこんなに繋げて客乗るのかと言いたくなるほどの「スーパー北斗」は、札幌発時点ではすいていたけど車内改札では満席だと言っていたし、南千歳で高校性のクラブ活動の面々とおぼしき連中が大量に乗ってきて騒がしくなる。せっかくの「スーパー北斗」なのにふざけんなよと思いつつ東室蘭辺りまで寝ていたら、連中の大半も夢のなかで、よしよしという気分。東室蘭から先が「スーパー北斗」が本領を発揮する区間である。窓際とはいえあいにく座席は山側だったけど、噴火湾を左に見ながら右へ左へ車体を傾けながらカーブをものともせず高速のまま疾走してゆく。振り子特急は「スーパーおおぞら」にも導入されたし、札幌近郊の201系・731系や、「スーパー宗谷」にも簡易振り子機能が搭載されているけど、道内の列車で最初に振り子車を導入したのは「スーパー北斗」が最初で、中3の春休みに初めて北海道を訪れる直前のダイヤ改正で登場し、北海道から帰る最後に札幌から函館まで乗り通したときの感動は忘れられない。その後「スーパーおおぞら」「スーパー宗谷」いずれにも乗ったけど、「スーパー北斗」ほどの躍動感というか、感動はなかなか感じられないでいる。

 これでもかこれでもかと車体を傾ける振り子機構に変わりはないけど、加速のし方がちょっと上品になっちゃったなぁという気もする。運転士さんのやりかたによるところが大きいのだろうと思うのだけど、加速するときに「ドルルルルゥゥゥゥゥゥン」といったんふかして、そして「ガッガガガガガーー」という音と軽い衝撃とともにグングン速度を増していくあの感じがないと物足りない。

 大沼公園を過ぎた辺りで便意を催し、トイレに行くとどれも使用中。車内をうろうろしていると7号車だけが異様に乗客が少ないのに気づく。札幌発車前に「指定席をご希望の方は7号車の空いた席でお待ちください。車掌がのちほど参ります」とアナウンスしていたのと、今日は満席だという車掌の言葉を思いだし、どうやら7号車は急遽増車した車と察する。指定席扱いにしておけば自由席であぶれた乗客から指定席との差額が取れるし、増車するでも素直に自由席を増やすことをしないのか、と受け止めた。30分おきに特急が走る札幌〜旭川の「ライラック」「スーパーホワイトアロー」を除けば、道内の特急は自由席が1両、多くても2両しかついていないのが普通で、ちょっと不便だなと思わないでもない。

 函館に15時半に着き、観光案内所でバス・市電共通一日乗車券(1000円)を購入。「5回乗らないと損ですよ」と言われたけど、函館山に登るバス(片道360円)にも乗れるのでそれに乗ればすぐもとがとれる。今日の宿、函館ユースゲストハウスへ行こうと市電乗り場へ行くと、「チンチン電車運行時刻」という表示があってあと20分ほどの16時07分にやってくると書いてあり、せっかくだからそれを待つ。乗ってみると、平成4年までささら電車として走っていた車両を客車時代のものに復元したものとのことで、整理券発行機や運賃箱がなく、女性の車掌がまわってきてキップを売っている。一日乗車券でも乗れるけど、磁気券の券面には日付の表示がないので古いのでも乗れてしまいそうである。函館駅前から3つ目の十字街で下車して後続の谷地頭ゆきに乗り換え、次の宝来町で下車。僕の前にいた人が運転士からカードを買って「これでカンバスに乗れるの?」と聞いているのが聞こえて、民間の函館バスを略して函バス、で、これはハコバスと言わずカンバスと読むのか、と知る。

 ユースの場所はすぐに分かったけど、立地といい建物の形といい、なんだかラブホテルのよう(ォィ)。チェックインすると相部屋とのこと。えー、ユースゲストハウスって個室が基本じゃなかったのかよーと思いつつ、税込み4410円を支払う。相部屋のくせにこれで素泊まり料金である(食事提供はしていない)。ふざけんなである。部屋に入ってみると、1人用の個室にむりやりベッドを2つ置いたような部屋で、ライティングデスクもなく1人分のスペースは明らかにユースホステルより狭い。ハマリだ。登別の「あかしや荘」(すでに廃業)の息子がやっていると聞いていたのに、、、ユースホステルガイドブックには1泊税抜き4500円と書いてあり、315円足せば個室になったのならそうしたほうがよかったとも思うし、連休だから個室提供はできなかったのかもしれない。

 あーこれだったら「旅の窓口」で5000円くらいのホテルを探すんだったかなと思いつつ、リュックに荷物を小分けして部屋を出る。とりあえず谷地頭温泉まで歩いて行って疲れを癒す。やけに混んでいるなと思ったら、この3連休は小学生以下と65歳以上が無料、と書いてあった。湯上がりに座敷で「FMいるか」を聴きながらInterLinkをコンセントに繋げて日記の続きを書いたり。「スーパー北斗」の車中でバッテリー切れになってしまい、そういえば宗谷本線の特急「サロベツ」は各席にコンセントがついていると聞いたなぁと思い出し、「スーパー○○」とそうでない列車の差別化はそうしたところでやるのかもなぁと思った。少しくらい時間がかかっても車内でバッテリーの心配をせずにパソコンが使えるのは大きい。最近「北斗」には乗っていないけど、今度機会があったら乗ってみようと思う。

