第4章

神の一と多

 

 しかし神の「何がしか」が、神のデュナミス・エネルゲイアによって認識可能であるにしても、神のデュナミス・エネルゲイアは全被造物の救いのオイコノミアの内に多様な働きをなすものとオリゲネスは受け止めているのであるから、またそれは人間などの理性的被造物の有限な精神によって認識されるものとも考えているのであるから、多様な働きをなし、有限な精神に知られる神は、自らのデュナミス・エネルゲイアの内で多くの相(アスペクト)の下で時間的空間的に自己限定し多様化した神だということになる(1)。実際、前章で引用した『諸原理について』第1巻4の3では、宇宙万物の創造と管理のオイコノミアの内で多様に働き、それらによって神が相応しく認識されるところの複数の力は、神そのものであるとオリゲネスによって断言されていたのであった。ではオリゲネスは、理性的被造物がその有限な精神の眼差しの内に神を収めその方を認識するために必要な、神の側での時空的な自己限定をどのように考え、また、本来唯一であるべき神の、多様なデュナミス・エネルゲイアにおける多をどのように受け止めているのであろうか。神の「何がしか」の認識をもたらす神のデュナミス・エネルゲイアの内に真の意味で神ご自身に出会うには、時空的に限定されざる神とそのデュナミス・エネルゲイアの内で時空的に限定された神の問題、すなわち神の一と多の問題を避けて通ることはできないであろう。

 

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