次に、あらゆる所に、あるいは、多くの所に、諸々の力が生じた――彼自身も、引き続く諸々の箇所の中で、「善行を為し、自分に託されすべての諸々の町、たとえばトリッケーとエピダウロスとコスとペルガモスに、将来の諸々の事柄を預言したアスクレピオス」、そして、プロコネースのアリステアスとクラゾメナイのある人とアステュパライアのクレオメーデースを援用しているように[1]。他方、万物の神に依拠していると主張するユダヤ人たちだけの許では、別のより善い人生についての希望と共に万物を創造した方への信仰を助け強化するいかなる印も驚異もなかったのか。しかし、どうしてそのようなことが可能だったのか。それは彼らが、託宣を宣べ癒しを与える悪霊どもを崇拝することへとまっしぐらに変節し、理屈の上では彼らを助けると信じられた神、しかし決して自分自身の顕現を示さない神を捨てたからだろか。しかし、もしもそのことが生じず、むしろ、彼らがアッシリアの中で苦しみを受けたときでも、ペルシアの中で(苦しみを受けた)ときでも、アンティオコスによって苦しみを受けたときでも、ユダヤ主義とその律法を否定しないようにするために、実に無数の諸々の事柄を耐えたとすれば、どうして次のことが、諸々の逆説的な物語と諸々の預言を信じない人たちに理にかなった仕方で提示されないだろうか:そのような諸々の事柄が諸々の作り事でなく、むしろ何かしら神的な霊が、徳のために一切の苦悩を受け入れた預言者たちの諸々の清い魂の中にいて、彼らを動かして、彼らの時代の人たちに或る諸々の事柄を預言せしめるばかりでなく、後の人たちにも預言せしめたこと――取り分け、人間たちの種族に来るであろう或る救い主について預言せしめたこと。



[1] Cf.C.Cels.,III,22,24,26. 固有名詞の委細は不詳。

 

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