 6時半ごろに温泉を出て谷地頭から市電に乗って十字街で下車。ちょうどどつく前ゆきが行ってしまったので歩いて「ラッキーピエロベイエリア本店」を履修。函館といえばモスバーガーよりもラッキーピエロなのである。前回函館をまわったときはまだ営業時間前で、十字街電停近くにある十字街銀座店(旧:サンタが函館にやってきた)で食べた。レジには「ラッキーピエロ全店制覇ラリー」なるチラシが置いてあり、まさにツボを突かれてしまう。前回はこんなチラシなかったよなぁという気がする一方で、店内に4月開店と書いてある函館駅前店が載っていない。ずいぶん適当である。レジの人に聞くと期限はないそうなので気長にやってみることにしてとりあえずベイエリア本店のスタンプを押してもらう。……しかしこれでは十字街銀座店を再履修しなくてはいけないではないか。。。

 雰囲気のわりに首都圏のベイエリアほど人がいなくてこんなところっていいよなぁという感じの通りを歩いて十字街から再び市電に乗って函館駅前へ行き、19時50分発の函館山ゆき登山バスに乗る。前乗ったときは函館市営だったのが函館バスになっていて、ガイドさんは函館市営のときの人に似てるなぁという気もしたけど、ガイドの内容に「タクシーとは目線が違い、バスでしか見ることのできない景色がご覧いただけます」に続けて「その代わり、タクシーの方はたっぷり料金を取られております」と言ったり、終点近くになって「ここはウチの優先レーンでございます。観光バスにはお待ちいただいて、お先に失礼」と言ってみたり、市営バスだったら言わないよなというようなことを言う。

 函館山からの夜景を見るのは何回目かだけど、今夜はすっかり晴れて下北半島の民家の明かりまで見えた。この夜景、某ゲームに出てきていたなぁと思いつつ写真を数枚撮っておみやげ屋を冷やかしていると、「函館山山頂駅臨時郵便局」というのを見つけて風景印を履修。今回初めて見つけたけど、前からあったのだろうか。

 折り返しのバスに乗ってこれは十字街で下車。函館市電のノンステップの新型にまだ乗っていないのでせめて車庫まで行って見てこようと思ったけど、谷地頭ゆきの終電が21時台だったので駒沢車庫まで行ってしまっては戻って来れない可能性が高いので、函館駅前までぶらぶら歩いて、こんどの谷地頭ゆきが30分後だったので10分後に来たどつく前ゆきに乗って十字街で下車。車内の市電・市バス路線図を見ると、市営バスは1系統しか載っておらず「市営バスの運行は平成15年3月31日までです」という表記があった。札幌市が市営バスを全廃して民間に移管すると発表したのが記憶に新しいけど、函館市も追随したらしい。さっき駅前で見た「日吉営業所前」と行き先を表示したバスは実は最後の市営バスだったのか。

 十字街で電車を降りる際に運転士にノンステップ車が走っている時間帯を聞いてみても「毎日違うから分からないなぁ」という返事で拍子抜け。十字街電停からユースまで歩くことにし、歩き始めてすぐのラキピ(=ラッキーピエロ)十字街銀座店を再履修。ユースに戻ればティータイムでアイスクリームが出ることが分かってはいたけど、ソフトクリームを食べる。

 「ゆきのおと」のS子さんが言っていたとおり、それぞれがアイスクリームを食べたらさっさと部屋に戻ってしまうティータイムをのぞいて、僕ももらったアイスクリームを食べながらInterLinkを広げて黙々と日記をつける。


9月15日(日・

 日進9時53分発の名寄ゆきで出発。ひと駅先の名寄で1時間40分ほど時間があって、西條百貨店やセイコーマート、ローソンを冷やかす。函館の宿をまだ決めていなかったのでローソンのLoppiで探してみたけど、全然なし。使えない。駅へ戻ってPHSから函館ユースゲストハウスを予約。ついでにカワヨグリーンYHも予約。17日は夕食の提供ができませんけどいいですか、と言われ、YHで夕食をとらないなら十和田観光電鉄をゆっくり見ることができそう。

 名寄11時43分発の旭川ゆきに乗り、和寒で下車。12時35分。大勝食堂でラーメンを食べて、フタバのソフトクリームを食べて、今晩用のヤケ酒を買ったら今夜の宿「ゆきのおと」の和田さんに迎えに来てもらおうかなぁと思ったら、すでに駅に迎えに来ていた。どうも予約したときに12時35分の列車で着くと言ったらしい。。。ヘルパーのS子さんもクルマのなかにいた。

