比較宗教学

2018/12/07


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第8章 仏教

―仏教の成立と発展――

仏教は神を立てない宗教だと言われる。では仏教は、神()といういわば超人的な存在を想定せずに、どのようにして人間の諸問題に応えようとするのだろうか

 発生と開祖

仏教は、ゴータマ・シッダールタブッダ( 仏陀 ( ぶっだ ) 覚者 ( かくしゃ ) [1])となったときに始まる。しかし、開祖()教え()を説き、 教団 ( サンガ ) ( 僧伽 ( そうぎゃ ) と音訳し、略して ( そう ) という)が形成されたときを宗教としての仏教の成立と見なすならば、ブッダガヤーの 菩提樹 ( ぼだいじゅ ) の下で覚者(ブッダ)となった 釈尊 ( しゃくそん ) [2]がヴァーラーナシーの 鹿野苑 ( ろくやおん ) (サルナート) ( おもむ ) き、5人の修行者たちに初めてみずからの自覚の内容を説き明かし、5人の修行者が弟子となって最初の 教団 ( サンガ ) が形成されたとき、仏教が成立したことになる。

ブッダは現在のネパールのタライ地方にあったカピラヴァストゥ城に、シャカ族の王シュッドーダナ( 浄飯王 ( じょうぼんのう ) )の子として生まれた。生誕の日は、日本では48、南方仏教諸国ではインド暦の第2月ヴェーサーカ月(太陽暦では4月から5)の満月の日としている。歴史的な活動年代については諸説がある。日本など(大乗仏教=北伝仏教)では紀元前466386年説( 宇井 ( うい ) 伯寿 ( はくじゅ ) )紀元前463383年説( 中村元 ( なかむらはじめ ) )が有力である。東南アジア諸国(小乗仏教=南伝仏教)では伝説に従って紀元前624544とされる。しかし、いずれの説でも、80 入滅 ( にゅうめつ ) [3]とする点は、一致している

ゴータマは、王族の子として何不自由なく暮らし、結婚し一子をもうけた。しかし彼は、人生の空しさを覚え、老化や病気の苦しみから解放されようと出家し、正統バラモン[4]系の修行をしたり、 沙門 ( しゃうもん ) と呼ばれる反バラモン的な自由思想家に学んだり、苦行を実践したりした後、ブッダガヤーの 菩提樹 ( ぼだいじゅ ) の下でブッダ(覚者)となった。ブッダが体得した真理は、 縁起 ( えんぎ ) [5]と呼ばれるもので、宇宙を ( つらぬ ) く普遍的な 理法 ( ダルマ ) である

しかし、ブッダが縁起という真理を体得したといっても、ブッダが神の声を聞いたのでも霊的な存在の啓示を受けたのでもなく、さらにはみずからの身体を苦しめ精神を強靭にする苦行によってそのような真理を獲得したのでもないみずからの 禅定 ( ぜんじょう ) [6]によって宇宙の真理を発見し、それを自覚したこの点が、仏教の最大の特色であると言ってよいブッダの体験はいわゆる神秘体験ではなく、まさしく真理をはっきりと把握した、すなわち、悟っただけである。したがって、縁起という真理は、ブッダが発案したものではなく、彼が世に生まれようが生まれまいが真理として存在していると、仏教では信じられている。

しかし実際には、その真理はブッダによって初めて世に知らしめられたのであり、ブッダの偉大さによって真理が世の人々のものになった。そのためブッダは、後に超人化され、すべてを知る全知者・絶対的な救済者として信仰の対象とされ、仏教寺院にはブッダの像が安置され、礼拝の対象になった。

 神と仏の問題

しかし、いま述べたように、ブッダは 禅定 ( ぜんじょう ) と呼ばれる精神集中によって宇宙の普遍的真理を悟ってブッダになったのであって、神の子でもなければ神の言葉を預かる預言者でもないブッダは生死の中で苦悩する人々を救済しようとする使命感をもって教えを説いたのであるしかし、それは神の命令(啓示によるもの)でもなければ、霊的な存在のお告げによるのでもないブッダの救済活動はブッダみずからの 慈悲 ( じひ ) の心によるしたがってブッダにとって、イエスに対する天なる神、ムハンマドに対するアッラーに相当する神などは、存在しない

その点でブッダの悟りは、 ( ) ( ) 独悟 ( どくご ) と呼ばれる。布教活動も、ブッダみずからの慈悲に基づいて行なわれたというのが仏教の基本的な考え方である。またブッダは、 真如 ( しんにょ ) (真理)から 来生 ( らいしょう ) した者という意味で、超人的な存在であるかのように 如来 ( にょらい ) と呼ばれる。しかしこの言葉は、当時のインドの一般の諸宗教において修行を成し遂げ、世界の真理に到達した人々にも等しく使われていた言葉すなわち普通名詞である。ところが、ブッダの絶対視、神格化が行なわれるようになると、如来と言えばむしろ信仰の対象としてのブッダを表すかのようになった

