50 次にイエスだけが正しい人たちの審判者、不正な人たちの裁判官として預言されているのではないとして、また彼の誕生の場所や彼がユダヤ人たちから被ったとされる受難や彼の復活の場所、はたまた彼が行ったとされる驚くべき力ある業の数々が預言されていないとして、ケルソスは次のように言っている。なぜこれらの預言は、これらの預言の後に生まれた無数の人たちよりも、あなたに当てはまるのかと。そして私にはどうしてだかわからないが、彼は、預言されていたと推測される可能性をまさに他の人たちに与えようとして、次のように言っている。神の霊に取り憑かれた者たちや物乞いする人たちが自分たちは神の子として天から来たと主張していると[1]。私は、これらのことが起こったとしてユダヤ人たちの間で認められていると聞いたことがない。したがって先ず次のように言わなければならない。多くの預言は、キリストに関する事柄をあらゆる仕方で預言したと。あるものは諸々の謎を通して、あるものは比ゆや他の象徴を通して、またあるものは明白な言葉によって。そして彼は続けて、(同じ)民の出身の信者の人たちに向かって話をするユダヤ人の口を借りて、イエスに関する事柄に関係づけられた諸々の預言は、他の事柄にも当てはめることができると主張している[2]。それも、巧妙に、かつ悪意をもってそう言っているのである。そこで我々は、多くの預言の中から幾つかを提示したい。これらの預言の転覆を図り、明敏な信者を信仰から逸らすことができる何かしら強制的な議論を望む者は、(好きなだけ)語るがよろしい。



[1] Cf.CC.VII,9.

[2] Cf.CC.II,28.

 

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