 大勝食堂でラーメンを食べたあと、「(名寄の)ピヤシリ山へ行こうかと思うんですけどいいですか?」という和田さんに連れられ、再び名寄方面へ。国道40号沿いにある「かぼちゃ王国」でかぼちゃソフトクリームを食べ、和田さんの運転らしく、川西とかあっちのほうの農道を進んで名寄へ。この辺りは起伏が激しいところに畑が広がっているので、美瑛や富良野並みの農村風景が展開していて、北海道はこうでなくっちゃなぁなどと勝手なことを考える。約1ヶ月間いた仁宇布だって北海道なのに、そういう考え方をする時点ですでに住人ではなくて旅人に戻って、、、、というか、戻れているんだな、と思い、少しホッとした。

 名寄まで来たついでに、と昨晩の宿の名寄サンピラーユースホステルに寄り(なんのために和寒まで行ったんだか……(^^;))、ピヤシリ山へ。ゲートの手前でクルマを停め、山頂まで行ってさらにローソク岩まで足を延ばしてクルマに戻ってきたころは17時過ぎ。夕食は下川の「モレーナ」で。僕は「鹿のカレー」(900円)にライス(200円)とチャイ(400円)。この店、時間がかかることで有名で、出てきたのは注文してからちょうど1時間と5分経ってから。飲み物も出てきて食べ終わって出るころには2時間が経過していた……。

 そのあと、五味温泉で入浴して、士別の24時間営業の「みしま」(道北圏に展開するスーパーマーケット)で買い物。僕も今晩のヤケ酒を購入。少し奮発して980円の士別ワイン。

 「ゆきのおと」に着いたのは23時半。外の気温は5℃で、さすがに半袖では寒い。さっそく談話室で和田さんやS子さんとお酒になったけど、愚痴のオンパレードにする予定が、なんだか話す気になれず、……というか、すでに仁宇布を離れて1日経過しているし、できれば早く忘れてしまいたいという気が強かったのか、不発に終わる。和田さんはカゼ気味で早く寝てしまい、S子さんとも、2時ごろに切り上げて寝る。


9月14日(土)

 仁宇布を離れる日。N田さんのおばあちゃんの家で目覚め、7時から野村はづきアナが取材に来ていたHTBの「晴れときどき北海道」を見る。番組を見ている間にY本さんも来て、N田のおばあちゃんを羊小屋に送ってコイブへ戻る。

 美深へ買い物に行ったY本さんの留守番も兼ねて荷造りをしていると、Y生さんの奥さんから電話。トントへ送ってほしいという内容だったけど、そのときに最後の挨拶。軽はH本さんに返してしまったし、Y本さんも外出中なので歩いて行くわという話になり、しばらくしてシャッターを開ける音がしてそのときはY本さんが帰ってきたのかなと思って出ていかなかったのだけど、そのあと人が入ってきた気配がないので、どうやらY生さんの奥さんが入ってこようとしてシャッターを開けたけどドアにカギがかかっていたのであきらめたよう……なんだか悪いことをしちゃったかなという気もする。

 荷物を片付けていると、カバンには入りきらないことに気づき、サッポロクラシックのケースの箱に入れて送ることにする。……でも、よく考えてみたら、ケースで買ったクラシックのうち4分の3を飲みきれなくて送ったのだから、結局は増えた荷物はクラシックか、という気がする。でも、カバンのほうもパンパン。。。ショルダーバッグに入れていたものをバッグやリュックに分けて入れたからかと思うけど、確か来るときもショルダーバッグは使っていなかったような気がする。

 荷造りもひと段落ついてトロッコ王国へインタビューを録りに行く。T見沢さんがいなかったのでいったん引き揚げて、Y本さんに頼まれて羊小屋へお昼ごはんを届けに行く。N田のおばあちゃんのほかにY田さんもいて、「一ヶ月、どうだった?」と聞かれた。みんなに答えている答えだけど、「来てよかったかどうかは分からないけれど、来なければよかったとは思っていない」と答える。

 N田のおばあちゃんを家まで送って再びコイブに戻り、好輝くんたちが店に来たのでお別れの挨拶をすると、どうも態度がよそよそしい気がした。。。Y生さんがやっぱり何か言ったのだろうか。……気のせいだと願いたい。

 再度トロッコ王国へ。インタビューも終えてバスの時間になり、お店を空けられないY本さんにお店で挨拶して一人でバス停に行き、一人で仁宇布13時12分発の美幸線バスに乗り込む。美深では今朝のテレビに出ていた井上食堂でラーメンを食べ、喫茶西部警察(営業している気配はない)を見に行き、駅前にあるY生さんの会社の社員の方達や、駅員さんのN村さんやちょうど来ていた自治会長のH沼さんにも挨拶したりして、17時03発の名寄ゆきに。日進で降りて、名寄サンピラーユースホステルに泊まる。


9月13日(金)

