3月31日(月)  かなり暖かい一日。全体的には晴れ。
 『8番セカンド』
 約2年ぶりに8番セカンドでフル出場してしまった。セカンドの守備では、ただボールが私の所へ飛んで来ないことを祈るばかりだが、なかなかそうもいかないものなのだ。
 2対0と先制し、白熱したゲーム。ツーアウトランナー2・3塁のピンチの場面でそれはやってきた。バッターが強震した当たりは、私の後方数メートルの高いフライとなり私を襲ったではないか。平凡なポップフライに見えたボールも、乱視の私には落下地点に入り目測を半歩間違っていたようで、「オーライ。オーライ」と言いながらも、震えながら落ちてくるボールを何とか頭の後ろでようやくキャッチできた。しかし、やっとの思いでボールを掴んだ瞬間、バランスを後方へ崩し、そのまま後ろ向きにひっくり返ってしまった。と同時に、いったんはグラブに入ったボールがスローモーションのようにグラブの上に跳ねるのが見えた。「ここで落としては監督の名がすたる」と冷静に、しかも瞬時に考えた私は、意地で跳ね上がったボールをもう一度つかみなす事が出来た。グランドに一瞬の静寂が流れ、大歓声と、和やかな笑いが私の耳に届いた。
 昨年は年間2打席しか立たず、久々に1試合に3打席も廻った私の打撃成績は、第一打席(サードへのボテボテ内野安打、そして先制得点) 第二打席(レフトへの平凡なフライ) 第三打席(ショートへの強襲安打、もう少しでレフト前)の3打数2安打をたたき出し、あとは体力と走力、そして守備に少し慣れれば、8番セカンドとして、レギュラー獲得も夢ではないと自信が出たのである。
  3月30日(日)  ほんの少し寒い一日。全体的には晴れ。
 『カタクリを眺めていた日曜の朝』
 只今PM6時25分である。まるで書くつもりはない日記風になってしまうが・・・・・。
 目覚まし時計が鳴る前のAM6時40分に起床する。約束した世良田東照宮の駐車場までは、10分程度なのでAM7時15分に家を出る。
(そして、私には珍しく約束の5分前に駐車場へ着くのである。)タバコを一服するまもなく、K林氏とM木氏が撮影車(エスティマ)で到着し、三脚とカメラリュツクを詰め込み出発する。(何と優しい二人、私の荷物を全部運んでくれたのである。見習わなくては。)途中で巨大な店員が、窮屈なユニフォームを着ているセブンイレブンで、私は朝食用のパン2個とコーヒー、ミネラルウォーター、それにホールズを買う。
 AM8時少し過ぎ?笠懸町のカタクリの群生する場所へ到着する。さほど多くない人出であるが、早速カメラをセッティングしカタクリをマジマジと眺める。が「ウーンこれがなかなか開かない。」   近寄ってきたカタクリウンチク博士のおじさんが「気温が低いからまだ開かないんだ」と、自分の持っているカタクリの写真やら、全国のカタクリのパンフレットやらを取り出し正しくウンチクを語りだした。初めは「なるほど、なるほど」と素直に聞いていた私だが、数日前のカタクリの写真から、昨年、一昨年のの写真まで事細かに見せられ始めたら、流石に少しずつではあるが後ずさりしてしまった。しかし見ず知らずの人に、あれほど気軽に資料付でウンチクを語れる人もなかなかいない。見習うべき所もあるのである。
 何はともあれフィルム1本を撮り終わりAM11時過ぎには、駐車場まで帰り着き、有意義な午前を過ごせたのである。
  3月28日(金)  早朝は強風。晴れ?曇り?
 『じゃぱにーずSOUL 綾戸智絵』
 『綾戸智絵』・・・・今一番気になる歌手かも知れない。
 当然だが歌唱力がある。
と思う。どちらかというと『ドスの利いた』唄い方をする方である。歌うときに顔をくしゃくしゃにして歌う。間違いなく浜崎あゆみより年配のおばはんである。関西弁を喋る。NHK教育テレビの番組で、JAZZの歌い方を教えていた。比較的NHKの番組によく出演しているような気がする。40歳を過ぎてデビューした。?確かBOZ-SCAGGSの「SLOW-DANCER」をカバーしていた。SOULを感じる数少ないJAZZ歌手である。
 マジで聞いたことはないが、ハスキーヴォイスの歌姫『浜崎あゆみ』の決して顔を崩さない、口先だけに聞こえる音楽よりも、『綾戸智絵』のジャパニーズSOUL的な唄が、何倍も私の心を引きつけるのは、私も相当年季が入ったと云うことであろう。
 I-NETでコンサートスケジュールを検索したら、何と鴻巣でコンサートをするらしい。投票日前日4月26日(土)なので、気晴らしに一人出掛けてみようかなぁ?
