このページは私が釣り歴三十数年でであった出来事などを紹介します。
更新日5月25日
3月5日(毛ばりとの遭遇)
今から32年前会社に入社したころから渓流釣りに興味を持ち始め一人で岩魚やヤマメを釣り始めて2〜3年経過したある日のことです。
大先輩の誘いで岩手県の南本内川にいったときのことです。
その大先輩は和式毛ばり、私は初心者のえさ釣りで岩魚を釣り始めました。
釣り始めてから1時間もすると10匹くらいの大きな岩魚を手にすることができるくらい魚影の濃い川でしたが、いまいち満足できる釣りではありませんでした。(釣れすぎるのです)
昼食を取っているときのことです。
その大先輩が昼食を取っている私の前で毛ばりを流して見せたのです。
なんと、えさ釣りではピクリともこない場所であっという間に岩魚を数匹釣り上げたのです。
これは私にとっては大変ショックでした。
あれほど流したのにピクリともしない場所から、警戒心の強い岩魚が連続に釣れるのです。その大先輩が使っていたのが和式毛ばりだったのです。
その日のうちに和式毛ばりの釣り方と作り方を教わりこれが私との毛ばり(フライ)との出会いだったのです。
それからは餌釣りは私の渓流釣りからは無くなったのです。
この南本内川では数え切れないほどの尺岩魚を釣り上げた私にとっては一生涯忘れられない河川となりました。
今は昔の話です。
3月10日(釣るより手掴み1)
夏場の南本内川での出来事です。
2人で釣りに出かけたのですが、夏場なので渇水状態。
早速毛ばりを流しても全然飛びついてこないのです。
いろんな場所に流してもライズもなく、普通ならびくの中は岩魚の重さでずっしりとなっているのに空っぽなのです。
余りライズが無いのであきらめて川に入り眺めてみると石の下には頭を同じ方向にそろえて岩魚が勢ぞろいしているではありませんか。
これではライズしないわけです。
この時点で釣りはあきらめて岩魚の手掴みと相成りました。
一人が川に入り石の下の岩魚を手掴みにしては、陸になげもう一人はこの岩魚の大きさが30cm以下は放流するといった具合です。
これを繰り返しをして30cm以上の岩魚を30匹くらい取った時点で終了した次第です。
当然2人のびくは満タン。残りは笹をきって岩魚のえらから通して持ってきました。
途中、竹で作ったびくの口が重さで壊れてしまい別の笹に通さないと持てないくらいの重さでした。
このときの一番大きなものは38cmだったかな。
このとき猛禽類の子供(鷹だと思われた)が巣から落ちてないていたので、捕まえたのですがかわいそうなので放してやりましたがどうなったのだろうか?
3月12日(釣るより手掴み2)
岩手県和賀岳を源にする和賀川に行ったときも夏場の減水状態でした。
車を降りてから釣り場までは1時間の登山道を歩いた所にあります。
ようやく、つくといつもと同じように毛ばりを出し釣り始めたのですが、南本内川と同様あたりが無いので先駆者がいるのかと思ったのですがその気配もないのです。
ライズするのは子供の岩魚だけなのです。
この川はいつも大漁するのでお気に入りの河川だったのですがその日に限りライズがないのです。
大きな淵で再度毛ばりを振るも全然ライズ無し。
ついにあきらめ川に入ってみると南本内川と同様に石の下に岩魚の勢ぞろいです。
こんなときヤスがあれば頭をトントンとついていくといくらとれるかと思うほどいるのです。
浅瀬に移って手掴みをくりかえしての釣り(?)となったわけですがいまいち満足しないのです。
岩魚が欲しいわけではなく釣りを楽しみにきたわけですから。
そのうちむなしくなってやめましたがやっぱりビクはいっぱいになっていたのです。
本当にむなしい一日になった思いでです。
今はこの川は昔の面影も無くなったと釣友が行っておりました。
本当に今は昔の思いでと相成っております。
3月23日(釣るより手掴み3)
同じ岩手県和賀川に行ったときのことです。
秋口でもう岩魚釣りは終り近い有る日の出来事です。