 昼ごろまで店番をしながらゴロゴロしたり荷造りをしたり。午後に美深へクルマを走らせて、美深駅でキップを購入。トロッコ王国にも顔を見せるN村さんがキップを作ってくれたけど、美深から宗谷・函館・千歳・室蘭・函館・津軽海峡・東北・田沢湖・奥羽・陸羽西・羽越・信越・上越・高崎・東北線経由東京都区内ゆき、なんていうのを頼んだものだから、何回もやりなおして30分くらいかかって発券。そのほか特急券や青函海底駅見学の「ゾーン539カード」なども購入。青函トンネル見学は「席数22 残22」だったのでもしかして1人かもしれない。。。券面を見ると「4番A席」とあって、列車の指定席は4番から売っていって3番で終わる、というのは本当だったのかと初めて知った。

 びふか温泉で入浴して、トロッコ王国で走らせようとしているとかいないとかいう入替機関車をみたり、ミルクプラントで頼まれたお遣いを済ませ、セイコーマートから段ボールを1箱発送。来るときに送ったのと同じ大きさの箱にいれたのに、浦安のセブンイレブンでは大きさしか測らなかったのが、美深のセイコーマートではちゃんと重さを測ったので1ランク上の料金になってしまった。。。これだったらゆうパックで出したほうが少し安かった。そのあと、辺渓駅跡近くに残る美幸線の橋を確認したりしてコイブへ戻る。

 夜は、ホスターホームにソフトクリームの残りを届けに行ったついでに夕食をごちそうになり、クルマを貸してくれたH本さんにクルマを返し、Y本さんとN田さんのおばあちゃんの家に行っていろいろごちそうになる。その日の晩はN田さんの家に泊まることになった。


9月12日(木)

 朝起きると、また雨。昨日みたいに上がるといいなぁと思ったけどなかなかそうはならず、朝ごはんをトントに食べに行く。お客さんと話しながらテレビの天気予報を見ると、そのうち晴れるようなことを言っていて、9時ごろには晴れてきてきれいな虹が2本出現。

 まずは歌登へクルマを走らせる。西へ走ったので雨を追いかけていった格好になったのか、土砂降りになるところもあったけど歌登のセイコーマートで買い物をして昨日打ち止めにしたの歌登トンネルの北見枝幸側に着くころにはまったく問題ない天気になった。

 歌登トンネルの美深側、歌登駅予定地跡、志美宇丹トンネル、いったん給油に美深を往復して、上徳志別付近のトンネルや橋梁、などなどを見ながら北見大曲付近まできて、北大曲トンネルの美深側を確認して打ち止め。

 夜はY生さん(出張中)が「高橋くんに食べてほしい」と言って置いていったとかいう羊の串焼肉があるというのでトントへ行って一人で食べたあと、日ノ出岬温泉へ。何だか寒いなーと思っていたら、上幌内の温度計が、行くときは5℃、帰るときは3℃。クルマの外は冷蔵庫以下か……しかし、上幌内の2軒を除いてまったくの無人地帯なので、クルマを停めてライトを消すと、星が非常にきれい。トントの前で見るよりすごいの一言。


9月11日(水)

 朝4時半ごろに起きると、雨。いやーまいったなと思っていたけど、朝食を食べるころにはほとんど上がった。

 朝7時半ごろにコイブを出て廃線活動を始める。まずはずっと前にK沢さんと行った礼文第2SSから、黒岩トンネルの北見枝幸側まで歩いてみる。陸橋や橋梁が7つあり、予想以上に多かった印象。いったんコイブへ戻って、一昨日と昨晩に連泊されたお客さんが寄っていくのを見送って、今度は黒岩トンネルの手前に行ってみる。歌登へ向かう道道の、仁宇布の集落を過ぎたところにあるゲートの手前から林道へ入り、本当にあるのかいなと思ったころに跨線橋が出現。路盤跡へ降りていって北見枝幸側へ20分ほど歩いていくと口の塞がれたトンネルが出現。珍しく美深側についている銘板を見ると、確かに黒岩トンネル。跨線橋へ戻って反対側の美深側へ行けば、橋梁(ちなみに美幸線の橋はすべてコンクリートでできているので鉄橋ではない)がひとつあって、しばらく進むと堀井牧場の牧草地に取り込まれていた。

 クルマに戻るとちょうど13時。天の川トンネルまでクルマを走らせたあと、雨上がりの強い日差しのもとで2時間近く歩いたのがたたったのか、非常に疲れ、とりあえず歌登のセイコーマートまで行って昼食。30分ほど昼寝をすると、時計は15時。どうしようかなと思ったのち、歌登〜北見枝幸は10キロほどしかないのに気づいて、今日は枝幸まで行って歌登まで戻ってきて終了することにする。

 枝幸に行くたびにリンクスのT田くんの実家はどこにあるのだろうと思いながら、とりあえず駅跡のバスターミナルへ。硬券のバス乗車券を売っていたので買っていこうと窓口へ行ってみたら、片道の乗車券は売らなくなり、往復でも硬券は限られた区間しかないとのことであきらめる。

