14 しかしながらケルソスは、彼が自分に起こる諸々の事柄を予知していたことを受け入れたり、容認しつつ、それを軽視する振りをすることができた。(ケルソスは)諸々の力に関して、それら(の力)は妖術によって起こったと主張することによって、そのことを行った。また彼は、次のように言うことができた:多くの人たちは、諸々の託宣――諸々の禿鷹や諸々の鳥や生け贄や誕生占いの中での諸々の託宣――から、自分たちに起こるであろう諸々の事柄を知ったと言うことができた。しかし彼は、そのことを、偉大なこととして受け入れることを望まなかった。それに対し、(イエスが)諸々の力を行ったことを受け入れることによって、妖術を口実にしてそのことを何とか中傷しようと見せかけている。ところがフレゴンは[1]、『年代記』の第十三巻か第十四回の中でだと私は思うが、何らかの来るべき諸々の事柄に関する予知をキリストに与え――ペトロに関する諸々の事柄とイエスに関する(諸々の事柄)を混同することによって――、彼によって語られた諸々の事柄に従って、言われた諸々のことがが起こったことを証言した。とはいえ彼も、予知に対する諸々の事柄を通して、あたかも自分の意に反して、諸々の教えの父たちの中の言葉が諸々の神的な力を欠如してないことを証明したかのようである。



[1] フレゴンについては、C.Celse.II,33 ; II,59; Ser.Mt.40 et 134.

 

次へ