2018/12/07
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第5回
古代社会では、生きているものと動くもの(変化するもの)は同義に等しく、動くものはすべて、人格的なアニマ(霊魂)によって動かされる生き物として捉えられた。したがって、たとえば動物、植物、天体は、魂(精霊)によって生かされる生き物であり、ちょうど人間同士がお互いに働きかけ意思を伝達させるように、これらの動植物や天体も、何らかの仕方で人間に働きかけ、何らかのメッセージを伝えるものと信じられた。中でも天空を整然と運行する天体は、地上の物体に働きかける強力な力を持っていると信じられた。これが占星術(astrology)の起源である。
たとえば、古代ギリシアやオリエント(バビロニア)では、天球上の太陽の軌道(
黄道
)は、12の領域に分けられ、それぞれに主に動物の名を冠した星座が割り当てられた(
黄道
十二宮
)[1]。それらの星座は、地球のあらゆる生物に影響を与えると信じられた。そのような信仰は、現代でも、占星術に形を変えて生きている。人生占いで使われる中国起源の
十二支
[2]も、本来は12年で天空を一周する木星の位置を示すための天文学の用語であるが、これも占星術の影響下にある。
一週の曜日の名も、アニミズム(物活論)の信仰に基づいて定められている。各曜日の名は、それぞれ特定の天体に由来している。日曜は太陽に、月曜日は月に、火曜日は火星に、水曜日は水星に、木曜日は木星に、金曜日は金星に、土曜日は土星に関連づけられている。これらの名称は、古代エジプトに起源を持っており、時代や言語を超えて今日まで生き続けるアニミズムの
名残
である。
宗教が人々の欲求(願望)を反映するものであるとすれば、人々の集団である社会が複雑化し、強力な支配者や統一国家が形成されれば、それに合わせて宗教も変容する。強力な支配者や中央集権的な統一国家が出現するに及んで、それを正当化し、権威づけるために、強力な最高神を中心として組織された多神教(polytheism)ないしは単一神教(henotheism)あるいは唯一神教(monotheism)が形成された。宗教は、いわば地方分権的な多神教から中央集権的な多神教ないしは絶対主義的な単一神教・唯一神教へ進展した。
数多くの神や霊魂が存在するということは、それぞれが勝手な行動をして世界を混乱に陥れる可能性を持っている。そこで、多くの神をコントロールして、世界を一つにまとめる最高神が必要とされた。もっとも一般的な最高神は太陽である。太陽は、昼間は強い光りを放ちながら天空を力強く駆け巡り、万物に光と熱を与える強力な天体として、天空に君臨している。しかし太陽は、夜になると、大地や海の向こうに姿を消し、冬には光りを弱める。こうして古代(未開)社会では、太陽は、やがて力を弱め、いつか死んでしまうのではないかという不安が生まれた。太陽が姿を見せない時間が多くなる秋のことを、英語では「落下」を意味する言葉(fall)で表している。太陽は、秋になると、力尽きて「落下する」のである。したがって、今日のように科学が未発達な時代における太陽の「衰退」や「落下」は、アニミズム社会では大きな問題であり、そのため太陽の復活を願う祭儀が広くかつ盛大に行なわれた。
特に、日の差す時間が短い山岳地帯や北欧では、太陽を神聖化する傾向が強い。キリスト教が浸透する前の北欧では、「ユール[3]」という神(精霊)に捧げられた冬至の祭りが盛大に行われていた。これは日照時間のもっとも短くなった日(冬至12月22日頃)に、太陽の復活を祈願する祭りである。ちなみに、北欧神話のユールとキリスト教の聖人ニコラウス[4]の伝承が習合して出来上がったのが、あのサンタクロースである。現在でも北欧では、聖ニコラウスの祝日(12月6日)は、クリスマスと同じくらい盛大に祝われている。
他方、12月25日に祝われるキリスト教の祭日クリスマス[5]の由来に関しても同様のことが言える。12月25日は、もともと1〜4世紀のローマ帝国に普及していたミトラ教[6]において、「征服されることなき太陽の誕生日」(nativitas
