最近の新型鳥インフルエンザに脅威を受ける日本国民

年末(2010年)からの鳥インフルエンザ騒動に日本中の養鶏農家がびくびくしている
いつ自分の県に発症するか皆目わからない不安な毎日が続く、報道では宮崎、鹿児島、そして愛知までも殺処分で対処している現状は根本的な方法が見いだせないからだ。

養鶏農家にとっては誠に気の毒で個人的にどうすることもできない、家畜伝染病に関する法律があり限り曖昧な対処ができないし隠蔽も不可能である。
このウィルスは人間に対してどの程度危険なのかもはっきりしていない、ヒトに対しては感染はしないというが難しい。

ではどうすればよいのか現時点ではお手上げ状態、研究者の努力に頼るしかない・・・
人間にとっては死活問題であるが、鳥たちの命はいずれその方法が違っても命がなくなることには早いか遅いかの僅差である。人間とはなんと殺生をする動物なのでしょう。

人間が生きるためだから? 生活するためだから? 私は矛盾を感じ続けている、ひとには言わないが。
私は数年前から牛・豚・鶏の動物蛋白は99.9%食べなくなった(理由は「病気にならない生き方」に記載してあるとおりなのだが)食べなくても死なない、美味しいことは解っている、以前食べていたからだ、しかし美味しいと体にいいこととは全く違うのだ。価格が高騰しても全く影響しないのだが、肉の好きな人には拷問に値する出来事なのかもしれない。

私はこう思う・・・
ヒトも鶏も元を辿れば同じ海の中から這い上がって進化してきた動物、幾多の生存困難な状況も当然あったはずである、しかし今の家禽類は無菌の中で繰り返しくりかえし繁殖を続けてきたひ弱な箱入り娘や息子たちに例えられないだろうか。
無菌の中で育てば当然外敵(新しい病菌)に打ち勝つ遺伝子も持ち合わせていない、過保護な飼育が招いた結果なのではないかと個人的には思っている。

人類が繁栄し続けるには今からでも遅くない、二宮尊徳翁の生き方に学び
遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す。
それ遠きをはかる者は100年のために杉苗を植う、
まして春蒔きて秋実る物においてをや、
ゆえに富裕なり。

近くをはかる者は、春植えて秋実る物をも、
尚、遠しとして植えず。
唯(ただ)眼前の利に迷うて蒔かずしてとり、
植えずして刈り取ることのみ目につく、
故に貧窮する。

病原菌に耐性がもてるような育て方を実践していくべきではないかと思う。
庭先で放し飼いの育て方が本当は一番いいのかもしれない、過度な衛生状態(無菌に近づけること)や薬物(ワクチンや抗生剤)をふんだんに与えた家畜が自然の驚異に対処できないのは語るに及ばないのではないでしょうか。人間の頭で自然の驚異を紐解くことなんかできっこない、もっと自然に対して真摯に生きよう。人類と同じように薬を使い続ければ当然家畜に対しても多剤耐性菌の発生は否定できない。


これより以降の文書は「人新型インフルエンザ」のページに記載したものです。人間も鶏も一緒だと思う。
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たち人間は気の遠くなるほど長い年月をかけて免疫力を獲得してきたのです
新種のインフルエンザに過剰なまでに怯えることはないのです、この場合も自然に即した生き方で対処していけばよいのではないでしょうか

インフルエンザにかかってしまうことを奨励するわけではないのですが、もしかかったら甘んじてそれを受け入れて、その上で養生をしっかりすればリンパ球たちが協力しあって抗体を生産し免疫力を高めてくれます

クスリの開発一辺倒に偏る世相のうろたえはどうしたことでしょう、テレビに映し出されるマスク姿の群衆の光景は一種の異様感をおぼえます
クスリに頼るきる体勢では免疫力をうまく獲得できないのです

無菌状態を一生涯保持することはできないのです、雑菌の中に暮らして雑菌に助けられながら生きているのです、過剰な清潔感はベターではありません
無菌の体内には雑菌はいとも簡単に進入してしまいます

ほかと重複しますが・・・
クスリ⇒交感神経緊張⇒副交感神経支配下のリンパ球の減少
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免疫抑制
この時、発疹、痛み、発熱は患者にとっては不快ですが、治るステップ
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炎症を起こして血流を増やし、発熱してリンパ球を活性化してウィルスと戦う
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この後、リンパ球は増加して炎症は終わり
このような自然治癒のメカニズムがあるのに薬を投与して、治癒が早まったとしても充分な戦いが起こらず治癒になるので、免疫力が高まらず、その後も再発したり、ほかの感染を起こすことが多い
普通のカゼも新種であってもウィルス感染症でひくときは、甘んじてひいて、その後の免疫力の増強を期待した方が理にかなっている
カゼも適切な処置(休息、安静、体温を上げる)すれば必ず治ります
感染⇒鼻水⇒発熱⇒タン⇒治癒
このメカニズムは薬を飲んでも飲まなくても変わることはない