さらにブッダの神格化が進むと、ブッダは、永遠の理法そのもの( 法身 ( ほっしん ) )であると同時に、前生からの実践の 功徳 ( くどく ) による 報身 ( ほうじん ) 衆生の様々なあり方に応じてブッダとして現れる 応身 ( おうじん ) 、同じように種々の姿でこの世に現れた 化身 ( けしん ) (アヴァターラ)であると信じられるようになった[7]。しかしこのような神格化は、ブッダが意図したものではない。

 大乗と小乗・金剛乗――仏教史

仏教 教団 ( サンガ ) ――仏陀の教えを信じた人々の共同体(生活共同体)――が成立して間もない頃から、教団の規律に関する見解の相違から、教団(原始仏教)は保守派(厳格派)と進歩派(穏健派)に分かれて大論争を引き起こした。結局、両派は意見の一致(妥協点)を見いだすことができず、 上座部 ( じょうざぶ ) [8]と大衆部という2つの部派に分かれた。両派はさらに分裂を重ね、20前後の部派に分かれた。それらの部派が伝えた仏教は、一括して「部派仏教」とも呼ばれるが、後に起こる大乗仏教の信徒からは「小乗仏教[9]」と呼ばれた。さらに西暦紀元の前後頃に仏教に革新の波が生じた。その結果、従来の部派仏教が一部の限られた宗教的エリートたちの救済しか念頭におかなかったことに対する反動として、釈尊の教えの根本に立ち帰り、広く一般大衆の救済を目的にした「大乗仏教[10]」が提唱された。以下で、これらの仏教の特色を略述してみよう:

(1)       小乗仏教では、釈尊以外の者は仏陀になれないとされた修行者が到達できる悟りの最高位は、 阿羅漢 ( あらかん ) [11]という境地であった仏陀への 畏敬 ( いけい ) の念があまりにも強かったため、修行者は仏陀とみずからとの間にどうしても超えることのできない一線を引いた。仏陀を自分たちから無際限に遠ざけたと言える。それゆえ小乗仏教は、「仏による救い」を認めず、自分自身の修行だけを重んじた。今日この仏教は、東南アジア諸国(スリランカやタイ)に見られ、南伝仏教とも言われる。

(2)       大乗仏教では、ブッダと一般信者との間に ( へだ ) たりはない大乗仏教徒は、仏陀を ( した ) うあまり、自分たちに引き寄せ、身近なものとした。その結果、大乗仏教では、仏陀ばかりでなく、修行によって悟りを開き仏となると予想される将来の仏陀( 菩薩 ( ぼさつ ) [12])たちが、時に無力な一般大衆に近づき、彼らを 涅槃 ( ねはん ) [13]に導くと考えられた。小乗仏教では、信者の導き手は仏陀ただひとりだが、大乗仏教では、このように数多くの導き手が存在する。それらの菩薩の内でもっともよく知られているのが、 弥勒 ( みろく ) 菩薩 ( ぼさつ ) (「慈悲深い者」という意味)である。弥勒菩薩は、現在は天界の一つである「 兜率天 ( とそつてん ) [14]」にいると信じられているが、釈迦の入滅後、567千万年を経てこの世に現れ、衆生を教化して救う(=仏にする)と信じられた遠い未来の仏(当来仏)である。これはいわば、キリスト教の救い主に相当する。しかし、この 弥勒 ( みろく ) 菩薩 ( ぼさつ ) (マイトレーヤ)は、元来、古代ペルシアのゾロアスター教の友愛と盟約の神・ミトラ神から派生したものだと言われている。同様に、この弥勒菩薩と混同される 阿弥 ( あみ ) 陀仏 ( だぶつ ) [15]も、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダ(善の神)の影響を受けていたようである。大乗仏教は、インドを北上し、カシミール地方(パキスタン〜アフガニスタン)でギリシア風の仏教美術を開花し、シルクロードを経て中国や日本に広まったため、北伝仏教とも言われる。

(3)       秘密仏教( 金剛乗 ( こんごうじょう ) [16])すなわち密教という流派が、7世紀頃に、大乗仏教から分かれた。これは、一人のグル(指導者)によって秘密の教えが修行者に伝授される仏教で、ヒンドゥー教の影響下に北東インドで発生し、たとえばチベット仏教(ラマ教[17])に受け継がれた。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマは、 観音 ( かんのん ) 菩薩 ( ぼさつ ) [18] 化身 ( けしん ) とされ、ダライ・ラマに次ぐ地位にあるパンチェン・ラマは阿弥陀仏の 化身 ( アヴァターラ ) とされている。ラマは仏の化身であるから、自分の後継者は「仏の化身」として認められさえすればよく、必ずしも自分の血を引く子どもである必要はなかった。人間の姿をしてこの世に現われた仏( 活仏 ( トゥルク ) )と見なされる子どもがラマの後継者として指名され、英才教育を受けた