  3月27日(木)  曇り。晴れ?雨ではなかった。
 『営業は如何に信頼を勝ち得るか?が勝負である』
 夜の7時過ぎにM-ユニパックの営業マンK君が、「遅れて申し訳ありません。」とすまなそうにやってきた。話を聞くと、緊急の用件で東京の工場まで行って来て遅くなったという。何だか疲れているように見えた私は、労いの言葉「疲れちゃったんか?珈琲でもどう?」と聞くと、素直に「いただきます」と言うので、インスタント珈琲を入れてやり二人で飲んだ。
 今どきの若者としては、珍しく時間も気にせず仕事をする彼で、支店長が前橋でナンバーワンと言う彼が私に向かい、弱音の言葉・・・・「疲れました。」と・・・・・、“私にだけは心を許せるのだろうか?。”と私に思わせる術も持ち合わせているのだろうか。確か「忙しい・疲れた・バカヤロー・イヤだ・・・・」等はM木氏から教わった、現状維持の言葉“暗病反”であるはずだ。しかし彼の「疲れました」は何故か少し違う。現実にK君は誰からもの信頼を勝ち得ているのである。
 映画「バクダットカフェ」の『Calling you』(G.BENSON)が何故か聞きたい気分である。
  3月24日(月)  晴れ。今年一番の暖かさ。
 そうそう・・・・・・『涙そうそう』
 音楽は聞き流すと、当然ただのBGM。そして歌詞までも噛みしめて、更にそれを文字化する事によって人間の脳細胞はかなり刺激されるようだ。

          古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
          いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
          晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
          想い出遠くあせても
          おもかげ探して よみがえる日は 涙(なだ)そうそう


 ここに森山良子作詞の唄がある。 http://www7.plala.or.jp/Keaton/music2/nadasousou.h
tm
  3月23日(日)  晴れ。随分暖かくシャッ一枚でもOK。
 『利根川を下った午後』
 久しぶりに?一人の時間が取れたので、カメラリュックにタムロンの90oマクロレンズを詰め込んで出掛けてみた。とにかくこの時期に咲き乱れている春の草花だけが目当てだったので、人に気兼ねなく何処でも寝っ転がれる場所へ行きたくて、ADバンで利根川の河原を散策してみる。しかし、そんな場所には、お目当ての草花はなかなか無いものなのだ。ようやく「オオイヌノフグリ」が群生する場所を見つけだし、1時間ほど一人で「オオイヌノフグリ」と戯れ遊んだ。風もさほど無く直射日光がやや気にはなったが、今年初めての春を満喫した気分になったものだ。撮れた写真は大抵が神頼みではあるが、「オオイヌノフグリ」は小さいながらも、実に美しい花であると改めて感じた一日であった。そして気が付けば遙か行田まで来てしまったのである。
 
  3月22日(土)  晴れ。しかし寒い。
 『100円駐車場』
 さいたま新都心が目と鼻の先になったこの場所での路上駐車は、いささか気が引けるのである。案の定、私が車を停めて10分もしないうちにパトカーがやっ来た。窓からパトカーが通り過ぎるのを確認すると、今度は引越センターのトラックが、私の洗車したばかりの車にすれすれに通りかかる。 気の弱い正直者を、有料駐車場へ直行させるのにはそれだけで充分だった。
