それらの諸々の事柄に続いてケルソスは、次のことを考えている:「ユダヤ人たち――彼らは種族においてまさしくエジプト人たちである――は、エジプト人たちの国家に対して反逆し、エジプトにおける諸々の宗教に関する習慣を見下すことによってエジプトを捨て去った」と。そして彼は次のことを言う:「彼らは、自分たちがエジプト人たちに行った諸々の事柄を、イエスに寄りすがり、彼をキリストとして信じた人たちによって被った。いずれの人たちにとっても、国家に対して反逆することが革新の原因になった」と。ケルソスがいったい何を行ったかが考察されるべきである。昔のエジプト人たちは、ユダヤを席捲した飢饉のためにエジプトに滞在したヘブライ人たちの種族を多くの事柄において取り計らったが、客人たちと嘆願者たちを虐待したがゆえに、民全体――彼らによって持て成されるべき客人たちの種族、しかも彼らをまったく虐待しなかった種族に対して共謀した民全体――が神的な摂理の下に被らなければならかった諸々の事柄を被った。そして彼らは、神の諸々の鞭によって難なく強打され、程なくして、不正な仕方で隷属させられた人たちを自分たちの望んだところに放免した。したがって自己愛者たいとして、より正しい客人たちよりもあらゆる同国人たちを尊重する彼らは、モーセとヘブライ人たちとについて言った如何なる非難も捨てることができなかったが、モーセを通した諸々の驚異的な力を完全に否定せず、それらは神的な力によってでなく、魔術によって起こったと主張している。しかし、モーセは魔術師でなく、敬虔な男であり、万物の神に寄りすがり、より神的な霊に参与し、神的なものが彼に(腹の)下から音を響かせた通りに諸々の律法をヘブライ人たちに制定し、諸々の出来事を、それらが真理を含んだものとして書き記した。

 

   次へ