過去の相談  アフォーダンスについて

アフォーダンスのまとめ Name:飯塚 豊 Date:2006/03/19(Sun) 22:08 No.863    
marksikame.gif ここのところアフォーダンス関連の書き込みが色々あったのですが、時系列がバラバラになってしまったので、順番に並べておきます。はじめて読む方はここだけ読めば大丈夫です。

まず、川崎H邸御主人から以下の投稿がされました。

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いいづかさんの掲示板、最近閑古鳥状態ですので、施主から投石です。難題ですよ。
【設問】

住んでみて楽しい家の「ありかた」ってナンデスカ(フォ〜)?
※設計者の考え方、そして住まい手の考え方、バトルロイヤルしてみたら面白いかな、ということでの企画投稿であります。


Re: 楽しい家の「ありかた... 飯塚 豊 - 2006/02/02(Thu) 23:11 No.864  

marksikame.gif げげっ。家をつくるのは楽しいけど、住むのはそうでもないなんて良く言われます。「住んで楽しい家」、それは家づくりの究極の目標です。後が続くように、あんまり構えず、思いつくままにに書きますね。まず、一体我々は何を「楽しい」と考えるか。

・朝の目覚めがいい。
・なにかワクワクするような出来事が起こりそうなかんじ。
・自然を身近に感じる開放感。

・例えば外で食事。
・窓際で読書。
・庭でとれた野菜を食べる。
・毎日がなんだかキャンプのよう。

・日々家に手を入れている。今日は〜をつくった。
・居間に合う家具什器を探してきた。選ぶ楽しみ。
・土間で日曜大工。
・家で使う食器を焼く。
・子供達の絵を飾る。
・整理する楽しみ。飾る楽しみ。

・広々してるのでやりたいことができる。
・機能が特定されない曖昧な空間。
・各自がいろんなところで好き勝手なことをしてる。
・でも邪魔されない。

・家族との会話。
・家の中で子供達とサッカー。
・人が良く家に来るようになった。
・近所のづきあいするようになった。
・年中ホームパーティー。

・子供たちが以前より元気になった。
・今まででできなかったことが、可能になった。
・自分の土地、自分の家族という特殊性。
・人の家と違ってる、自分の家だけの何か。
・自分でとことん考えた家

なんてまとまりもなく書き連ねてみると、「住んで楽しい家」というのは、「自由気ままに好き勝手出来る、自分たちだけにあつらえた家」という整理もできますね。

家というものは自由を得るために建てるもの。作り手主導で建てられたコントロール不能な商品群=マンション、建築条件付き宅地、建売住宅なんて絶対も買うべきじゃない。商品化住宅なれの果てが姉歯マンション。家は選ぶ物でも買う物でもない。家は自分で建てるのが究極の姿。自分でつくるのが無理でも、借り物でない「自分のオリジナルなコンセプト」で建てることはできる。設計・施工のプロセスに直接参加する、「参加型の家づくり」。「家づくりのプロセスは基本的に「楽しいもの」である・・・etc、などと丁度下記スレッドで書こうと思っていたところでした。


シーンメイキング 川崎H邸主人 - 2006/02/03(Fri) 21:12 No.865  

marksikame.gif シーンメイキング、いいですね。

施主候補生は、たいてい、まずはこれまでの居住環境の改善を第一に考えてしまうので、部屋数などの堅い機能要件を要望してしまいがちなのですよね(自分もそうでした、、、)

設計者においては、「何が必要?」的なヒアリングシートを用意する方もおられますが、いいづかさんに書いていただいたように「これがしたい」「こう住みたい」という希望から計画の要件を選択していけば、「住んで楽しい家」実現できそうですね(予算の想定範囲内ではありますが)。


Re: 楽しい家の「ありかた... 飯塚 豊 - 2006/02/05(Sun) 23:02 No.866  

marksikame.gif 「家は建つ!」という施主必読本があるのですが、その中で宮脇壇さんが辛辣なことを色々しゃべってます。この本は買おうと思ってもそう簡単に買えないという話なので大幅に引用します。

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・・・うちに設計を頼みに来た人に「どんな家が欲しいですか」と聞くと、「14畳のリビングと八畳の寝室と六畳の子供部屋とシステムキッチンと・・・」と必ずモノしか言わない。「私たちはこんな生活がしたい」とは誰も言わない。・・・

・・・日本人は、全員が同じモノを共有して安心する農民的な性格がありますから、主婦たちは隣の家と同じリビングやダイニングを欲しがるんです。隣が12畳のリビングなら、うちも12畳のリビング、隣がじゅうたん敷きならうちもじゅうたん敷きが欲しい。「そこで何をするんですか?」というと、「そんなこと考えてもいなかった」っておっしゃる。・・・

・・・日本人は「モノ幻想」に寄りかかりすぎて、具体的な生活のリアルな現実を認めないという傾向が、とても強いんですね。・・・

・・・家の中のモノですら、かわいいという理由で主婦たちは買うんですから。僕たちが設計した家でも、住んでいる所にいくと無惨ですよ。写真を撮るときは隠して撮るからいいけど、我々が帰ったあとは、デーっと花模様のクロスなんかが広げられる。主婦が持ってる教養の中で、住についての教養は全く皆無ですからね。・・・

・・・結局、家を造ってその中で住もうというのか目的じゃなくて、造ることだけが目的で、住まうことが欠落したまま家を造りますからね。・・・

・・・家族にとって一番大事なのは、一緒に飯を食うことだ、と思ったのね・・・

・・・以前に私が教えていた女子大の家政学部の卒論で、日本の台所を学生とまとめたことがありました。ダイニングに大テーブルを置いたら、食事以外の時も誰もそこから動かないということがわかって、実際にそういう家を設計してきました。日本人はダイニングより、リビングの方が大事だと刷り込まれているだけ。食事をするダイニングが重要なわりに、大事にされていないんです。

