65 ところでイエスは弟子たちに、向こう見ずにならないように教えて、彼らにこう言っていた。「もしも人々があなた方をこの町で迫害するなら、あなた方は別の町に逃げなさい。もしも別の町で人々があなた方を迫害するなら、他の町に逃げなさい[1]」。そしてイエスは、堅実な生活の模範を彼らに示し、早まってよくないときに無思慮に危険に突進しないように戒めている。ところがケルソスは、このことも歪曲し、中傷している。そして彼の著作のユダヤ人はイエスに向かって、「あなたは、弟子たちとともにあちこちを逃げ回っている」と言う。彼がイエスと弟子たちとに対して行った中傷と似たようなことが、アリストテレスに関しても報告されていると、我々は言いたい。すなわちアリストテレスは、アテナイの人たちが不敬と見なした自分の哲学の何らかの学説のゆえに、不敬罪を理由に自分に対して法廷が招集されようとしているのを見て、アテナイを退き、カルキスに学校を作った。そのとき彼は、親しい者たちに弁明して、次のように言っている。「ソクラテスに対するのと同じ罪を再び負う口実をアテナイ人たちに与えないようにするために、また彼らが哲学に対して不敬を働かないようにするために、我々はアテナイを離れよう[2]」と。また(ケルソスは)、イエスが弟子たちとともに、ぶざまにも執拗に食べ物を集めながら歩き回っていたと言う。彼は、何を根拠にぶざまで必要な物乞いと取り沙汰しているのか言うべきである。福音書では、持病を癒してもらって幾人かの女性たちが――その中にはスザンナもいた――、自分たちの手元にあるものの中から食べ物を弟子たちに提供していたとある[3]。親しい者たちの奉仕に献身する哲学者の内の誰が、親しい者たちから必要なものを受け取らなかったろうか。それとも、イエスの弟子たちがこれと同じことをして、ケルソスによってぶざまにも執拗に食べ物を集めているとして非難されているのであるから、これらの哲学者たちは、この物乞いを相応しく立派にやったのだろうか。



[1] Mt.10,23.

[2] Cf.Aelian, Var.Hist.III,36; Ps.-Ammnonius, Vita Aristo.p.11 ed. Didot; Diog.Laert.V,5; Seneca, de Otio, VIII,1.

[3] Lc.8,2-3.

 

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