2003(平成15)年3月の日記


3月30日(日)

 6時半ごろに報告書は自宅サーバ上にアップしてURLを研究室に泊まっているA元くんにメールで送って、7時半ごろもう一度横になる。

 目がさめたのは13時ごろで、洗濯が終わって洗ってあるお風呂に湯を張り、入る。……まったくもって非経済的だなと思うけど、外に入りに行くほどお金はかかっていないだろうと思うことにする。。。でも、内風呂はなるべくたてつづけに入ったほうが地球環境への負荷も小さいのだ。

 14時ごろ、おかゆと焼肉(昨日の残りらしい)で昼ご飯にして、夕方まで日記をつけたりして過ごす。夕方になってしまい、JR九州のエントリーシートは今日の夜出しても明後日の午後配達だから、今晩中に書けばいいやとだらだらしてしまう(新特急郵便ならその日のうちに着くけど、定期的に出している人でないと使えないし、2300円もかかる)。

 結局ほとんど書かずに寝てしまう(←ばか)


3月29日(土)

 きょうは斎藤先生(大聖研の前の先生で名誉教授)の傘寿と大聖研の25周年と草鹿研の5周年を記念したパーティーがリーガロイヤルである日。昼間かと思っていたら夕方からだそうで、16時には研究室にいればよい由。

 昼には早大鉄研によるラーメン二郎高田馬場店へのペナント奉納が予定されており、早めに行って昼食はラーメン二郎で小豚(700円)。てっきり4〜6人くらいで行くのかと思っていたら総勢16人で、14席の店内が鉄研会員で埋まった(残り2人は店内で順番待ち)ところで、N須野君が切り出してペナントを奉納。僕、N須野、O野と、現幹事長と幹事長経験者が3人そろったのにK日向が来ておらず、そういえば彼は追いコンのときもいなかったんだなと思い出す。……名刺があったらぜひ貼っていって、ということだったので、名刺も奉納。このときは研究室の名刺しか持ってきておらず、またガイドの名刺を持って貼りに来なくては。

 研究室に行き、修論計画書を書くでもなく、まったり過ごしてしまう。せっかくインターフェースにお金をかけた自分専用マシンを用意してもらったのに、これじゃ宝の持ち腐れじゃないか。

 そんななか、A元くんから「本庄の報告書、今日締め切りだよ」なんて言われてびっくり。31日まで差し替えOK、という話だったのだけど、31日には事務局の方が国へ提出に行くので明日の朝までに持っていくとのことであわてて取り掛かる。……でも、16時を過ぎ、パーティーが始まってしまうので中断。

 土曜日だから理工バスは15:10ので終わっているけど、都バスならシルマンホールの前から早稲田リーガロイヤルホテル行きの早77系統が出ているから、それに乗っていけばいいよなーと思っていたけど、面々はそんなものは念頭にないらしくタクシーを待つ。先生がタクシー代は出してあげると言っていたこともあるのだろうけれど、さすが自動車の研究室である(バスも自動車ではあるけれど)。タクシーは大隈講堂前あたりまで660円で、あー、4人だったらバスより安いのか……と一瞬思ったけど、そこからはほんのわずかな距離の間に上がる一方で信号待ちの間にも上がるのでバカバカしいことこの上ない。リーガロイヤルホテル前まで940円ほどかかっていた。

 パーティーでは写真記録係を担当。ひとりだけ学ランを着て動き回っていたので、写真を撮るはずが、OBの方々から一緒に入ってくれなどと言われる始末。日産のW田さんには去年のモビリティシンポジウムに続いてお会いしたけど、この方の頭には僕のことが学ランを着た変わった奴(実際そうなんだけど)としか認識されていないようで、W田さんが壇上にものぼっていた名古屋のEST会議で僕がカジュアルな格好をして座っていたこともどうもご存知ないようだった(質問までしたのに…)。

 草鹿研M2を修了されたS元さん(もと応援部吹奏楽団)によるエール、と式次第にあったので、校歌斉唱かと思いきや、本当にエールだけで終了。

 このパーティーの会計は150万円ほど。私大のいち研究室にとってはずいぶんな値段だけど、政治家がこのようなパーティーをして会費を1人5〜10万円ほど取ればそれはそれは儲かりそうだし、製薬会社が医者を集めて新薬の説明会をやった後に開く懇親会がこのくらいなら安いものだなという気もする。

 終了後はまっすぐ家に帰り、22時ごろからしばらくPCに向かう。22時半ごろJR東海の方から電話がかかり、30分ほどお話をして、1時ごろにいちかわエフエムを聴きながら1時間ほど仮眠を取ろうとしたら4時まで寝てしまった。……2時からの「土曜深夜の喫茶室」の藤崎さんの声は深夜にもかかわらずびっくりするくらい大きいのに、それにも気付かず寝ていたのだから疲れていたのだろう。


3月28日(金)

 バイトのあと、ヨドバシカメラで今度作るPC用に無線LANアダプタやPC切り替え器などを物色。家に帰ってだらだら過ごし、16時ごろまた家を出て早稲田へ。17時半からガイドの慰労会(@cafe125)。

 広報室長の八巻先生から理事会でキャンパスツアーについて報告したら、大評判だった、と挨拶があり、嬉しくなったというか、ガイド冥利に尽きる話である。……別に当局に誉められたから嬉しいとかそういう次元の話ではなく、自分はまだこの大好きな早稲田の顔なんだなと、少し初心に戻ったような気がした。

 2次会は甘太郎Jにて。馬場で営業しているくせに「学生注目!」と一声あげただけで店員がすっ飛んでくるようなこの店はあまり好きではなかったのだけど、奥のほうの部屋は中途半端に防音にしてカラオケができるようになっており、変にうるさい店になってしまった。飲んでいる最中にJR東海とJR九州から電話がかかってきて、特にJR九州には今月中は忙しいと伝えてあったので、いかにも飲んでますという雰囲気が(廊下に出たのに)伝わってしまったに違いなく、「もし当社の志望順位が高いのでしたらとにかく早くエントリーシートを出していただけませんか」という言葉にかなり気まずい思いをする。

 馬場駅前のロータリーで紺碧の空を歌ったあと解散して、山手線は僕とS城さんだけ。品川から横須賀線のS城さんと新宿で別れて帰宅したのは京葉線終電の1本前。


3月27日(木)

 昨晩寝たのは2時ごろで、6時ごろ母親に起こされてしまう。24歳にもなって情けない話。

 バイト終了後は水道橋へ移動してスターバックスで科目等履修生として早稲田大学理工学部に入学(!?)する手続き書類に記入しながら11時前まで過ごし、東京ドームホテルへ。JR東海の方と喫茶店にて1時間ほど面接。「面接」といっても他社のリクルータ面談と同じような雰囲気で、とはいっても他社でもリクルータ面談が実質的な1次面接になっている場合が多いから、しっかり「面接」と言ってくれる方が親切なのかもしれない。最後のほうまで何も注文しないでいたのだけどおねーさんが注文を取りに来てしまったので「何か好きなものをどうぞ」と言われ、チャイ(800円)をごちそうになる。……こういう経験を何度もしていると、500円以上の飲み物というのは、場所代なのだなとつくづく思う。

 JR東海の方と別れ、大久保キャンパスへ。教員免許をとるのに足りなかった単位を補うのに理工学部の授業を受けるには院生の資格ではダメでもう一度理工学部の学生になる必要があり、学費は全額免除だから単に手続き上の問題なのだけど、書類は正規学生と同じ物(学生カードなど)を用意しなくてはならないのには非効率さを感じる。それにしても、企業でさえ家族の名前は聞かなくなったのに、いまだに学生カードに家族全員の名前と生年月日や勤務先・学校名を書かせるのはいかがなものかと思う。せめて保証人だけでよいではないか(しかも私の場合は学費が要らないのである)。大学院に学籍を持っているので、どこに保管されているのか知らないが学内にはまったく同じ内容の学生カードがあるわけで、ばかばかしい話である。

 本当は住民票を取り忘れてきたのだけど、担当者がいなかったのでとりあえず受け取ってもらえた。手続きは今日しか扱わないのに、たった一人の担当者が午後はずっと公務員説明会で出払っているというのもやはりどうかしていると思う。

 帰りはコンビニでマンガの立ち読みなどをして、帰宅は15時半ごろ。


3月26日(水)

 K田の家で目が覚めたのは7時ごろだったろうか。この時間にしては部屋は暗い。北側だからだろう。K田はまだ寝ており、せっかく卒業式を終えて実家に帰ってきているのに起こすのも難なので8時すぎまでこの体制。

 のんびりとご飯と味付け海苔と厚焼き玉子にみそ汁の朝食をとり、K田がバカ話を始めるのに少し付き合ったが、途中でさえぎって10時半ごろ出発。

 JR名古屋駅のコインロッカーにボストンバッグとダッフルコートを押し込み、近鉄名古屋から11時すぎの急行で一路桑名へ。今月末で近鉄線としては廃止になる(三岐鉄道が譲受しての営業継続が決まった)北勢線を履修。北勢線の始発は西桑名で、桑名駅とは離れているのかと思いきや、桑名駅前にあり、いったん改札を出るのに運賃も近鉄名古屋から通算。

 入場券を買ったりしているうちに11時半の阿下喜行きの時間になってしまい、改札にいた駅長さん(と思しき人)から「乗るの〜?」と聞かれた(待ってくれるのだろうか)けど、見送り。次は30分後に途中の北大社どまりで、阿下喜行きは1時間後。桑名郵便局を履修してから北大社行きに乗り、北大社で下車。この電車は最初こそずいぶん乗っていたものの、途中でほとんど降りてしまい、廃止も当然の話で、よく三岐鉄道が引き取ったなと思ってしまう。北大社では入場券を買い、もう一人いたマニアな人が補充券を作ってもらっているのを見て、阿下喜ゆきのキップを補充券で発行してもらえないかと聞いたら「乗るんだったら券売機で買って」などと言われてしまう。乗らないことを前提にキップを売るなんて考えてみれば変な話。