 昔だったら、このあたり何処でも駐車できたのに、さすが合併し100万人の政令指定都市となると違うものだ。と変に感心してみる。そして街でいざ駐車場を探すとなると、これがまた結構大変なのである。北与野駅の地下の駐車場はPM10時まで、隣の埼玉県一大きいという本屋の駐車場は地上5階建ての最上階、混み合っている「安楽亭」の駐車場では・・・・・。暫く北与野駅周辺を徘徊していると、「100円駐車場」があった。しかし何とびっくり20分で100円であった。私の巡りの悪くなった頭で計算すると、3時間で900円と言うことになる。正直者の私が、今度は田舎者となり、「まぁ経験しておこう」という気持ちが芽生え、操作の難しそうな駐車場へ車を入れて見たのである。
  3月20日(木)  晴れ。しかし風は冷たい。
 『イラクの小さな橋を渡って』
 イラクで米国と英国による?戦争が始まってしまった。昼からのTV、ラジオ、I-NETではこれでもかと言うほどに、様々な情報を事細かに教えてくれている。本物の空襲警報こそ聞こえてこないが、戦場となったバクダット以上の情報が、日本にいながら分かるのではないだろうか?不思議で馬鹿げた時代になったものだ。
 イラク関連のI-NETを見ていたら
「イラクの小さな橋を渡って」と言う本の紹介が目に留まった。筆者と写真家が昨年の11月に訪れた、ありふれたイラクの日常を記した写文集らしい。イラクでは、春にはどんな小さな草花が咲き乱れるのだろうと、ひとり真剣に考えていた私には、とても興味深いタイトルに思えたのである。坂本龍一の帯推薦  「ここにイラクの人々の暮らしがある。ぼくたちと同じ普通の人間の暮らしが。」 も何故か泣かせるではないか。
 この本は有り難い事に、日本文以外?WEB上で39ページが無料で拝見できるのである。
  3月19日(水)  晴れ。結構暖かかったと思う。
 『懐かしいメール』
 4年前に結婚した幼なじみから、久しぶりの懐かしいメールが届いた。4月に新潟柏崎から福島へ転居し、尚かつ4月中旬に二人目の子供が誕生するという内容である。今の仕事の引き継ぎ、新しい職場での引き継ぎ、自分の引越の仕度、新しい転居先での片づけ、そして何より近日生まれてくる子供の事。それは人ごとながら考えれば考えるほど大変な事であろう。しかし残念ながら何も手伝ってやることは出来ない。・・・多分。
 せめて励まし(ひやかし)の電話と出産祝いでもしてあげよう。
  3月18日(火)  今朝は濃霧。のち晴れ夕方から小雨。
 『開戦前夜』
 深夜のテレビで米国のパウエル長官の記者会見が開かれていた。
 米国のあらゆる外交交渉が、万全の努力をしたが決裂し、イラクへの最終警告としてフセイン大統領及びその親族が48時間以内のイラクから退去をしない限り、米国の武力行使は免れないと言う内容だったと思う。とにかくブッシュ大統領にしてみれば、「外交ゲーム」は終わり、今度は本当の「戦争ゲーム」をすると云うことだ。
 不況だが、平和であまりに暢気な日本に育った私には、今ひとつアメリカの先制攻撃が理解できず、そして実感もない。イラクもイラクで最新兵器を備えた米国を前にして、一歩も引き下がらぬ構えである。そして・・・・・・・・、
 両者か、またはどちらかが、パンドラの箱を開けてしまったら、被害はイラクだけに留まらない。私たち人間は何処へ向かおうとしているのだろうか。しかし、まだまだまだまだまだ、実感はない私は何故だろうか?
