69 しかし我々は、彼が杭から直ちに身体的に見えなくなることがオイコノミア全体にとってどうしてより有益でないかを示したい。イエスに起こったと書き記されている諸々の事柄は、単純な表現と歴史の中に真理の一切の観想を含んでいるわけではない。実際、()文書をより理知的に読む者たちの許ではそれらの事柄の一つひとつがまさに何らかの事柄の象徴であることが証明される。したがって、彼が十字架に付けられたことが、「私はキリスト共に十字架に付けられました[1]」という言葉と、「私の主イエス・キリストの十字架の中でなければ、私に誇ることがありませんように。なぜなら、彼の故に私にとって世界は十字架に付けられ、私も世界にとって十字架に付けられました[2]」という言葉の中に明らかにされた真理を含んでいる。彼の死も、次のことのために必要(だった):すなわち、「実に、死んだ彼は、罪のために一度だけ死にました[3]」ということのために、そして、義人が「私は彼の死(の姿)と同じ姿にされます[4]」と言うために、そして、「実際、私たちが(キリスト共に)死んだなら、私たちは(キリストと共に)生きるでしょう」ということのために。それと同じように彼の埋葬も、彼の死(の姿)と同じ姿の人たちと、彼と共に十字架に付けられ共に死んだ者たちの許へ及ぶ――パウロによって次のことが言われていることに従えば:「実際、私たちは、洗礼を通して彼と共に葬られ、彼と共に復活させられました[5]」とある。

しかし我々は、埋葬と墓と埋葬した人とについて書き記された諸々の事柄を、他の諸々の(作品の)中で――それらの作品の中でそれらの事柄を優先的に語る予定である――より適切にもっと詳細に解釈するつもりである。今のところ、イエスの清い身体が包まれねばならなかった清い布、そして新しい墓――「ヨセフが岩の中に掘り込んだ墓で、まだ誰も横たわったことのない墓[6]」、あるいはヨハネが言うように、「まだ誰も置かれなかった墓[7]」で十分である。岩の中に掘り込まれた、あるいは、切り込まれた墓を書き記すことに配慮した三人の福音記者たちの共鳴が人を動かすことができるかどうか、あなたは注目してください。福音記者たちの目論見は、書かれた諸々の事柄の諸々の言葉を吟味する人が、(イエスの墓に関する)それらの事柄について、そして、マタイとヨハネが物語った墓の新しさについて[8]、そして、ルカとヨハネによればいかなる死人もそこに置かれなかったことについて[9]、議論に値する何かを看取するようになることだった。実に、他の死者たちと似ておらず、むしろ死の状態の中でも諸々の生命的なしるしとして水と血を示した方は[10]、いわば新しい死者として新しく清い墓の中にいなければならなかった。その結果、彼の誕生は、彼が(男女の)結合からでなく、乙女から生まれたという点で一切の誕生よりも清かったのと同じように、その埋葬も、象徴的なものを通して――彼の身体が新しい状態の墓、しかも、諸々の石の諸々の寄せ集めから建設されて、本性的な統一を持たない墓でなく、単一で、あらゆる点で統一された岩の中に掘り込まれた、あるいは、切り込まれた墓の中に別置されたことの中に――示された新しさを持つのだろう。

かようなわけで、解釈に属する諸々の事柄を、しかも、起こったと書き記されている諸々の事柄から諸々の本体――諸々の出来事はそれらの本体を示すしるしだった――への上昇に属する諸々の事柄を、人はより詳細にかつより神的に解釈することができるだろう――もしもその人が、優先的な論集の中でより適切にそれらの事柄を提示するならば。他方、(文字通りの)言い回しに属す諸々の事柄を、人はまた次のようにも提示することができるだろう:すなわち、杭の上で吊るされることを耐えるのを決断した方に従えば、さらにその決意に続く諸々の事柄をも保持しなければならなかった:その結果、彼は、人間として死ぬことによって人間として始末され、さらに人間として埋葬された。そればかりか、その決意に従って諸々の福音の中で、彼が杭から直ちに見えなくなったことが書かれていたなら、ケルソスと不信仰者たちは書かれた事柄を中傷し、次のように言うことによって非難しただろう:すなわち、一体そもそもなぜ、彼は十字架の後で見えなくなったのか、なぜ彼は、受難する前にそのことに従事しなかったのかと。したがっていやしくも彼らが、諸々の福音から彼が杭から直ちに見えなくならなかったことを学んだ上で、み言葉が彼らの考えるように、彼が直ちに杭から見えなくなったことを捏造せず、真実を物語っているとして非難するなら、彼らが彼の復活をも信じることがどうして理に適っていないだろうか――実に彼は、みずから望んで、ある時は「諸々の扉が閉じられているのに、弟子たちの只中に立った」のであり、ある時は知人たちの中の二人にパンを与えると、彼が彼らに語った幾つかの諸々の言葉の後で直ぐに「彼らから見えなくなった」のである。



[1] Ga.2,20.

[2] Ga.6,14.

[3] Ph.3,10.

[4] Lc.24,30-31.

[5] Rm.6,4.

[6] Cf.Mt.27,60; Lc.23,53.

[7] Jn.19,41.

[8] Cf.Mt.27,60; Jn.19,41.

[9] Cf.Lc.23,53; Jn.19,41.

[10] Cf.C.Cels.,II,36.

 

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