ルフィヌスの序文

 聖書の知識の熱望に駆られたどれほど多くの兄弟たちが、教養がありギリシア語に通暁した幾人かの人たちに、オリゲネスをローマのものとし、彼(の声)をラテン人の耳に入るように頼んでいたかを、私は知っています。私たちの兄弟であり同僚(であるヒエロニムス)も、司教ダマススにそうするように懇願されました。彼は、『雅歌』に関する二つの講話をギリシア語からラテン語に翻訳したとき、その作品に――どのような人にも、オリゲネス(の作品)を読んだり熱心に探求したりする願望を引き起こすほどの――優美で華麗な序文を書きました。その中で彼は、オリゲネスの魂には「王は私をその寝屋に導き入れた[1]」という言葉が当てはまると言い、「彼は、他の諸書においてもすべての人に勝っていますが、『雅歌』において彼は、さらに自分自身に勝りました[2]」と述べています。実に(ヒエロニムスは)、同じ序文で、さらも『雅歌』に関する注解をも、また、オリゲネスの他のできるだけ多くの作品をローマ人の耳に惜しみなく提供しようと約束しています。ところが私の知る限り、彼は、自分自身の文筆に気を取られ、より大きな名誉をもたらす仕事を追及しています[3]。彼は、翻訳者であるよりも、「言葉の父[4]」のようになっています。そこで私は、彼によって開始され是認された作業を継続します。しかし、かの偉大な人物の諸々の言葉を(ヒエロニムスと)同等の雄弁の力で飾ることは、私にはできません。それゆえ私は、私の至らなさによって次のことが起こるのではないかと心配しています。すなわち、(ヒエロニムスが)知識と知恵とのゆえに「使徒たちの後のもう一人の教会博士」であると承認したかの人物が、私の言葉の貧しさによって、(実際以上に)はるかに劣った人物に見られるのではないか、と。



[1] Ct.1,4.

[2] Hieronimus, Praef.Hom.Ct.Origenis.

[3] 『聖書』の翻訳であろう。

[4] pater verbi; cf.Platon, Symposium, 177D.

 

次へ