  3月16日(日)  その2
 『猫ではないがタマ』
 昨年多摩川にアザラシが突如現れ「タマちゃん」と命名された。そのタマちゃんを、数日前に「タマちゃんのことを想う会」なる団体のメンバーが、自然に戻してやるために?網で捕獲しようとし、失敗し物議を醸した。
 事の発端は「タマちゃんを見守る会」?なる人達が“そんな可哀想な事をしちゃいかん”と「タマちゃんのことを想う会」へ反発したものであった。どうやらアザラシの保護の方法で意見が食い違っているらしい。記者会見の席上で「見守る会」のおじさんメンバーが「想う会」の若者メンバーに「タマちゃんはその一件で、多大なストレスを感じている。」「タマちゃんに謝れ!」には久々に笑えた。そして明るいニュースでもあったのは言うまでもない。
  3月16日(日)  晴れ。午後から曇ってきて、夕方は雨。
 『夕暮れ時は・・・・・雨』
 日曜日の夕暮れはしっとりと雨が降った。そして何故だか、せわしい私の心を落ちつかせてくれるものでもあった。
 正午から5分遅れでグランドへ行ってみた。正直、私的に「私が野球をするの?」と言う感じなのだが、そうも言っていられないので、早速つぼみが膨らんだ桜の木の下を、満開になったオオイヌノフグリを出来るだけ踏まないように、ランニングを3本ほど行った。そして取りあえずO野とキャッチボールを15分ほどやった。徐々に遠投に入り私の肩の限界地点まで来たので、O野に「これで何メートルくらいかなぁ」と聞いた。するとO野が「セカンドとホームの距離くらいでしょうか」と平然な顔で答える。うん確かにその程度の距離である。近年キャッチボールをしていつも同じように感じるのは、年々衰える自分の肩と、見にくくなったボールである。これ以上の距離を投げたら、あまりに山なりの球筋で、ボールの行方など分からないし、とにかくキャッチボールにはならないはずである。20年ほど前だが、肩の良さを見込まれキャッチャーに抜擢された時、盗塁を刺そうとセカンドへ送球し、暴投でセンターまで投げてしまったのは幻であろうか?
  3月15日(土)  晴れ。午後からは暖房もいらない。
 『指名競争入札』
 先週役所の競争入札が1件有り、若干心配しながらも落札することが出来た。昨年につづき1年間請け負える有り難い?仕事である。しかし当然かなりの安請け合いであって単価も異常なほどに安い。(落札できて当然か? 利益が出ないのだから。)
 正直言って落札結果の通知が届いても、昔と違い嬉しさも半減で複雑な心境でもある。よく損してまで仕事を取るのは経営者としては失格だと言うが、私も充分承知はしているのだが現実は厳しいのである。 いっそのこと「落札できなければよかったのでは」・・・・とも考えるが、それはそれでかなりのショックでもあるのだ。 こんな堂々巡りをしていては、税収など絶対に上がるはずはない、まさに末期的な症状そのものだな。しかし・・・・、
 これくらいの今を嘆いていてはいけないのだろう・・・・な。

 『今、流れたR&B』
 The Delfonics・・・・・・ 「La-La-Means I Love You」
 Marvin Gaye・・・・・・ 「What's Going On」
 The Spinners・・・・・・「I'll Be Around」
 Barry White・・・・・・「Never, Never Gonna Give Ya Up」
 Archie Bell & The Drells・・・・・・「Tighten Up」
 Marvin Gaye & Tammi Terrell・・・・・「Ain't Nothing Like The Real Thing」
 Tina Turner・・・・・「Better Be Good To Me」
 Bobby Hebb・・・・「Sunny」
 The Silver Connection・・・・・「Fly Robin Fly」 
  3月13日(木)  晴れ。昨日よりは風もなく寒くはない。
 『2003年3月13日』
 昨日から比べると風もなく、随分と暖かいような気がした。そんな陽気に誘われたかのように、ホトケノザがどうやら最盛期を迎えるらしい。畑や田圃の畦のいたるところで赤紫色の絨毯を敷き詰めたように・・・・・、それは見事である。しかしあれを写真に収めるのは正直、苦痛であり至難の業なのである。体を完全に地面にひれ伏した体勢で撮らなければならないからだ。知らぬ人に見られたら確実に、「どうしたんだろう」と注視されるのは明白で、その行為を人前でさらす事は勇気がいるし、いささかと言うより、かなり恥ずかしい気持ちもおき、なかなかファインダーに集中できない要因でもあるのだ。M君のアングルファインダーが羨ましい一瞬でもあるのだ。
  3月12日(水)  晴れ。3月の天気とは思えない寒さ。
 『言葉がないのである』
 道徳教育・家庭教育?・社会常識・犯罪意識、そして何もかもが欠如しているのか?
 そんなことをしなくとも自分の孫ほどの子供に4000円位くれてやったのではないか?
