63 それらの事柄の後でケルソスは、書かれた諸々の事柄を無視すべからざる仕方で中傷し、次のことを言う:「もしもイエスが神的な力を本当に現すことを望んでいたなら、侮辱する人たちと断罪する人たちと、要するにすべての人たちに見られるべきだった」と。実際、福音によれば、復活の後で、以前に大衆とすべての人たちに現れたように、本当に我々にも現れていない。むしろ、『諸々の行為』の中で次のことが書かれている:「四十日を通じて見られ、弟子たちに神の国についての諸々の事柄を告げた[1]」。また、諸々の福音の中でも、彼が常に彼らと共にいたと(書かれておらず)、むしろある時は、彼は八日を通じて「諸々の扉が閉じられていたのに、彼らの真ん中に現れ[2]」、ある時はそのような何らかの諸々の仕方で(現れたと書かれている)。他方パウロも、『コリントの人たちへの第二(手紙)』の最期の諸々の箇所の中で、彼が受難の前の時と同じように公に見られていないかのように、次のような諸々の事柄を書いている:「諸々の最初の中で、私はあなた方に、私が受け取ったものを渡しました:すなわち、キリストは、諸々の()文書に従って、私たちの諸々の罪のために死にました」。そして彼は復活し、「ケファに見られ、次に十二人に見られた。その後、五百人以上の兄弟たちに一度に見られた。彼らの内のより多くの者たちは今でも残っており、ある者たちは眠りについた。その後にヤコブに見られ、その後にすべての使徒たちに見られた。そしてすべての事柄の最期に、月足らずの子のような私に見られた[3]」と。実に、偉大で驚異的で――信じる人たちの中での多くの人たちの功績ばかりでなく、理拠の中でとにかく進歩する人たちの功績――よりも偉大なある諸々の事柄が、その箇所の諸々の事柄にあると、私は推測する。その諸々の事柄の中には、死者たちの中から復活した彼が、先立つ時と同じ仕方で現れなかったことの原因が明示されているだろう。そして、キリスト者たちの彼らの信仰とに対する(ケルソスの)言論への反論のために書かれたこのような論考の中にあるより多くの事柄の中から、我々が僅かばかりの諸々の事柄を理に適った仕方で提示することで(我々の)弁明を聞く人たち(の琴線)に届くことができるかどうかを、あなたはお考えください。



[1] Ac.1,3.

[2] Jn.20,26.

[3] 1Co.15,3,5-8.

 

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