箴言訓言(しんげん くんげん)
(^_-)-☆ 人生に対して 積極的精神を()つものは
恒に 健康や運命の勝利者となり 
()らざるものは 敗北者となる
この箴言の目的を完全にやり遂げる心身統一の実際方法を知らない人々は、事実においてほとんど大部分と言ってよいほど、このゆるがせにはできない重要なことを案外自覚することなく、貴重な人生に生きている人が残念ながら数において極めて多いのである。
当然、健康で幸運で生きられる万物の霊長たる人間に生まれながら、勿体ないことにその一生を、むしろ健康も運命も恒に思わしくない価値なき状態にして、少しも人生を有意義に生きていないのである。
これというのもつまりは、人生建設の根本はただひとえに精神にありという峻厳なる宇宙真理を、正しく理解していないからである。そして、その種の人は、ややもするとただ肉体に施す方法のみで、有意義な人生が建設できるかのように判断している。
これが極めて軽率な判断である、いかに文化が物質方面にのみ進歩して、一方決しておろそかにしてはならない精神文化がまるで置き去りにされたような状態であるとはいえ、あまりにも精神態度を軽視する人の多いことに呆れざる現状である。

◆健康のためにはできる限り植物性のものを本位とした方がよい、しかし高血圧症のある人がその教え通りに植物食を励行したが一向に血圧が下がらない・・・
これは健康確保のため最も効果のある植物食をしていながら、その一方でやってはいけないことをやっていた。それは絶えず血圧のことを気にて測定をしていた。このことばかりを気にする毎日なのだ、折角理想的なアルカリ性の血液になっても、そのすぐぞばから血圧を気にするという神経過敏な消極精神を心に抱いてしまい、そのよくない精神影響を受けると即座に血圧がたちまち上がってしまうので、積む直ぐそばから崩すと同様なことをしているからだ。
自然良能作用と精神状態がすこぶる密接な関係を持っている事実である。
神経系統の作用に万一不調和が生ずれば、生命エネルギーの収受もまた配分も一切がその調和を欠如してくる。最も理想的な精神態度とは、精神の絶対安定した状態を言うのである。
心の鏡
 自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。鏡は正直である。
ありのままの姿を、ありのままにそこに映し出す。自分のネクタイは曲がっていないと、がんこに言い張る人でも、鏡の前に立てば、その曲直(きょくちょく)は一目瞭然である。だから人は、その誤ちをみとめ、これを直す。
 身なりは鏡で治せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが、けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随処(ずいしょ)にある。

 自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心に繋(つな)がっているのである。
 古(えにしえ)の聖賢(せいけん)は「まず自分の目から梁を取りのけよ」と教えた。もうすこし、周囲をよく見たい。もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として、自分の考え、自分のふるまいの正邪(せいじゃ)が、そこにありのままに映し出されてくるであろう。

根無し草に花は咲かない
信念がなければ人生に花は咲かない

私心なき なぜ
 子どもの心は素直である。だからわからぬことがあればすぐに問う。
 ”なぜ、なぜ”と。
 子どもは一生懸命である。熱心である。だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。考えて納得がゆかなければ、どこまでも問い返す。”なぜ、なぜ”と。

 子どもの心には私心がない。とらわれがない。いいものはいいし、わるいものはわるい。だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。子どもはこうして成長する。”なぜ、なぜ”と問うて、それを教えられて、その答えを素直に自分で考えて、さらに”なぜ”と問いかえして、そして日一日と成長してゆくのである。

 大人もまた同じである。日に新たであるためには、いつも”なぜ”と問わねばならぬ。そしてその答えを、自分でも考え、また他にも教えを求める。素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、”なぜ”と問うタネは随処にある。それを見失って、今日は昨日の如く、明日も今日の如く、十年一日の如き形式に堕した時、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。
 繁栄は、”なぜ”と問うところから生まれてくるのである。
宮本武蔵 「独行道二十一ヶ条」
独行道二十一か条

金峰山西麓の霊巌洞に籠もり「五輪書」や「独行道二十一か条」を著す
武蔵には高弟であり世話人でもある寺尾孫之丞勝信、求馬助信行の兄弟がいた
武蔵62歳亡くなる一週間前、兄弟に「五輪書」「独行道」等を授けている

亡くなる一週間前に書き上げた「独行道二十一ヶ条」の中に「身ひとつに美食をこのまず」とある
生涯にわたり粗食を貫き通した、寛永17年(1640)57歳の時、武蔵は細川忠利公の客分として肥後に移り住む。身分は正式な細川家家臣ではなかったが、七人扶持、合力米十八石を得ることとなった。贅を尽くした藩主忠利公と同じ食事を摂ることが出来たにもかかわらずあえて粗食を貫いた。

戦乱から江戸時代前半には食べることもままならず『腹いっぱい食べたいという人間の習性』
太平の世に遷ると『美味しいものを沢山食べたいという人間の我が儘』
今の時代は好きなように『世界中の美食に酔ってしまう身勝手さ』

その結果が今のあなたの健康状態です
二宮尊徳に学ぶ生き方
遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す。
それ遠きをはかる者は100年のために杉苗を植う、
まして春蒔きて秋実る物においてをや、
ゆえに富裕なり。

近くをはかる者は、春植えて秋実る物をも、
尚、遠しとして植えず。
唯(ただ)眼前の利に迷うて蒔かずしてとり、
植えずして刈り取ることのみ目につく、
故に貧窮する。