28 彼は、教会的宣教の中で明白に伝えられた諸々の事柄が何であるか、そして、明白に規定されていない諸々の事柄が何であるかを明示するために、以上のことを、『諸原理について』の第一書の最初のところで論じた。彼はそれらの一つひとつについて、彼が上に述べた分類に従って、残りの諸書の全体の中で委細に検討した。教会によって確定的に宣べ伝えられていると彼が上で教えた諸々の事柄を、彼は、聖なる諸文書からの数々の証拠を添えて、いっそう明白にかつ堅固に論じた。他方、教会の中で明瞭にも確定的にも宣べ伝えられていないと彼が示した諸々の事柄については、何らかの確かで確定的な諸々の断言を用いることはせず、むしろ、彼がそのような諸々の事柄を検討し取り扱っているときに思い浮かんだ諸々の見解や意見を使っている。すなわち彼は、断言するよりは、むしろ検討し吟味し、検討している。しかしながら彼は、自分のすべての発言において、我々が上に説明したことを忘れない:すなわち彼は、いかなる点においても使徒的教会的な諸々の教えと対立しない真理だけが受け入れられ、信じられねばならないと言っている。そして彼は、我々が上に言及した諸々の書の中に置いてばかりでなく、彼が(聖なる)諸々の文書について表明したすべての事柄において――特に、同一の章について複数の解釈を表明するとき――その判断を守るのを常としている。彼は、言うことのできる事柄が一つでも見落とされないようにするために、彼が考え得る限りの多くの事柄や諸々の異なる事柄を提示したと主張する。他方で彼は、使徒的教会的な読師が認証する事柄だけが保持されるべきであると主張する。

 

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