■住まいとは何か

住宅にとっての豊かさとは何でしょう。豪華さや大きさでないことは明らかです。使いやすさ、快適さだけでもないでしょう。一言で言えば社会との積極的な関わりのなかで「生活を充実させること」なのではないでしょうか。住まい手と住宅の、住宅と都市の積極的な関係の中で生き生きとした自由な生活を送ること。そういった生活を実現するための家づくりが求められています。

昔から「住宅とは生活の器である」といわれます。そのまま読めば当たり前の住宅の定義ですが、ここに秘められた意味は、住宅の本質は家を構成する様々な物質にあるのではなく、住まい手の織りなす生活にあるということです。つまり、住宅とは、床とか天井とか壁とかの目に見える構成要素の集合体ではなく、居眠りしたり、食事をしたりとかいう行為の受け皿である、あるいは行為のための状況づくりをする装置である、といえます。

ハウスメーカーの商品化住宅を筆頭に、住宅に個性がありません。100人いれば100通りの生活があり、100通りの家ができるはずなのに、どれも同じ様な顔をしています。外部は世界中どこを探してもみつからない、タイル模様とかののサイディングが貼られています。内部は外から見ただけで大体どういう平面かわかってしまうような、個性のない空間が充填されています。狭い空間にモノが溢れ、家電製品がやたらに充実しています。

このように住宅が奇妙な型にはまってしまうのは、「誰にでもそこそこ不便なく使える住宅を不特定多数の住まい手に供給する」という売り手側の論理で住宅がつくられているからだ、といえないでしょうか。そして、住まい手がその論理を素直受け入れているためにこのような生活感のない、排他的な街並みがどんどん量産されていくと考えられないでしょうか。このような住宅や街並みはは問題はなくても、魅力がありません。そこで活き活きとした生活が送れるとは私にはとても思えないのです。

さて、どうしてこういう状況が生まれるか先ず知らなくてはなりません。 そのためには生産者の立場から住宅を考えてみることも必要になってきます。