 13:03の阿下喜行きに乗ると、さきほどの北大社どまりとはうって変わってそれなりに乗っている。……とはいっても、ナローゲージの小型電車での話だし、採算ラインには見えない。時速も40キロがいいところで、762mmのゲージ幅とあわせてまさしく軽便鉄道である。どうみてもバスで代替したほうがよいような気がするのだけど、鉄道マニアの立場からすれば存続は悪い話ではない。

 終点の阿下喜から、三岐鉄道の伊勢治田駅は2キロほどの距離で、北勢郵便局を履修して、局の前にあったパン屋で買ったパンをほおばりながら歩いていく。治田駅を通り過ぎたところにある治田簡易郵便局を履修し、駅へ。貨車がたくさん並んだ構内の一角にある駅舎に入ると窓口の向こうには駅員さんのほかに子供がいて、「お客さんが来たよ〜」と言われる。この駅は手荷物だけじゃなくて子供も預かってくれるのだろうかなどとバカなことを考えてしまう。

 せっかく来たので、いったん三岐鉄道の終点、西藤原まで行って完乗することにする。こちらは北勢線とは違って秩父鉄道と同じように石灰石輸送で成り立っている立派な鉄道で、旅客はおまけなのである。電車は西武線で走っていた車両の払い下げで、北勢線に比べればスピードもそれなりに出る。地図を見ても北勢線はほぼ並行して走っており、なおのこと存続の経緯がが謎である。

 K田が駅員にゴネて廃札をたくさんもらった西藤原から折り返し、近鉄冨田に着いたらちょうど近鉄名古屋行きの急行が入ってきたところで、桑名まで乗り、桑名からJRに乗る。これから岐阜へ行くわけだけど、よく調べてみたら桑名から岐阜までキップを買う(950円)よりも、桑名→名古屋(330円)と名古屋→岐阜(450円)を別に買ったほうがおトクなことが判明。車内をまわってきた車掌からは名古屋まで購入(西藤原から桑名までの連絡キップで入り、桑名は共同駅なのでJRとしては無札だったのに、桑名までのキップの提示を求められず、連絡キップが手元に残せた)。桑名〜近鉄名古屋の近鉄線は430円、新名古屋〜新岐阜の名鉄線は540円ですっかりJRとの運賃は逆転しているのにJRは特定運賃をあらためる様子がない。新幹線で大半の収益をあげている会社だから、少し値上げをしたところでたいして収入増にならないのだろう。……新快速が15分おきに走る名古屋〜岐阜はともかく、関西線方面は本数も少ないので、頻繁に走っている近鉄とは乗客にも選択の余地がありそう。それにしても、JR線と近鉄線は線路が接近しており、駅も、川に架かる鉄橋も全部JR線の目の前に近鉄線の同じものがある。国鉄時代は近鉄のほうが運賃も安かったし、たまったものではなかったろう。

 名古屋ではいったん改札を出てキップを買いなおし、16:55の新快速に乗る。4両編成の車内は混んでいるものの、120km/hで疾走する新快速では岐阜まであっという間。名古屋近辺では名鉄も含めて4〜6両編成の電車がほとんどで、関東でいうSuicaやパスネットやバス共通カードにあたるシステムもない(かろうじて27日から地下鉄と名鉄小牧線でカードが共通化される程度)し、名古屋という都市圏はビジネスチャンスが小さいのだろうか。ずいぶん昔の話になったけど、「のぞみ」も通過するわけである。

 岐阜では名鉄岐阜市内線の低床電車の履修が目的である。新岐阜駅前〜岐阜駅前は運転を打ち切ってしまうことがしばしばなのだけど、たまたま岐阜駅前に電車がやってきたのでとりあえずそれに乗って市内線の終点の忠節まで。ここからは鉄道線なので駅員がおり、低床車は走っているか聞くと「そんなもの、この線に走ってないですよ」と言われてびっくり。岐阜付近で路面電車型車両で運行している路線には、名鉄美濃町線もあるので、そちらだろうかと忠節から引き返して美濃町線の始発駅、徹明町で下車。それにしても、市内線に走っていないからといって、すぐ近くの美濃町線で走っているのなら「この線には来ませんが、美濃町線には走ってますよ」くらい言ってくれればよいのに、名鉄はやる気ないのか。

 徹明町もそうだけど、このあたりの路面区間は岐阜駅前電停以外には安全地帯がなく(路面が緑色に塗ってあるだけで、標識もない)、おまけに美濃町線は30分おきの運行で、市内交通としてのやる気が微塵も感じられない。路面電車は世界中でも注目されている都市交通手段で、既存の路線が残っているだけでもうらやましい話なのに、ここまで放置してあるというのはまったくもってひどいケースである。岐阜市当局も「持続可能な発展」に対する認識が低いのではないか。

 やってきた美濃町線に乗り、新岐阜からの直通電車が合流する競輪場前で、目当ての低床電車が関行きの表示を出してやってくるのが見えた。日野橋止まりのこの電車からは関行きに乗り継ぎができ、念願の低床車履修となった。日本初の部分低床車で、真ん中が低床、車端部にむかってスロープになっている構造で、想像していたよりもずっとよくできた電車である。しかし、専用軌道区間に入ってもホームなんかないので、せっかくの低床車なのに車外にステップがあり、話にならない。

 帰りの新幹線の時間がせまってきたので、低床車は日野橋で降り、新岐阜行きに乗り換える。この電車、田神から2駅、鉄道線上を走るというなかなか楽しいことをやってくれるのだが、大してスピードも出ないし、なにせ同じ名鉄線上を電車は直通しているのに田神からもう一度初乗り運賃を取るなど、まったくもって解せないシステムになっている。

 新岐阜に着き、こんどは名鉄特急で名古屋へ戻る。せっかくだから特別車に乗ろうよ、と、改札でμチケット(350円)を購入、座席は最前部を指定してとってもらった。乗ってみると特別車は僕とK田だけ。夜の前展望はなかなか迫力があり、楽しい。ハイデッカーで視点も高く、すぐ真下が運転席だから運転士の呼称も聞こえ、それでいてカーブあり踏み切りあり多くの駅を通過する私鉄特急だからどんなJRのジョイフルとレインよりも魅力のある名古屋までの道のりであった。……それにしても、日野橋から新名古屋まで760円という運賃(+μチケット350円)という運賃はどうかしている。。。。。。

 JR名古屋駅では3・4番線ホームにあるオール100円の立ち飲み屋「どえりゃあ亭」でK田と閉店の21時まで少しだけ飲んで、21:04発の「ひかり242号」(700系で運転)に乗って名古屋をあとにする。最終の2本前の「ひかり」だから混んでいるだろうと思っていたらガラガラで、来るときと同じように4人分占領して、去年の7月に乗った500系よりも乗り心地いいんじゃないの、と思いながらやっぱり寝てしまい、小田原、新横浜の停車では気付いたものの、田町あたりに来るまでずっと寝ていた。……10月からは「ひかり」もすべて300系か700系になって270km/h運転が始まるそうだけど、名古屋を出ると新横浜にしか停まらない列車(現状では「のぞみ」との違いは最高速度が220km/hにおさえてあるだけ)も多いから、自由席は同額といっても指定席はどうやって差別化するのだろうと思ってしまう。「のぞみ」が1時間に7本になるから、新横浜にしか停まらない「ひかり」はなくなるのだとしたら、指定席に関していえばただの値上げということにもなる。

 家に帰ったのは0時前で、あのまま名古屋で「ムーンライトながら」を待っていたとしたら、いまごろ名古屋を出るころなのに、もう家に帰ってきちゃったのか、と今さらながら新幹線の利便性を実感する。また、この利便性も、利用客が大勢いて頻繁運行している東海道新幹線だからこそなのだということも改めて思う。


3月25日(火)

 また4時と4時半に目覚ましが鳴って、4時半に起きる。シャワーを浴びたりチェックアウトの準備をして6時20分ごろにはチェックアウト。ボストンバッグはフロントに預け、栄から地下鉄で平安通へ。外はあいにくの雨。だけど昼には上がるという予報が出ており、買うのもばかばかしく濡れていく。

 平安通から上飯田へ歩く。小牧線の電車が着いたのか、通勤客がゾロゾロ歩いてくる。一昨日来たときは京葉線の東京駅よりも遠いのに徒歩連絡だなんて本当かなと思っていたのだが、これはたいしたもので、利用客は報われそう。……電車に乗り、味わで降りればよいのだけど、それもつまらないので牛山まで行って引きかえす。牛山はすでに無人駅だし、味わも新駅に移行すれば無人駅になる。。。とはいっても、味わで降りてみれば自動改札もなければ自動券売機もなくてびっくり。それでも駅員1人がようやくいられる程度の駅舎で、開業時は最先端の省力化駅だったのだろうか。京浜急行だったら新駅はコンビニを併設してこの駅員に店員を兼務させるだろうなと思う。無人駅にするのにはやはり名鉄は経営が大変なのだろうか。

 小牧線に沿った県道を歩いて上飯田へ、途中の鉄橋で電車が来るのを待って写真を撮りながら向かう。それにしても大渋滞で、県道に出たところにいた大曽根行きのバスは、僕が散々歩いて、電車が来るのを待ったりしながらずいぶんゆっくり行ったのに、追いつかれたのは上飯田駅の手前。鉄活動をしなければ徒歩のほうが速かったことになる。だからか、雨にもかかわらず自転車で都心方面へ向かう人が多い。それもこれも、上飯田駅と平安通駅が徒歩連絡だからなのだろうか。道路がこんなにひどい状況なのに小牧線の上り電車はとても空いていたのだから。……平安通から地下鉄で3駅先の砂田橋からはガイドウエイバスが延びて渋滞が解消したそうだから、小牧線での都心アクセスが改善されればこの道路混雑もどうにかなるだろうか。最近の都市圏での鉄道投資は利用者増に結びつくものではないので、よく今回も名鉄がお金を出したなぁと思うのだけど、自動車からのシフトが見込めるのなら話は分からないでもない。