・・・よくお施主さんに「リビングなんて必要ないですよ」って言うんだけど、「でも!」って口を揃えて言いますね。だから、リビングも子供部屋も造ってあげていますけど。「あとで後悔しますよ」と言ってるけど、全員後悔してますね。

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15年位前の本なので、絨毯のくだりなど何となく時代を感じますが、モノ幻想自体は何も変わってない感じがしますね。ただ、建てた後のこと考えようと思っても、なかなか考えられるものじゃない。で、どうするかとなるんですが、石山修武さんが雑誌「室内」(だったかな?)に書いていた方法がいいんじゃないかと思います。

「余命1年だったら自分はどんな家に住みたいか」

ということを考えるのだそうです。確かにそうすれば、家族との関係、自然との関係、そういうった本質的な部分が浮かび上がってくる感じがしますよね。施主候補生のみなさんお試しを。それでもシステムキッチンが欲しいなんていうのかな(笑)。


Re: 楽しい家の「ありかた... タイガーマスク - 2006/02/06(Mon) 11:06 No.867  

marksikame.gif 私は毎朝この掲示板を何か参考になるものは?とチェックしています
なのでこのご提案はとても嬉しく毎朝が楽しくなりました
ありがとうございます


Re: 楽しい家の「ありかた... 川崎H邸主人 - 2006/02/06(Mon) 22:47 No.868  

marksikame.gif 計画中は、システムキッチンありきと考えながながら、結果、大工工事のキッチンとなってしまった施主であります(集成材の変形以外は、問題なく使いやすいです)。

さて、リビング(居間)の定義は、入居後、不要かな、と感じてます。

確かに、住んでみたら、いつも食卓の周りに家族集まってます。ウチは、インナーデッキという付加機能もあるのでなおさらですか。


「ソファ」はあこがれでした。欲しいモノありました。居間に置くつもりでした。

でも、住んでみたら、

こんな、http://yaplog.jp/rahaha/archive/232 有様ですし、施主も多目的スペースとばかり、こんな使い方http://yaplog.jp/rahaha/archive/245 しちゃったりしてます。

まぁ、居間にTVを置かない(方向付けなかった)ことによるのかな。

でも何かよくわからないのに楽しい。使える。
(カミさんお気に入りの何も無い空間)

こんな不特定=多目的な特殊解を設けておくことも、楽しい住宅の考え方だったりして(nLDK神話、もはや崩壊ですね)


Re: 楽しい家の「ありかた... ひみつのさか - 2006/02/09(Thu) 02:28 No.869  

marksikame.gif 初めまして.施主候補生(内定)です.

既に土地の契約を済ませ,設計の依頼先も決まりかけており,もうすぐここで質問を投げられない立場になってしまいますが,飯塚さんのHPには以前から色々と勉強させて頂いておりますので,感謝の意も込めて初書き込みさせて頂きます.

飯塚さんの合理的な考え方や,設計される空間にはとても共感を覚えるところでして,お陰様で,ありきたりな建て売りやハウスメーカーという選択肢をすっぱり忘れ,自分の要望を声高に唱えながらの家作りをする決心がつきました.有難うございます.

スレッド主の川崎H邸主人さんがバトルロイヤル(ディスカッション?)を望んでおられるようですので,本スレッドの流れで少し疑問に感じられた点を指摘したいと思います.

まず,自分は飯塚さんの引用された文章の,花模様のクロスのくだりにはあまり共感を覚えませんでした.
まるで,「要望に沿うように設計してあげたのに台無しにしないで」という設計者のエゴイズムのようにも受け取れますし,主婦の教養(≒センス?)に対する軽蔑か偏見のようなものも感じ,なんか設計者と施主の歩み寄りが足りないことが残念で….

オーダーメイドは素晴らしい,未完成住宅は理想的,…なのですが,子供の成長に合わせて間取り変更をするにも,リフレッシュのための模様替えをするにも,(それこそ主婦の趣味で「かわいい」と思った)既製のインテリアや小物がことごとく似合わない空間になってしまったら,それはそれで問題なんじゃないですか?
全てがキレイにまとめられていなくても,好きなものに囲まれていれば幸せ,ってヒトも多いんじゃないかと思いませんか?

以前に飯塚さんも,本格的な「木の家」に住もうとすると安普請の家具が全て場違いに見えてしまうような問題点を指摘されていましたが,似たような話に見えます.

プロフェッショナルと違って経験もボキャブラリィも少ない施主は,住まい方への精一杯の要望を込めて,例えば間取りや雰囲気を主張するのでしょうから,設計者側にはその辺を優しく紐解いて,設計に盛り込んでいくスキルを期待したいのですが.
(飯塚さんは,そういったヒアリングの部分で施主から信頼を得ているようですので,問題無いのでしょうけど.)

簡単にまとめれば,上記の例では設計者は施主の趣味を理解し,花柄のクロスなんかも似合う家を設計するべきだったのではないか,と感じたわけですが,如何でしょうか.

…ああ,新参者がいきなり生意気言ってスミマセン.
上記が極論だという自覚はありますので,「この屁理屈マンめ」と断じずに,他の皆さんのご意見もお聞かせ頂けると参考になり幸いです.

飯塚さんが件の一文を抜粋した意図も,是非伺いたいと思います.