この日も毛ばりをふってもあまり水がなく、釣れなくて飽きてきたころです。
私の目の前を30cmを越える岩魚がとびだしていったのです。
石の下に手を入れてみてもその岩魚が見つからないのでどうしようかと考えた末にやったことが川の流れを変えることでした。
まず下流に網をかけ上流を石で止めて流れを変えたのです。
当然水が流れないのですから岩魚はくだり落ちて自然と網に入る仕掛けなのです。
思ったより取れなかったのですがその岩魚は網の中に入っていたのです。
若いころは悪いことをしたもんだと反省しておりますが、今は自然を大切にと考えております。(こんなことは絶対しないように)
3月26日(いまだに判明しない動物)
ようやく近所の釣具屋でルアーが手に入るようになったころの話です。(今から20年も前かな)
私がルアーを始めたのはそれより5年も前からやっていたのですがなかなかルアーが手に入らず東京から通信販売で手に入れていたのですが、そのルアーも外国の模造品それも質が悪く到底釣れるとは思えないようなものばかりでした。
ルアーで1匹を仕留めるために2年もかかりようやく釣ったときの感激は今でも忘れられないほどでした。
ようやく1匹を釣ってからは自信が付き結構な数が毎回釣れて出したのですが、そのとき行った岩手県の鼠入川の出来事です。
この川は川幅は3mくらいの小さな川なのですが結構方のいいヤマメが釣れ面白く釣り上っていたときです。
足元からオレンジ色と赤色の混じったようなに50cmから60cmの動物が川に入ったのです。
水深30cmくらいなので川の中は完全に見えるはずなのですが、川の中央付近に行ったら突然消えてしまったのです。
テン、いたちでもないことは確認できたのですが(尻尾が無かった)いまだに何なのか判明しておりません。
(もしや河童では)
4月2日(火の玉の嵐)
あれは二十数年前の夏の出来事です。
仙台から友人と夕方6時に山形県の市野野川に岩魚、ヤマメを釣りに向かいました。
仙台を出るときは晴れていた天気も山形に着くころには曇り始め「ぽつぽつ」と雨が降り始め、長井市に着いたときには大粒の雨に変わっていたのです。
近くの酒屋で寝酒のためのビールを購入して市野野に向かって車を飛ばしたのです。
市野野に着くころにはあれほど降っていた雨が不思議なことに晴れあがり星が見えるという変な天気なのです。
夏特有の蒸し暑い夜の到来です。
山道を走ると道路脇からウサギが出てくるなど本当に山奥にきたなと思わせる光景が飛びこんできます。
市野野部落の酪農をしている民家の脇に車をとめて寝酒のビールをのみ始め、窓からは
きれいな星空が展開され明日からの釣りに話を咲かせ2本目のビールをあけた時のことです。
私どもが止めた民家の脇に市野野川が流れ、川向かうに2軒の農家があることは以前に行ったときに確認はしていたのですが、その1軒から懐中電灯より暗い明かりが左の民家へと向かうのを見ていました。
ビールを飲みながら再度向かいの民家のほうに目を移すと又あの薄暗い光が同じように隣のほうに行くではないですか。
戻っている様子が無いのに何度も同じ方向に行くので変だなと思いながら見ていたら最初は10分間隔が5分間隔と短くなってきているではないですか。
そのうちに左にばかりいっていたのが民家も無い右側や空の方などといろんな方向に向かい出しはじめたのです。
このころになると完全に人がやっているのではないと核心したわけですが、そのうちにこちらに向かってくるではないですか。
川には橋がかかっているので人ならこちらに来るのですが橋の脇で突然消えるのです。
このころになるとこれは「ひとだま」と確信したわけです。
色はガスが燃えている青白い光より暗いかんじのなのです。
もうビールを飲んでいる余裕など有るわけが無く2人で震えているのがやっとのことですが、
ビールをタップリ含んだ体は小便をたれらせろと警告を出しているが、気持ちがこれにこたえられないのです。
しかし警告がついに気持ちを上回り始めたので2人で一緒に小便をしようと決まり号令一発小便開始です。