 2年前に来たときとほとんど同じ場所を見て、歌登トンネルの手前まで戻って17時になり、終了。いったんコイブへ電話すると、セイコーマートで卵が10個98円だから買ってきて、と言われて買い物したあと、歌登健康回復村の奥にある朝倉温泉へ。ここが源泉で、健康回復村もここから湯を買っているとのこと。入浴料は300円。健康回復村が340円だから、お湯に入るだけなら得。Y本さん情報では600円で、源泉だからしょうがないかーと思いつつ行くのを少しためらっていたけど、行ってみれば逆だった。……大規模施設にお湯を提供しているからか、もともとは山奥の1軒宿だったに違いない朝倉温泉も建物半分は改築か増築をした跡があり、経営は安泰そう。逆に健康回復村も新しく源泉を掘らずに開業できたからなのか、500円程度が一般的なこの手の施設では破格値の340円で日帰り入浴できる(音威子府村の天塩川温泉はもっと驚いたことに200円なのだが)。

 コイブで夕飯を食べていると家から電話があり、玉社のM本先生がお亡くなりになったとY口先生から電話があったと連絡があった。詳しく聞くと、14日に学校主催で偲ぶ会が行われるけど、通夜や告別式を密葬で済ませるなどあまり気にさせたくないというM本先生の遺志なので、無理して帰ってくることは却ってそれに反する、というY口先生の話。


9月10日(火)

 今日は羊運びもないし、お客さんを羊小屋へ送ってトントの掃除が終わったら夕方まで廃線に専念するぞーと思っていたら、Y生さんが「羊運ぶぞー」……なかなか言い出せないでいたのだが、あの〜、起きている間ずっと拘束されている感じがするんですけど、私がいなかったらどうするつもりだったんですか? と切り出してみると、予想通り、「文句があれば、今すぐ出ていっていいんだ、いいよ、帰れ帰れ」という返事が返ってきた。

 羊を運んで(乳離れした子羊を別な小屋へ移すだけだったので1時間ほどで終わった)掃除をし終わってから、Y本さんを交えて話した結果、トントにいる限りはY生さんを四六時中手伝ってもらう、という話で、幸い、帰ろうと思っている今週末までY本さんが店の奥の納戸に置いてくれると言ってくれたので、トントは引き揚げることにした。前から聞かされてはいたのだけど、僕が来ることがY生さんにはY本さんからほとんど伝わっておらず、僕の出現はY生さんにとっても晴天の霹靂のようなできごとだったらしい。まぁ、お店はお盆のころの忙しさがウソのようにヒマだし、少しは手伝うことがあったとしても、今までに比べればずっと多くの時間を廃線に裂けるぞ、という気がした。。。実際はどう転ぶか分からないけれど。

 今日は、クルマを持たないお客さんが2人いて、1人は16時過ぎの特急で帰られ、もう1人は連泊だけど美深市街にあるミルクプラントを見学されるというので、天気のよさとは裏腹に廃線は無理だったけど、Y生さんではなくY本さんから頼まれた話だし、お客さんの世話は嫌いじゃない。連泊のお客さんは酪農に詳しく、ミルクプラントでは先日は聞けなかったような貴重な話(簡単なチーズの作り方とか、牛乳の成分の違いとか)も聞けたし。

 夕方、トントに置いてあった自分のモノを全部引き揚げてコイブへ。どこか温泉にでも行こうかなぁとも思ったけど、今日はためた日記をつけたり新聞切り抜きをしたりして、さすがに疲れたので20時過ぎには寝ることに。土曜の昼のバスで帰るつもりで、金曜日は帰る準備で1日空けておくとして、活動できるのは明日と明後日の2日。できるだけ廃線を見たりして、何か冊子を作ってみたい。


9月9日(月)

 朝から羊を天塩の食肉センター(=つまり解体場)へ連れていくクルマを運転。生まれて半年ほどのオス5頭に、すっかりおばあさんのメス1頭。すっかり「ドナドナ」みたいな悲壮な感じなのかなーという予想に反して、今まで何度か羊を運んだことがあったこともあってか、普通に運んでいって置いてきたという感じ。解体場には置いてくるだけなので、別に目の前で解体が始まるとかそういうわけでもなかった。……羊や牛の頭がゴロゴロしているとか聞いてはいたけど、全然そんなこともなし。

 中川付近の天塩側に沿うあたりを除いて走りやすい国道40号は快調に進み、道の駅びふかでコロッケなどを食べ、美深市街にあるミルクプラントを少し見学。ちょうど羊ソフト用のソフトクリームミックスを袋に詰めているところで、全部手作業。

 12時半ごろにコイブへ戻り、13時ごろにトントに行って30分ほど昼寝をしたあと、掃除。1部屋あたり30分くらいかかってしまい、僕も部屋を移るので散らかっている荷物をまとめたりして終わったのは15時過ぎ。N川さんを連れて羊小屋に行き、今日1日牧場で仕事を体験しているI川さん達と放牧している羊と戯れる。放牧地の敷地内に美幸線の未成線の築堤が延びていて、僕は羊も見ずに築堤にぽっかり穴をあけている通路に銘板を見つけては喜んだりしている始末。(^^;)


9月6日(金)