Re: 楽しい家の「ありかた... H邸主人 - 2006/02/11(Sat) 10:33 No.870  

marksikame.gif

施主責任

設計者選び、まずは家づくりの第一関門ですね。

我家プロジェクトは、いいづかさんに決めるまで、およそ10数人もの設計者のオープンハウスや訪問など経て、評価・決定しており ます。

施主候補生におかれましては、「家づくり」について様々な想いを巡らしていることは必定。
以下、少々手厳しい返答かな?と恐縮ではありますが、我家プロジェクトにおける施主の本音をご紹介。


@プロフェッショナルと違って経験もボキャブラリィも少ない施主は,住まい方への精一杯の要望を込めて,例えば間取りや雰囲気を主張するのでしょうから,設計者側にはその辺を優しく紐解いて,設計に盛り込んでいくスキルを期待したいのですが.

Q)こんな感じかな(定性的な感覚)で設計者に問題解決求めても、難しいと考えます。むしろ。「こうしたい要望」があるのであれば、それを実現できる設計者を選ぶ(見極める)ことは、施主責任と考えます。


A花模様のクロス

それを採用したければ、それを得意とする方にご依頼してみては、いかがと考えます。

設計者は、個々それなりのデザインテイストをお持ちです。

その考え方が適正かどうかはともかく、ご自分のデザインテイストに適正な設計者を選択することも「施主責任」と考えます。

※「オールマイティ」で楽しい住宅の作りかた、あるのであればご教示ください。



Re: 楽しい家の「ありかた... 飯塚 豊 - 2006/02/13(Mon) 14:36 No.871  

marksikame.gif 本題からはそれますが、一応フォローしておきますと

宮脇壇(みやわきまゆみ)。1936〜1998。生涯にわたって住宅の設計を中心に活動。著書、「それでも住みたい家」など多数。「モダンリビング」「住宅作家」という言葉を聞けば、同氏を連想。生活を見据えた手厚い設計をすることで知られる。鈴木恂、東孝光、相田武文、竹山実などと共に、世代を代表する建築家のひとり。

引用した主旨は、生涯にわたって、百を超える住宅を設計し続けた宮脇さんの言葉の重みを感じたからです(特に、「家族にとって一番大事なのは、一緒に飯を食うことだ、と思ったのね」のくだり。まあ、テーブルクロスの話は多くの設計者が感じる本音のひとつでしょう)。宮脇さんが最も大切なものと考える、おそらく特別にあつらえたであろう食卓に、日常の掃除のしやすさを優先して(おそらくビニールの)花柄のテーブルクロスを敷くという行為は、何十回と打ち合わせを重ねながら、設計者の思想をいっさい理解しておらず、どちらかといえば、自分の家なんだから自分の好きなようにするという、住まい手のエゴを感じるんですよ。ひみつのさかさんとは反対に。

宮脇さんは巨匠ですから作家としてのテイストもビジョンもはっきり確立してますね。同氏に高額な設計料を支払ってまで(当時同氏の設計料は工事費の20%前後)それを生かせない使い方をするなら、それは非常に不経済だし、また、同氏に頼むんだったらもう少し勉強しなさいよって思います。だけど、住んでいる本人はおそらく設計に満足してるはずで、上記の話は、設計者からみると、設計の意図とは違った嘆かわしい住まい方をしているということだけで、このケースについてだけ言うと別に花柄を前提に設計する必要性までは感じません。

さて、ひみつのさかさんの仰る主旨はそういうのではないことは分かってます。揚げ足とりはこのくらいにして、少し前向きに話を進めましょう。住宅に限らず、建築の世界では、建てた後のことって、ほとんど問題にされていなかったんです。建てた後、無惨な状態になる建築って沢山あって、それについて考えるというのは非常に今日的なテーマです。

>子供の成長に合わせて間取り変更をするにも,リフレッシュのための模様替えをするにも,(それこそ主婦の趣味で「かわいい」と思った)既製のインテリアや小物がことごとく似合わない空間になってしまったら,それはそれで問題なんじゃないですか?

全く仰る通り。そのため川崎H邸御主人とは、備品の全リストを作成し、本当に必要なものを精査しましたし、将来の間取り変更でも空間の魅力が失われないような、強力な骨格を用意しました。もっとも、御主人の仕事では、センスに関する問題は一切ありませんでしたし、Hさん一家はみな整理上手ですが、仮に住まい手が悪趣味であったり整理下手だったりしても、その辺をすべてひっくるめて設計の条件とするべきだとは思います。そういうのは新居でもどうせ変わりませんからね。では、全部、そういった施主の要望なり、機能的な住まい方なりをトレースすればいいかっていうと、それも違うのですよ。「住んで楽しい家」というのは、ある種、施主の想像も設計者の想像も及ばないところにあるんだろうと思いますから。

敷地と、住まい手のキャラクターの冷静な読み込みがあって、それがもっとも生かされるような建て方がある。住みこなすには、ちょっとした工夫が必要になるかもしれません。建築主にはそういう(ある種突飛な)設計者の提案を受け入れるだけの柔軟性、想像力が要求されますね。花柄のテーブルクロス問題など、ランチョンマット使うなり、後で手を入れられる塗装にするなり、住まい方の工夫で解決できますよね。そんなことで手間取ってると、家はどんどんつまらない方向に行っちゃいます。面白い提案には少し悪のりしてみるのも大事。

住宅がオーダーメードがいいのはみんな分かってるんですが、「オーダーの仕方」を誰も知らないんですよね。技術論なんて掲示板で語っても、あんまり役に立たないと思うけど、こういう話は語るべき共通の話題になり得ると思うのですよ。この掲示板はそういうことで盛り上がって欲しいなあ。


Re: 楽しい家の「ありかた... ひみつのさか - 2006/02/27(Mon) 02:52 No.872  

marksikame.gif 川崎H邸主人さん,飯塚さん,ご丁寧な回答を頂いて有難うございました.
出張やら残業やら,ちょっと忙しくてお返事が遅くなってしまい,申し訳ありませんでした.

…ってのは言い訳でして,難しい話題に噛み付いたばっかりに,頂いた回答をどのように咀嚼して良いのか悩んでいる時間がイチバン長かったのですが.