 ずぶ濡れになりながら上飯田駅を過ぎて平安通駅へ戻り、地下鉄で日比野へ。どこか牛丼屋でもあるかと思ったのだけどなにもなく、朝食はローソンのおにぎり4つ。

 最終日となった会議の午前中のセッションはほとんど寝てしまった。東大の家田先生の司会はなかなか積極的で面白かったのだが、「会議」だというのに延々とプレゼンテーションを聞いてばかりというのもいいかげんに飽きる。

 昼は2時間あるのでガイドウエイバスの再履修も兼ねてモスバーガー守山中央店へ。……しかし、意外と時間がなく買いモスになり、結局モスシェイクのテイクアウトに終わった。

 午後はパネルディスカッションで、やっと国際会議らしくなる。3日間で新しく得た知見としては、性能のよいエンジンの開発だけではなく燃料の改善(硫黄分の除去など)も必要だということ、OECD型の持続可能な交通媒体は極論すれば鉄道のみになるがアジアでは地域の特性に合わせた組み合わせが必要なこと、住民合意には時間がかかること、あたりだろうか。

 終了後は近くにあった“草津温泉”という名前の銭湯で湯に浸かり、上がったところでK田から20時半には名古屋に着けそうだという電話をもらう。その時点で18時半。西高蔵から地下鉄に乗り、金山のダイエーでフィルムを買い、栄ではホテルの近くにあった「すき屋」で夕食にしようかと思ったけど、その途中にあった「まるみ亭」という店のショーウインドウにみそ煮込みうどんとかみそかつとかいう文字を見つけ、名古屋に来てまで牛丼もばかばかしいとその店に入ってみそ煮込みうどんで夕食(945円)。そのあとホテルの真向かいにあったスターバックスへ。名古屋タンブラーを購入し、キャラメルフラペチーノの甘さに感激しながら30分ほど日記をつけたりしてからホテルに預けてあったボストンバッグを引きとって栄駅へ。ちょうど20時半を過ぎたところでK田から電話があり、東山線に乗って名古屋駅のホームで落ちあい、そのまま乗ってきた電車に乗って本陣で下車。K田に連れられてK田の実家へ。

 K田家では0時ごろまでだらだら過ごして、寝る。……メールをチェックさせてもらったら、文化放送からご縁がありませんでしたというメールが来ていた。そんなもんだろう。


3月24日(月)

 朝4時にめざましが鳴る。4時半にも鳴って、5時に起きる。ジャージをもってきてはいたけど、たまにはと思って浴衣で寝たら、寝ているうちに帯が上にあがってきて息苦しく、何度も目を覚ました。

 シャワーを浴びて充電していたInterLinkやMDウォークマンやら散らかした資料などを片付け、6時半には出発。栄から地下鉄で大曽根へ。一日乗車券を買おうとしたらカードで買えず、駅員に聞くと現金のみの由。740円。大曽根で降りてさっそく、「ゆとりーとライン」を履修。第一印象は「早ッ!」……駅手前に15キロ制限があるのでそこでは減速するが、バスとは思えないようなスピードで疾走してきて減速するのにびっくり。バスの折り返し風景を2本ほど眺め、JR東海バスの高蔵寺行きに乗る。ゆとりーとラインはカードが共通化されていて、どのバス会社のが来ても名古屋市営の「ユリカ」で乗れる。車両は2ステップ。そんなに古くないはずだが、案内輪つきの特殊仕様だから少しでも車両価格を安くしたかったのか、輸送力を重視したのか。小幡緑地で軌道区間は終わり、出たところにある竜泉寺口で下車。300円。前評判通り、併算すると高くなる(すぐ目の前の小幡緑地までなら240円)。

 小幡緑地でも数本のバスを見送って、再び大曽根行きに乗る。通勤ラッシュの時間でそれなりに混んでいる。終点の大曽根では運賃は改札口で支払う旨アナウンスがあり、降りていくと「改札口」にバスの料金箱が3台置いてあってそれぞれ駅員が脇に立って見ている(あの駅員の制服はどのバス会社のものだったか見忘れた)。東急世田谷線の三軒茶屋のシステムに近い。

 大曽根駅ガード下の喫茶店のモーニングセット(370円)で朝食。

 EST会議は最初の3つの発表で居眠り。コーヒーブレイクのあと、シンガポールなどの現状報告に耳を傾ける。質疑応答でもみんな英語で質問するので、昨日お話した日産のM本さんから「ぜひ質問してください」と言われて「ハイ」なんて言ってしまったし、どうしようかなと思っていたら、どこかの市民団体の人が日本語で質問してちゃんと同時通訳されていたのでさっそく手をあげて質問。シンガポール当局者が答えて、さらに司会者が突っ込んだ質問をしてくれ、ちょっとうれしい。

 昼休みは燃料電池自動車の試乗。運転できるかと思ったらさすがにダメで(大臣とかが移動に使う公用車らしい)、運転は環境省の職員。同乗したほかの4人は機械が専門の人らしく、そちら系の質問が運転手に相次ぐものの、メーカーの営業担当でもなければ技術者でもないただの運転手だからどうも要領を得ない。しまいには、試乗なのにいったんクルマを止めて外へ出る始末。……会場には同じ車種がメーカー展示で置いてあるというのに、、、、、、でも、排出ガスならぬ排出水が出るところなどを見られて貴重な体験をした。「エアコンとタイヤの音しかしないでしょう」と運転手は言うけど、エアコンがうるさい。別にエアコンが必要な陽気でもないのに、困った話ではある。変速機がないのか、加速は非常に滑らか(オートマ車以上)。面白いところでは、メーターは油量計の代わりに気圧計、タコメータの替わりに電力計。普段は霞ヶ関近辺の移動にしか使わないそうで、ここへはトラックで搬送したとのこと(ガソリンスタンドならぬ水素スタンドが途中にないため)。

 昼ごはんは栄へ出てモスバーガー栄一丁目店を履修。地下鉄の一日乗車券があるから往復460円の道のりも全然苦にならず、楽。ただ、「栄」という場所は大変広くて、件のモスは伏見駅が最寄り。鶴舞線に乗り換えたりしたので意外と時間がかかり、戻ったときは午後のセッションが始まって5分ほど経っていた。

 午後のセッションも18時には終わり、さて地下鉄乗りつぶしかモス活動でも、と思ったら、パンフレットには「招待者のみ」と書かれていた「WBCSD」なる組織(世界の自動車会社と石油会社12社で構成する会)の「持続可能なモビリティプロジェクトによるワークショップ」なるものが、当日飛び入り可で、用意してある分だけだが飛び入り参加者にも資料と弁当が出るというアナウンスがあった。確かこれは去年ウチの研究室で主催したシンポジウムで日産のM本さんたちがプレゼンテーションしていたものだから、見ていくことにする。

 食事をしながら始まったワークショップは、始めは会場からも盛んに手が上がってなかなか白熱したものになりそうだったが、司会の人が「のちほどのパネルディスカッションで……」とさえぎってしまい、終わってみれば3時間あまりのワークショップのうち実際に質疑に入ったのは40〜50分くらいなもので拍子抜け。前回も感じたことだが、だいたい、石油会社と自動車会社が持続的なモビリティのビジョンを示すという時点でマユツバ物なのである。これは私の推測だが、95%くらいの確率で広告代理店にでも依頼してるんじゃないか、という気もする。

 ホテルに戻ったあとは、日記をつけたりメールをチェックしたり、K田から電話がかかってきて30分くらい話したりして23時半ごろ就寝。


3月23日(日)

 2時前にいったんPHSが鳴り、いちかわエフエム「夜もラジオぼーや土曜日 でぶ大好きデラックス」のエンディングに続いて「土曜深夜の喫茶店」を夢うつつに聴く。昨年の10月〜12月まで水曜深夜に僕が担当していた時間帯で、終了になる前に聴いておくんだったかなとふと思った。

 5時半ごろ起きて準備を始める。小さいバッグで行こうと思っていたのだけど、よく考えてみたら3泊4日分の荷物はそれ以上の旅行のときとほとんど変わらない(下着などは3〜4組だけ持っていって旅先で洗濯するため)わけで、海外旅行にも使うようなボストンバッグになってしまった。しかし、InterLinkも買ったし、今回は妹からデジカメも借りたので、こういう電子デバイスと電源アダプタ、ケーブル類で短期の旅行でもかなり荷物が多くなってしまう傾向にある。

 8時過ぎに家を出、ローソンで切手を買って今回の出張願いを研究室宛に発送。新浦安駅のみどりの窓口で手持ちの往復乗車券を片道に変更してほしい旨申し出ると、「往復から片道には変更できません。いったん払戻になりますので、払戻手数料と学割証が新しく必要になります」などと言うので、普通乗車券どうしなら乗変可能じゃないのか、片道から往復に変更を頼んだら「払戻手数料が…」などとバカなことを言うわけがなく、現金が出ていくから断っているに違いない、と頭にきたものの、『JR時刻表』には「1回に限り同じ種類のきっぷに手数料なしで変更できます」としか書いてなく(本来これは乗車券→乗車券、急行券→急行券という意味での「同じ種類のきっぷ」のはずだと思うのだが)、「片道」「往復」は種類が違う、と言われてしまえばそれまでなので退散して8:39の武蔵野快速で東京へ。JR東海の窓口で同じことを頼んだらまったく同じ答えが返ってきてしまい、結局そのまま新幹線に乗る。……今回の会議が終わったら近鉄北勢線や名鉄の岐阜市内線で鉄活動したいと思っていたので行きは都区内→桑名、帰りは適当に買って帰るか、とやろうと思っていたのだけど、よく考えてみたら片道にしたら有効期間が3日間しかないから、どのみち名古屋から別に乗車券を買うことになり、できなくて却ってよかったことになる。

