56 またケルソスと、彼の著作にあるユダヤ人、そしてイエスを信じないすべての人が気づいていないことは、預言者たちがイエスの来臨を二つあると言っていることである。最初の来臨は、人間としての苦しみに満ち卑しめられたもので、それはキリストが人間たちとともにあることによって、神へと導く道を教え、現世を生きている人々の誰一人に対しても、来るべき裁きを知らなかったなどという弁解の余地を残さないようにするためであった。もう一つの来臨は、栄光に包まれていて、ただひたすら神的で、その神性に人間的な苦しみをいささかも混入していない来臨である。(これらのことを示す)諸々の預言を引用することは、長くなってしまうだろう。差し当たっては、詩編第四十四編から取られた言葉(を引用すること)で十分である。この詩編は、何よりも、「愛される者のための賛歌」であると題されている。ここではまさに神が、次のような言葉によって明瞭に告げられている。「恵みがあなたの唇に注がれている。それゆえ神は、あなたをとこしえに祝福する。あなたの剣をあなたの腰に帯びよ、若々しさと美しさを備えた力強き者よ。真理と柔和さと正義のために前進し、栄え、治めよ。そしてあなたの右の手は、あなたを驚くべき仕方で導くだろう。力強き者よ、あなたの諸々の矢は鋭く、民は王の諸々の敵のただ中において、あなたの下に倒れるであろう」。しかしあなたは、これに続く言葉を注意して見たください。そこでは神のことが言われています。すなわち預言者は言っています。「神よ、あなたの玉座は代々に。あなたの王権の笏は、実直の笏。あなたは正義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ神、あなたの神は、あなたの仲間たちにもまして、あなたに歓喜の油を塗った[1]」と。そしてあなたは次のことをお考えください。この預言者は、その玉座が代々に続き、その王権の笏が実直の笏である神に話を向けながら、この神が、ご自分の神である神によって油を塗られたと言っているのです。しかもこの神が油を塗られたというのも、彼が自分の仲間たちにもまして、正義を愛し不法を憎んだからであると。また私は、賢者であると思われているある一人のユダヤ人を、この言葉によってひどく困らせたのを覚えている。彼は、この言葉に対して次のように言ってしまったのである。すなわち、自分の自身のユダヤ教の教えに沿ったことを言うのに戸惑って、「神よ、あなたの玉座は代々に。あなたの王権の笏は、実直の笏」という言葉は万物の神に対して言われており、「あなたは正義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ神、あなたの神は、あなたに油を塗った」云々と。



[1] Ps.44,3-8.

 

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