>川崎H邸主人さん

「施主責任」ってのは,確かに手厳しいお言葉ですが,きっと家造りの先輩としての実感が込められているのでしょうね.

オーダーメイドとオールマイティは,自分の中では相反するように受け取れますので,申し訳ありませんがご質問への上手い回答は見付かりません.
花柄のクロスの件では,施主が悪いとも設計者が悪いとも思わないのですが,相互理解(歩み寄り)が足りない例じゃないかと感じただけです.

現時点で実感しているのは,設計者選びの難しさといい,住宅ローンの対応の渋さといい,「土地買って家を建てる」というヒトに対してハードルが高いということです.
たくさん勉強しないと家造りを楽しめない,という雰囲気を感じたのか,時々妻がウンザリ顔をするので困ります.

>飯塚さん

引用元が住宅設計の巨匠とは知らず,失礼な発言をしてしまったようで済みません.
検索をしたら,興味深い記述がたくさんヒットして,非常に勉強になりました.
機会があれば著書も探してみようかと思います.

自分はクルマ弄りが好きで,「ガレージが欲しい」というワリと安易な理由から家造りを思い立ちましたが,いざ探してみると,建て売りにもハウスメーカーにも魅力を感じない(そこで生活する自分が想像出来ない)ため,融通の利く設計者を探すように方針が固まりました.

オーダーの仕方なんて,あまり考えたことが無かったですけど,間取りやら設備やらの用件でガチガチに固めてしまわず,なるべく設計者の提案にも耳を傾けるように留意してみます.

ところで,楽しい家をイメージしながら造るのに,住んだらそうでもないというのは,理想と現実のギャップ(イメージの膨らみ過ぎ)なのでしょうか?
あんまり容器(家)を崇高にしてしまうと,中身(住まい手)の肩にも力が入っちゃうような気がするので,雑誌に載るようなシンプルモダン住宅は苦手なんです.



Re: 実験中仮公開 ひみつのさか - 2006/02/27(Mon) 02:57 No.873  

marksikame.gif レスが長大なスレッドで押し下げてしまったので,引き上げておきますね.
ブログも拝見しましたが,モジュールの下りなど素数で割るという表現・発想が,とても数学的で面白いです


長レス失礼 鎌倉Y邸主人j - 2006/02/28(Tue) 13:00 No.874  

marksikame.gif ひみつのさかさん引き上げありがとうございます。H邸ご主人の呼びかけに応じて参加して盛り上げようとずっと思ってたのですが、出遅れて「この位置に書いても誰も読まないか」と躊躇してました。

いいづかさんの最初の書き込み読んで「こんなにいっぱい答え書いたら(しかも反論の余地がなさそうなのを)キャッチボールできないじゃないか」と思い、あえて命題へのヘソマガリなアンチテーゼを提示して議論を盛り上げようかと考えていました。その方向性は以下のとおり。

自分の家だから「施主主体の」「楽しい家」を求めるのは施主の当然の要求。王侯貴族のパトロネージュじゃないんだから、芸術家の「作品」を作られても困っちゃいます。「こういうものは置かないでほしい」を排除していくと、パジャマでゴロゴロするのが好きな私などは真っ先に排除されたりして(笑)。

しかし、自宅だからといって、すべてのベクトルが「住まい手主導」「自由で」「楽しい」「ラクだ」という反論無用の方向に寄りすぎてもつまらないんじゃないでしょうか。クローゼットの中身がジャージとジーンズだけになるとラクですが、着るのに覚悟が要るようなスクエアなスーツがないと楽しくないのでは。住宅にも、(苦痛を伴うけれど)住人が居ずまいを正さなければならないような要素があってもいいのではないでしょうか。住宅が住人のレベルに擦り寄るのではなく、「ここに居たいならこのレベルまで来い」というようなものがあって、「住人がその場にふさわしい人間になるために(肩に力を入れて)居住まいを正す」というような要素のある家も「ラク」とは別の意味で「楽しい」のではないでしょうか(以前訪問した京町家には「子どもが入ってはいけない特別な客間」があり、空気がピリッとしていい感じでした)。

クルマにたとえれば「全然壊れなくて心踊ることもなく、それを買えば一生クルマのことを考えなくてもいいようなクルマ」は、はたして「楽しいクルマ」といえるのだろうか、ということです。建ててしまったらもう家のことは死ぬまで何も考えたくない、と思う人がいるのも理解しますが、すまいがそんな空気みたいなものになってしまったら、天文学的借金という重い現実だけが残るのではないでしょうか。(アイタタ。忘れようとしているのに思い出した。)「楽しい家をイメージしながら造るのに,住んだらそうでもない」というのは、理想と現実のギャップ以外にも、そういう「すまいの無意識化」からくることもあるのではないでしょうか。

「あんまり容器(家)を崇高にしてしまうと,中身(住まい手)の 肩にも力が入っちゃうような気がするので、雑誌に載るようなシ ンプルモダン住宅は苦手なんです。」

よくわかります。きっとひみつのさかさんは、自分が家から何かを感受して自分と自分の生活が変化するであろうということ(アフォーダンス?)を予感されているんだと思いますが、そういう方はどんな家にも楽しく住まわれるのではないでしょうか。すでに上手なオーダーメイドをしておられるようですし。ご成功とエンジョイをお祈りします。奥様も含め(笑)。

いいづかさんに倣い、書物を紹介します。

『話を聞く技術!』(永江朗・新潮社)
帯には「『話を聞く達人』10人が教える『話を聞く技術!』」とあります。田原総一郎、黒柳徹子氏らの中に、建築家石山修武氏のインタビューがあり、なかなか興味深いです。(以下引用)
「結局あなたまかせの商売だから。銀座のおねえさん以上の心遣いをしますよ」
「彼ら(クライアント)は中途半端に知っている。知りすぎている。」
「『自分はこれしかお金がないし、これ以上住宅にかけるのはいやだ』という言いかたをする人は、非常にいいものを手にすると思いますよ。でも『なんかこういう趣味のもので、こういう感じのデザインで、なんかそういうことができれば予算も増やしていけます』みたいなことを言う人が危ないんだなあ、これが。」
 