 朝食をのんびり食べて11時過ぎに、小雨の降るなかK沢さんやF己さんと廃線活動へ。歌登方向に向かって通行止になっている旧道の前でクルマを停め、しばらく歩いて行って第三大曲トンネルの出口から活動開始。第一礼文トンネルの入り口まで歩いて引き返して、時間は12時半。僕に何もなければ夕方までやるのだけど、明日の仁宇布神社のお祭りを前に草刈があるとかで、1ヶ月で帰るというのにすっかり住民と化した私は参加せざるをえず、戻る。草刈そのものは何もやることがなく、神社(というか、祠)のなかでの酒盛りに付き合わされる……なにもすることがないときはいいけど、廃線活動がしたくてしかたがないときにこれはちときつい。。。それでも、神社の前にのぼりが立ち、飲み始める前に全員でお参りをするシーンなどは、なんだかNHKのドキュメンタリーに出てきそうな雰囲気で、なかなか見られないものを見たなという気がした。

 16時半ごろに抜け出すとコイブには「ゆきのおと」の和田さんやS子さんが来ており、いろいろとしゃべって、夜になってからY本さんやK沢さんとともに日ノ出岬へ。K沢さんは今晩仁宇布を出発されるので、いったん22時半ごろにトントに戻ってから少し時間をいただいてインタビューを収録。今回初めて、使えそうな素材を収録した。


9月5日(木)

 朝からY生さんのランドクルーザーにY生さんを乗せて滝川の丸加高原へ。3日付けの道新にも載っていたのだけど、松山農場から貸し出した羊26匹のうち18匹が野犬か何かに襲われて犠牲になり、病死した3匹を除いた残り5匹を引き取りに行くのである。……本来ならY生さんの会社の社員の人にやってほしい仕事なのだけど、引き受けてしまったのでしかたがない。

 8時ごろ出るはずがずるずると9時半ごろになり、こちらはさっさと帰ってきて廃線活動をしたいので道道49号線・国道275号線を140km/hくらいで一路滝川を目指す。12時過ぎに丸加高原に着き、昼食。丸加ランチなるものを食べてみた。要はジンギスカン定食なのだけど、コンロがなくてあの旅館の夕食などで使われるロウのあれで、火力がただでさえ弱いのに食材は全部凍って出てくるし、本当に食べる人のことを考えてやっているのかなぁという感じ。滝川市の直営で、年間6000万円の経費に対して収入は2000万円だから市もなるべく早く手放したいと思っているのではないかとY生さん。……ゆくゆくはここを手に入れて、、とか言っているのを聞いて、この人は結局はただの実業家なんだなとつくづく思う。ともあれ、ごちそうさま。

 羊をランドクルーザーに積みこんで13時ごろ出発。帰りは高速にのることにして、深川から道央自動車道に。しばらくは2車線で例によってY生さんが「やめれ」という程度に飛ばしたけど、そのうち対面通行に。追い越しができないので、もしかしてこのまま和寒(高速の終点)まで行くのかとイライラしていたら、数kmおきに「追越車線」という実質的な2車線区間が1.5km程度あって、この程度の通行量ならこれで十分という感じ。……でも、費用対効果を考えたら、片側1車線の高速を新しく造るより既存の国道を片側2車線化したほうが確かによさそう。

 丸加高原を出てから和寒まで1時間で着いてしまい、このままなら15時ごろには仁宇布に着くかなと思っていたのに、Y生さんがローソンでエアドゥの運賃を支払うとか言ってまず和寒のローソンに。しかし、いろいろてこずったのちに予約したときに言われた運賃より高い、ということになってとりあえず出発。車中でケータイを使って確認したのち、士別のローソンで再チャレンジ。その後も名寄で買い物をしたりして結局仁宇布に着いたのは16時半ごろで、羊小屋に羊をしまいに行くのなどなどで開放されたときには17時を過ぎていた。……とても廃線活動なんてできない。

 今日から2泊されるF己さんという、Y沢さんやY生さんの知りあいの方と夕食。K沢さんはトロッコ王国の方々と食べるということで、夕食のお客さんはF己さんだけ。


9月4日(水)

 2人分の朝ごはんを作ってK沢さんと食べたあと、美深へ買い出しに行ったY本さんに頼まれてコイブの店番。昼から午後にかけてトントの掃除。そのあとだらだら過ごして、夕方からK沢さんが名寄ユースに泊まりに行くというので僕もと思って名寄ユースに電話してみるとさすがに夕食の準備ができないと言われ、断念。夜は数日分の日記をつけたりして過ごす。K沢さんは明後日までの滞在で、僕は明日はY生さんに頼まれて滝川まで行かねばならないし(安受けあいしてしまったけど、いまにして思えば断ればよかった)明後日は雨みたいなので、今日だらだら過ごしてしまったのはもったいなかったと後悔しきり。


9月3日(火)

 新千歳13時半の飛行機で帰るというK内と、きょうのトワイライトで帰るというK田を見送ってから、午前中は掃除など。午後は美深に買物に行く。美深神社のお祭りらしくて御神輿など出ていたけど、それだけ。街をあげてのお祭りというわけでもなく、子ども神輿にいたっては歩道の上でおとなしくやっている程度。