 9:13発の「こだま411号」はずいぶん混んでいて、5〜7号車あたりには空席がなかったけど、14号車まで行けばかなり空いている。……そうはいっても思ったより乗っており、座席を向かい合わせて1人で占領、、、とはいかなかったか、、、と思えば、熱海でほとんど降りてしまい、予想通り、天下の東海道新幹線で4人分の座席を占拠する。「こだま」さまさまである。所要時間の差といえば「ひかり」と1時間しか変わらず、名古屋まで3時間で行けるのだから、悪くないと思う。サービスコーナーやカフェテリアは連結しても営業していないが、車内販売はある。車内販売のアナウンスで「各種おみやげ品といたしまして、東京名産草加せんべい、横浜崎陽軒のシウマイ、浜松名産うなぎパイ、わさび漬け、名古屋銘菓ういろう……」につづいて「博多名産辛子明太子をご用意して、お客様のお席まで、おじゃまいたします」と言っていたから、充実している。というより、新大阪行きのこだま号でだれが博多土産を買うのだろう……。

 退避線のある駅ごとに後続の新幹線を先に送り、静岡を過ぎると14号車の車内は10人に満たなくなってしまう。車内販売のおじさんの「お弁当にサンドイッチでございます」がかわいそうになる。……車内販売と言えば「お弁当にサンドイッチ、お飲み物はいかがでしょうか〜?」だったと思うのだが、「〜はいかがでしょうか」では押し売りになるので「〜でございます」に改められた、とずいぶん昔の「グッたいむ」に載っていた記憶がある。「いかがでしょうか」程度で押し売りだと言われてしまうとは、日本語も相当難しくなったものである。

 浜松を過ぎ、うとうとしながら三河安城(在来線は快速も停まらないくせに新幹線が停まる駅)を出て、12:06に名古屋着。昼食はきしめんだ、と考えていたら、ちょうど14号車前に店があり、かき揚げきしめん(430円)を食べる。この店、かつての「小竹林」のように冷凍麺を使用しており、そばを食べても悪くないかもしれない。それと、揚げ玉は入れ放題。かつおぶしと合わせて品川駅の「お好みそば」のようでもある。

 さて15時までには会場に着けばよいのだけど、ガイドウェイバスを履修している時間はなさそうで、栄まで歩いていって今晩の宿「チサンホテル名古屋栄」に荷物を預ければ13:30ごろで、近くのミニストップで立ち読みなどをして栄駅で2000円(額面2200円)のユリカを購入して名城線に乗る(地下街の案内表示が少なくて散々迷った)。新瑞橋(「あらたまばし」と読む)行きだったので西高蔵で下車して名古屋国際会議場へ。道すがら「草津温泉」なる銭湯を見つけ、一回ここで入るか、などと考える。

 てっきり会議場全体を使ってやるのかと思っていたら、会場は小さめの小学校の体育館くらいのスペースが2つと屋外展示も幼稚園の庭くらいの広さ。それでも周囲は背広の人が多く、カジュアルな格好だった(そういう人もいないではなかったが)ので少し後悔。昨年7月の九州・大阪出張時のように4日間スーツでもよかったかもしれない。……黒いコートは残念ながら安物ではないので肩からバッグがかけられない(とはいえ、高校生のときに散々ボロボロにしてしまった)けど、名古屋はすっかり春の陽気でコートを着て歩いている人などおらず、気温くらい調べてくるんだったかもしれない。カジュアルであるばかりか、名古屋ではすっかり季節はずれのセーター(さすがにパーカーはまずかろうと思っていたので)では、ただのバカである。

 17時には基調講演も終わり、政府主催のレセプションになる。クロークもあるので荷物を預けてタダ飯タダ酒にありつくのもよかったが、外はまだ明るく、ガイドウェイバスを履修しに行こう、と会場をあとにして地下鉄に乗る。本当はまっすぐ行ければよいのだけど資料やぬいぐるみ(佐川急便のブースでキティちゃん人形を配っていた)をもらったのでいったんホテルへ寄ってチェックインして身軽になって再び出かける。

 しかし、悪いことは重なり、栄から砂田町行きに乗ってしばらくしたら腹痛に襲われ、市役所で下車。2本あとの電車に乗って大曽根へ着いてみれば、あたりはすっかり薄暗くなっており、履修はあきらめる。……栄〜西高蔵往復、栄〜大曽根往復、ともに460円だから、今日は一日乗車券を買ったほうが安かったなと後悔。これだったらタダ飯食べてくるんだったなぁ、と思いつつ、上飯田まで歩いて名鉄小牧線の上飯田駅を下見。よく考えてみたら、会議が終わったあとではもうすっかり暗くなっているけれど、会議が始まる(9時半)前だったら、朝6時には夜が明けているのだから、得意の早起きで履修しに行けばよいのである。

 上飯田付近をぶらぶら過ごしながら、御成町三丁目バス停から19:23(遅れてきて19:29)発の栄14系統で栄へ出て、モスバーガー栄五丁目店で夕食。モスへ歩いていく途中にJR東日本から電話があり、2次選考通過の由。

 夕食のあとはホテル1階のローソンでキリン生黒500ml缶を買って部屋で飲みながら、日記やこづかい帳をつけ、さっき買った中日新聞に目を通す。


3月22日(土)

 木曜までの超早起きの生活はどこへやら、スロースタート。夕方までだらだら過ごしてしまい、報告書に取りかかってとりあえず9ページにしてアップロード。A元くんとK藤くんに25日のミーティングではこれをダウンロードして印刷して配ってほしい旨メールを送る。自宅サーバーをたてたので9メガバイト近いファイルでもなんの抵抗もなく置いておける。

 明日からの準備はほとんどしないまま23時半ごろ床につく。


3月21日(金・

 すっかり寝て、9時ごろ起きたろうか。昼は洗濯をしたり報告書を書きながら過ごし、夕食を食べて早大鉄研の追いコンの2次会に顔を出すべく学ランを着て馬場へ。1次会の川口ビール園にも惹かれたものの、あとで聞いたら渉外のK谷くんの毎度の不手際で食べ放題ではなかったらしい。2次会は海乃家別館で2700円。


3月20日(木)

 0時に目覚ましが鳴り、しばらくしてラジオから「こんばんは、うさみじょうです」と聴こえてきたのだけど、うーん、あと5分、なんてやっているうちに2時になってしまう。……本当はいちかわエフエムの「夜もラジオぼーや水曜日 天井裏には何がある」を聴きながら2時には終わらせて3〜4時間の仮眠を取ろうと思っていたのだけど、すっかり逆になってしまった。

 JALシステムはやめるかー、との思いも一瞬頭をよぎったものの、まだどこからも内定はもらってない段階なので、起き上がって頭を絞って書く。これじゃダメだろうなーとは思いつつ、何とか欄を埋めて4時半ごろ、もう一度床につく。5:20には目覚ましが鳴ったものの、起きたのは5:50。

 あわてて準備して食べて家を出、新浦安駅前のローソンでコピーして、東京中央郵便局から発送しようとしたら「ここで出したら今日中に着きませんよ」と言われてしまう。バイト後に大井町駅前の品川郵便局から発送したら、速達料金を取られてしまった。窓口で貼るのは証紙だから消印がいらないし、他にも似たような境遇の人が何人も出していてどうやら同じカゴにまとめて入れているようだから仕分けの必要もなさそうだし、それで各人から270円取れるのだから、郵政はいい商売だよなぁ、とふと思ってしまう。

 京浜東北線で途中の西日暮里で山手線に乗り換える。座って寝ていたら新宿まで行ってしまい、階段を上り下りするのも面倒なので原宿まで行って引き返し、新大久保から研究室へ。研究室が環境省などと共催している講演会の手伝いなどをしながら時は過ぎ、JR九州の方とお会いする時間が迫る。結局エントリーシートは書けないまま新宿の小田急サザンタワーへ。

 アイスコーヒー(700円)をごちそうになっていろいろお話を伺ったあと、帰宅。夕飯のあと電車で「ららぽーとの湯常盤殿」へ行って1時間半ほど湯に浸かり、いいかげんいつもここに来るのも飽きたなと思いつつ、0時過ぎに就寝。とても長い4日間だった。


3月19日(水)

 ここ何日か20〜21時には寝て3〜4時に起きるという生活をしていたのだけど、この日は2時に起きる。JALシステム(20日必着)、毎日新聞(19日消印有効)、JR九州(今日持参)がまだ1行も書けていない。……けど0時前後に電話がかかってきてよく眠れておらず、結局朝までだらだら過ごしてしまい、なにもできなかった。

 バイト終了後は研究室に行き、10:30から本庄プロジェクトのミーティング。月末までにまとめる報告書の第2章を僕が書くことになっていることを今日になって知り(……これまでのミーティングではコピー取りや雑務ばっかりしていてあまり聞いていなかった)、今日までのES締め切りラッシュが過ぎたら明日からは名古屋行きの下調べをしたりPCを組んだりして過ごそうと思っていたのに、一気に吹き飛んでしまった。12:00に終わったあともしばらく打ち合わせなどが続く。

 JR九州のリクルーターの方と会うのは延ばしてもらおうと、平身低頭で電話をかける。昨日の晩から断続的に玉社時代の友人のN口が電話をかけてきており(睡眠中の深夜0時ごろ、ミーティング中……おかげさまでよく眠れないわ胸ポケットでブルブル震えて落ち着かないわで大迷惑)、確か化学学会がいま早稲田で年会をやっているのでそれできているから会おうとか言う用件だなと電話を返し、13:55の理工バスで西早稲田へ。メーヤウへ行きたいとぬかすのでメーヤウへ連行。悪運の強いことにタイムサービスはチキンカリー。「辛いものは平気」とか言っていたくせにつらそうであった。