solis invincibilis)と呼ばれる重要な祭日だった。3世紀のローマ皇帝アウレリアヌスは、太陽崇拝を国家の祭儀と定め(237)、みずからを人間界の太陽と宣言した。しかし、その約1世紀後、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がキリスト教に改宗し、それを公認した(313ミラノ勅令)。こうして、この日は、太陽の誕生日からイエスの誕生日に変えられた。
宗教が人間の必要に応じて存在するものであるとすれば、太陽崇拝と唯一の権力者である地上の王の間には、密接な関係がある。中央集権国家では、宗教も統一される必要があったため、神々の頂点に立つと見なされた太陽神の崇拝が盛んに行われ、時として地上の支配者が太陽にたとえられた。たとえば:
@
インカ帝国の皇帝は太陽神の息子であると考えられた。
A
「日出ずる国」である日本の天皇は、太陽の女神である
天照
大神
の子孫であるとされている(皇祖神話)。
B
古代エジプトでも太陽崇拝は盛んだったが、アメンヘテプ4世(BC14C)の時代には、太陽神アテンが最高神と定められた。これは、それまで国家の守護神とされていたアメン神に仕える神官団の権力が増大したため、それへの対抗手段として最高神とされた。彼の息子が、有名なツタンカーメン王[7]である。
C
近世では17世紀から18世紀にかけて君臨したフランスの絶対君主ルイ14世は「太陽王」と呼はれ、国王が起床することを日の出になぞらえた儀礼が毎朝行なわれていたとさえる[8]。
D
キリスト教の開祖イエスと、仏教の開祖ブッダは、太陽のごとき王になぞらえられることがあった。どちらも王族の子孫であり、暗闇の中を歩む者を照らす光なのである。イエスは聖書の中でダビデ王の子孫とされ、『ルカによる福音書』(新約聖書)では、「闇の中に横たわる者を照らす光」と書かれている。ブッダも、古代北インドの釈迦族の王シュッドーダナの息子であると同時に、太陽の輪に先導されて世界を平定するインド哲学の帝王、
転輪聖王
[9]の息子だという説がある。宗教の指導者と太陽との結びつきは、アニミズムの伝統が残した遺産の一つであろう。
毎日昇っては沈む太陽は、年月を刻み、歴史をつくる。月にはそのような力強さはないが、ほのかな光をたたえながら、静かに確実な動きをしている。月の満ち欠けの周期は28日であり、女性の月経の周期と同じであるとされていることから示唆されるように、月の満ち欠けと地上の生物との間には何らかの関係があるのかもしれない。事実、昔から、月の満ち欠けは人間の精神に異常を起こすと考えられており、現在でも病院関係者の間ではそのようにささやかれている。
太陽が必ずしも男性を象徴していないように(たとえば日本神話に登場する
天照大神
は女神である)、月もまた女性を表わしているとは限らない。
ローマ神話のユノー、ギリシア神話のセレネ、エジプト神話のバステト、マヤ神話のイシュチェル、アステカ神話のショチケツァルなとは月の女神である。しかし、日本神話の
月読尊
やシュメール神話のシンは月の男神である。
このように太陽と月の聖別は神話によって異なっている。おそらく、こうした聖別を決定する最大の要因は、社会でどちらの性が優位(太陽の地位)に立つかということにあろう。すなわち、母権社会であれば、太陽神は女性であり、父権社会であれば、太陽神は男性となる。女性優位の社会から男性優位の社会に移るにつれて、太陽神が男性から女性に代わったことをよく表すのは、意外にも平塚
雷鳥
らがその雑誌『
青踏
』(1911)に載せた次の言葉であろう:
「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に
依
つて生き、他の光によつて輝く病人のやうな
蒼白
い顔の月である」(出典http://harumi-ochiai.lolipop.jp/taiyou.htm)。
科学の発達により、それまで崇拝の対象であった宇宙空間は物理学の法則が支配する非神話的な存在へと姿を変えた。しかし、一度は退けられた神的な存在は、最新の科学技術によって別の形で再来したようにも見える。それは偵察衛星である。偵察衛星は、全知全能の神のように、この地上を精密なカメラで絶えず監視し、ほとんどあらゆるものを見ることができる。天上の神が世界の人々を一つにまとめるように、宇宙空間にある人工衛星は、国境を越えて広がる電波を介して世界の人々を一つに結んでいる。空に向けて並べられたパラポラアンテナは、まるで天を仰いで神の声を聞き、祈りを捧げる人間の姿のようである。確かに今日の科学技術は、従来の宗教に代わって、神(々)の役割の一端を担っている。
