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摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)



歴史

『般若心経』は『大般若波羅蜜多経』を集約したものと一般的に言われますが、『大般若波羅蜜多経』には『般若心経』そのものは含まれておらず定説はないとされています。

現存する最古のサンスクリット本は、法隆寺所蔵の写本とされる貝葉本であり、8世紀後半のものと言われています。しかしその原形については依然不明な点もあり、偽経説もあります。



登場人物

お釈迦様(直接は登場しない)

観音菩薩(多くの菩薩達の一人)

舎利子(お釈迦さまの弟子の一人で、長老のシャーリプトラ)



場面

お釈迦様が大勢の弟子達や菩薩達と、王舎城(古代インドの都市)にある霊鷲山で深い瞑想をしておられたときのお話です。

瞑想するお釈迦様の前で、観音菩薩が舎利子(シャーリプトラ)の質問に答える場面が描かれています。

観音菩薩がシャーリプトラの質問に見事に答えたのを見て、瞑想に入られていたお釈迦様は起きられ、「観音菩薩の答えは正しい」とお喜びになられたとされています。


概要

シャーリプトラの質問は、

「“大いなる智慧”を完成させる為には、どのように学べばよいですか?」です。

「大いなる智慧」とは、「この世の真実を知る力」とも言えます。

 その質問に観音菩薩は、自身が覚った「空」の思想について、シャーリプトラに答えています。そして、過去・現在・未来のすべての仏様も、この“智慧の完成”によって、この上なく完全に目覚められた(覚られた)と説きます。

“智慧の完成”とは短い言葉にすると、

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」

という大いなる真言(呪文)で表され、これは大いなる覚りであり、最高の、他に比べるものもない真言であり、すべての苦しみを取り除くものであり、偽りのない真実の言葉であると説明されています。






般若心経(意訳)


観自在菩薩深般若
波羅蜜多
時、

照見五蘊










度一切苦厄。










舎利子

不異空、空不異色、

色即是空、空即是色。

受・想・行・識亦復如是。





舎利子。

是諸法空相、不生不滅、

不垢不浄、不増不減。




是故空中、
無色、無受・想・行・識、

眼・耳・鼻・舌・身・意
色・声・香・味・触・法

眼界、乃至、無意識界

無明、亦無無明尽、



乃至、無
老死、亦無老死尽。

苦・集・滅・道

無智亦無得。




以無所得故、菩提薩

依般若波羅蜜多故、

心無礙、無礙故、
無有恐怖、遠離一切顛倒
夢想、究竟
涅槃

三世諸仏、依般若波羅蜜多
故、
阿耨多羅三藐三菩提



故知、般若波羅蜜多、






是大神呪、是大明呪、

是無上呪、是無等等呪、

能除一切苦、真実不虚。


故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧
羯諦菩提薩婆訶。





般若心経




観音様は深淵な“智慧の完成”の修行をされた時、
次のように考えました。


「我々は“永遠不滅の魂”のようなものが存在すると
思っているけれど、そのようなものは存在しない。
実際に存在するものは“肉体、感覚、イメージ、欲求、
判断
”という5つの要素のみであり、そのすべては
絶えず変化し、永遠に存在し続ける事はない。
また、自分の思うようにならないこの身体は、
幻のように実体のないものだ」



「私はこの“智慧の完成”によって、すべての苦しみ、
悩みから抜け出す事ができた。」と。


お釈迦様の弟子シャーリプトラは、観音様に
尋ねました。
「どのように学べば“智慧の完成”を得られるので
しょうか。」

すると、観音様は次のように答えられました。

 「シャーリプトラよ。我々の身体は幻のように実体の
ないものであるのに、実際に存在するかのように
見えています。しかし、だからといって真実の姿は
我々の体を離れて存在するのではありません。体は
実体がないというあり方で存在しており、実体がない
というあり方が真実の姿なのです。これは体だけでなく
感覚やイメージ、欲求、判断も同じです。 


シャーリプトラよ。このようにすべてに実体はなく、
生まれることも、無くなることもありません。汚れている
とか、清らかであるということもありません。減ったり、
増えたりすることもありません。