 その後はまっすぐ帰宅。夕飯をはさんで毎日新聞のエントリーシートを仕上げ、およそ2ヶ月ぶりにクルマを運転して浦安郵便局の夜間窓口から発送(証書発行機を使おうとしたら、紙幣も新500円硬貨も使えなかった)。23:30ごろ家に戻って、30分ほど仮眠しようと敷いたままになっていたフトンに横になる。


3月18日(火)

 バイト終了後、理工生協の開店と同時に店に入り、出張の手配。往復の新幹線とホテル。ホテルはいくつか薦められたなかから、東横インなんか各部屋に常時接続環境があるというので惹かれたけど、「テナント:1階にモスバーガー」という文字を見つけてチサンホテルに決定。1泊RC6500円(オール込み)。

 あとは高田馬場駅から山手線で日暮里、京成は青砥で乗り換えて京成曳舟で下車。11:20ごろ。試験は12:00からで、今日提出する履歴書がまだ書きあがっていなかったので(2年前のを書き写そうと思っていたのだが、2年前にコピーを取り忘れたらしく、見つからなかった…)モスバーガー京成曳舟店で書こうと、本当は駅の目の前にあるのに、モスバーガーの店舗案内をプリントアウトしたものを頼りに迷ってしまう。何とか見つけ、紅茶を飲みながら仕上げる……手についた紅茶のしずくで汚してしまった(万年筆で書いているので水に弱い)が、仕方ない。このあたりにコンビニは……と探したら東武曳舟駅の向こうにミニストップを見つけ、往復してコピー。明日、半蔵門線延伸で曳舟駅から新線が延びるのだけど、ここはあまり盛り上がっていない。

 2年前の本社と違って曳舟文化センターで実施の筆記試験は、SPIではなくSHLと呼ばれる(らしい)初めて見るタイプで面食らう。暗算の四則演算と文章理解度測定に適性検査。2人いた試験監督のうちの1人は2年前に見たことがある人だった。

 これが13:40ごろに終わったら、再び京成曳舟駅から電車に乗り、新橋でゆりかもめに乗り換え。新橋駅の時点で「乗換案内」で調べたのより15分ほど早かったので、ゆりかもめは1本見送って最後部に座る。ゆりかもめに乗るのは高2の春休み以来のはずで、前回はまだ仮駅だったことや最前部に座ったのを思い出す。レインボーブリッジを渡り終えたあとにお台場・青海をぐるっと遠回りするのに腹を立てつつ、国際展示場正門で下車。370円。散々遠回りさせられて時間がかかったうえ、運賃は遠回りしたぶんの距離に応じてこの値段だから、不便もはなはだしい。

 東京ファッションタウン(=大塚家具が入居しているビル)には少し早く着いたので、小腹がすいたなーとコンビニを探すも、案内図にはミニストップが入っていることは書いてあるものの、何階のどこにあるのかさっぱり分からず、外には看板も出ていないので散々迷ってしまう。おまけに、郵便局があることも分かり、今日は通帳を持ってこなかったのを後悔。15時から9階で行われたJR北海道の説明会。

 説明会も終わり、2階から9階まで吹き抜けになっているところで17時からのシャワーツリー35なるものを見て、100円ショップを少しのぞいて帰る。りんかい線も値上げをしており、新木場まで280円。新木場駅〜国際展示場駅〜東京フェリーターミナルを結んでいた都バスも廃止になってしまうし。


3月17日(月)

 JR東海のエントリーシートが何とか書けたので行きがけに発送しようと新浦安駅前のローソンへコピーを取りに寄ったらトナー切れ。コピー機がもう1台あるとは知らずに店員を呼んだりしたので6:49の快速電車になる。

 バイト後はJR東日本の2次選考。午前中は面接で午後が筆記。面接は10時からで、社員5〜6人(正確には覚えていない)と学生1人。前回の面接の前に書いた簡単なエントリーシートに従って進行。志望動機や研究室での研究のこと、あとはバイトのことに鉄道マニアとしての心構えなんかを聞かれる。ヤマトの面接で余裕をかます面接を経験したからか、特に緊張もせず、まずます。僕のあとに面接だった人は「“最後に”何か質問はありませんか」と聞かれたらしくずいぶんショックだったようだけど、あまり関係ないのではと思う。前回に続いてK眼に遭遇。

 10時半には面接が終わって、13時半からの筆記まで外で時間をつぶしてほしいということだったので、久々にガイド室へ。昼食は、これも久々にワセ弁の唐揚げ弁当大盛(450円)。来週の名古屋出張の宿と新幹線の手配をしようと思っていたけど、会議場が名古屋のどこだったのかを調べてくるのを忘れ、明日やることにする。理工では、京成に提出する成績証明書を発行してもらい、再び新宿へ。

 午後の筆記は簡単なSPIで、14時半には終了。で、日経新聞のエントリーシート(明日必着)がまだ書きあがっていなかったので、どこかで書かなくちゃ、と思ったのだけど、周辺のスターバックスはどこも混んでいて、モスバーガーの履修も兼ねて神田へ行くか、と中央線で移動(車内で荻窪在住の従姉に遭遇)。駅を出てモスを探してウロウロしていたらスタバを発見し、すいていたのでそこでやる。スタバでは初めて紅茶を履修……しかしたいしたことなしという印象。

 書き終わったら東京中央郵便局から速達で発送。


3月16日(日)

 1時に起きようと思っていたけど、それはさすがに無理で、2時半に目が覚める。いちかわエフエム「土曜深夜の喫茶店」を3時まで聴いたあと起き出す。

 明け方まで日記をつけたりこづかい帳をつけたり、いろいろ雑務。6時すぎにはたまっていた洗濯をはじめ、朝ごはん。朝から焼肉。7時半ごろには家を出て、電車に乗ってららぽーとへ。ちょうど電車が行ってしまったあとで、次は武蔵野線の電車をはさんで13分後。休日の朝7時台だからこんなものだろうけど、こちらは起きてから5時間近く経っているおり気分は昼。南船橋に着くとホテルサンルートの送迎バスは15分後で、それだったらと歩いて行く。南船橋駅へ向かうバスが人をいっぱい乗せてすれ違ってゆき、スーパー銭湯「常盤殿」に近くなったころに誰も乗っていない折り返しが追い越していったけど時計を見れば8時10分。どうして8時10分発のバスが8時10分に僕を追い越していくんだよー、と、腹をたてる。バスの時間を見計らって南船橋に着いてもバスに乗れなかったことがあるのはそういうことだったのかと思ったけど、ホテルに苦情を言ったところでバスの運転手に伝われば、こんな休日の早朝に駅からホテルに向かってお風呂道具を持って乗るのなんか僕くらいなものだろうからすぐに特定されるに決まっており、お互い気分のよいものではないだろう。

 10時過ぎまで「常盤殿」で過ごしたあと、ららぽーと内の100円ショップでブックエンドなどを買い(何日か前にPCラックの上に並べておいた漫画本が崩落した)、ららぽーとシネマへ行き、新聞屋さんがくれた松竹のチケットで「たそがれ清平衛」を見て、14時ごろ家に帰る。映画は何か賞をもらったらしく新聞にも出ていたけど、立ち見もでる盛況ぶり。……でも、貧乏だけどまじめな下級武士(奥さんとは死別)がいて、少し裕福な友人の出戻りの妹のことでひょんなことから剣の腕が立つことが藩内でひそかに評判になっちゃって、エライ人から誰々さん(=剣豪)を殺してこいと命じられて、いろいろあった末に殺されずに済んでその妹と結婚したと思ったら、その3年後に戊辰戦争で死んじゃったんだけど、本人は幸せでした、という話が坦々と流れていくだけで、特にクライマックスみたいなのもなし。う〜ん。。。


3月15日(土)

 昨日は夜更かしして0時過ぎまで起きていたのだが、その直前に「明日1時から修論計画書の指導があります」というメールが舞い込んできた。

 その割には朝はゆっくりで、9時くらいに始動。それまでだらだら過ごしていたくせに、朝ごはんは食べずにロールケーキふた切れを口に放り込む。12時ごろには何とかそれっぽいものができて、やっぱり昼ご飯は食べずにおにぎりを持って出る。……本当は今日は朝からスーパー銭湯へ行って新聞屋からもらったチケットで映画を見るつもりだったのに。。。

 研究室についてからも若干の加筆をして指導を受け、研究室で少しまったりしてから帰る。せっかく来たのにまっすぐ帰るのもつまらないので秋葉原に寄り道してPCケースなどを見てから帰る。夕飯は両親ともに留守で昨日の残り(さいしょ家で食べるといってあったので用意してしまったらしい)の魚の煮付け。お歳暮のキリン一番搾り(350ml)を1缶空けて、20時過ぎにはさっさと寝る。


3月14日(金)

 朝4時ごろ起きて今日のヤマト運輸の面接で履歴書が必要なことが判明して慌てて準備。めずらしく朝からテキパキ行動。

 バイト終了後、いったん帰宅。少々早めに昼食(誰かさんのお土産とかいう北海道ラーメン)を済ませ、品川へ。ヤマトの「中央教育センター」は品川駅と天王洲アイル駅の中間にあるようで、案内によるとどちらからも徒歩10分なのでりんかい線で行くかと思ったけど、「乗換案内」によれば所要時間にたいした差はないので山手線で行く。都心を横切る定期券を持っているのでだいたいどこへ行くにも200円以内で行ける。(りんかい線の新木場−天王洲アイルはなんと320円)

 品川駅では新型「リゾートしらかみ」が展示されているのを一瞥したあと、港南口へ。再開発工事も終盤で、あまりの変わりようにびっくり。以前は中日新聞東京本社(東京新聞)が目立つくらいでほとんど何もないところだったのに。

