7月31日(水)

晴れ?とにかく猛暑。
 付ける、止める。
 体質が変わったのか、エアコンの付いている部屋では身体が冷えてしまう。28℃に設定していても、どういう訳か寒くてたまらないのだ。常温の28℃だったら比較的に暑く感じるのにエアコンの28℃設定では寒いのは何故だ。?だからと言ってエアコンを消してみると暑くてたまらず、また付ける。付けると寒くてたまらないからまた止める。止めると暑いからまた付ける・・・。わがままでしょうか?電気の無駄使いでしょうか?
 このやりきれなさをどうすれば良いのでしょう。本日の最高気温37℃?。
7月30日(火)

2日間涼しかったが、今日から平常の高温になる。
 Z-CAR
 本日、“Z-CAR”(フェアレディ−Z)が発売された。私が20歳〜10年間お世話になった車の再登場である。
 1980年製のシルバーで長い鼻のZ-Lは、シートを含め内装が全てえんじ色で、二十歳の私にとっては、それはそれは刺激的でお気に入りの車だった。
 1983年製のT-TOP(T-BARルーフ)には、夏場ルーフを外していると必ず夕立が来たり、猛暑になったり決して丸一日オープンにしていられなかったのを良く覚えている。街中で急に夕立に降られ車も止められず、ルーフも付けられずに、びしょ濡れになりながら運転して、ばつが悪かったこともあったなぁ。しかしオープンにして店の前に止めておくと優越感と不安感を同時に味わえもした車だった。
 とにかく、想い出がいっぱいの車なのである。
 いつ、いつの日か・・・・
 昔から40歳代後半に、また乗りたいと思っていたが、もしそれが実現できたら二十歳の時と同じように嬉しいのかも知れない。

  まぁ夢だけは見ておこう。
7月29日(月)

午前中はかなり涼しい。
 「GOLD RUSH」でなく「鎖を引きちぎれ」
 1978年の6月か7月?に発売された、矢沢永吉のアルバム「ゴールドラッシュ」を10数年ぶりに引っ張り出して聴いてみた。YAZAWAのおじさんが口から★星を沢山吐き出しているあのジャケットだ。8月にリメイクして発売されるというNEW SINGLが“ゴールドラッシュ馬車を出せ・・未来の荒野へ”と言うフレーズで、てっきり「GOLD RUSH」だとばかり思ったが、聴いてみると「GOLD RUSH」は全然違う曲であり「鎖を引きちぎれ」がその曲であった。おじさんも当時は29歳と若く、今聴いてみるとやはり当時のクオリティの高さでは、現在の人気アイドルバンド「TOKIO」に負けてしまう?かも知れない。
7月28日(日)

何と朝から涼しい。
 BIRD(野鳥)
 AM11時40分、緑深き林のJAZZ喫茶「BIRD」のテラス席に娘と座った。テラス席と言っても店の外庭の事のだが・・・・。感じの良い奥さん?にアイスコーヒーとチーズケーキ(200円)を注文し、店内(外)を観察してみた。シンプルな山小屋風の建物に、まず目を引くのが野鳥の餌付け台と、そこに餌を求めてやってくる野鳥たちだった。JAZZと野鳥のさえずりを聴きながら、しばらく野鳥を眺め、お茶を飲む。妙な新鮮さを味わうことができ、店名の「BIRD」がなるほどな思えた瞬間だった。「BIRD」は昨年オープンし、一度行ってみたいと思っており、5月頃に場所だけは確認していたお店だった。思っていた以上に私好みで感じがよく、シャイな私でも一人で来れる店だと確信したものです。また行ってみたいなぁ。
 BGMはBOZ SCAGGS「WE ARE ALL ALONE」(SILK DEGREES)
7月27日(土)

朝から猛暑。午後遠くから雷の音がした。
 久々のバーディ。
 一年のうちで今が最も暑い時期なのだろう。そんな猛暑の中(おそらく気温36℃以上、芝生の上は40℃以上か)、相変わらず上達しないゴルフをプレーした。とにかく今日はゴルフをするというよりも、高温との戦いであり、どれ程の暑さに耐えられるかの我慢くらべだった。家を出る前も、氷水、帽子、タオル、着替え用のシャツ等暑さ対策だけで頭がいっぱいになっていた。プレー中M木氏から電話が入り、「今、ゴルフをしている。」と伝えると「この暑いのにゴルフ?」と妙に感心?してくれて、見舞いの言葉まで戴いたような気がした。そんな天候下でパー2・バーディ1は、スコアがまとまらずとも無事に回って来れたということで、良しとしておきましょう。
7月26日(金)