水は汚れたものを洗い流す。そのため水は、古代から現代に至るまでほとんどあらゆる宗教で、人の罪を洗い流す働きがあると信じられた。アニミズムは、水の働きが、一定の条件の下に、人間の罪を洗い流すと考えた。言い換えれば、アニミズムは、人間の罪の(赦しの)問題に対して、生け贄の奉納あるいは水による清めによって
応
えたと言える。
たとえば、キリスト教徒となるための儀礼である洗礼は、全身を水に浸すか、頭に水を注ぐことによって罪を洗い清め、新しい命を得ることを目的としている。かつて、スペインのキリスト教の宣教師がメキシコに到着したとき、アステカ族の間でも、洗礼とよく似た儀礼が行なわれていた。日本の神道にも
禊
[10]という清めの儀礼がある。イスラーム(イスラム教)にも清めの儀礼があるが、砂漠地帯では、水の代わりに砂を体にかけて身を清める。しかし
管見
では、仏教には罪を恥じる
懺悔
はあっても、清めはない。お香は、「体臭を消し」、極楽や仏を思念する助けとして用いられるにすぎない。
泉の水が清めの役割を果たすのに対して、海の水はすべてを飲み込む恐ろしい存在である。ギリシア神話では、泉は愛らしい妖精のニンフ[11]の遊び場であり、海は怪物である竜の
住処
とされている。その証拠に、海神ポセイドン[12]の武器は海の怪物の歯をあらわす
「
三叉
の
矛
」である。海で働く人々にとって、荒れ狂う海は恐怖の対象である。
しかしながら、海は魚介類を豊かに育む命の母であり、商人や宣教師にとって、海は便利な交通を可能にする
慈
しみ深い存在でもある。荒れ狂った海を
鎮
めて船乗りを護る「海の聖母[13]」への崇拝は、カトリック教会で知られている。しかし、これも古くから世界のどこにでもある海の女神に対する崇拝の延長線上にある。
山は非常に古くから、聖なる存在と考えられてきた。アニミズムにおいて、山は天と地との出会いの場であると考えられた。したがって山は、神的なるものの崇拝のための理想の所とされた。世界でもっとも高いエベレスト山は、チベット語で「チョモランマ(この世の母なる女神)」と呼ばれる聖なる場所である。
世界のあらゆる宗教には、それぞれ聖なる山が存在する。それは、インドの宗教におけるメール山のように架空の山であったり、日本の高野山やギリシアのオリュンポス山、ユダヤ教のシナイ山のように実在する山であったりする。
山は、優れた人間の霊魂が昇っていく場所でもある。キリスト教の開祖イエスとイスラームの開祖マホメット(ムハンマド)は生涯を終えると、エルサレムの高い場所、すなわちイエスはオリーブ山、マホメットは岩のドームから昇天した。しかし、オリーブ山はユダヤ教以前の古い宗教の聖地であり、岩のドームがある丘はかつて旧約聖書の中でアブラハムがイサクの代わりに雄羊を犠牲に捧げた場所でもあった。すなわちいずれの山も、アニミズムに由来している。
山が神の
住家
なら、大地は人々が生きる場所である。我々は、地上で汗して働き、死後、少なくともその身体は地に帰る。大地は、人々の生活を支える土台であり、なくてはならぬものである。特に、作物をよく実らせる肥沃な土地は、母のイメージを持っている。たとえば:
@
ギリシア神話では、大地の女神であるガイア(「厚い胸をした者」が原意)が天空の神ウラノスを産んだとされる。
A
インド最古の聖典リグ・ヴェーダには、「汝の母であるこの大地の下に行け」という賛歌がある。
B
旧約聖書のヨブ記には、「私は裸で母の胎内から出てきた。私は裸でそこへ帰ろう」とある。
C
イスラームの聖典『クルアーン』では、「妻はあなた方の耕地である」とされ、肥沃な大地と生殖力のある女性とが結び付けられている。
