比較宗教学

2018/12/07


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第6回

第7章 キリスト教

第1部 イエスとキリスト教信仰の成立

 キリスト教の定義

キリスト教とは、イエスは神の子であると信じる宗教である」――もう少し正確に言えば、「キリスト教とは、イエスという歴史上の人物は、(人類に救いをもたらす)神の子キリスト(人類の王)であると信じる宗教である[1]」。この定義は、キリスト教の根本的教義であり、その他の教えは、このイエス・キリストの言行に基づいている。この言行は、キリスト教の正典の一つである『新約聖書[2]』に記されている。「イエスが神の子である」ということは、イエスがキリスト教にとって単に歴史的に実在した人間(人の子)であるばかりでなく、同時にそれ以上のもの(神の子)であることも意味する

もともと世界の諸宗教においては、教祖の神格化という現象は決して珍しいものではない。仏教のように、原理的には神を立てない宗教においてさえ、時が経つにつれ、教祖の理想化・神格化が行われたしかし、キリスト教ほど、この教祖の神格化に中心的な重要性を与えた宗教は、おそらく他にないだろう。

 この「イエスは神の子であるという告白(信仰内容)が、同じ聖典(神の啓示)から出発したユダヤ教や、同じ神を崇拝するイスラームと ( たもと ) を分かつ原因にもなった

単なる人間イエスを神の子と見なす信仰は、キリスト教の聖典の一部である新約聖書を強く ( いろど ) っている。したがって我々は、イエスの言行を記したとされる新約聖書を通して、歴史的人物としてのイエスの生涯と彼の教えを正確に得ることはできない新約聖書は、イエスに関する歴史的事実を忠実に伝える文書ではなく、イエスについて聖書記者が抱いた信仰内容の記述である。それゆえ、実際のイエスの教えと、後の人たちが記したイエスの教え(教義)とが一致しない可能性がある。しかしそれでも『聖書』が、歴史上のイエスを知る上で第一級の資料であることにかわりはない。

 イエスの生涯

イエスの活動の舞台は、紀元前74年から紀元後30年頃までパレスチナの一隅(ガリラヤ湖畔からエルサレムに及ぶ地域)である。この時代のパレスチナは、社会的にも文化的にも、きわめて複雑な状況にあった。長くパレスチナに居住し、主権国家を築いていたユダヤ人は、紀元前63年以降、ローマ帝国の支配の下に置かれるとともにローマ帝国の一種の 傀儡 ( かいらい ) 政権であるヘロデ王[3]の支配も受けた。

ローマ帝国の占領下というこのような緊迫した政治状況の中で、イエスはユダヤ人として生まれ、彼の言うところの「良い ( しら ) (euangelion)、すなわち福音を説いた。しかし、イエスの革新的な言説は、ユダヤ教の保守派の強い反発を受けた。そのためイエスは、ローマ帝国に反逆を企てる者というニセの告訴で死刑判決を受け、十字架に ( はりつけ ) られた[4]。この「磔刑」は、当時もっとも残酷な刑とされた。以下に、イエス・キリストの誕生に関連する『聖書』の言葉を幾らか引用しよう。

 受胎告知 ルカによる福音書第1章

乙女 ( おとめ ) マリアは、大工ヨセフと婚約していたが、男も知らずに聖霊(神の力)によってイエスを胎内に宿し、出産したとされるこれによってマリアは、後世、神の母として崇敬されるようになった。乙女マリアの懐胎は、既に述べたとおり、生殖における男性の役割が十分に認識されたかった頃のアニミズムの考え方を反映していると解釈し得る。以下に引用するマリアと天使の言葉のやり取りが、「アヴェ・マリア(Ave Maria)というミサ曲の歌詞となる。

1.        天使ガブリエル[5]は、ナザレというガリラヤの町に神から ( つか ) わされた。ダビデ家のヨセフという人の 許嫁 ( いいなずけ ) である 乙女 ( おとめ ) のところに遣わされたのである。その 乙女 ( おとめ ) の名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方主があなたとともにおられる

2.        マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの 挨拶 ( あいさつ ) は何のことかと考え込んだ。

3.        すると、天使は言った。「マリア、恐れることはないあなたは神から恵みをいただいたあなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名づけなさいその子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座を下さる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」。

4.        マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがあり得ましょうか私は男の人を知りませんのに

5.        天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包むだから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる・・・(中略)・・・神にできないことは何一つない」。

6.        マリアは言った。「私は主のはしためですお言葉どおり、この身になりますようにそこで、天使は去った。

 マリアの夫ヨセフ マタイによる福音書第1章

自分の 許嫁 ( いいなずけ ) のマリアがいつのまにか妊娠したことを知った大工ヨセフの動揺はいかばかりであったろうか。幸いにもその 驚愕 ( きょうがく ) 髣髴 ( ほうふつ ) とさせる物語が今に残っている妊娠したマリアを受け入れるには、大胆な信仰が必要であった