朝からかなり暑かった。
 恐い電話・・・・・・
 何だか訳の分からない電話が、一日に何度かかって来ることだろう。まともに聴いたことはないので全然分からなくて当然だが、金融商品がどうだとか、融資が何だとか、大概は居留守を使うか「俺のところにかけてくるなよ!バカ野郎?」て感じで電話を切れる。しかし、今日の電話はどことなく違った。知り合いの名前を使い突然「社長ですか?○○会の○○です。」と恫喝するような威圧感あふれる声。電話の向こう側といえこれには正直ビビッた。たった数秒の、それだけを聴いて全てが分かり受話器を置いてしまった。何やら本を数万円で買ってくれと言う、噂で聞いていたあの話のことだ。普通は電話越しなので皮肉も言えるが、こればっかりは・・・・・・・・。携帯のワン切りそうだが、便利でイヤな時代になったな。警察に登場してもらおう。 
7月25日(木)

朝のうち少し涼しいが、やはり暑くなる。台風の影響か午後から夕立のような雨。・
 訳の分からぬネタ切れの人・・・・・・私。
 一見平凡な毎日が、アッという間に過ぎていくようだが、振り返ってみるとさほど平凡でないのかもしれない。しかし、さほど波瀾万丈と言うわけでもないか・・・・と思う。
 今を、生きている証だろうか、この歳になっても様々な出来事が、初めての出来事が次から次へと起こるものなのだ。このHPを2月に公開してから半年が過ぎ、矢沢永吉のコンサートの入場前、ダフ屋に何故か「社長、9列目あるよ」と言われ、1泊2日で大阪へ行き、新幹線の中で10時間を過ごし、野尻湖へ行き、戸隠村へ行き、一向に上達しないゴルフを数回し、あまり飲めない酒を飲み、我ながら上手くいった司会をし、あまり勝てない麻雀をし、下手な写真を撮り、かなり仕事が減り、撮りたくもない大沢悠里と一緒に写真を撮り、楽しかった恒例の伊香保温泉へ行き、早朝一人で何回も山へ行き、鈴木宗男氏が逮捕され、辻元清美さんが衆議院議員を、田中康夫氏が県知事を失職し、YAZAWAおじさんが弘田三枝子の「砂に消えた涙」青い月の光を浴びながら・・をアカペラで唄い、不条理な殺人事件が何度も起こり、春が来て、梅雨が来て、台風が来て、暑い夏が来た。一瞬に想い出せるだけでもこれだけある。まだそれ程呆けている訳でもないだろう。
7月24日(水)

朝のうち曇り。しばらくすると快晴。猛暑続く。
 一晩で2千百万円・・・・・
 53歳のおじさんが7月4日〜8月15日の40日間だけで、北海道から九州まで26回ものコンサートを開くのだ。2日に1回以上のペースだ。何というタフさなんだろう。普通の人では、旅行するだけでも年齢に関係なく大変な事だろう。まして約2時間30分のステージは半端ではない。ただ突っ立っているだけではないのだ。53歳だから、当然体調がきついときもあるだろう。ミスチルの桜井君のような事ではいけない訳だ。約2000人もの熟練したファンを満足させ、ライブショーと言う仕事をするのである。私には到底真似出来ない。
 よけいなお節介だが、おじさんは単純計算で入場券10,500円×2,000人×26回・・・約5億4千6百万円の入場料だけを40日間で売り上げ稼ぐのだ。商売上手のおじさんの粗利は少なく見ても50%以上だろうから、この不景気な世の中で、これも素晴らしいものだ。
7月23日(火)