  このような境地から見ると、体も感覚もイメージも
欲求も判断も存在しないのです。目・耳・鼻・舌・皮膚
といった感覚器官や心も存在せず、色や形・音・匂い
・味・触感といった感覚も、意識も存在しません。
目に見える世界から、心の世界まですべて存在しない
のです。また苦しみ・迷いの原因も存在しません。
しかし、それが無くなることもありません。

同様に老いや死も存在しませんが、それが無くなる
こともありません。苦しみも、苦しみの原因も、
苦しみが無い状態も、苦しみを無くす修行法も無い
のです。知ることも、得ることも無いのです。しかし
“智慧の完成”を得ることがないとは言えません。


このような境地にいる我々菩薩達は“智慧の完成”
によって、心に妨げがありません。心に妨げがない
ので恐れもありません。間違った妄想を一切持って
ないので、完全に開放された境地にいます。


 過去・現在・未来のすべての仏様達も、この
“智慧の完成”によって、この上なく完全に目覚め
られたのです。

 ですから次のように学ぶとよいでしょう。

“智慧の完成”を、人間の理解できる言葉で表す
のは難しいのです。代わりに、神々の言葉(真言)
で表すことができます。

この真言は大いなる神々の呪文であり、この世の
真実を明らかにする大いなる呪文であり、この上ない
、他に比べるものがない呪文であり、すべての苦しみを
取り除くものであり、偽りのない真実の言葉なのです。

このような力のある“智慧の完成”の呪文を、教え
ましょう。“智慧の完成”の真言はこうです。

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー
 ボーディ スヴァーハー」
(行こう、行こう、完全なる智慧によって、完全なる
覚りにむかって、汝に幸あれ。)

 シャーリプトラよ、“智慧の完成”の修行をするには、
この真言を学ぶべきなのです。




解説

 『般若心経』は、日本で昔から大変親しまれているお経です。しかしお経の意味を理解しようとすると、現代語訳を見てもなかなか難しいと感じる方もいるでしょう。信仰の面からみても、お経の意味より、呪術性・ご利益が期待され、厄除け・ご祈祷といった法要に用いられるようになりました。実際『般若心経』の中に「・・・能除一切苦・・・」と書かれているように、あらゆる苦しみを取り除くと書かれているので、その力にあやかりたいと思うのは当然でしょう。

 このお経を毎日唱えることによって、心が落ち着いて救われたという方も沢山います。写経をして意味は良く分からないけれど、不思議と心が洗われた感じがしたという話も聞きます。このお経が真実であるかはさておき、どのように捉えるかは皆様の判断に任されるのだと思います。

 ここで注意していただきたいのは、『般若心経』はお釈迦様が亡くなられた後に造られたお経だという事です。そして呪術を強調することは、本来、お釈迦様の否定された事でした。お釈迦様の言葉として古い経典には次のように書かれています。


「わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダ(古代インド・神々の呪文書)の呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行ってはならない (スッタニパータ927)」


 今日の日本仏教のあり方を考えると、呪術的な面に重きをおいているように思えます。もちろん、営まれている法要は、日本の長い歴史と伝統の中から生まれたものです。一概に否定することはできません。

 皮肉なことに佛教が生まれたインドで佛教が滅び、神話的なヒンドゥー教の中に取り込まれた事が何を意味するかを考える必要があります。ただの道徳・学問としては、民衆には受け入れられなかったのです。現世利益の力が強く、簡単に受け入れられる呪術的なものが残ったのです。

 しかし、今日の社会では、まじないや呪術的なものに疑問符がつけられ、何が真実か問われる時代です。お経の意味を知りたい、佛教とは何か学びたい、そういった声は、お釈迦様の本当の教えに帰りなさいと言われているように感じます。

 呪術的にならず、道徳のみにならず、その真ん中を、民衆の意見を聞きながら共に歩む必要があるのだと思います。悟りは特別な世界にあるのでない、社会の中にこそあるのだと、昔のお坊さん達が説いています。この厳しい世の中だからこそ、その声を私たち僧侶は謙虚に受け止めなくてはならないのだと思います。

 今回、お経の意味を知りたいという多くの声を頂いて、まず始めに要望の多かった『般若心経』を訳出しました。これからも、古いお経も含めて、佛教に関するあらゆる事を伝えてまいりたいと思います。



                                                                     
参考

 『般若心経 金剛般若経』  中村 元・紀野 一義 訳注 〔岩波書店〕