昨日
「車いす女性からひったくり、解体工を逮捕」との報道があった。19才の少年が電動車いすに乗った76才のおばあさんから、4,000円が入ったバッグをひったくり捕まったという。
・・・・・・・・・・・・言葉がないのである。
 いくら金が無くて、いくら腹が減っていたとしても、そして仮にどんな事情があったとしても、人の取るべき行動ではないはずである。
  3月11日(火)  晴れ。でも風が冷たい一日。
 『流されたR&B』
 Diana Ross & Marvin Gaye・・・・ My Mistake (Was To Love You)
 Barry White・・・・・ I'm Gonna Love You Just A Little More Baby
 Wilson Pickett・・・・・ Engine Number 9
 Diana Ross・・・・・・ Ain't No Mountain High Enough
 The Ohio Players・・・・・ Fire
 Gladys Knight & The Pips・・・・・・ If I Were Your Woman
 The Silver Connection・・・・・・ Get Up And Boogie
  The Isley Brothers・・・・・ That Lady (Part 1)
 Luther Ingram・・・・ (If Loving You Is Wrong) I Don't Want To Be Right
 Edwin Starr・・・・・・ War
 Rick James・・・・・ You And I
 Eddie Kendricks・・・・・ Boogie Down
 今朝は睡眠不足ながら午前6時10分に起きた。疲れているのか?頭が空白状態である。これに向かっている間に流されたオールドR&Bである。
ウーン心地よいのだ。
 ネタ不足につき、しばらくこういうシリーズを続けてみようか?と考えたのである。
  3月10日(月)  晴れ。午後から風が吹き寒い一日。
 『シルクワーム』とは?
  「シルクワーム」・・・グロテスクなその形に反して、結構ステキな名前だと思った。
日本語で蚕(カイコ)の事だそうである。中国で開発したミサイルの形が蚕(カイコ)に似ているからと、単純にその名前が付けられたそうだ。それにしても『おカイコ』とは、決して強そうな名前には思われないし、どちらかと言うと可愛らしい名前ではないか。
 今日の正午、北朝鮮がまたもや「シルクワーム」の発射実験?を行った。今日の報道は、前回の発射実験とは違い数十分後、臨時ニュースで報道してくれた。しかし可愛らしい名前とは裏腹な、物騒なものを発射してくれるものである。いつの日か日本まで届かせる気なのだろうか?
 『Fly Robin Fly』とEART,WIND&FIREの『Getaway』がBoomer-Radioから流れたのだ。
  3月9日(日)  晴れ。午後から強風が吹く。
 『夢と現実の狭間』
 「ド・ドロボー」咄嗟の出来事と、普段はあまり大きな声を出す機会がない為、初めは小さな声しか出せなかった。それでも「ド・ドロボー」と何度か叫ぶうちに、漸く大きな声が出て、自分でもビックリして目が覚めた。午前7時30分の夢の中の出来事であった。車に戻ってみると、子供が助手席から私の財布を盗んで逃げ出し、そのすばしっこい子供を私が鈍い動きで追いかけていた夢を見ていたのである。それで思わず叫んでしまったのだ。恐らく寝ながらでも、本当に大きな声を出したに違いない。その証拠に大きな声で目覚めたし、起きたら異様に声が枯れていたのである。 こういう夢は夢占いではどうなるのだろう?
  3月7日(金)  雪?雨?雪。後ずーっと雨。
 『寝癖』
 結構冷たい雨が一日中降った。春の前触れを感じさせる雨である。
 考えれば正月から行っていないのだから、二ヶ月間も散髪をしていない事になるのだ。
フード付のトレーナーが好きな私は、寝るときもそれを愛用している為、ここ数週間そのフードのおかげで、朝 起きると後ろ髪がもの凄いことになっている。
 その髪に寝癖直しヘアーウォーターのスプレーをまんべんなくかけ、ブラッシングをし、アウスレーゼのスーパーハードムースを専用のブラシにとり、CAROL時代の矢沢永吉の如く、前髪を少し垂らし気味に持ち上げてサイドをなでつける。高校時代から基本のスタイルは変わったように思われない。変わってしまったのは、残念なことに若さを失った顔色と、目立つようになった白髪、そして、とても便利になった寝癖直しスプレーとスーパーハードムースである。