とにかく猛暑が続く。
 「時間よ止まれ」・・・・・
 日本一元気な、53歳のおじさんのコンサートへ、あまり元気の出ない43歳の私が行った。大宮ソニックシティ1階14列のほぼ中央。ステージ中央が観客席に向かって5〜6m位せり出しているので、実質前から7列目に着席できた。私がこれ程この人に近づいたのは、当然初めてのことである。白いシャツに黒のスーツで登場したおじさんに、(失礼ながら私には喪服姿に見えてならなかった。)相変わらず25年前の少年少女時代と変わらないFUN達は、懐かしのこれぞリーゼント頭や、派手なスーツ、E.YAZAWAのTシャツ、「ドアを開けろ」の時のボルサリーノ、女は何故か若干ホステス風?の格好で迎えたのだった。まるで浦島太郎になったような気分の、私以外は30年の年月が止まっていたかのように正直思えたのだ。
7月21日(日)

多分猛暑。北軽井沢でもそこそこ暑かった。
 何もしない。
 全英オープンゴルフの丸山茂樹の活躍を見ていたので、一睡もせずに車に乗り込んだ。AM3時53分の事である。途中高崎でGASを入れ、いつものコース倉淵から二度上峠へ、やはり睡眠不規則と食事不規則?で体調は最悪。道中は異様に長く感じ、途中で何度となく家へ帰ってしまおうかと思ったことだろうか?それでもAM5時30分頃だったか二度上峠から東の方向(群馬県方面)を見ると朝日の横に見事な雲海が見えた。「あーやっぱり、早寝をして2時30分に出発していればよかったな。」と、いつもの自分の実行力の無さに憤ったものだ。早朝の浅間山付近をロケハンし、AM8時頃から3時間ほど爆睡してしまった。自分には一度も聞こえなかったが、多分大いびきで寝ていたことだろう。本日の収穫はと言えば、浅間山方向から流れる雲をきりもなく眺めていたことと、「玉置浩二」と「井上陽水」のCDをきりもなく聴いていたことだろうか。そして何もしない?、と言うことだろう。

   闇に沈む月の裏の顔をあばき、青い砂や石をどこへ運び去ったの。
   忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ、みんな泣いた後で誰を忘れ去ったの。
   飛行船が赤く空に燃え上がって、のどかだった空はあれが最後だったの。
   地球上の人があふれだして、海の先の先へこぼれ落ちてしまうの。
     今 あなたにGOOD NIGHT ただ あなたに GOOD BYE


 改めて、「ウーンたまらん陽水」。
7月20日(土)

晴れ。それはとっても暑い一日でした。
 梅雨明け・・・・・宣言
 昨日とはまるで違った天気だった。朝、寝ぼけまなこで事務所へ行き、一番に感じたことは「今日、梅雨が明けた」だった。案の定、しばらくするとラジオから「本日梅雨が明けた模様です」と・・・・・。昨日までの多湿な不快感はなく、ただひたすらに暑いのだ。自身の体感でこれが分かるなんて、もしかしたら気象予報士の仕事が向いているのかも?
 明日は久し振りに一人で山へ行って来ようか?「玉置浩二」と「井上陽水」のCDと読みかけの本でも持って・・・・・。
7月19日(金)

朝方雨が降り、いつの間にか猛暑となる。梅雨明けも秒読みか?
 嫌いじゃない「玉置浩二」君
 どうやら玉置浩二と私は、同じ年齢らしい。昔は薬師丸ひろこと結婚していて、今は同じミュージシャンの奥さんと軽井沢に在住しているらしい。たしか北海道の出身で、井上陽水のバックバンドとして下積みをし、「安全地帯」として華々しくデビューしたような・・・・。同世代の人間として、羨ましい限りのサクセスストーリーだが、当然人知れず苦労があったに違いない。それは彼が素晴らしく上手な表現者であり、生み出した音楽を聴けば聴くほどよく分ってしまうものかもしれない。
7月18日(木)

実に蒸している。夜雨が降る。
 大人の食事?
 生ビール1杯、ウーロンハイ2杯?、おしんこ、サンマ塩焼き、マーボー豆腐、鰹たたき、マグロ刺身、貝柱、蕎麦。・・・・今晩いただいた夕食のメニューである。何だか大人?の食事だなぁ。若い人となら、こういう訳にはいかないだろうなぁ、と改めて自身の年齢を実感した夜だった。
7月17日(水)