 16時ごろになって、K沢さんと未成線探索に出かける。これでいうところの2号礼文SSの周辺から始め、1号礼文SSの先「1号礼文SSを抜けた後は、路盤跡は第二礼文トンネルをくぐっていたが、容易に近付くことができない」と書いてあったところに再び線路跡に近づけそうな道(というよりすでに廃道と化していて荒れ放題)を見つけ、生い茂る木々をかきわけて進むとこの「道」をまたぐ架道橋とともに立派な未成線跡が出現。築堤にのぼって右へ進むとトンネルがあり、これが第二礼文トンネルと断定。もとに戻って今度は左側へ進むとまたトンネルが現れ、先ほどの1号礼文SSの北見枝幸側かと思いきや残っている銘板には「二号礼文雪おおい」と書いてあり、どうも違うらしい。長さ145Mと書いてあるので、トンネルの入り口はふさがれているけど上には登れそうだし「雪おおい」だったら本格的なトンネルというわけでもないのだから向こう側へ出られるのではないかと思ったけど、実際に登ってしばらく進むと木々の茂みに行く先を阻まれて断念。もう17時半を過ぎていたのできょうはここで撤収。……でも後で資料を見てもあれが1号礼文SSの反対側としか思えず、「一」「ニ」を見間違えたのだろうか。。。銘板は写真に撮ったので帰宅して現像すれば分かることではある。(ちなみに「雪おおい」=「スノー・シェッド」=「SS」である)

 きょうはトントのお客さんもいないのでK沢さんと枝幸まで温泉に入りに行く。枝幸といえばリンクスのT田くんの実家があるんだっけ。


9月2日(月)

 9時過ぎに出発。沼牛付近までH川さんのクルマといっしょで、これから局活動にはいる我々と朱鞠内湖方面へ向かうH川さんとはそこで別れる。K内が最近になって局活動に目覚め、活動中に局へ寄っても文句を言わなくなったばかりか、寄らないとうるさいくらいになったので、幸いという反面、僕はかつてほど血眼になって局をまわることはあまりしなくなったので微妙。

 お寺の中にある沼牛東簡易郵便局を皮切りに、幌加内、政和簡易、温根別、士別中央通、士別、士別大通、多寄、風連、上智恵文、智恵文、仁宇布簡易の各郵便局を履修しながら戻る。名寄では「大善」に寄ってクラシックをもうひとケースと、瓶のクラシックを2本購入。お昼ごはんにと考えていた名寄のラーメン屋「亀きん」は4時からということであきらめる。

 クルマはなんだかんだ言って快調で拍子抜けしていたけど、仁宇布へ向かう最後の道道49号線でラジオが突然切れ、雨が降っていたので動かしていたワイパーも動きがだんだん怪しくなってきて、次にエンジンを切ったらもうかからないかもなーと思っていたら、仁宇布簡易郵便局の前で動かなくなってしまった。……仁宇布の集落まで帰ってきてしまえばあとはもうどうにでもなるのでよかったけど、もし途中でこんな目に遭っていたらとぞっとした。この辺りだって、仁宇布から半径約15kmは誰も住んでいないのでもし動かなくなっていたら助けを呼ぶのも大変である。

 仁宇布に着いたらいったん荷物を置いて、美深に降りて坂井モータースにクルマを何とかしてもらってからびふか温泉でも行こうかと考えていたけど、エンジンがかからないのでどうにもならず、とりあえずトロッコに乗る。免許を持っているのが僕だけ(保険の関係で自動車ではないけど運転には普通免許証が必要)なのでトロッコの最大の売りである「自分で運転できる」というのがK内もK田もできず、いまひとつ。

 とにかくトントに入れないことにはどうにもならないので、Y生さんのランドクルーザーを借りてトント入り。31日からきているというK沢さんという人に初めて顔を合わせる。トロッコ王国の線路か未成線部分に本物のディーゼルカーを走らせようと計画している人で、夕食はこの人を交えて4人で。本当は一般のお客さんが1人入るはずだったのだけど、その人が着いたのは21時すぎ。口数の少ない人で、この人とは特に会話は弾まず、結局4人で23時過ぎまでやっていた。一般のお客さんがくるということでY生さんの奥さんもいてそれなりのごはんが出たからなのか2人の宿泊料はK林さんのときから5倍に跳ね上がって5000円。聞いてみるとそのうち1000円は僕に紹介料として計2000円がバックされるという話だったのでその分を引いてもらって結局4000円。とんだインフレだけど、ゆきのおとはもちろん、塩狩温泉ユースホステルより安いし、一般のお客さんは同じ食事できちんと6400円取っていたので、充分だったかなとも思う。K林さんは結局ギフトセットを頼んでいったみたいだし、逆にこの2人は何も買いそうにないから、奥さんは一目で見抜いていたのかもしれぬ。


9月1日(日)