1.        イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。ヨセフがこのように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさいマリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい[6]。この子は自分の民を罪から救うからである」。

2.        このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(イザヤ書)。この名は、「神は我々とともにおられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

 預言者イザヤの預言

新約聖書によると、この人の子であり神の子であるイエスこそ、ユダヤ人が久しく待望する救い主、あるいはローマ帝国の支配からの解放者であった。『旧約聖書』に納められた「イザヤ書」第9章(BCC)には、ユダヤ人の待望する救い主(キリスト)に関して、次のように記されている:

1.        闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。・・・中略・・・ ひとりのみどり児が私たちのために生まれた。ひとりの男の子が私たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。

2.        ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそして 永久 ( とこしえ ) に、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

しかしながら、イエスの説いた教えは、ユダヤ人だけを対象とするものではなかった。すなわちイエスは、「ユダヤ人の解放者」であるばかりでなく、「人類の解放者」であろうとした。これが、ユダヤ人中心主義(選民思想)を持つユダヤ人保守派の怒りを買い、イエスは、あらぬ罪を問われ、死に追い ( ) られたのである。

 クリスマスの日時と由来(再論)

キリストの誕生日は、一般に1225日とされている。しかしそれは、聖書のどこにも書かれておらず教会(宗派)ごとに異なっていた[7]。前回も述べたとおり、キリストの誕生日とされる1225日は、キリスト教そのものに由来するのではなく、キリスト教が広まる以前にローマ帝国内で盛んであった太陽崇拝(アニミズム)に由来している

@      ローマ帝国では、サトゥルナリア(農耕神サトゥルヌスの祭[8])122131もしくは1217日から一週間、行われていた。この期間中でも特に、冬至の日(1222日前後)は、「太陽が ( よみがえ ) る日」として盛大に祝われた

A      さらに、ローマ帝国では、古代ペルシアが起源のミトラ教[9]が広がっていた。ミトラ教の主神ミトラは、ギリシア神話のアポロンのように、光と真理を ( つかさど ) り、すべての悪を圧倒的な力で排除する善の神で、ローマ人兵士の間で信仰されていたこのミトラ神(太陽神)が、ローマ帝国の皇帝崇拝と結び付けられ237年にローマ皇帝アウレリアヌスによって、1225日が「不滅の太陽の誕生日」として、ローマ帝国の正式な祭日と定められた

こうして、それらの冬至にまつわる二つの祭日と、ときに「太陽」や「昇る朝日」にたとえられるイエス・キリストとが習合し、(西ヨーロッパでは)1225日がキリストの誕生日となったのである。

 イエスの教え

人々はイエス(キリストの教え)に何を求め(需要)、また、イエス(キリスト教)は人々に何を提供したのだろうか(供給)。イエスが説いた教えは、簡単に言えば、神の国の到来を告げる良い ( しら ) (福音)であった。この神の国の到来は、ユダヤ教も約束しているものであった。しかし、イエスの説く神の国は、ユダヤ人たちが待望する地上の国(政治的な独立国)ではなく、精神的な国であった。すなわち、それは見える形でこの地上に、政治的に実現されるものではなく、彼の教えを受け入れる人びとの心の中に成立する国である

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。ここにある』『あそこにあると言えるものでもない。実に、神の国はあなた方の間にある(ルカ17:20~21)

 神の国に入る条件

このような神の国には、どのような人が入るのだろうかイエスによると、旧約聖書に記載された戒律( 律法 ( りっぽう ) )――これはユダヤ人の祖先モーセに啓示された神の意志だと信じられている――を形の上で実行するだけでは充分ではない真心を込めて、律法(=神の意志)を実行する者こそが、神の国に入るとされる。

 では、神の意志とは何であろうか。イエスは、マタイによる福音書56章で、それを詳細に語っている。その説話は、一般に山上の 垂訓 ( すいくん ) と呼ばれている。以下に、その一部を引用する

1.        イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

2.        心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである

3.        悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる

4.        柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ

5.        義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる

6.        憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける

7.        心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る

8.        平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる

9.        義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである

10.     私のために ( ののし ) られ、迫害され、身に ( おぼ ) えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある

 これを、一口に言えば、「」である。マルコによる福音書12章では、次のように言われている

1.        彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出て、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟の内で、どれが第一でしょうか」。

2.        イエスはお答えになった。「第一の掟は、これであるイスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい第二の掟は、これである隣人を自分のように愛しなさいこの二つにまさる掟はほかにない」。

 ルカによる福音書6章によれば

1.        私の言葉を聞いているあなた方に言っておく。敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい(中略)あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい(中略)人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方にどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。…(中略)あなた方は敵を愛しなさい