石山氏以外の「達人」の言説も含めて、施主候補生と建築家のみなさんにおすすめします。立ち読みでいいかな(笑)。

『週刊SPA!』(3月7日号・扶桑社)
「使えるニュース用語&常套句 深読み辞典」という企画の「建設業界編」というところに、このBBSでおなじみの森山高至さんが登場されています。ご尊顔も掲載(笑)。建築版『悪魔の辞典』みたいな企画です。イッパツ企画ではもったいないので、いいづかさんがあとを引きついで、続編をお書きになってはどうでしょう。あるいはいいづかHPの新企画として森山さんに連載を依頼するとか(勝手に決めてる)。


Re: 長レス失礼 bonpata - 2006/03/03(Fri) 09:11 No.875  

marksikame.gif 鎌倉Y邸主人j さま。
ひみつのさかさま。
H邸ご主人さま。スレッドが立ってから、自分に問いかけられているようで、あれこれ考えながらきたのですが、なんにもまとまりませんでした。が、鎌倉Y邸主人j さまのレスの中で、「アフォーダンス」というタームが出てきて、ポンと膝を打ちました。これだ、これこれ。
住宅設計に(へっぽこ)施主として関わりを持って、ずっともやもやしていたのは、完全注文建築だ、何もかも自分で選べるぞ、自分の夢を形に!というですね、スローガンのような呪文のようなことば。自分で自分をしばっていたようにも思います。これって、自分達のイメージの中に、かくありたい、かくあるべしという住宅の「表象」が、既にあって、あるいはで「設計」のプロセスで、それを煮詰めて「表象」を作り上げて、それを図面に落とし込む。ってことですよね。つまり、設計図の中に自分達の暮らしを落とし込む。「理想的な暮らし」が、建築に「先行」して既に頭の中だったり、その精細な表現としての「設計図」に存在しているという考え方。すると、不安になります。私たちへっぽこ施主は、本当に自分達の暮らしぶりのポイントを建築家に伝えて、いい「表象」を作ることに成功しているだろうか?なんせ私たちの「表象」が住宅という具体物を完全に決定するのだから、その表象にはより高い完全性が求められてくる。というですね、アホな不安に駆られることもあります。
で、目からうろこだったのが、「アフォーダンス」でした。状況が、さまざまな生き物のさまざまな行為、思考、情報処理を(特定の関数に従って)規定していく。状況に埋め込まれた、人間の行為や思考を規定するシステムをアフォーダンスという。(というのが私の拙い理解なのですが)そこに壁が作ってあるから、私たちはその向こう側とこっち側を別の空間として分節する。という当たり前のようなこと。これは、空間を二つに分けたいからここには壁があるべきだ、というのと逆の説明なんですね。90年代のアフォーダンスブームで、アフォーダンス派(状況論)の人たちが、散々に批判したのが、私が最初にあげた「表象」によって人は自分たちの行為や判断を形作っているという「表象主義」でした。設計図に自分たちの暮らしぶりを、原理的には完全に描き込めるのか?住宅というフレームが、そこに暮らそうとする人間の暮らしを創造的に生成するのか。認知科学で巻き起こったこの論争を、ここでのすんで楽しい住宅の議論に置き換えてみました。

川崎H邸主人さまのブログを読んでいて、薄々思っていたことなんですが、たとえば、インナーデッキについての記事がたくさん出てきて、それは建築中からも出てきて、あれなんか、典型的に住まい手が、家の中に設えられた出っ張りに「アフォード」されて、おむつ替えの台や、腰掛けや、飾り棚や……さまざまな用途が、つまり暮らしが多様に生成されていく典型的な事例なんじゃないか。はじめから、この出っ張りは、おむつ交換の場所としてデザインしましたなんてことはない。そんな表象はなかった。そこに住まい手が触れた瞬間。住まい手と住宅とのある関係が生成されて、それがおむつだった。
シーンメーキングという飯塚さんのことばの意味が、私なりに、勝手にですが、見えてきたように思います。シーンは作り込めない。いろんなシーンがアフォードされるように、均質な空間に、意匠家としてちょっと変異やゆがみを加えていく。連続を断絶する、逆に不連続であるはずのものを連続させていく。それが何を意味するかは、住まい手の住まう行為を待って、そこで生成される。住まうプロセスがまだまだ営々とつづく住宅デザインのプロセスってことになるわけで、こう考えると、住宅のデザインって、めちゃくちゃ面白いじゃないですか。
ぜんぜん整理のついていない頭でっかちのことばの羅列すみません。このスレッドの言説に「アフォード」されてしまったので(笑)。超長レス、本当にすみません。


Re: 長レス失礼 鎌倉Y邸主人 - 2006/03/03(Fri) 17:17 No.876  

marksikame.gif bonpataさん、見事な解説ありがとうございました。いやー、アフォーダンス、そういう意味だったのかあ(笑)。(鎌倉Y邸主人jの「j」はタイプミスです。)

以前、いいづかさんに「自分は、家とヒトに関するいろんなことがアフォーダンスで整理がついた。ただしそれを文章にすると本1冊分くらいの分量になるので書きません」とメールしたことがあります。わかったようなわからないような、でも、ポンと膝を打たせてくれる要素をもつ、便利な言葉です。