 全日本玉入れ選手権の日。塩狩温泉ユースホステルからは8人が参加で、K内を乗せて軽自動車で会場へ向かう。駐車場にクルマを停め、エンジンを切るとまた例によってエンジンがガタガタ……。。。このクルマで果たして仁宇布まで帰れるのだろうか。

 玉入れには「ゆきのおと」も参加していて、選手控え室に行ってみればK田の聞き覚えのある笑い声。16日ごろに来ていたY沢さんや、3月に泊まったときにいっしょでいまはヘルパーをしているS子さんの姿も見えた。塩狩の2.28イベントにいたI谷さんも。

 出場する選手は6人で、すべてのチームが1次予選と2次予選には最低限出られる(1次予選で成績がよければ3次予選にシードだけど、どのみち2回はできる)ので、去年参加した僕やK内は1次と2次で交替で出ることに。K内が出た1次予選は3分47秒(何個は入るかを競うのではなく、100個の玉をどれだけ早く入れられるかを競う)。同時に行った10チームのうち最後までかかったけど、実況で「塩狩温泉ユースホステル」と連呼されてよかったのかも。……ちなみに実況はHBCラジオ「カーナビラジオ午後一番」(東京でいうところの文化放送「やるきMANMAN」みたいな番組)のYASUさんとMIKAさん。で、このYASUさんが番組企画か何かでCDを出したとかで番組では頻繁にその「Which is ?」という曲がかかっていたので、何かあるのかなと思っていたらやっぱり昼休みにライブとサイン即売会がある由。

 2次予選は13時過ぎからなので、H川さんたちと幌加内の新そば祭りへ。軽はあまり動かしたくなかったのでH川さんやもう一人の方のクルマに分乗。祭りでは幌加内高校のそばとそばクレープ、それと、どこぞの外国人が造ったとかいう「そばビール」を購入。幌加内高校のそばは期待通りだったけど、そばクレープは食べてみれば味はただのクレープ、「そばビール」に至っては実は発泡酒(しかも原料もそばビールそのものもアメリカ産)で、でも、十分話題性はあるよなーという感じ。そば打ちの道具販売や講習会もあるし(段位も認定している)、首都圏からわざわざ来るかどうか分からないけど、札幌あたりに住むそば打ちの趣味をもつ人にもたまらないイベントかもしれない。

 昨年の駅舎全焼に続いて駅前広場も歓迎モニュメントが撤去されるなどして整地されて鉄道の面影がほとんど見られなくなった幌加内駅跡の駐車場をあとにして再び玉入れ選手権へ。戻れば例のライブと即売会が行われており、僕も1枚購入してしまう。その後の2次予選では大幅にタイムを向上して2分19秒。2次予選敗退チームから1人出て行われる「チャンス1投」(10個の玉をいっぺんに投げて何個入るか競う)は僕が出ることになって6個入れ、賞品のポカリスエット1ケースを獲得。「ゆきのおと」は宿主の和田さんが投げて1つしか入らなかったとか。。。そうはいってもカゴの高さは4メートル12センチもあって、幅は44センチしかない(=和寒町で記録した最低気温マイナス41.2℃と、和寒町が北緯44度に位置することに由来)ので意外に難しく、我ながらよく入ったなという感触。

 塩狩温泉とゆきのおとで記念写真を撮ったあと、連泊者のいない塩狩チームは解散になり、K内とともにゆきのおと側に合流。K田は連泊でH川さんも今晩はゆきのおとに移るけど、今晩は「特別スケジュール」(by和田さん)で夕食は回転すしで外食で、H川さんは鮨が苦手とのことで旭川へ行かれるそうで、K田も指定券を変更しにみどりの窓口が営業している駅へ行くことからH川さんについていった……というか、H川さんが決勝まで見ていくというのでK田も会場に残ったというのが正確。クルマはゆきのおとのライトバンに乗せてもらおうかなと思っていたけど、人数が多すぎて逆にライトバンに乗りきれなかったI谷さんが乗ってきた。

 きょう中に土浦へ帰られるY沢さんを比布駅まで見送ったあと、「遊湯ぴっぷ」という温泉に入浴(500円)、そして士別の回転すし「ポッピー」へ。なんと比布ではPHSが通じたのに、逆に士別は士別「市」なのに通じず。都市圏(=大消費地)や生産地からだいぶ離れているだけあってうまいとはいい難い回転ずしだったけど、14皿、ちょうど2000円分も食べてしまった。

 ここから軽には僕とK内とS子さんになって和田さんのライトバンのうしろについて福原の「ゆきのおと」へ。19時半ごろには着いてしまう。お風呂もごはんも終わったのでやることもなく、同室のひととだらだら話し始め、21時ごろから談話室へ移動して、22時半ごろにはH川さんやK田も戻ってきて、0時過ぎにはほとんどの人が寝てしまったあとも「2時まで飲むぞ!」と言っていたH川さんなどとともに2時まで起きていた。……H川さんやK田、K内は結局3時までやっていたそうで。


2002(平成14)年8月の日記


高橋秀暢/yonnan@plum.plala.or.jp