消極的精神を掃除する法

観念要素の更改
消極的要素を積極的要素に改めることをいう
私たちは何ごとも因果応報の原則によって考え直す
現在の自分は過去の自分が創った以外の何ものでもないのであり、もし現在の姿に過ちがあれば、
まずその原因を探し出し、それを悔い改めることが先決

「人間は体を動かすことは自由にできるのに、どうして心を自由に動かすことができないのか」

「心の奥の潜在意識が消極的観念で充満していて、心のアンテナというべき感応性能が狂っているからだ」

人間の意識の中には表面に「実在意識」があり、その奥に「潜在意識」というものがある。
この両者は潜在意識が主であり実在意識は従の関係となっている。そのため表面に出てくる実在意識と
いうのは、その素となっている潜在意識の影響を受けて働くことになる。

「十人十色」というように人間は同じ現象に対してもそれぞれ違った考えをもっている。
この差が生じるのは潜在意識の中に異なった観念要素があるため。
この意識は長年の境遇や学問、経験と言ったものでつくられている。

ところが、われわれ現代人はその潜在意識の存在すら忘れ、あろうことか、その中に消極的な
観念を充満させているために、心のアンテナとも言うべき感応性能を狂わせている。そのために
肝心かなめの意識力が働かなくなる。

その結果、心配しなくてもいいことを心配し、悲しまなくていいことを悲しみ、怒らなくてもいいことに
怒ったりと、本当の心の意志とは違うことをやってしまうのである。

そればかりではなく、潜在意識が消極的な観念要素でいっぱい詰まっていると、人生に対する
考え方がすべて消極的になり、不幸な人生を自ら招く結果となる。

「即刻、あなたの部屋を片づけるように、あなたの心の中から消極観念を一掃し、積極観念に
入れ替えなけばならない」

これを観念要素の更改という

消極観念というと、単に弱気のことぐらいにしか思わないで重要視しないが、この弱気は積極的
人間を創る際に最も大切な意志力に影響し、神経が過敏になると言うマイナス結果をもたらして
いる。これが表に現れたのが臆病や心配性である。

神経過敏というのは潜在意識よりも実在意識のほうが敏感になることなので、感情や感覚で
ものごとを判断してしまいがちになる。そのため正しい本質的な判断ができなくなり、怒らなくても
いいことを怒り、泣かなくてもいいことで泣くのである。

こういう人間は見るもの聞くもの、何でもシャクの種、心配の種になってしまう。
これでは日々安らかな安心立命の境地は得られない。



こうすればよい
天風先生は・・・
「あなた方は、夜の寝際にお風呂にはいるね、体の垢を落とすだろう。それとおんなじで毎晩、
眠りにつく前に心の中も掃除したらどうだい。理想を言えばなにも考えないでパッと眠れるのが
いいが、できなかったら、昼あった消極的なこと、つまり嫌なことを思い出さないで、むしろ積極
的なこと、つまり楽しかったことを思って眠りについてごらん」

寝際は無条件でその時考えたことに同化してしまう暗示感受習性があるのだという。
考えたことがそのまま潜在意識の中に刻まれてしまうのである。良いことだけを考えて眠るように
しなさいという。

「夜の睡眠は哲学的に言うと、生きる生命を偉大なる創造主のお力に預けている時だ」とも言う
われわれは熟睡してしまうと、体も心も一時停止の状態になる。だが生命の炎は消えることなく
つづいている。これはわれわれの意識の離れたところで、偉大なる創造主が守ってくれている
からだというのだ。

医学者である天風先生は
「造物主の偉大な力(宇宙エネルギー)というのは、科学的に言うと、眉間から入ってくる。それが、
大脳髄の中にある松果体と言うところにとどまって、こんどは神経系統の一番大事なみずおちの
太陽神経叢に受け入れられ、身体中の急所へ配分されるようにできている」

寝る子は育つや安眠は長生きの素というのは、科学的根拠に基づいたもの
寝際にクヨクヨしている人は造物主の放つ宇宙エネルギーの受け入れ体勢を自分から拒否している
人と言うことになる。


元気になる言葉を使う方
消極的な言葉は悪魔の言葉
これは本人ばかりか相手をも不幸にする

消極的言葉はそれを感じた実在意識が影響を受けて、発想の素である潜在意識を消極的神経にして
しまうからである
夜の寝際も重要だが、もっと重要なのは昼間の日常生活をどのように過ごすかである
できるだけ日常生活を、明るく陽気に、溌剌として過ごせ。その最も簡単な方法が言葉の使い方
感じるのは実在意識が感じ、その感じたことは潜在意識に直接影響して、潜在意識も同じような気持ちになる

つまり神経系統の生活機能も同じようによくも悪くもなる
人間の生きる力がその言葉の善し悪しによって、良くも悪くもなるのだ

「痛い時は痛い、そこまではいいが、その先どうしょうもないとか死にそうだと言った言葉はその奥の
心はどうなっているかと言えば、奥の心は不愉快な思いが残る。もうダメだとか死にはしないかなどと
現実以上の神経を使って、どうして心の中を暗くして元気になれるのだ」

「不快な言葉というのは聞いている他人をも不愉快にさせる、それは無駄以上に害になっている」

このとき天風先生はカリアッパ聖者の教えから
消極的な言葉が自分をダメにするばかりか他人をもダメにすることを悟ったのである

天風哲学では
「気高い言葉、勇気の湧く言葉、すなわち積極的な言葉を表現した場合には、生命のいっさいが
きわめて状態のいい事実になって現れるが、消極的な言葉で表現される怒りや恐れ、悲しみや
悶え、迷いや悩みが遠慮なく口から出された場合には、神経系統の生活機能まで影響を受けて
自分はもとより、聞かされた相手まで、健康や運命の上に恐ろしい結果をもたらす」


現代人は感情のおもむくままに「頭にきた」「悲しい」「嫌だ」「憎らしい」「困った」「助けてくれ」と
消極的な言葉を使う。
こういう言葉を使う人は「自制心が足らない」という人間ができていない証拠でもある

”できている人は”このような消極的な言葉が現状打破につながらないことを知っているので
決して使わない

人生を楽しく生きようと思うならば、今日一日をお互いの気持ちに勇気を与えるような言葉、喜びを
分かち合う言葉、聞いていて楽しくなるような言葉を使おう