「自分らしい」「自分にあった」「思いのままの」なんてことを過剰に意識すると「僕って何?」なーんて自分探しの苦悩が始まったりして楽しくないんじゃないの? あえて思いのままにならない「他に規定される自分(それが堅苦しいことであっても)」を見つけてそんなアフォードされてしまった自分を楽しんでもいいんじゃないか、ということが言いたかったのです。全部自分の注文どおりの、理屈でわかってることだけじゃなくて、住んでみてから予想もつかないようなところがあって、「一体この家は自分をどこまで連れてってくれるんだろう」などと思えたら、それはそれで楽しいと思いませんか。

建築家は建築家で確信犯的にアフォーダンスを仕掛けてるので、

http://www8.plala.or.jp/yutaka-i/iplusi/kosigayasyasin/0700.htm

ある日、思わず「ナゾの出っ張り」でオムツ替えたり腰掛けてる(アフォードされてる)自分に気付いて「あんにゃろー、やりゃーがったな」(←私はこんなにガラ悪くありませんが)と苦笑するような、楽しいアフォーダンス。どーです、語感もフォークダンスと似てるし、楽しくなってきたでしょう。

でも、これまた急に「アフォーダンスとは認知科学の造語で〜、ギブソンが言うには〜」などと奥さんにアツく語ったりしたらドン引きされることうけ合いなので、ひみつのさかさんはご注意ください(笑)。


Re: 長レス失礼 いいづか - 2006/03/05(Sun) 03:09 No.877  

marksikame.gif 言葉の専門家同士の空中戦。重要な単語が機関銃のようにこんなにポンポン飛び出してくると、後につづくの大変だから、管理者が責任もって書き込みします。

まず、アフォーダンスという言葉を少し理解しないといけませんね。まず、非常にわかりやすい例として、プロダクトデザインなどの世界で、文字で表記しなくても使い手が使い方を了解できるという風な意味で、また、「行動を促す形」みたいな意味でよく使われているようです。
http://usability.novas.co.jp/glossary_01.html
でも、ホントはアフォーダンスはbonpataさんの仰るように、認知科学や哲学と密接に結びつくもっと広い概念のようです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nitti/kaken/3/affodance.html
 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1079.html
 
しかし、あんまり観念的な世界にどっぷり浸かってしまうと、手も思考も止まってしまいます。もうちょっとわかりやすい説明ないのかしら、と思っていたら、いいのみつけました。1本の鉛筆があったとき、文字を書くか、背中を掻くかという、ダジャレ混じりのわかりやすい喩え。
http://www.htokai.ac.jp/SFA/da/tkhr/lecture/kuko/term/affordance.htm

で、正確な理解を欠いたまま、このわかりやすい例で考えを進めてしまいます。建築の世界に置き換えれば、合理的で使いやすいデザインを追求して、単一の機能を強化していった、合理主義、機能主義の考え方は、アフォーダンスの考え方と対局にあることになります。まっとうな普通の建築主さんは、理想の住まいを求めて、基本的に使い勝手のことをアレコレ仰る。やればやるほど至れり尽くせりになっていくわけですが、建築は、機械のように、機能と形態が一対一で対応するモノではありませんから、単一の機能にしか対応しない作り方っていうのは、住まい手の活動を逆に拘束してしまうのですね。先入観にとらわれて、文字を書くための鉛筆を一生懸命つくってしまい、もはや背中がかけない状態になっているわけです。

この状況論(でいいのかな?)対機能論の構図は、、ちょうどトランプ、砂場、あやとり、折り紙などの自分で考えながら楽しむ遊びと、ファミコンのようなすでにストーリーが決まったゲームとを、比較するときの気分に似ています。青木淳さんは、これを「原っぱと遊園地」という見事な例えで語ってますね。発見の喜びや使い方の可能性がある家というのが、住んで楽しい家だとすると、あまり押しつけがましいのは自由な活動が促されません。宮脇さんのつくりかたなんかは、どちらかといえば、至れり尽くせり系で、ひみつのさかさんが直感的にシンプルモダンを嫌うのも、後で自分が手を入れる余地が残されていないような=アフォードされない状態をそこに感じてしまうからではないですか。

インナーデッキのような空間を、もう少し一般的にいうと、縁側、土間、露地、回廊、中庭、深い軒といったものがあてはまりそうです。いわゆる古典的な「住居」が持っていた質ですね。もともとそういうものは単なる通行とか、雨よけとか、弱い機能しか与えられていないのですが、でもその空間が作り出す状況にアフォードされて、回廊のなかにカフェができたりするわけです。どうもデザインするポイントは、実体の方でなく、そのあたりの状況づくりにあるんじゃないか。bonpataさんの柿食えばハウスで言えば、きっとお寺側の作り方が重要なわけですね。

では、普通の3LDKの住宅を、余計な一切の先入観なしにながめたらどうなのか?3つの個室は単なる壁に囲まれた単位でしかありませんから、特定の機能を持つわけではありません。それだっていろんな使い方ができるのではないか。実際、私は、3LDKの団地の3つの個室を、すべて家族共用の、就寝室、衣装室、図書室というように分けて使っていたことがあって、それはそれでなかなか機能的で、発見的な使い方でした。でも、やはり家の全体で眺めると、3LDKはプライバシーの確保という単一の機能を追求したモデルであるが故に、そこにどうしてもパブリックが狭いといった、不自由な部分が残ってしまいます。

さて、私の場合、頭より先に手が動いてしまうのですが、ついつい床をスキップさせてしまうのは、どうも床をずらすことで、家の真ん中に、縁側をつくろうとしているような気もしますし、個室の機能を、わざわざ独房みたいなプライベートとセミパブリックに分解し、セミパブリックを開放的につくったりするのは、どうも家の中にカフェをつくるような気分でやっている気もします。その他もろもろ、実はアフォーダンスという言葉で全部説明可能なのかと今更ながら思いました。