  3月6日(木)  晴れ。夕方から雨
 『石橋を叩いていては渡れない』
 「良いことだと思いながら、何も行動しないのは何も思わないのと同じ事である。」
なるほど、何もアクションを起こさないで、ただ思考しているだけでは、正に何もしていないと言うことだな。 何だ、まるで今現在の私そのものではないか。
 石橋を叩いて渡るかのごとく、熟考に熟考を重ねて、石橋を叩きすぎて結局の処、橋を叩き壊して渡れなくなってしまう。そんな愚かな光景が今の私であるのかもしれない。
  3月5日(水)  晴れ。朝は寒いが、日中はさほどでもない。しかし夜は寒い。  
 『団子より花』
 いよいよ桜の開花予想が出た。東京が3月26日開花だとすると、この辺では29日頃だろうか?毎日寒いようだが確実に春なんだなぁ。当然だが改めて実感してみる。29日に開花すると、私の予想では4月6日(日)が満開で、花見の最適日なのであろうか?しかし残念ながら私には未だに『花見で宴会』などと言う習慣はないのである。

 20数年前、暢気なことに、香港からフィリピン経由の船で、1週間かけて東京まで旅をしたことがあった。気温30℃以上のフィリピンから北上し、日に日に気温は下がり、Tシャツ一枚から東京へ着いたときはかなりの厚着になっていたはずだ。しかも偶然にも、花見シーズン真っ盛りの東京へ着き、午前中早く着いたものだから、同行した先輩達に誘われて上野公園で花見なるもの初めて体験した。私の他に二歳年上のS田氏と、五歳?年上のS永氏と、何故か私より若い女の子で合計4名がいた。・・・にもかかわらず、まず始めに辿り着いたのは、不忍池の近くの、見るからにチープなピンク映画の上映館。何故・・・・・??(思えば10代の彼女がよく着いてきたものだ。)昔のことで忘れたが、映画の内容があまりに不甲斐ないので、皆、多分欲求不満?となり上野公園まで戻り、数少ないベンチのすみを見つけそこで弁当とビールを買い、花見らしきものをしたようなしないような・・・・・・・。
 それ以来、花見らしきものを30代になり一度位しただろうか?基本的には屋外で酒を飲み、宴会をするというのはあまり好まないのである。BBQなどと、だらだらと何時間も食べたり飲んだりするのは、正直苦痛でもあるのだ。  だから花見は断固として、ただ桜を観ればよいのである。『だんごより花』と宣言しておこう。
  3月3日(月)  晴れ。寒いし、夜になり強風。
 『3月3日は雛祭り』
 夕食は太巻きであった。「どうしてだか分かる?」と聞かれ、初めて今日が3月3日のひな祭りと言うことに気がつく。突然そんなことを聞かれてもそれは無理だ。毎日仕事のことは考えていても、常に何月何日だとは考えていないものである。現実、池袋のビックカメラで買い求めてから15年目になる私のホイヤーの腕時計ですら、未だ2月31日の日付を指しているのだから。
  3月2日(日)  晴れ。ものすごく風が吹いた。
 『私の責任・・・決して司会者のせいではないのである』
 すっかり私のお気に入りとなったBOOMER RADIOから『 La-La-Means I Love You』が流れた。この曲は私の同級生?プリンスが数年前にアルバムでカバーし、初めて聞いたた曲である。それは私の大好きなSWEET-SOULな世界である。たちまちこの曲が大好きとなり、改めてプリンス・ロジャー・ネルソンと同世代なんだなぁと深く感心したものである。

 今日11時30分から深谷市野球連盟の総会がグランドホテルで開かれた。厳格そうな司会者より開会の言葉としてすっかり定番となった「携帯電話の電源を切るかマナーモードにしてください」の声が響き渡り、最前列の私は思わずマナーモードのボタンを押さない訳にはいかなかったのである。
 (よくあることだ。)午後1時には総会が終わり、隣の会場で懇親会が始まった。私は携帯をマナーモードにしたままなのをすっかり忘れた。しかも電話は私のバッグの中へ・・・・・。予定があったので午後3時前にはホテルを後にしたのだが、私には?用のなくなった電話は、そのままかばんの中にしまわれたまま。午後9時を過ぎ、何気なく携帯電話を取り出し、そして見た。着信履歴に不在の文字が続けて入っている、入っている。何で日曜日にたくさんの電話がかかってくるの?と言う感じで不在マークが出てくる。出てくる。大変に失礼してしまったが、今からかけ直すにはもっと失礼なような気がして、明日電話しようと考えた私である。
 さすが司会者が閉会時に「終了しましたから携帯電話の電源を入れるか、マナーモードを解除してください」などと言ってはくれないだろうなぁ。