 ヤマトはSPI・適性検査と簡単な面接。面接は社員1対学生4で志望動機と他社の受験状況を聞かれておしまい。志望動機は履歴書にも書いてあるし、ここでの面接はあまり関係なさそう。……とはいえ、たいして緊張しなかったのはよかったが特に準備してこなかったので、志望動機を4人の中で最初に聞かれた私はものの10秒とたたずに話し終えてしまい、残りの3人がヤマトへの熱き想いを延々と語っていたのを聞いて、まずかったかなと少し気になった。

 廊下には「小さな親切賞」「SC運動表彰推薦」だったかが壁一面に貼ってあり、こういうことをやっても業界トップでいられるなんてすごよなぁと思う。ヤマト運輸のスタンスとしては、こういうことをしていれば自然とお客様は当社を選択してくださる、となるのだろうけど、大手の放送局もこういう姿勢を少しは見習ったらどうかと思う。

 帰りは品川インターシティのスターバックスでInterLinkを広げ、京浜急行やJR東海のエントリーシートの内容を考える。今年は新幹線の品川駅もできるし、品川駅までの通路を歩いていると、やっぱり21世紀なんだなと思う。……しかし、このくらいの都市空間はシンガポールや香港にでも行けばいくらでもある気もする。

 19時近かったので、夕食は東海道線下りホームの常盤軒で「お好みそば」(350円)。高校生のころに1度だけY村と食べに来たことがあった(そのときは330円だったと思う)。たいしてうまいものではないけれど、駅構内の飲食店がほとんど「あじさい」になってしまう中で、まだ残っていたのは嬉しい。


3月13日(木)

 10時から文化放送の筆記を御茶ノ水の中央大学駿河台記念館で。なんと鉄研のH部が斜め前に座っていてびっくり。終了後、「エチオピア」というカリー屋で昼食をともにしていろいろ話を聞く。ここはカレーの辛さを0倍(市販の中辛カレー程度)〜70倍で選ぶことができ、なんとH部は30倍を選択。ほんの一口分けてもらうと、確かにH部が言うようにメーヤウの「激辛チキン」ほどではないにしろ、辛い。僕は「豆のカレー」で、これは3倍からなので3倍を選択。880円。

 証明写真が足りなさそうだったので、東京駅のスピード写真で撮ったりしてから帰宅。

 帰宅後はなんとなくダラダラ過ごしていたけど、今年から自宅で所得税の申告書が簡単に作れるようになったので作ってプリントアウトして文化会館の申告会場へ持っていく。16時半ごろで税務職員は引き上げたあとだったけど、申告書は作成済みなので渡すだけで終了。ついでに図書館で借りていた本を返し、日経流通新聞(日経MJ)のバックナンバーをいくつか読み、書架を眺めていたら『NHKのそこが知りたい』(NHK広報局 編 講談社)という本を見つけて借りる。

 21時には就寝。


3月12日(水)

 今週ではめずらしく何も予定を入れていない日なので、バイトが終わったらQBハウスで髪を切るなど若干のよりみちを経て家へ帰る。さっさと昼ご飯を食べて昼寝して、と思っていたら昼ご飯を食べるところまでは順調だったものの、コタツで昼寝をしようとしたら父が見ているテレビがやかましくて寝られず、部屋に戻って寝たらなんと14時まで寝てしまった。

 その後も父の手伝いをさせられたり(どうも家にいるとヒマだと思われる節がある)なんだかんだで、何もできずに日が暮れる。締め切りを過ぎている(でも「3月10日をめどにお送りください」というものなので、数日程度なら過ぎても、、、と思っていた)JR東海のエントリーシートも、確定申告も手付かず。

 ふてくされて20時半には寝る。


3月11日(火)

 午後3時半から本庄プロジェクトのミーティングがあるのでそれまで研究室で昨日の報告を書いたり、今度行くことになりそうな「EST名古屋会議」(参照)の詳細を調べたりして過ごす。昼食はえぞ菊の塩ラーメン(学割で600円)。

 ミーティングが終わってから、前期に提出した「環境学特論C」のレポートを見る機会があり、僕のを見つけるとなんと体裁が整っていないばかりか、期限外提出になっていて、まいったなと思う。


3月10日(月)

 バイト終了後、ヨドバシカメラで今日の調査用のストップウォッチを購入。980円から各種あり、店員の薦めで1980円のものを購入。……しかし、電車に乗ったあとで箱を開けて使ってみるとボタンを押すたびに「ピッ」と決して小さくはない音がして困ってしまう。電車を降りてからメーカーに電話(珍しくフリーダイヤルでもPHSからつながった)するとこの音は消せないとのこと。売り場ではたしかに「ラップタイムが2〜3測れればよい」としか言わなかったけど、あの店員め、なんで音を消す機能がついてないって説明してくれないんだよーと思う。

 京王線(明大前乗り換え)で吉祥寺へ。明大前ではちょうど急行が行ってしまったところで、井の頭線に急行があるとは知らなかった。吉祥寺ではどこに南口バスのりばがあるのか迷って一旦北口へ出てしまったりしたあと、南口のりばの小田急バス案内所で一日乗車券を購入。今日調査する吉14系統は京王バスとの共同運行なので、京王が来たら乗れないのか聞くとどうも要領を得なかったらしく「小田急バスにしか乗れません」……いや、だから、共同運行路線もそうなんですか? とあらためて聞くと「お客さん、小田急バスだけのフリーパスですよ?」と、そのくらいも分からないのかといった言い方をされる。とりあえず領収証をもらって退散。(会社によっては、共同運行路線の場合他社のバスが来ても乗れるケースがあるのだが……)

 20分おきなので次のバスまで1局履修して、11:00の小田急バスの吉14系統に乗ってまずは調布へ。どこかで昼ごはんを食べてから乗るんだったな〜と思っていたら、調布駅まであと少しの布田バス停の目の前にモスバーガー京王布田店を見つけて下車。昼食。次のバスは京王だから、40分後の小田急バスで調布駅前へ。

 乗ってきたバスを含め、3本のバスの調布駅前での停留時間を測って(その合間に1局履修)、3本目のバスで八雲台郵便局バス停まで戻り、同名の郵便局を履修。別の系統だったけど調布駅前へ戻る小田急バスがちょうど来たのでそれで調布駅前へ戻り、吉06系統に沿って吉祥寺駅へ戻ることにする。まず吉05系統で御塔坂下で下車、そして吉06系統で神代植物公園前、野崎と下車してそれぞれ1局ずつ履修。野崎からは本数の多い吉01系統が加わるのでもうどれに乗ったか覚えていないが、三鷹市役所前、下連雀で下車して2局1モス。三鷹市役所前では、小田急が運行している「みたかシティバス」もこのフリーパスで乗れる(ムーバスには乗れないと券に書いてある)ようなので乗ってみようかなと思ったけど、すでに15時近かったので見合わせ。外から見た限りでは小型ではあるものの2ステップのディーゼル車で、乗客もそれほど多いようには見えなかった(たいして乗らないルートだから自治体が主体になって走らせるのだろうけど)。

 吉祥寺駅前で調布駅でのと同じようなことをやっていたら、同じところを行ったり来たりしてチリ紙を何回ももらってしまう。立ち止まる人などいない吉祥寺駅の南口で10分以上ストップウォッチ片手に立っていれば顔だって覚えられているはずなのに、向こうが寄ってきて渡すのだから、よほどノルマがきついのだろうか。こっちはチリ紙のインフレである。

 帰りは小田急バスの宿44系統を利用すればフリーパスで新宿まで戻れる。次の新宿駅西口行きの時間まで1時間ほどあったので、吉祥寺東急の中にある「マザーリーフ」でケーキセット(税抜き750円)を履修。一見、デパチカの単なるケーキと紅茶の店に見えるこの店はモスフードサービスの直営で、モスバーガーWebサイトの店舗検索にもちゃんと載っている。好きな紅茶と好きなケーキのセットで、紅茶はメニューに「おすすめ」の★マークがついていたイングリッシュミルクティーを選択。ケーキは「季節のケーキ」と書いてあるので何かなと思ったら「いまケーキの見本をお持ちしますので」と言われて、ショーケースから1つずつトレイに載せて持ってきてくれ、一つ一つ何のケーキなのか説明してくれてその中からひとつ選べるという、至れり尽くせりよう。散々説明させたあとで「じゃぁ、ショートケーキ」とも言えず、(名前は忘れたけど)このケーキもおいしそうだなぁ、とか迷った末、モンブランに。さっきモスバーガーで食べたけど、どう違うやら。

 「紅茶はいま担当のものが参りますので」と言われて待つことしばし、休憩から戻ってきたらしい人が僕の前にやってきてヤカンに水を入れて沸かし始める。お湯が沸くと茶葉の入ったティーポットに勢いよく注ぎ込んだあと、砂時計とともに僕の前に置いて「蒸らしますので3分間お待ちください」……かなり本格的である。3分が経過すると「最初はブラックになさいますか?」と聞かれ、カップに注ぐところまでやってくれる。そこではじめてモンブランが運ばれてくる。モスバーガーの紅茶も三角のティーバッグに入っていたり、(紙コップではない店舗では)カップにフタがついているなど他のファストフードのに比べて気が利いているけど、とてもその比ではない。モンブランも、さっき食べたのはなんだったのかと思うほどおいしい。

 すっかり堪能して店をあとに。そのおねーさんに聞いてみると、意外にも男性のひとり客も少なくないとのこと。モスの高級業態としてはハンバーガー屋の「MOS's-C」が神楽坂などにあって、まだ行ったことはないけど似たような感じなのだろうか。

 宿44系統の時間になったのでバス停へ行ってみたものの、待てど暮らせどバスは来ない。バス停近くの「よみた屋」なる古本屋で『まちづくりの発想』(田村明 岩波新書)を購入。210円。このバス停にはバスロケがないので都バスのようにどのあたりまで来ているのかすらも分からないのでイライラはつのる一方。営業所に電話するか、と電話を取り出したまさにそのとき、終バスを示す赤いランプをつけた小型バスが20分遅れでやってきた。4人乗車。