Re: 長レス失礼 飯塚 豊 - 2006/03/06(Mon) 14:42 No.878  

marksikame.gif bonpataさんの関連ブログ記事、「アフォードされる家」はこちら(bonpataさん、リンクありがとうございます)。http://air.ap.teacup.com/bonpata/392.html 。bonpata邸の建築計画の全貌は下記リンクから。↓http://air.ap.teacup.com/applet/bonpata/msgcate6/archive
あり得ない敷地です。必見。


家づくり、楽しくなってき... 川崎H邸主人 - 2006/03/07(Tue) 00:16 No.879  

marksikame.gif 「楽しい家のありかた」のネタ振り本人ながら、皆さんの激しく、かつ有意義な議論に、もはや追いついていけない状態です(スミマセン)。


正直言えば、当初、自分は機能優先で家づくりを始めました。


当時、機能要件をいかに美しく計画することが「デザイン」の本道であると確信してました(職業柄?)。

という観念でありましたので、計画中は個室要望など、たくさん要求していたりします。

定例的な設計打合せでは、いいづかさんとは(手書き図面の応酬など)、たくさん戦いました(よネ?)。


「アフォーダンス」ですか、、、スゴイ。
こんなこと知ってて、家づくりに取り組める施主なんて皆無では(知ってればまた別の方向性にも取り組めたのかな?)。

でも、今思えば設計打合せで、これを提案されていたのですね?


なるほど、このような貴重な議論を施主が理解できる環境があれば、家づくりのソフト面ににおいて、「設計者」ではなく「建築家」が存在する意義が納得できるのかもしれません。


そういう意味では、「住まい手の立場から住宅を考える」を何回も拝見し、その考え方に魅かれて、設計をお願いしたことは正解だったのかな。


入居して、ウチの5歳の長女は、この「おうち」がとても楽しいと、しつこいくらいに、言います。

彼女は、これまで家づくりについての一年半、父親や母親とたくさん遊びたい年頃なのに、家、家、家で我慢させすぎました。


それでも、

「お父さんとお母さんといつもお話しできるし(これは想定内)、(トリノの金メダル真似て)家の中でダンスできるし(イナバウアーですか、これも想定外)、お庭で自転車乗れるし(これも意外と想定外)、一番楽しいのはインナーデッキでお絵かきしながら、お父さん、お母さんとお話しできること(これも想定外)」と想定外ばかりです。

これが「アフォーダンス」の真意なのかな? 

住んでみて、定性的な住まい手の実感なのですが、予想外の「楽しい」を感じ続けていられることは、これも「楽しい家のありかた」なのでしょうか。


Re: 家づくり、楽しくなっ... 飯塚 豊 - 2006/03/10(Fri) 14:46 No.880  

marksikame.gif その後の展開。

H邸御主人のブログ。写真で見ると一目瞭然です。
http://yaplog.jp/rahaha/archive/270

さらにH邸御主人のブログでは、アフォーダンス応用編、植栽計画。(たくさんの書き込みがあるのでコメント欄もみてください)
http://yaplog.jp/rahaha/archive/269

先のbonpataさんのブログに飯塚、必死でコメント。
http://air.ap.teacup.com/bonpata/392.html

「アフォーダンスはつづくよどこまでも」(笑) でbonpataさん、再び本気モードで熱い解説。建築と教育の類似性にも言及。
http://air.ap.teacup.com/bonpata/395.html

実にインタラクティブで面白いです。飯塚、頭の中を整理してから書き込みます。(単なる時間稼ぎですが)




Re: アフォーダンスのまと... 森山 - 2006/03/22(Wed) 18:50 No.908  

marksikame.gif 鎌倉Y邸主人さま、いいづかさま、ぼんぽたさま、みなさま
え〜っと、ちょっと前から面白いレス立ったなあと思っていましたが、遂にアフォーダンスに到達されていたとは・・驚きです。
そうなのです、建築においてアフォーダンス理論は非常に理解しやすい、建築家と施主にとって便利な道具です。いいづか氏のおっしゃるとおり、機能から状況へ、ということで道具から場へ、ということになる。僕はそれに加えて天文学的な資金や返済期間などともいった経済性云々をも超えられる要素としてやはりなんらかの象徴性が建物には必要だと思っているのです。短絡的に象徴=権力、なんていう風に取られると困るのですが、まあ何百年も経過してもいまだに多くの人々に感動を与える空間といったたぐいのものです。それが必ずしも住宅にまで必要とは思いませんが、その要素のまったくない「家」というのもありえないと思っているのです。いわゆる「デザイン」とは違います。「ゲージツ」とも違うなあ、う〜ん時に芸術とか言ったりもするものですね。
それを共有するというか物件ごとにつくり出す遊びみたいなツールとして「アーキタロット」というものを造ってみたんですね。
http://www.ars-nova.co.jp/criticism/architarot/archita1.htm
これは、象徴的なエレメントカード「火」「水」「石」と「梁」「柱」といったアーキカードと「燃える」「叫ぶ」とか「鋭い」とかいった質的カードを取出して、計画時に占いみたいに使ってみる。
たとえば、スプレッドトリニティーで3枚カードを引いたときに、
「泣く、柱、石」の家
なんていう組み合わせができるわけです。
どうです?みなさんの脳内に今まで見たことないような家が、空間が、今この場で現前したでしょう?
その「像」は僕とあなたできっと同じ部分もあるし違う部分もある。それをですね探す作業=家の設計とするわけです。
機能も満たしつつ生活がアフォードされる部位持ちながら、人間の行動とか生活だけでは決して括ることのできない、ある象徴を持った家、「泣く柱の石の家」、もしくは「石が泣いている柱の家」もしくは「石の柱が号泣している家」といった「家」ができたなら面白いでしょう?
これでね、設計者にとっても施主にとっても、未見の領域を作り出すことができる。上位者ではないけど超越的概念を投入することができる。住宅なのにね。
計画レベルのサイバネティクス、あるいは住宅のミーム、もしくは建築ウィルスというわけです。