晴れ?曇り?蒸し暑い。
 期待を裏切ることはできないのだ。
 S田社長から直接携帯に電話が入ってくる。正直有難く、嬉しい電話のひとつである。だからこの人の言うことなら少々無理な難題でも応えてやりたいと思うのはS田氏の人徳からなのだろうか。あれだけの会社のTOPで、多くの従業員を抱えて、さらに各要職も努めている。にもかかわらず、普通だったら部下の誰かにやらせるだろうに・・・・・。しかも昔から、ひとまわり以上も年下の私ごときに意見を求めてくれ、そしてそれを真剣に聞いてくれる。とってもこんな人物の、期待を裏切ることはできないのだ。
7月16日(火)

台風7号来る。しかし午後からよい天候になる。
 こんなの出てきました。・・・・・

      『自然環境との調和のとれたまちづくり』

            岡部町商工会青年部  古

 これから20年・30年と将来に向かって、この岡部町の第3次総合振興計画に基づきますます推進されるであろう、区画整理事業や公園の整備事業等において、私が一番提案したいのが、岡部町の顔である岡部駅周辺・来春完成される深谷バイパス沿いの「道の駅」周辺、及び岡部町内を走る幹線道路等における街路樹による並木化(できるだけ背たけの高いもの)の促進と、河川(志戸川、小山川等)を利用した公園整備の促進の2点についてです。
 はじめに北浦和駅から埼玉大学(所沢方面)に向かう10数キロにも及ぶケヤキ並木、また大宮氷川神社の表参道等を例に取れる、街路樹による並木化ですが、区画整理事業の推進により、これからの岡部町はあれよあれよという間に新しい道ができ、建物ができて急激に変化していくと予想されます。そんな中において、道は道としての、建物は建物としての機能だけが重視され、便利に整えられる反面、ふと、その場に立ち止まると現在の岡部町のみどりあふれる景色が消えてしまう危険性があります。よく言われる都市化です。景色が変わるのであれば、より緑があふれる美しい町並みに変わってもらいたい。そこで是非お願いしたいのが道路の街路樹化の促進です。 例えば、北浦和駅から埼玉大学方面にのびた駅から非常に近い町中にもかかわらず、あれだけの並木道を有するのは、町としても大変シンボル性にとみ、とにかく美しく岡部町のイメージアップにつながるのではないでしょうか。しかも街路樹等の植物は、空気を浄化し、人間の健康にとっても無くてはならないものであると思います。これからの街づくりは、機能にすぐれた便利な町並みと、街路樹等の景色をうまく組み合わせる配慮がなければ、岡部町景色は消えてしまうのではないでしょうか。
2番目に河川(特に小山川・志戸川のこと)を利用した公園整備についてです。起伏の少ない岡部町にとって川という所は、一番自然を感じる場所であると思います。この自然あふれる川を、今現在岡部町の人々がどれだけ活用しているでしょうか。 私の見る限り、幾人かの釣りを楽しむ人と近所の人が散歩をする程度で、この恵みの自然を充分に楽しんでいないような気がします。そこで、小山川・志戸川等の土手を利用して桜並木の遊歩道を作り、各所にベンチを配して町民の憩いの場にしてはいかがでしょうか。もちろん今ある自然を最大限に残してです。 特に、小山川においては、中宿歴史公園・道の駅から歩いても5分程度と近く、駅通りから道の駅、そして小山川と一体と考えた公園整備がより充実した整備になり、観光・レジャーの要所となる可能性が大きいのではないでしょうか。
 これからは我々の仕事における就業時間は減り、人生を、より余暇を楽しむ時間が必要となってきます。また、高齢化社会の到来により、お年寄りにもよりやすらぎを与えてくれる、町のみどり・自然を活用した憩いの場所が20年・30年先の将来には、今現在考えているよりも、もっともっと必要となるのではないでしょうか。

                                  19961116
 コンピュータのデータを整理していたらこんなものが出てきました。
 6年前の私はこんな事も考えられていたのでしょうか。信じられない。

7月15日(月)