 吉祥寺から乗ったほかの3人は3つ目の松庵町で降り、あと途中の停留所で2人乗ってくる。あと初めから乗っていて最後部で眠りこけている男性を乗せたバスは井の頭通りを飛ばすこと飛ばすこと。小型とはいえ断面は中型バスと同じで目線も高いので最前部に座っているとスピード感はすごい。運転席のメーターをのぞくと60km/hくらい出ていて、ときには右側車線のクルマを追い越してしまうほど。斜里バスやJR北海道バス日勝線もびっくりである。永福町の天然ガススタンドを併設した京王バス営業所を過ぎて甲州街道に入り、一路新宿へ。なんか運転手もイライラしてそうだな〜、と思っていたら、途中から乗ってきた若い女性が降りたあとに「5円玉が混じってもいいですかって、あいつ、10円玉4枚しか入れてないじゃないか!」と一言。前のほうに座っているのは僕だけなので、無視するわけにもいかず、話を聞く。確かに降りていったのは「210円って、5円玉2枚入っててもいいですか」と言って乗ってきた人だ。「発車してしばらくしてからお金入れたから、コンベヤー止まってたんだよ。信号待ちのときに見たら10円玉4枚だもんなぁ、遅れてるから黙ってたけどさ、鏡で目が合ったらサッと目をそらすんだから、自分でもやましいと思ってたんだろうね」……運賃をごまかす客に、電車で帰れば速いのに一日フリーパスがあるからと新宿まで延々と乗る客、最後部で眠りこける客ともうひとりしか乗っていないのでは、運転手だってやってられないかもしれぬ。

 新宿駅西口到着時に「車両故障のため遅れましてご迷惑をおかけしました」と3人しかいない車内へアナウンス。新宿駅西口からの折り返しは、オペラシティへ行くのに便利なので結構乗っていた。

 あとはヨドバシに寄ってストップウォッチを別なものに交換してもらい、今朝京王に乗ったぶんの領収証をもらおうと京王の窓口へ行ったら「パスネットを購入した領収証は書けますが、パスネットで乗ったぶんの領収証はお出しできません」と言われてしまう。

 帰宅したのは20時半過ぎ。今日の成果は8局3モス。


3月9日(日)

 8時ごろに起きる。風呂に入って、朝ごはんは……と思っても特にめぼしいものはなく(カレーがあったけど、昨日の朝も昼もそれだったので)、妹がアルバイト先からもらってきたハンバーガーでも食べる。

 こういうのばかり食べているとイライラしやすくなるというので、牛乳もいっしょに飲む………のだが、どうも舌が痛い。先日、同社のハンバーガーをたてつづけに3つ食べたら同じような症状に見舞われたので、それはさすがに食べ過ぎたからか、と思っていたのだけど、、、、とつい口にしたら妹の耳に入ったらしく「だったら食べんな!」と遠くから怒鳴られ、ひさびさに怒ってしまった。………タダほど高いものはないとはよく言ったものである。つい手を出して食べてしまったことを反省して、もう一杯牛乳を飲んでおく。

 部屋にたまった新聞切り抜きをスキャナに読み取らせながら、「時刻表検定」模擬問題のチェックを。そんなことをしながら夕方まで過ごす。

 夕飯後、明日出かける調布・吉祥寺周辺のことを調べ、お風呂に入ったら22時過ぎ。最近早寝が続いたので、こんな時間になるとずいぶん遅くまで起きたような気分になる……って、幼稚園児のお子さまじゃあるまいし。。。。。。(^^;)


3月8日(土)

 昨日あれだけ早く寝たのに、起きたのは解除し忘れていたPHSの目覚ましが4時半に鳴ったとき。(なぜかモス活動をしていたら、モスなのにハンバーガーが100円、チーズバーガーが105円に値下げされていてびっくりし、しかも注文したらバンズが品切れとか店員がのたまうのでブチ切れる、なんていう変な夢を見ていた……妹がバイト先から持ち帰ってくるハンバーガーの食べすぎだろうか)

 風呂に入って8時過ぎまでだらだらとPCに向かう。朝ごはんのあとも10時ごろまでコタツでゴロゴロ。いくらなんでもダラダラしすぎである。父から「一日中寝てるんじゃないのか」と言われてしまう。まったくその通りである。

 おりゃぁ〜っ、と起き上がり、スキャナの具合もちゃんとなったことだし、長らく部屋の片隅に放置されていた一昨年の夏のヨーロッパ旅行の写真をスキャナで取り込み始める(で、ネガ以外は捨てる)。昼食をはさんでフィルム10本ぶんあるうちの8本を消化。これは写真中心の旅行記の形でまとめたい。写真もADFで取り込めれば楽なのだが、表面がベタベタしているものをADFにかけると途中で引っかかってしまうので、手作業。デジカメがあれば便利だけど、1回の旅行で300〜400枚は写真を撮るので、とても容量が足りぬ。でも、飲み会写真とか、日帰りの調査などなら重宝しそう。

 夕方からは18:30に飯田橋駅で玉社時代の友人のN口とY村と待ち合わせ。もと理科大生のN口の知っているお店で飲もうかという話だったのだけど、行ってみたらあいにく休み。「甘太郎」になる。たいして実のある話はなかったけど、モスバーガーにも場所を移すなどして23:30くらいまでやっていた。


3月7日(金)

 今日はバイトが終わったらまっすぐ帰宅。だらだら過ごす。昼食前に電話ががかってきたのを母が取ると妹の学校からで、今日は卒業式の予行練習で登校日になっているのに来てないとか。今ごろ行ったって練習なんかとっくに終わっているのではないかと思ったものの、午後まで続いているらしい。それなのにどういうわけか母も妹ものんびりしたもので、さっさと食べて行かないとはどういう了見か、と苦言を呈すると、妹は食事を途中でやめて部屋に戻ってしまい(別に食べないで行けとは一言もいわないのだが)、目の前に座っていた弟は「食事のときに気分悪いからやめてくれ」……そうはいっても目の前の調和を重視するばかりに、登校日に学校へ行かないで昼まで寝ている、電話がかかってきたって、あわてるそぶりも見せないような態度を放置していてよいのか。4月から大学生になるとはいえ、けじめはつけるべきではないか、と思ってしまう。けれども、僕のいた中学・高校は予行練習なんてバカバカしいことはやっていなかったし、女子校というのはどうもよく分からない世界でもある。(妹の学校ではないが、聖心女子大は入学式の日にしか着ない制服を買わせるなど、本当に不可解だ)

 とか何とか言っている当人はダラダラし放題で、JR東日本の面接がなぜか通過した連絡を受けた(←これだって、電話を取っただけ)程度。外は雨だし、家にこもる。スキャナでカラー写真を取り込むと白っぽくなってしまうので、エプソンに電話してみたりしてから、アドバイスされた通りにソフトを変えてみたら解決。……あとで「イメージング」のほうも、設定をいじったらちゃんと出るようになった。

 ダラダラ具合もここまでくれば極まれりで、夕飯も食べず、風呂にも入らず、なんと19時半に寝てしまう。


3月6日(木)

 昨日寝たのが早かったとはいえ、その前2日間は寝不足だったから早く起きるつもりはなかったのに、3時半には目が覚める。……この時間にラジオをつけてもほとんどやっていないけど、番組をやっていたころなら毎週この曜日の30分前まで生放送をやっていたわけだ。

 4時には起きてお風呂に入ったりしてからバイトへ。バイト終了後は秋葉原へ。昭和通りを歩いて多慶屋で買い物のあと、中央通りを歩いて電気街を見てまわる。初めて「AsoBitCity」に足を踏み入れ、鉄道模型コーナーでハセガワの東急300型(=世田谷線の電車)が売られているのを見て欲しくなってしまう。小学生のころは京葉線を走っているような長い編成の電車を集め、高校生のころは旅行先で乗るような比較的短編成のディーゼルカーをいくつか買ったものだけど、もっと短い軽快電車なんか、部屋に走らせておくのも楽しいなと思う。すごく小さくてもよいのでレイアウト用のボードを買ってきて、LRT・LRVの似合う街並みを細かく作ってみるのも面白そうだ。

 家に帰ってWeb上からJR北海道にエントリーシート送信。我ながらよくこんなこと書けるなと思うようなことを適当(←あくまで数学用語)に書いておく。京王電鉄はよく見たら明日必着なのであきらめる。


3月5日(水)

 0時過ぎに起き、さてNHKのエントリーシート、と思ってPCを立ち上げるとエフエム東京から「面接の結果、誠に残念ながら今回は貴意に添いかねることとなりました」というメールが飛び込んできた。Kさんと話していても、面接の席で提案したような番組スタイルはエフエム東京の方針と正反対を向いているようだったから、予想通り。

 立ち上がりがこれでやっぱり放送局は合わないのかもな〜と思ったことや、さらに昨日の京成電鉄と違ってあまりの分量の多さに、NHKはあきらめようかとの想いも一瞬頭をよぎったものの、「ラジオ深夜便」を聴きながら、4時ごろまで。「自己分析」や「大学時代に得たもの」は、テレビ東京のに書いたの(これは「自己分析」じゃなくて「自分のプレゼンテーション」だから、かなり気にはなったけど)や京成電鉄に書いたものを枠に入るように修正することにして、まぁこんなもんかと昨日と同様また少しだけ仮眠。

 バイト終了後は研究室でNHKのつづき。……そういえば、科目等履修生の出願が今日までだったのを思い出し、あわてて事務所で手続き。書類を家に置いてきてしまったのでまた200円払って購入。なぜか履歴書が必要で、家に何枚もあるのにこれもまた購入。JR東日本の面接の時間が迫っており、NHKの清書は途中までにしてキャンパスを出る。研究室のコピー機でコピーを取るつもりだったのだが。