仏教に限ったことではないが、宗教に見られる諸宗派の分立は、宗教の開祖の望んだものではない。それは、開祖の教えを受け継ぐ後継者たちが、時代の要求や各自の要求(願望)に応えつつ行った解釈の相違に由来する。



[1] 宇宙と人生との真理を悟った者をさす普通名詞。この意味でなら、ゴータマ・シッダールタだけが仏陀なのではない。仏陀は、単に「仏」とも言われる。

[2] ブッダは、シャカ族出身の 聖者 ( ムニ ) であり、世界の尊者であったので、 釈迦 ( しゃか ) 牟尼 ( むに ) 世尊 ( せそん ) 略して 釈尊 ( しゃくそん ) と呼ばれる。ブッダの生涯に関しては、次がサイトが詳しい:http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/02_indo&SAasia/02-04_buddha.html

[3] 迷いを捨てて悟りの境地に入ること。特にシッダールタの死をさす。

[4] 古代インドの身分制度であるカースト制度(四姓)の最上位で、僧侶、祭司階級またはそれに属する者をさす。

[5] 因縁(因果関係)によってあらゆる事象が、仮にそのようなものとして生起していること(因果応報)

[6] 心を一つの対象に注いで、心の散乱を鎮めるのが「定」、その上で、対象を正しくはっきり捉えて考えるのが「禅」。転じて、心を統一して静かに対象を観察し、真理を悟ることを意味する。

[7] 大乗仏教においては、ブッダの神格化が進むとともに、 阿閦仏 ( あしゅくぶつ ) 阿弥 ( あみ ) 陀仏 ( だぶつ ) 弥勒仏 ( みろくぶつ ) 毘盧舎那仏 ( びるしゃなぶつ ) ( 大日 ( だいにち ) 如来 ( にょらい ) )などの他の諸仏(ブッダ)の信仰も盛んに行われた。これらの諸仏とブッダ自身との関係は、さまざまに論じられるようになった。たとえば、大日如来とブッダとの関係を例にとると、大日如来とブッダは表面的には別の姿をしているが本質的には同じであるとする説(大釈同体論)と、大日如来は真理そのもの(法身仏)であるのに対して、ブッダは人間(生身仏)であるから別体であるとする説(大釈別体論)が説かれた。

[8] サンスクリット語で「テーラヴァーダ」。「長老たちの教え」を意味する。

[9] サンスクリット語で「ヒーナヤーナ」。「小さな渡し舟」を意味する。南方上座部とも南伝仏教とも言われる。

[10] サンスクリット語で「マハーヤーナ」。「大きな渡し舟」を意味する。北伝仏教とも言われる。

[11] もはや、学ぶべきものがないので「無学」とも言われる。略称して「羅漢」とも呼ばれる。

[12] 菩薩とは「悟りを求める者」という意味である。

[13] 輪廻 ( りんね ) 転生 ( てんせい ) から解放された絶対的に安心の境地。すなわち仏陀が到達した境地。

[14] 須弥山 ( しゅみせん ) (仏教の世界観で世界の中心にあるとされる山)のはるか上方にある天で、歓楽に満たされており、この天の一夜は人間界の400歳に当たるとされる。当来仏である弥勒菩薩が住むところとされ、弥勒の浄土と言われる。

[15] 西方浄土(極楽浄土)の主(あるじ)。浄土宗、真宗などの本尊。この仏を信じ、その名を唱えれば、この仏の慈悲によって死後ただちに極楽浄土に生まれ、果てしない 輪廻 ( りんね ) (サンサーラ)から解放されるという。弥陀、阿弥陀如来、無量寿仏、無量光仏とも呼ばれる。

[16] サンスクリット語で「ヴァジラヤーナ」。「 金剛石 ( ヴァジラ ) (ダイヤモンド)のように変化しない渡し舟」という意味。

[17] 7世紀前半にインドから伝えられた。ラマ(高僧という意味)が仏・法・僧の 三宝 ( さんぽう ) にもまして尊崇されるところから、ラマ教とも呼ばれる。ラマ教には18派あるが、紅帽派(旧派)と黄帽派(改革派)が最も勢力を持った。15世紀以降は、ラマの妻帯を禁ずる後者が主流となった。チベット仏教は、ネパール、ブータン、モンゴル、中国東北部(旧満州)でも信じられている。

[18] 衆生がその名を唱えるのを聞くと、大慈大悲を垂れ、その衆生に解脱を得させると信じられた菩薩。阿弥陀仏の脇に立っている。聖観音、千手観音、十一面観音、三十三観音、不空羂索観音、馬頭観音、如意輪観音などと実にさまざまな名で呼ばれる。

 

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