現代医療の不思議な一面
長年医療に携わっていると非常に奇妙な光景を実感できる

医療界に入り立ての頃には当然新米であるから言われるままに立ち振る舞い、勉強もしてきたわけだが
35年以上も患者さんや病気というものを見続けてくると私たち人間は大きな間違いに気付かないのでは
ないでしょうか・・・

人間(生物)としてのあり方を知らず知らずのうちに現代社会の常識という非常識が作り替えてしまい、
病気、医療に対する付き合い方が傲慢になっている 医療で何でも治ると思うことや、医師の所行が
絶対に正しいと勘違いしている 医者だって自分の癌を医学で治せないのである
(竹中文良氏は『医者が癌にかかったとき』のなかで「外科手術は、過ぎたるは及ばざるがごとし」といっている)

病院が病気をつくるという奇妙な一面性をもっている
治療や入院(手術)をすることによってその患者さんの余命を無惨なものにしている現状がある
手術も後遺症や投薬の副作用で苦しむことが非常に多いのです
そんな医療に残りの人生を預けるよりももっと自分らしい生き方をして暮らせた方が自然であり自然死だ

一度診療機関にかかるとなかなか本人の思い通りにさせてはくれない、医師の方針に従わせてしまう
現状です  インフォームドコンセントは十分な説明をして同意を得るということなのだが、日本のそれは
医師が治療方針を説明して了解を得るというスタイルで患者の意思選択をする余地をまったく与えない
現状である

私たち患者はもっと医師に対して強い態度で臨んで良いのである、しようとする治療に納得できなければ
退院なり医者を変えるなり強い態度で自分の命を守ることである
医療に任せきりのあなたのその生き方が良くないのです 自分の命・健康は自分でつくれ!
病院(医師)はこれからまさに死んでしまうという患者をなぜ一人にしてしまうのか・・・??
病室で緩やかにからだが弱っていく時期に家族は廊下に出される、心臓マッサージや注射で心臓を
少しでも長く動かすだけの作業が続く。
    心臓が止まる間際にようやく患者サイドに呼び入れ   『ご臨終です』

こんな死の迎え方が本来の人間の「死に方」「別れ方」ではないはずだ、無駄な治療などせずに見守る
家族と最後の別れを少しでも多くの時間で過ごさせてあげることになぜ努力しないのだろうか。

17世紀のフランス外科医 アンブロワーズ・パレはこう言っている・・・
 「病気を治すことは、時々はできる、病む人の苦しみを和ますことは、しばしばできる、
                        そして病む人の心を慰めることならば、いつでもできる」
    「それなのに、医学はいつでもできることをしばしば放棄して
                      時々しかできない治すことに集中している」

医療はもっともっとできることをやるべきなのに、できないことばかりに没頭している現状は
医療現場にいてとても空しく感じている。
医師が死を受け入れようとする姿勢がないのです、死は必ず訪れるし、安らかな死を迎えさせてあげる
教育をどこかで学ばなければならない。

「頑張って生きましょう」と言うより、優しく死の訪れのお手伝いをして欲しい、心を慰めることを・・・