台風がまた来るのだろうか。?夕刻は豪雨。
 タナカヤスオ。・・・・・・・
 「やすおちゃん」と呼ばれる。「なんとなくクリスタル」の著者である。が、私は読んだことはない。「ブランド」好きである。(と、私は思っている。)東京都知事、石原慎太郎と同じ国立「一橋大学」卒業である。「スッチーとヨーロッパでデート」を報じられる。親が「長野県出身?」らしい。かなり「太っている」と思うのだが。私の好きな「中島史恵」を膝の上に乗せる。(うらやましい。)「独身」である。「脱ダム宣言」をする。大阪のタクシーの運転手が関西弁で「おかま」と言っていた。胸にいつも「馬のマスコット?」みたいなものを付けている。あまり一般受けするタイプの人間とは思えないが、「長野県民」から絶大な人気と信頼を受けている。数年前「名刺」を目前で二つにへし折られた。長野県でも一部の首長からは絶大な支持を得ている。(と、私は思うのだが。)不信任案可決後の長野県民の支持率が何と「66%」になっていた。長野県の「財界人」からはかなりの支持を得ているらしい。「しなやかな」改革を目指してたらしい。
  本日長野県知事を失職した「田中康夫」氏についての、今の私の認識全てである。・・・・・・私的にはあまり好きな人物でもないが、私が長野県民で投票権を持っていたなら、間違いなく一票を投じていることだろう。何故ならこれまでの安泰と思われた時代の長野県(日本)の政治家、官僚、行政に対する不満、閉塞感からだろう。これはあくまで地方・長野県だけの問題ではなく、間違いなく「ニッポン」の民主主義?への問いかけなんだろう。
・・・・と、思うのだが。
BGMは井上陽水の「帰れない二人」。「僕は君を、と言いかけたとき街の灯りが消えました・」
7月14日(日)

群馬県六合村は爽やかな晴れ。岡部付近今晩はたまらなく蒸し暑い。
 プロ?カメラマン。
 群馬県六合村へ行ってきた。午前3時40分に起床し、AM4時10分頃出発。7時前(6時30分頃か)には野反湖畔に辿り着いていた。早朝の自然はいつ来ても、やはり実に素晴らしいものなのだ。早朝の野反湖は人もまばらで「ニッコウキスゲ」が咲き乱れ?、それをフィルムに収めた。帰り間際に駐車場でプロ?カメラマンらしき人から声を掛けられ、しばし歓談する。プロ?カメラマンは、私たち三人が同じ趣味を持つ同級生ということで興味を示していた様子であり、私たちはプロ?カメラマンが一年間の2/3を撮影の旅に出ている事と、「熊に出会うことも珍しい事ではない」と言う話にいたく感心した。  さまざまな生き方があるものなのだ。
7月12日(金)

猛暑。でも何となく爽やか。
 いつもとは違う場所・・・・・・
 新幹線に10時間乗車。(台風を連れて東京へ)「ユニバーサルスタジオ」。インド人にたばこの火を貸す。フランス人と会話?。大勢のフランス人と一緒に写真に収まる。ヨルダン人を初めて見る。イスラエル人を見かける。大勢の韓国人を見る。「通天閣」「御堂筋」「道頓堀」「北新地」「梅田」「心斎橋」「なんば」。「美美卯本店」「新世紀の串カツ屋・・生ビール1杯290円」「法善寺横町」「大丸百貨店」「(おおきに)・・関西弁」「交番のお巡りさんからこずかれている人」「運転の荒いTAXI」「TAXIで5000円以上メータが上がると半額」「サービス精神の欠けている新阪急ホテル」・・・・・・・。    今週のたった2日間だけで、私が出会った初めての体験だった。当然だろうが、いつもと違う場所へ行けば、一遍にこれだけ多くの体験が待っているものなんだなぁ。
7月8日(月)

猛暑。35.8℃を記録。
 「OSAKA・・・・・・・」
 「ヒャー寝る暇がない・・・・・。」とと・・にかく忙しい1日だった。た・・只今の時間は午後11時40分であと少なくとも4時間20分後には起床しなければならない。4時30分には、M下さんが迎えにきてくれ、大阪へ旅立たなくてはいけないのだ。明日は、気持ちをリセットしてOSAKAを体験してこよう。
7月7日(日)

猛暑。34.7℃を記録する。梅雨は終わりか?
 「七夕」
 最近では下手をするとこの日(7月7日)、を忘れそうになってしまうくらい私的にはマイナーな行事になってしまった。昔の人は何てロマンチックな、物の考え方をしたのだろうか。夜空の星を見つめ「織姫と彼氏?(ひここぼし)」が一年に一遍だけこの日に出会うなんて。