 JR東日本の面接は、本社の隣のJR新宿ビル(JR東日本の東京工事事務所が入居)で。受付の人に来意を告げると応接コーナーのようなところに通され、予告されていたように履歴書用紙(←でもコピー)を渡されて、その場で記入。「アルバイト」の欄があり、広報部でアルバイトをしていることはなるべく伏せておくつもりだったが、あとは海城高校のコンピュータ室TA(座ってるだけ)くらいしかないので、結局「御社広報部にて新聞の切り抜き」と記入。JR西日本のオープンセミナーのときに会ったK眼にここでもまた遭遇。あとはワセオケのT田くんもいた(控え室にいたのは6人程度)。

 面接は運輸車両部の方と思しき社員2人と学生1。「当社を志望された理由は」と聞かれ、用意していた答えを思い出しながら答えるという、一番やってはいけないことをやってしまう。「転勤がありますけど、大丈夫ですか」という問いに対しては、リクルータのときに答えたのと同じように「一生をかけて東日本エリア中を旅するようなものだと思っていますので、却って今から楽しみです」と言ったら「旅行するのと住むのとは違いますよ」とチクリ。同じ人からの「直したいと思っている性格はどんなところですか」に「緊張してしまう性格」と答えたら「それ、性格じゃないですね」。そのときは全然気付かずに「あれー、性格じゃないですかー。クセですかね〜」なんて学生言葉丸出しで言ってしまったが、今思えばいわゆる“圧迫”と言われているものだったのだろうか。(本当の圧迫面接なんてこんな生易しいものではないのだろうけれど)

 総じて、「転勤できますか」「できます」「広報部と違って、労働集約型の職場もありますが、大丈夫ですか」「望むところです」のような問答で、「私は御社でこういうことがしたいのです」と言うことをほとんど述べずに終了。地雷は踏まなかったけど、逆に何もしていないという感じで、これじゃ無理だろうなァ。(確かテレビ東京の面接がこんな感じだったと記憶)

 16時半に終わると言われていたのに17時近くなっており、あわてて新宿郵便局近くのスターバックスでNHKエントリーシートの清書。書きあがったら新宿郵便局で「明日届けてほしいんですけど」「なら速達ですね」ということで速達で発送。……中央線の電車に乗ってからコピーを取り忘れたのに気付く。下書きは電子ファイルで残っているからいいとして、いま日記を書いている時点(6日夕方)で、氏名のところにハンコを押し忘れた(なぜかハンコを押すところがあった)のにも気付く。致命的なミスではないと思うものの、ケアレスでのマイナスは防ぎたかった。。。

 睡眠はよくとって、時間に余裕を持って行動することだろう。……ということで20時半には就寝。


3月4日(火)

 0時ごろにおきて、京成電鉄の課題をだらだらと書き始める。2年前と同じだと思っていたら、テーマが微妙に違う上(だいたいいっしょだけど)に字数制限が「A4用紙2枚以内」から「20字×40行で2枚程度」になっていて、2問目は当時と自分自身の考えも変わったこともあり、大幅に書き換え。3時ごろ終えて、もう一回仮眠を取る。バイトへ行く途中の東京中央郵便局から発送。「普通(=普通郵便)で明日までに着きますか」「大丈夫です」。

 7:05の中央線快速電車に乗ったら、御茶ノ水駅の時点で「ただいま到着の緩行線は信濃町での人身事故発生のため、当駅でしばらく停まります」と放送があり、あらららら……と思ったら快速電車はそのまま発車してしまうので不思議に思った一方で、現場が見られるかもなーなどと考えてしまう。四ッ谷駅手前でいったん停まり、1本前の電車(7:00発)が四ッ谷駅で抑止だと面倒なことになるなぁ、と考えていたら電車は動き出し、四ッ谷駅へ進入。快速電車は運転続行か。ならば…と席を立って緩行線側のドア際に立ったら「信濃町駅での人身事故のため、この電車は当駅でしばらく運転を見合わせます」と車内放送があり、なんだよーという気分。座っていた席にはもう他人が座っており、ホームに出てバイト先へ電話して指示を仰ごうとしたらちょうど「地下鉄線に振替乗車を実施しますので、新宿へお急ぎの方は…」と放送が流れ、バイト先からも「丸ノ内線が動いているのならそれでおいで」とのこと。7:00の電車に乗れれば現場が見られたのになー、と思ったら駅のすぐ向こうに停まっている(よく後続の電車がこんなに接近できるもんだと感心するくらいに)。

 有人改札窓口は振替乗車票をもらう長蛇の列だったけど、こういのは改札を出たところや営団側でも配るはず、と改札を抜けると案の定そうで、すんなり地下鉄へ乗り継ぎ。さっきホームの先に見えた電車を丸ノ内線のホームから見たら車内には誰もおらず「回送」の表示が出ていた。僕が乗ってきた電車を駅間に停めたままにしておかずに四ツ谷でさっさと運転打ち切りにして待避させたようで、めずらしく迅速で的確な措置である。……うしろ2両ほどを残してトンネルに首を突っ込んでいる格好で停まっているから、運転士はさぞかし退屈だろう。この事故については夕刊に載ったが、自殺を図ろうとしたのに線路と電車の間に入ってしまって軽傷に終わったとのこと。振替輸送もしちゃったし、本人は軽傷だからたいした保険金が出るわけでもなく、大変なことをしたものだ。

 バイト終了後は5分ほどの遅れが残る中央線でまっすぐ帰宅して、夕方までだらだら過ごす。夕飯後、少し寝ようと思っていたけど、今日と同じで0時まで寝てしまう。


3月3日(月)

 エフエム東京のK先輩にお会いする日。JR高田馬場駅の“アトムチャイム”を聴いてみたくて高田馬場から歩いて久々にガイド室へ。ガイド室を出ると大隈講堂前で玉社時代の同級生のS村と遭遇。4月から玉社の専任教員になる由。

 地下鉄を麹町で降り、モスバーガー麹町店で昼食ののち、東京FM通りを歩いてエフエム東京へ。受付で来意を告げるとKさんが降りてこられ、近所の喫茶店へ。こぶ茶(400円)をごちそうになり、いろいろとお話をうかがう。

 気がつくともう2時間も経過しており、あとは局舎内をひと通り見学させていただき、謝辞を述べて局舎をあとにする。再び麹町まで歩いて有楽町から国際フォーラム経由で東京駅へ歩いて京葉線で帰宅。京葉線の車内で海外派遣生の子(名前失念)とも遭遇。いろんな人に会う日。

 モスバーガーでは禁煙席に座れなかったのと、Kさんも喫茶店ではずいぶん吸っておられたので(ちなみに局舎内は禁煙)、服がすっかりタバコくさくなってしまった。

 NHKの出願書類に写真が2枚必要なのをチェックせずに昨日は1枚しか焼き増ししなかったので帰りに写真屋に寄ってもう1枚頼まないとな〜、と思っていたのを忘れてまっすぐ帰宅してしまう。気が付いたときには外はずいぶん激しく降ってきており、明日にする。そんなことをしているうちに、文化放送からエントリー課題通過・筆記試験の通知がきた。

 夕飯後は21時ごろまでコタツでゴロゴロしてから部屋に戻ると非通知でたてつづけに電話が2回あり、2回目のをとると、JR東日本から。明後日面接との連絡。

 24時ごろまで一眠りしてから、京成電鉄の課題。3時前には仕上がる。NHKのも取り掛かりたかったけれど、もう一眠りすることにする。


3月2日(日)

 起きたのは6時過ぎ。日曜にしてはずいぶん早いけど、昨日寝た時間の割には遅い。10時間寝たことになる。……昨日のように無為に過ごすのは嫌だったので、空っぽだったお風呂に湯を張り、風呂に入ると同時にさっさと洗濯。9時前にはシーツやタオルケットも洗濯し終わって干してしまう。

 昼前には写真の焼き増しに行く。証明写真の焼き増しは3時間ほどかかるそうで、ユニクロやセブンイレブンなどを冷やかしてから家に帰り、昼ごはんのあとは結構だらだら過ごして、夕方になってまた出かける。三省堂や中古LPコーナーのできた山野楽器をずいぶん長いことうろうろしたのちに写真を受け取って帰宅。夕飯は父のそば。

 20時過ぎに親戚の叔父・叔母が来ていたので軽く挨拶したのち、21時過ぎには寝る。……京成電鉄の課題が5日必着、NHKのエントリーシートが6日必着だけど、ほとんど手がつかない。


3月1日(土)

 昨晩は遅くまで起きていて、今朝起きたのは8時過ぎ。10時ごろまでネットをしたりだらだら過ごし、下に降りて朝ごはん……を食べてもじきに昼ごはんになるので、残っていたサツマイモのケーキ(自家製)とコーヒー。ところが結局食べきれなくて、ほんの一口だけ残して、昼までコタツでゴロゴロ。

 「みんなの就職活動日記」という掲示板サイトを見ると、文化放送の書類選考結果が出ている人がいるようなのだけど、僕のところには何も来ない。どうなっているのだろう。

 来週はNHKのエントリーシートや、京成電鉄の書類選考課題(なんと2年前と同じ課題)の締め切りが控えており、そろそろ手をつけないとな〜とは思うものの、結局夕方まで掲示板に書き込んだり、おなじところをグルグル見てまわりながらだらだら過ごす。……NHKのエントリーシートの写真欄が6×4.5cmなのでスピード写真のでは小さすぎ、去年の暮れに写真屋で撮ったのを焼き増しに行かないとなーとか、千葉銀行にアルバイト代引き出しに行かないと、、、とか考えていたのに、結局家から出ずじまい。ダメ人間。

 夕飯は弟のリクエストとやらで焼肉。父と妹は外なので、3人でもそもそと食べる。僕は1日中家にいたからたいしておなかも減っていないし、母にしてみれば、ガンガン食べる日もあれば今日みたいな日もあるので、買い物のときはずいぶん苦労するだろう。

 20時前には就寝。


2002(平成15)年2月の日記


高橋秀暢/yonnan@plum.plala.or.jp