ベンジョンソンもびっくりのスピードです。(こんな短い小便時間は無いでしょう)
こうしている間もやっぱりあの青白い光は遠慮会釈無しに飛び交い私どもは眠れない一夜を過ごすことになったのです。
ようやく山が見えるころに深い眠りが私どもをむかい入れてくれたのです。
結局目がさめたころには太陽はたかだかと上がっており、思った釣果など望めない時間になっておりました。
昨夜のあの青白い光が発せられた場所は民家の隣にあった小さな墓の集まりの所でした。
又、橋の脇で消えた場所にも墓があったのです。
昔ですから多分、土葬してあったのでしょう。
この出来事は釣友も私も一生忘れられない出来事となった次第です。
4月10日(夕食のおかず無し)
仙台から青森の赤石川の源流に釣りに行った時のことです。
赤石川に行く途中で夕食のためにと秋田県の阿仁川支流で岩魚(30cm数匹)とヤマメ
等を釣り塩をかるくして当日のおかずに準備して赤石へと向かいました。
青森県深浦から先輩をひろい赤石川上流へ向かう林道へと入っていきました。
そのころはまだまだ林道も整備されてはおらず、普通車でも腹を着きながらゆっくりと進まないと車を壊すような道路が沢山ありましたが、この赤石川上流に向かう林道もこの類の道路なのです。
結構走って要約今夜の寝る場所の堰堤下につきました。
まだ残雪が道路脇にあったので阿仁川で釣った岩魚やヤマメと夕飯のおにぎりとおかず、
晩酌用の缶ビールを一緒に入れて早速釣り支度にとりかかり上流へと釣り上りました。
ついた時間帯も悪かったのでしょう余りキープするくらいの岩魚は釣れない状態ですが、
「まあいいや」先ほど阿仁川でつった岩魚があると思い釣っても放流していたのです。
暗くなり始めたのでキープもしないで先ほどの車を止めた場所にと帰り始めました。
ようやくの思いで帰ってみると有るはずの岩魚やおにぎりが無いのです。
「やられたー」と気がついたときはもう遅いのです。
動物と思われる小さな足跡が無数にあるだけなのです。
結局その夜は友人と先輩が釣った数匹の岩魚とビールだけの夕食と相成ったわけです。
あれほど上流に行ってもつれなかった岩魚がビールを飲んでいる堰堤下の深みで「ドボーン」とライズしているではありませんか。
こんなにライズする岩魚の音を聞きながらむなしい夕食を迎えたのも初めてのことでした。
次の日食料が無いので早めに帰宅の途に着いたのです。
5月25日(アブの大群)
アブに襲われたのは良く聞く話ですが、岩手県沢内村を流れる和賀川に6月下旬に行ったときのことです。
和賀川は水はきれいで水量が多く、釣りには最高な河川のひとつといえる川なのです。
数時間かけ到着するあたりには車の中はどうしても汗臭くなっていた(昔ですからクーラーはついてはいないのです)とは思いますが、川原に着き車のドアを開けた瞬間、黒い大群が車の中に襲い込んできたのです。
一瞬何が起きたのかは判らなかったのですが良く見るとアブの大群なのです。
慌ててドアを閉めたときにはすでに数百という数のアブが舞い込んでいるのです。
ここでどうすることも出来ないのでとりあえず外に出て虫除けのスプレーをするのが精一杯なのです。
でもこんなスプレーなどきくはずがないのです。
顔や耳、挙句の果て服の上からもおもいきり刺されてしまいもう釣りどころではないのです。
結局その場から移動することにしたのですが車の中に入ったアブは思うように出てはくれないので、窓をあけ80キロ以上のスピードで走ればいなくなるかと思い実行したのですがやっぱり失敗でした。
どうしたかというと半日炎天下の中に窓を閉め切って車を放置したらこれにはやっぱりアブもまいって死んでしまいましたがその後の掃除が大変だったことは想像がつくことと思います。
それ以降、夏場の釣りには養蜂屋さんがかぶっている網を必ず持参するようになりました。
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