2.        人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい

イエスによれば、自己犠牲的な愛、多利的な愛、他者中心的な愛が天国に入るための条件である。しかし、この愛を素直に、自己犠牲的な愛と受け止めていいものか、疑念が残る。我々はこの疑問を、上記の『山上の垂訓』の言葉と照らし合わせながら、よく考えてみる必要がある。

キリスト教の他利的な自己犠牲の愛の実行には、天の国における幸福の獲得が約束されている。そうであれば、その幸福の獲得を目指して他利的な愛を遂行することもできるその点で、キリスト教の愛は、他利的な愛の内にこの上ない利己主義を ( ともな ) っているキリスト教の愛は、聞き慣れない言葉(ギリシア語)を使えば、アガペーであると同時に、エロースなのであるアガペーとは文字通り自己犠牲的(他利的)であり、エロースとは自己中心的(利己的)である

これと並んで、イエスの教説を特徴付けるものは、その普遍的な性格であるイエスは、ユダヤ民族に限られた民族宗教としてのユダヤ教の狭い枠を超えて、すべての人々に、神に国の到来を告げる福音を説いたこのように、イエスの愛の教えは、ユダヤ民族に限られない普遍性を持っていた民族の枠を超えてすべての人々に及ぶ彼の教えの普遍性こそが、キリスト教をユダヤ人の民族宗教から人類の世界宗教へと発展させる理論的要因だった。たしかに、神の国が地上のものでなく、また、神の意志(=愛)を行なう者のみがそこに入るのであれば、神の国(救い)は、必然的に、ユダヤ人にばかりでなく、すべての「異邦人」に、すなわち、すべての人に開かれていなければならない。しかし、キリスト教を世界宗教にまで発展させたのは、イエス自身ではなく、彼の教えを受け入れた弟子たちと諸国の民であった。



[1] 「キリスト」という言葉は人名(固有名詞)ではなく、「香油を注がれた()」という意味のヘブライ語「メシア」のギリシア語訳である。

[2] 「新約」とは、神がモーセを通してユダヤ人に与えた旧い契約(旧約)に対して、イエス・キリストを通じて啓示された「新しい契約」の意である。したがって、旧・新約の別は、キリスト教の側に立ってなされた区別である。ユダヤ教では、『新約聖書』を聖典とは認められておらず、旧約に当たる部分(いわゆる旧約聖書)は、ヘブライ語で「律法」(トーラー)と呼ばれる。新約聖書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書、使徒言行録、イエスの弟子たちの書簡からなる。

[3] 彼自身もユダヤ人。在位前37〜前4年。彼は、ベツレヘムにおけるキリスト(ユダヤ人の王)の降誕が自分の地位を危うくするのではないかと危惧し、ベツレヘムにいた2歳以下の男子を皆殺したとされる(マタイによる福音書2)

[4] なお、イエスは、弟子のイスカリオテのユダの裏切りによって逮捕されたというのがこれまでの考え方であった。しかし、最近公表された紀元後2世紀半ばのユダの福音書では、このユダは、イエスの活動の不可欠の協力者(第一の弟子)であるとされ、キリスト教会に波紋を投げかけている。その福音書の一説にはこう書かれている:(Jesus says),”But you will exceed all of them (i.e.the baptized). For you will sacrifice the man that clothes me”. 『ユダの福音書』の全文(コプト語原文と英訳)は、今のところ次のURLから入手できる:http://www.nationalgeographic.com/lostgospel/document.html

[5] (アラビア語でジブリール)は、ムハンマドに、イスラームの聖典コーラン(クルアーン)を啓示したとされる

[6] 「イエス」は、ヘブライ語の人名「ヨシュア」のギリシア語表記で、「ヤーウェは救う」という意味である。「ヤーウェ」は、ユダヤ人の神の名前(ヘブライ語)である。

[7] 1225日をクリスマスとするのは、西方教会(カトリック教会とプロテスタント教会)である。これに対し、ギリシア正教、ロシア正教などの東方教会は17日を、アルメニヤ教会は119日をキリストの生まれた日としている。

[8] 古代ローマの収穫祭(Saturnalia)。サトゥルヌス(Saturnus)は、ローマ神話で、農耕、文化の神。人間に初めて農耕を教えたとされる。ギリシア神話ではクロノスにあたるサトゥルヌスの日(祭日)Saturn’s day すなわち土曜日である。

[9] キリスト教がローマ帝国内に広まらなかったとすれば、ヨーロッパを支配したのはミトラ教だったろうと言われている。ミトラ教がヨーロッパから姿を消したのは13世紀になってからである。なおミトラ(Mithra)は、仏教に取り入れられ、世界の終末に民衆を救う慈悲の神――マイトレーヤ(サンスクリット語) 弥勒 ( みろく ) 菩薩 ( ぼさつ ) (漢語)――として信仰されている

 

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