 「大逆転から一転また大逆転」
 月に1回のペースで麻雀をするのだが、私にとって昨夜のような対局は非常に珍しいケースだった。詳細の記憶は定かでないが書き留めておこう。
 まず第一戦目・・・・・・今朝、東京ドームで少年野球の開会式に行って来たT橋氏、数日前に大ムカデに刺されたというM木氏、手術が無事に済み10s減量し元気そうになったS井氏、ハウスメーカーの研修に行っていたというA氏の4人での対局で、私は参加せずに勝負はよく分からなかった。
 そして第二戦目・・・・休んでいた私と、来週大阪出張のK林氏、が入った。大した手は出来ない私は「絶対に振り込まないぞ。」と久々に集中力を漲らせ挑み、自分らしさを発揮できたダマテンというセコい手でこそこそ上がり、病みあがりで本調子のでないS井氏の手助けもあり、「振り込まない」という戦術でTOP獲得。ここまではわりとよくあるStoryだった。
 問題の第三戦目・・・・・・・・とりあえず「私は振り込まない」戦術でスタート。東場A氏親、対面のK林氏が「發」をツモり、カンをするとカンドラが何と「白」で即リーチ。リーチ發ドラ4のハネマン(12000点)以上の確定リーチだ。普通だったら、どう見てもこれは即刻下りのケースだ。ところがどっこい西家のT橋氏が裏ドラ期待の追っかけリーチ。それを見た私も、T橋氏と同じ理由で(勝負ではやはり冷静ではいられないのだ)ここが勝負どころとばかり追っかけリーチ。それを見たこれまで優勢のA氏一言「みんな、つえんな(強い)。」確かにその通りだ。普通だったらそんなことはしない、親のK林氏に振り込めば、一挙に劣性の可能性があるのだ。・・・・緊張のツモがしばらく続き私の盲牌は「いーぴん」の大きな感触が・・・・・・・「イーピン」とそれを場に大きく叩きつけると、隣のT橋氏の嬉しそうな「ロ・ロ・ローン」の大声。「リーチ何とかドラ6。裏ドラチップ6枚。」・・・・・・正直しばらく頭の中が真っ白になった。我を失った私は、何が何だか分からずにボー然とし、気がつき手元を見るとチップ3枚と残り3千点程。・・「いけないこのままでは箱点になってしまう。」「少しでもチップを取り返さなくては」夢中になって安手のリーチをかけると、「リーチ裏ドラ1」でK氏から上がれた。何とか2000点とチップ1枚を取り返した。K氏が優しくも「まだ諦めることはねーよ。」とアドバイス。そうか『ネバーギブアップ』か、勝負は靴(ゲタ)を履くまで分からないのだ。・・・・・・・T橋氏が親の時に連チャンで上がる。(満ガン位か?)そしていよいよラスト、私の親・・・・・・私は我を取り戻し集中していた。そして早いうちから「タテ清一色三暗刻」をテンパッタ。本来は七ソウを残し六ソウ・七ソウ待ちにするところを迷わず三ソウ単騎待ちに・・・・・・そして、T橋氏から出た。親の倍満(24000点)獲得だ。ツキが回ってきた私は親で上がり続け、最後の五本場(リャンシバ)で、優しいアドバイスをくれた対面K林氏から、非情にもダブ東ホンイツの親満を上がりK氏がドボン。終了した・・・・終わってみればあれから60000点以上連続して上がり続けダントツの第1位で終了。こんな大逆転は滅多に見られないのだ。
そして、またまた問題の第四戦・・・・・・・・・・すっかり大逆転の余韻に浸り始まった東一局。またまた冷静になったつもりで「振らない戦法」を始めたつもりだったが、・・・・・・・後半になり盲牌に初心者でも、誰でも分かる「白」の感触。私・・・・「白(ハク)」。K氏・・・・「ロン」。私・・・・・「????」。K氏・・・・「W東・白・ホンイツ・対々・ドラ3」??。私・・「????」。K氏「親の3倍満(36000点)」。何と始まってたった数分で箱点だ。大逆転から一転また大逆転を食らってしまったのだ。こういう事って非常に珍しいが、あるんですね。どちらかというと我が人生においては、あまり遭遇したくないケースのひとつですですね。
7月6日(土)