アニミズムの世界観をこのように分析してみると、アニミズムの考え方は、おそらく自然保護にきわめて有効だろう。現に、美しい自然として保護されている世界の国立公園のいくつかは、現地の宗教が神聖な場所とした所が多い。1872年に世界で初めて国立公園と定められたアメリカのイエローストーン国立公園も、1890年制定のヨセミテ国立公園やセコイア国立公園も、インディアンたちが聖なる場所として崇拝していた場所に作られている。すなわち、宗教が聖なるものとした自然を、国家が法律を定めて守っているのである。現代社会に生きる我々は、自然が死なないように、それを保護する努力を求められている。21世紀になお、宗教が有効な意味を持ち得るとすれば、その可能性の一つは、自然の崇拝ないしは尊重へと、人々の関心を向かわせるものでなければならないだろう。
かくして原始社会の人々は、ときに
牙
をむいて襲いかかる自然に対して、その機嫌を
損
ねないように崇拝し、そこから神の概念も作ってきた。宗教史を
遡
れば、初めに神があったのではなく、初めに人間(問題)と自然があったのである。
[1]
黄道帯は30度ずつ12等分され、付近の星座の名が割り振られた。おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずかめ座、うお座。
[2]
ね(鼠)・うし(牛)・とら(虎)・う(兎)・たつ(竜)・み(巳)・うま(馬)・ひつじ(羊)・さる(猿)・とり(鶏)・いぬ(犬)・い(猪)。
[3]
北欧(デンマークやノルウェーなど)の農家の守護神で、山羊に宿る精霊が引く「そり」に乗って贈り物を配る。これがサンタクロースの「そり」になる。
[4]
AD271年(または280年)生まれ、342年12月6日没。彼は、ギリシア南部の港湾都市パトラスの裕福な家庭に生まれ、両親からの莫大な財産を受け継いだ。その頃、破産した没落貴族が隣家にいた。その長女に縁談が持ち上がったが、父親は家計のために身売りしようとしていた。それを知ったニコラウスは、夜中にこっそりと金の詰まった財布を投げ込んだ。それで、長女は身売りを逃れた。次に、次女に縁談が持ち上がり、ニコラウスは同様に財布を投げ込んだ。三女のときには父親も起きて見張り、恩人の正体を知ることができた。しかし、ニコラウスはそのことを口外しないように頼んだとされる。後にこの説話に、「娘の部屋の窓辺に干してあった靴下の中に財布を入れた」という逸話が付け加えられた。
[5]
クリスマス(Christmas)の原義は「キリストのミサ」。キリストの降誕を記念する祝祭。キリスト降誕祭・聖誕祭とも呼ばれる。ただし、12月25日をクリスマスとするのは、カトリック教会とプロテスタント教会のいわゆる西方教会である。これに対して、ギリシア正教、ロシア正教などの東方教会は1月7日を、アルメニヤ教会は1月19日をキリストの生まれた日としている。
[6]
古代ペルシア起源の宗教。世の初めに善、悪二神が存在し、光明・生命・清浄の神アフラ・マズダ(善の神)と、暗黒・死・不浄の神アーリマン(悪の神)との戦場がこの世であるが、究極的には善神が勝つと説く道徳的色彩の濃い宗教である。厳しい禁欲生活を特徴とする。
[7] 古代エジプト第18王朝末期の王(在位はBC14C中頃)。アメンヘテプ4世の娘婿で、その後継者。神官団の圧力に屈して都をテーベに戻したが18歳で早逝し(暗殺か)、テーベ付近の王家の谷に埋葬された。
[8]
ランスの聖職者ボシュエの言葉を借りれば「神の代理者」であるルイ14世は、輝く太陽を紋章として採用した。太陽の紋章は、すべての権力がひとりの人間の手に集中する絶対主義を思い起こさせると同時に、中央集権化した国家をも連想させる。実際、ルイ14世が下す命令はすべてヴェルサイユから発せられ、国内のすべての道はパリのノートルダム大聖堂につながっていた。
[9]
四天下を統一して正法をもって世を治める王。
[10]
身に罪または穢れがあるとき、また、重要な神事などの前に、水で身を洗い清め穢れを落とす。
[11]
山・川・樹木・花・洞穴などの精で、若く美しい女の姿で現れ、歌と踊りを好み、予言力を持つと言われる。
[12]
泉・地震・馬の神とされる。クロノスとレアの子。ローマ神話のネプトゥーヌスに相当する。
[13]
イエスの母マリアは、「良き港の聖母」「海の聖母」「保護の聖母」「海の星」などの名で呼ばれるが、これらの名称は「異教」の信仰から採用されたものである。