連句における発句のようなものかもしれません。

SPA!の記事のご紹介ありがとうございます。
実際掲載の5倍くらいの量を書いてみたんですけどね


Re: アフォーダンスのまと... bonpata - 2006/03/22(Wed) 18:52 No.909  

marksikame.gif 森山様。bonpataでございます。『ぽたぽた』という三木卓の素敵な児童文学がありますが、私のHNは、【大木凡人】+【パタリロ】(似ているそうです)から来ております。魔界の扉が開いて、建築界の重鎮、論客が光臨……。泡を吹いています。

さて、アーキタロット。めちゃくちゃ面白いです。
これ、ある種、詩を作る、俳句を作るワークショップに使える方法ですね。詩的言語と日常言語を明確に分つものなど本来何もないんですが、日常言語はスキーマ化されていて、便利だけど面白くない。たとえば【春】と言って【桜】と答えるようなもの。常識的で、それ故役に立つスキーマだけど陳腐。詩的言語は、いわばそれに暴力的にしかけて、非日常的な惑乱を引き起こそうとするもの。それを詩人は七転八倒、苦労しながら行う(清少納言がすごいのは、【春】に【明け方(あけぼの)】を平然とつけているところですよね)。素人は……日常のことばのネットワークが強固でそれを突破できない。……なんだかへっぽこ施主と、彼らの繰り出す【間取り】と【収納】の要求に辟易としている新進気鋭建築家の関係に似ていませんか(笑)?
このアーキタロットは、自力では(日常という閉じたサイバネティクスを)突破できない素人、そして学習者が、カードを引くことで得体の知れない言葉、イメージのセットと出会うしかけになっています。否応なく、そのことばに私たちのことばのネットワークはかき乱されてしまう。否応なく、そうした得体の知れない新奇な、あるいは不気味な、あるいは扇情的なイメージを、意味として回収するために、森山さんの言う【象徴】が生成されていくことでしょう。
「設計者にとっても施主にとっても、未知の領域を作り出すことができる。上位者でないけど超越的概念を投入することが出来る。」
膝をポンポンポン!
なるほど、このカードのもう一つの意味。設計者がアフォーダンスをしかけるという言い方になんか引っかかりを持っていました。建築家も(そして教師も)建築(や教育)を巡る具体的な状況に巻き込まれているはずで、解脱したかのようにしかけや企みをメタレベルで執り行う特異点となりうるのかどうか……と。このカードが、「タロット」というオカルトの領域の名前を冠している意味が分かりました。作為を超えて三枚が選ばれセットされるという、このカードのシステム。施主と建築家が対峙し、あるいは巻き込まれ、くんずほぐれつする「娑婆」に、割り込みをかける「超越者」として振る舞うことになるんですね、このカードが。そうして上位サイバネティクスと接続されることで、設計者は(教師は)、そしてもしかしたら施主も(子どもも)、ラクに魔界転生することが出来るんですね(とこのあたりで知恵熱が出てきてオーバーヒート……ギブアップです)。


Re: アフォーダンスのまと... 森山 - 2006/03/22(Wed) 18:53 No.910  

marksikame.gif bonpataさま、皆様
アフォーダンスと関係ある議論として、僕がうちの事務所に来るアルバイト学生君なんかが、学校の課題なんかで悩んでいるときによく教えていた手法があります。先のいいづかさんご紹介の「鉛筆で字を書くか、背中を掻くか」に近いものですが、大学の建築学科で3年生ともなるとそれまでの技術的な製図の実習でなく、まるで芸術系建築家でなくては意味が無いかのごとく非常勤講師や教授達から、課題上で「作品」を求められるようになります。ですが、彼らは元々理数系の工学部に入学可能な優等生たちなので、創作的「作品」は非常に苦手なのですね。(もちろん講師や教授も本当は元々苦手なのですが)そこで、理数系っぽく正解をほしがる、もしくは正解に導かれる公式を探そうとします。その時点では「正解」の「作品」を得る方法は、その時点で話題の建築家の建築作品集をなぞるしかないわけで、しかしなぞると「これは○○さんの作品のパクリですね」などと言われてしまう。学生たちはパニクるわけです。まあ当然といえば当然ですね真の芸術性と論理的思考や公式は一致するわけないんですから

そんなときに僕が彼らにヒントを出していたのが、そこらへんにあるものを建築にしてみたら・・というものです。
例えば、うちの事務所の「テープカッター」を指差して、これが建築だとするとどうよ?と問う。つまりこいつは、巻かれたセロテープを軸で固定して引き出すものだよね、ほんで必要な長さでギザギザで切る、それが片手で可能なように重いという代物なわけだ。
この機構と意味を建築物と見ると、例えばぐるぐるっと人が中で巻いて大勢はいっていて、端っこから出てきて、ギザギザのガラスのエントランスで入退出を管理する重くてちょっと流線型なデザインの建物=テープカッター、だとか、「シャーペン」なんかを見て、これは真中に芯が数本格納されてるのだけど、上下に長く、下からすこしづつ人が出てくる、透明なシャフト状のもので、上にステンレスの板と最下部はなんか尖っているデザインの建物なんていうのはどうよ、とか教えていたのです。
つまり、建築において無根拠な形の新奇性をひねり出さなきゃという矛盾と逼迫感から開放してあげるのです。
そのころのバイト君の中には学校に残って助手、講師になってる子も居てそんな授業もやってくれてるらしいのですが、こんな思考方法などもデザインの共有に一役買うと思います。
これもアフォーダンス理論の利用方法といえるのかな