晴れ。わりと爽やか?
 時間は限られている。
 PM6時、まぁまぁ仕事ができたかな。多分来週の9日、10日と大阪へ行くため仕事が忙しいのだろう。やることだけはやっておかないと、とても2日間会社を留守にすることは出来ないのだ。あれやって、これやって・・・・・・、気忙しい。今晩はこれから楽しいはずのお集まりだし、明日はコスモス植えだし、月曜の夜は大切な会議と早寝をしなければいけないのだ。どう見ても時間は限られている。
7月5日(金)

曇り?蒸し暑い一日。
  ウーン、たまらん陽水。
 友人が井上陽水のコンサートへ行った。芸能生活30年以上の歌い手(ミュージシャン)の持ち歌の多さと、そのコンサートの進行の巧さに、いたく感動したとの事で、友人の話を聞いているだけで、その様子は充分過ぎるほどに伝わってきた。私もその感動話に触発されたのか、ここ数日の間、陽水の古いアルバムを聞いている。やはりどの楽曲もよいが、特に初期のアルバムは、井上陽水自身が当然若く、そして自分自身に素直で、真面目に(真剣に)音楽に取り組んでいる様子が痛いようによく分かる。
 「能古島の片想い」と「帰れない二人」が特に好きだ。「能古島の片想い」は、何と今から30年も前の1972年発売の(センチメンタルU)に収められており、「帰れない二人」は1974年発売の(氷の世界)に収められている。確か両アルバム共に、私が高校2年生の時に手に入れたものである。両アルバムは、私が如何に大切に取り扱っているか、自慢できるほどに保存状態も良く、当然Wジャケットのレコードで、価格は2,200円。当時1日300円?の小遣いで私にとっては、それは高価な買い物だったことだろう。


  つきせぬ波のざわめく声に
  今夜は眠れそうにない
  浜辺に降りて裸足になれば
  とどかぬ波のもどかしさ

    僕の声が君にとどいたら
    ステキなのに

     つめたい風は季節を僕に
     耳うちすると逃げてゆく
     ときおり砂はサラサラ泣いて
     思わず僕ももらい泣き

      僕の胸は君でいっぱいで
      こわれそうだ

          遠くに見えるあかりは
          南へ行く船の幸せかな

  悲しいだけの今夜の気持
  なにかをすればまぎれると
  星屑なんか数えてみても
  涙でそれも続かない

       君が僕の中にいるかぎり
       波の声で僕は眠れない
       本当なんだ


       ウーン、たまらん陽水。
7月4日(木)

曇り晴れ。気温30℃以上になる。
 さまざまな朝。・・・・・・
 久々にAM4時30分起床してみる。どんよりと曇っており日の出前なのか、日の出なのか、全然判断できない朝の天気だった。・・・・・・テレビの中で喋っているおねえさん、畑で黙々と収穫する人、新聞店で働く人、車を運転する人、犬と散歩をする人、一人で散歩をする人、こんな早朝から家の前でおしゃべりをしているおばさん達、軽トラック?で牛乳配達をするおばさん、「おもちゃの王国」?のトラックを運転する人、利根川をRV車で走る人、利根川で漁業する人、本日始発電車が走り出す5時30分頃までに見かけた人達だ。普段は睡眠中でトランス状態の私だが、こんな時刻に世間様では、さまざまな人達がさまざまな事をしているものなのだ。
7月3日(水)

湿度がかなり高く、AM1時現在で多分曇り。
 予定通りに行かない夜もあるのだ・・・・・・・。
 「MY CUP」・・・・・・・日本酒の好きなK尾氏とT田氏が帰り際にティッシュペーパーに何をくるんでいるのかと思ったら、少し大きめの、ぐい飲みの盃だった。聞いてみると本当か嘘か分からないが、「MY CUP」だと言い張る。本当だったら何となくかっこいいし、流行りそうな予感もする。とにかく気だてのいいおやじ達だ。
 昨夜は確か早く帰るはずだったが、「のべ」に寄り込んでしまい、PM11時になってしまった。新作ページを作るはずだったが、時間がないので随分と手抜きをしてしまった。