山口隆宣(ヤマグチタカノブ)1941-


1941年5月1日 庄三郎(松杖斎)の三男として生まれ印籠製造や蒔絵などの細密加工を受け継いだ。長兄達美は入谷にて晩年の松杖斎と住み、文字看板や寺社関連の漆を扱い、松杖斎の営業もした。次兄は連携してその彫り等を担った。彼らの仕事では浅草寺雷門の山号額を手掛けている。隆宣の仕事は以降筝を中心とした邦楽器での蒔絵装飾、図案立案が増え、主な仕事となる。古美術界での仕事は美術商の依頼で蒔絵に関する漆工品の修復、修繕が多く、自作の品物は愛好家に直接納める事が多かった。

1976年に国際根付ソサエティーの会報誌に松杖斎の印籠について取材、その記事を寄稿したバーバラ C.足立氏と以降交友を深め、ドイツのケルン極東美術館にての実演がデイリー毎日新聞に記事となり好評を得る事となった。

1979年日本の根付コレクターで著名なレイモンドブッシェルとの交友の中で淡交社印籠ハンドブックの日本語訳版にて印籠の製造方法や漆、蒔絵に関する情報と資料を提供している。

1982年には当時ベルギー日本駐在大使であり根付愛好家でもあったジャン・ベルジャン氏も夫妻で工房に来訪し、漆工芸の制作現場を紹介した。

2000年に世界的印籠コレクターで愛好家のクレス夫妻と蒔絵研究家の高尾曜氏が共に工房を訪ね、松杖斎の残した印籠に関する資料を紹介した。その取材と研究内容を2017年の国際根付ソサエティーの会報誌に掲載、松杖斎の仕事が再び記事となった。


趣味性の強い生業であるので、特に美術、自然科学、博物に関心が強く、釣りをしながら自然を観察した。また、職人仲間と将棋も楽しむ。



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